安中榛名駅からスタートです。
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12/14 7:07
安中榛名駅からスタートです。
駅と妙義山
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12/14 7:12
駅と妙義山
御荷鉾山
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12/14 7:13
御荷鉾山
旗立石(明治七年,1874)、どこの神社のものかなぁ。
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12/14 7:23
旗立石(明治七年,1874)、どこの神社のものかなぁ。
道標の文字は消えていますが、
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12/14 7:25
道標の文字は消えていますが、
ここが分岐らしい。
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12/14 7:26
ここが分岐らしい。
竹林の道
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12/14 7:26
竹林の道
ここにきてやっと目的地の案内があらわれました。
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12/14 7:29
ここにきてやっと目的地の案内があらわれました。
何と入口近くに駐車場。ここまで車で来られるみたい。左へ行くとすぐに県道48号
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12/14 7:33
何と入口近くに駐車場。ここまで車で来られるみたい。左へ行くとすぐに県道48号
ここが入口のようです。
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12/14 7:34
ここが入口のようです。
石祠の屋根
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12/14 7:34
石祠の屋根
なかなか雰囲気のある道です。
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12/14 7:35
なかなか雰囲気のある道です。
大きな岩肌が現れ、基部の岩窟に岩戸観音堂跡がありました。
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12/14 7:38
大きな岩肌が現れ、基部の岩窟に岩戸観音堂跡がありました。
二体の石仏、「献桜碑」(明治廿五年二月下浣(1892)建之 石工戸塚佐與次)、六地蔵
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12/14 7:38
二体の石仏、「献桜碑」(明治廿五年二月下浣(1892)建之 石工戸塚佐與次)、六地蔵
岩壁の祭壇、此処に観音堂の建物があったようです。
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12/14 7:40
岩壁の祭壇、此処に観音堂の建物があったようです。
隣の石祠には「文政十年丁亥正月十二日(1827)」と願主銘があります。
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12/14 7:43
隣の石祠には「文政十年丁亥正月十二日(1827)」と願主銘があります。
右の大日如来像「昭和四年十一月 多胡氏」。隣の行者らしい像も「昭和四年十一月 □□氏」、おそらく同じ方でしょうか。
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12/14 7:45
右の大日如来像「昭和四年十一月 多胡氏」。隣の行者らしい像も「昭和四年十一月 □□氏」、おそらく同じ方でしょうか。
六地蔵も
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12/14 7:50
六地蔵も
此処が本来の御堂入口のようですね。小さな宝篋印塔(無銘)があります。
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12/14 7:52
此処が本来の御堂入口のようですね。小さな宝篋印塔(無銘)があります。
石垣に銘がありました。「念佛講中 明和六乙丑歳四月吉日(1769)(北原 内出 馬場 野村 池尻 過上)右村々施主」
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12/14 7:53
石垣に銘がありました。「念佛講中 明和六乙丑歳四月吉日(1769)(北原 内出 馬場 野村 池尻 過上)右村々施主」
先に進むと左に古い注連縄のある小径がありました。
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12/14 7:56
先に進むと左に古い注連縄のある小径がありました。
石殿がありました。銘は無いようです。
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12/14 7:58
石殿がありました。銘は無いようです。
ほどなく「元助遺跡義士石像」にとうちゃこ!
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12/14 8:00
ほどなく「元助遺跡義士石像」にとうちゃこ!
こちらも絶壁下の岩窟に浅野夫妻と、
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12/14 8:01
こちらも絶壁下の岩窟に浅野夫妻と、
忠臣四十七士の墓碑(各々浮彫の石仏)が安置されています。
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12/14 8:01
忠臣四十七士の墓碑(各々浮彫の石仏)が安置されています。
何故ここの義士の石像?についてはこちらをご覧ください。忠義の連鎖というか、四十七士本人だけではなくその家族や周囲の人々にも悲喜こもごもの出来事があったようです。
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12/14 8:02
何故ここの義士の石像?についてはこちらをご覧ください。忠義の連鎖というか、四十七士本人だけではなくその家族や周囲の人々にも悲喜こもごもの出来事があったようです。
義士石像群の前に丸彫りの地蔵尊、
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12/14 8:02
義士石像群の前に丸彫りの地蔵尊、
石造の配置図がありました、これは有難い!
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12/14 8:03
石造の配置図がありました、これは有難い!
中央にあるのが播州赤穂藩主浅野内匠頭と奥方阿久里の石殿。奇しくも先週の鉄砲祭の“播磨一党”と繋がりましたね。“阿久里さん”には翌日義士館でお逢いしました!
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12/14 8:10
中央にあるのが播州赤穂藩主浅野内匠頭と奥方阿久里の石殿。奇しくも先週の鉄砲祭の“播磨一党”と繋がりましたね。“阿久里さん”には翌日義士館でお逢いしました!
石殿の左右に忠臣の石像が並んでいます。すぐ右隣りが大石内蔵助の石像、阿弥陀様かな?
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12/14 8:13
石殿の左右に忠臣の石像が並んでいます。すぐ右隣りが大石内蔵助の石像、阿弥陀様かな?
左側の石像群の前にある石祠「享保十四乙酉天壬九月吉日(1729)」施主銘らしきものもあります。
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12/14 8:21
左側の石像群の前にある石祠「享保十四乙酉天壬九月吉日(1729)」施主銘らしきものもあります。
石殿右側の石像群
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12/14 8:26
石殿右側の石像群
左側の石像群
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12/14 8:26
左側の石像群
せっかくですから山頂も踏んでおきます。
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12/14 8:28
せっかくですから山頂も踏んでおきます。
台座から倒れた地蔵尊像、首はありませんでした。「俗名…」とあるので墓碑のようです。紀年銘らしきものもありますが判読不能。
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12/14 8:32
台座から倒れた地蔵尊像、首はありませんでした。「俗名…」とあるので墓碑のようです。紀年銘らしきものもありますが判読不能。
山名板は「御殿山403M」
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12/14 8:42
山名板は「御殿山403M」
もう一つありました。「御殿山400M」
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12/14 8:43
もう一つありました。「御殿山400M」
石尊山に向かう近道ですが、通行禁止のようです。
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12/14 8:45
石尊山に向かう近道ですが、通行禁止のようです。
県道沿いにある石像入口の案内
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12/14 8:59
県道沿いにある石像入口の案内
駅に向かう途中、近道方向に作業道があったので行ってみました。
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12/14 9:07
駅に向かう途中、近道方向に作業道があったので行ってみました。
作業道はすぐに終了、左に小径があったので行ってみると、
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12/14 9:09
作業道はすぐに終了、左に小径があったので行ってみると、
道路の橋脚の下に着きました。結構な高低差があります。
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12/14 9:10
道路の橋脚の下に着きました。結構な高低差があります。
前方は新幹線の線路なので、左へ逃げます。
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12/14 9:11
前方は新幹線の線路なので、左へ逃げます。
いったん沢に降りて対岸の斜面へ
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12/14 9:14
いったん沢に降りて対岸の斜面へ
竹藪の中、歩けそうな所を這い上がって、車道に出ました。
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12/14 9:17
竹藪の中、歩けそうな所を這い上がって、車道に出ました。
その先に左「長岩道沿革」碑(昭和二十九年拾月)と右「風戸通改修竣工」碑(明治三十五年,1902)がありました。南朝時代に開かれ代々改修されてきたみたいです。
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12/14 9:23
その先に左「長岩道沿革」碑(昭和二十九年拾月)と右「風戸通改修竣工」碑(明治三十五年,1902)がありました。南朝時代に開かれ代々改修されてきたみたいです。
安中榛名駅の背景に石尊山(左)から御殿山(岩戸山)、駐車身に戻って“山歩きの部”は終了、東京にトンボ返りします。
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12/14 9:33
安中榛名駅の背景に石尊山(左)から御殿山(岩戸山)、駐車身に戻って“山歩きの部”は終了、東京にトンボ返りします。
自宅で昼食後、最寄り駅(本蓮沼)から都営一日乗車券(700円)で両国駅。午後の“街歩きの部”はここからスタートします。
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12/14 13:48
自宅で昼食後、最寄り駅(本蓮沼)から都営一日乗車券(700円)で両国駅。午後の“街歩きの部”はここからスタートします。
いかにも両国らしい洋品店
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12/14 13:51
いかにも両国らしい洋品店
こんなレトロ過ぎる魚屋さんも健在です。「魚祐」(墨田区両国4-8-7)
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12/14 13:59
こんなレトロ過ぎる魚屋さんも健在です。「魚祐」(墨田区両国4-8-7)
吉良邸跡のほんの一部(1/86)が本所松坂公園(両国3-13-9)として保存されています。
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12/14 14:01
吉良邸跡のほんの一部(1/86)が本所松坂公園(両国3-13-9)として保存されています。
邸内にある松坂稲荷大明神
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12/14 14:03
邸内にある松坂稲荷大明神
“吉良の赤馬”吉良町の郷土玩具、当地では治水事業等を行った名君で「吉良さん」と親しみをこめて呼ばれているそう。
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12/14 14:03
“吉良の赤馬”吉良町の郷土玩具、当地では治水事業等を行った名君で「吉良さん」と親しみをこめて呼ばれているそう。
吉良家の菩提寺、華蔵寺(愛知県西尾市吉良町岡山山王山59)にある木造、普段は非公開みたい。
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12/14 14:03
吉良家の菩提寺、華蔵寺(愛知県西尾市吉良町岡山山王山59)にある木造、普段は非公開みたい。
みしるし洗いの井戸
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12/14 14:04
みしるし洗いの井戸
吉良邸の名残紅葉
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12/14 14:05
吉良邸の名残紅葉
吉良上野介義央公座像、此処には何度か来ていますが初御目見えです。平成22年吉良邸跡保存会が華蔵寺の像をモデルに建立、上屋は像の建立に感銘した吉良町が建設し、どちらも墨田区に寄贈されたとのこと。
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12/14 14:05
吉良上野介義央公座像、此処には何度か来ていますが初御目見えです。平成22年吉良邸跡保存会が華蔵寺の像をモデルに建立、上屋は像の建立に感銘した吉良町が建設し、どちらも墨田区に寄贈されたとのこと。
八重桜の紅葉
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12/14 14:08
八重桜の紅葉
先週が元禄市、本日午前に義士祭吉良祭があったようです。
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12/14 14:09
先週が元禄市、本日午前に義士祭吉良祭があったようです。
首都高(7号小松川線)を見上げながら運河(竪川)沿いを歩き、清澄通りを右折して森下駅へ向かいます。
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12/14 14:14
首都高(7号小松川線)を見上げながら運河(竪川)沿いを歩き、清澄通りを右折して森下駅へ向かいます。
以前何度か来店したことのある『宮川からし店』(墨田区千歳3-6-5)が健在でした。ちょっと驚きと同時に嬉しかったです。
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12/14 14:18
以前何度か来店したことのある『宮川からし店』(墨田区千歳3-6-5)が健在でした。ちょっと驚きと同時に嬉しかったです。
“本所の七色唐辛子” 東京で唐辛子といったら薬研堀ですが、こちらにも度々訪れました。ちなみに元々は“七味”は上方、“七色”は江戸東京の呼び方だったようです。
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12/14 14:18
“本所の七色唐辛子” 東京で唐辛子といったら薬研堀ですが、こちらにも度々訪れました。ちなみに元々は“七味”は上方、“七色”は江戸東京の呼び方だったようです。
以前は高齢のお婆さんが切盛りされていましたが、息子さんが跡を継いだのかな?歌舞伎缶(小)で350円也。
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12/14 14:19
以前は高齢のお婆さんが切盛りされていましたが、息子さんが跡を継いだのかな?歌舞伎缶(小)で350円也。
森下駅から泉岳寺駅へ。構内には赤穂義士の名板がありました。
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12/14 14:55
森下駅から泉岳寺駅へ。構内には赤穂義士の名板がありました。
駅前には義士行列を待つ人垣ができていました。
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12/14 14:56
駅前には義士行列を待つ人垣ができていました。
義士祭りも学生の時(40年以上前)以来何度か来ていますが、久しぶりです。最近はTVでもあまり忠臣蔵のドラマや映画のやっていないので、人気がなくなったのかなと思っていたら、
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12/14 14:59
義士祭りも学生の時(40年以上前)以来何度か来ていますが、久しぶりです。最近はTVでもあまり忠臣蔵のドラマや映画のやっていないので、人気がなくなったのかなと思っていたら、
今までで(私の場合)最高の人出、外国の方も目立ちました。
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12/14 15:00
今までで(私の場合)最高の人出、外国の方も目立ちました。
泉岳寺の名残紅葉
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12/14 15:00
泉岳寺の名残紅葉
墓所の行列が半端ではなく早々に諦め、お目当ての“大石内蔵助介錯之刀”を観るために義士館の列に並びました。
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12/14 15:03
墓所の行列が半端ではなく早々に諦め、お目当ての“大石内蔵助介錯之刀”を観るために義士館の列に並びました。
するとそこを墓所へ向かう義士行列が通り過ぎました。特等席?でした。大石内蔵助
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12/14 15:18
するとそこを墓所へ向かう義士行列が通り過ぎました。特等席?でした。大石内蔵助
流石迫力ある堀部安兵衛、高田馬場の決闘の評判で赤穂家臣の養子に入ったそう。
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12/14 15:18
流石迫力ある堀部安兵衛、高田馬場の決闘の評判で赤穂家臣の養子に入ったそう。
一番槍の間十次郎も決まっています。その槍も館内に展示されていました。
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12/14 15:18
一番槍の間十次郎も決まっています。その槍も館内に展示されていました。
やっぱり大石主税はイケメンが選ばれるのかな。
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12/14 15:18
やっぱり大石主税はイケメンが選ばれるのかな。
インバウンド?の義士の方もおられました。やはり海外では侍、忍者ブームなのかな。
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12/14 15:19
インバウンド?の義士の方もおられました。やはり海外では侍、忍者ブームなのかな。
行列の慰みにといただいた地図、入館料は義士館と木像館共通で500円。
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12/14 15:35
行列の慰みにといただいた地図、入館料は義士館と木像館共通で500円。
爆笑問題のTV番組で紹介されていた大石介錯の刀が特別展示、これが一番の目的でした。「これで人間の首が斬れたのか」と思うぐらい、細く小さめの刀(備前長船)でした!
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12/14 15:39
爆笑問題のTV番組で紹介されていた大石介錯の刀が特別展示、これが一番の目的でした。「これで人間の首が斬れたのか」と思うぐらい、細く小さめの刀(備前長船)でした!
首洗い井戸、
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12/14 15:51
首洗い井戸、
玉垣はあのオッペケぺーの「川上音二郎」の寄進、廃仏毀釈などで荒廃していた義士の墓所を嘆き、改修の支援をしたそうです。
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12/14 15:52
玉垣はあのオッペケぺーの「川上音二郎」の寄進、廃仏毀釈などで荒廃していた義士の墓所を嘆き、改修の支援をしたそうです。
本懐を遂げた赤穂浪士が吉良の首級をここで洗い、主君浅野の墓前に供え、その報告をしたそうな。
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12/14 15:52
本懐を遂げた赤穂浪士が吉良の首級をここで洗い、主君浅野の墓前に供え、その報告をしたそうな。
墓所はまた静かな時にお参りに来ましょう。
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12/14 16:08
墓所はまた静かな時にお参りに来ましょう。
祭見物の定番土産はこちら。
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12/14 16:10
祭見物の定番土産はこちら。
山鹿流陣太鼓は文芸の世界の話みたいです。
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12/14 16:13
山鹿流陣太鼓は文芸の世界の話みたいです。
義士祭ポスター
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12/14 16:15
義士祭ポスター
泉岳寺提灯
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12/14 16:16
泉岳寺提灯
大石内蔵助良雄銅像、所有者が点々とした後、泉岳寺に寄進され大正十年12月十四日に除幕、元禄羽織に、連判状を持って江戸城の方向をにらんでいる姿だそうです。
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12/14 16:19
大石内蔵助良雄銅像、所有者が点々とした後、泉岳寺に寄進され大正十年12月十四日に除幕、元禄羽織に、連判状を持って江戸城の方向をにらんでいる姿だそうです。
ワンデーパス、今回はお得分は僅少でしたが、都内散歩には有難いですね。
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ワンデーパス、今回はお得分は僅少でしたが、都内散歩には有難いですね。
義士祭のもう一つのお土産、『播州赤穂 三島屋本店』さんの塩味饅頭、やはり“赤穂の塩”が使用されているのかな。
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義士祭のもう一つのお土産、『播州赤穂 三島屋本店』さんの塩味饅頭、やはり“赤穂の塩”が使用されているのかな。
もう忠臣蔵の季節ですね。
先日の日天でも安住さんが話題にしてましたけど忠臣蔵とか赤穂浪士ってワードが通じるのは40代後半以降の世代らしいですよ😅
いつもながら楽しませていただきました。
どうやらそのようですね、「忠臣蔵」も「ちゅうしんぞう」と読んでしまうようですね(笑)
さすが日天では忠臣蔵の話題に触れていたのですね。まだ聴けてないので楽しみに聴いてみたいと思います。とんだ企画物にお付き合いいただきありがとうございました。 godohan
コメントありがとうございます。まさにその通りですね。赤穂義士に限らずついつい歴史の表舞台のみがクローズアップされてしまいますが、その家族や裏方の方々にも計り知れない物語と歴史があるんでしょうね。岩戸山の義士像もその一つと言えますね。もちろんそういたもの全てを知ることはできませんが、ひょんなことから縁あって出会ったり、知り得たりすることが私的にはとても楽しいことです。何の腹の足しにもなりませんが(笑)
これからの季節、ますますグンマーの里山で遊ばせていただく機会が多くなると思います。今度バッタリすることがあったら、必ず御挨拶したいと思います。それでは。 godohan
時代が変わった言えばそれまでですが、それでもあれだけの人出があるとはやはり忠臣蔵ブランドはまだまだ健在のようですね。
伊豆の旅おつかれさまでした。私も“ズガニ”のシーズンの間に行きたいと思っています。
コメントありがとうございました! godohan
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