海別岳~羅臼岳


- GPS
- 248:00
- 距離
- 66.8km
- 登り
- 4,905m
- 下り
- 4,783m
コースタイム
- 山行
- 8:00
- 休憩
- 0:10
- 合計
- 8:10
- 山行
- 8:40
- 休憩
- 0:10
- 合計
- 8:50
- 山行
- 5:30
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 5:30
- 山行
- 13:20
- 休憩
- 0:10
- 合計
- 13:30
- 山行
- 0:00
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 0:00
- 山行
- 0:00
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 0:00
- 山行
- 0:00
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 0:00
- 山行
- 0:00
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 0:00
- 山行
- 0:00
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 0:00
- 山行
- 0:00
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 0:00
- 山行
- 7:50
- 休憩
- 2:00
- 合計
- 9:50
過去天気図(気象庁) | 2025年01月の天気図 |
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アクセス |
写真
装備
個人装備 |
行動食は1日フルグラ120gとプロテインバー。テルモス500mlでしんどかった。 750ml持ってけば良かった。飯は1食α米一袋+お椀サイズのインスタント麺orカレーメシ1.5個。 お腹すくけどなんとかいける。燃料はDFのみで一泊300ml計算。水汲めるテンバ多かったからわからないが一泊200mlでもギリ行けそう。
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感想
学生生活も残りあとわずか。最後に燃えカスになれるような登山がしたかった。
これまで縦走を何回かしてきたけれども、まだ山脈が続いているというのに自分で勝手に終わりを作って下山してきた。山脈が終わって海に沈んでいく最後まで、しっかり歩いてみたいという気持があった。
知床は自分のやりたいことにぴったりだったしtmkも行きたいと言ってくれたので、二人で全山縦走に挑戦することにした。1月に行っている記録はほとんどない。例年に比べて小雪。流氷もくる気配がない。今まで行ったことがない山域。不安は色々あったけど、岬に立った時自分は何を思い何を考えるのか、どんな景色が見えるのか、それを知りたかった。
4月から(たぶん)社会人になるし、日程をたっぷりとってとことん歩く最後の山旅になるかもな、と思いながら入山した。
1/22
tmkのLINEには、教授からの「今日はもう大学いる?」のメッセージ。逃げるように知床に向かう。ウトロにお住いの山スキー部OBのお宅に泊めさせていただけることになっていたが、なんと豪華な晩御飯まで振舞ってくださった。たらふくごちそうになって就寝。ごちそうさまでした。
1/23
朝ごはんも圧倒的品数。感謝してもしきれません。ごちそうさまでした。
車は鍵を預けることを条件に海別スキー場に置かせていただく。スタッフが来るのを待ったりしていたので9:00入山。
いよいよ始まるんだという高揚感が、青い空と相まってどんどん膨らんでいく。「天に続く道」から全山に向けた旅は始まった。
うっすら残るトレースを辿りながら、ひたすら尾根を歩いていく。量は少ないものの歩行には全く問題ない積雪がありひとまず安心。16日分の重荷が肩に食い込むのを感じながらひたすら歩く。知床は樹限がかなり低いので、どのくらい歩いたか距離感がつかめなくて変な感じ。c1360までシール、そこからSE。北のポコに全装おいて空身でポン。ピーク付近は風あり視界なしだった。ぼっこもないのでさっさと下る。
ピークの一個北側の尾根を下ったが、序盤は急で岩も出ていたのでSEのままカニ歩きみたいな感じで降りて途中からスキー。尾根上は胸くらいのブッシュの海でクソ。全然気持ちよく降りられなかった。c750くらいの最低コルに幕営。水も汲めて風もない快適テンバ。電波×(SB)。荷物重いなぁ。
1/24
朝は意外といい天気。今日はラサウをのっこせたら乗越したい。
ラサウまでは無限ポコ。稜線上以外はブッシュが濃いのと微沢やらなんやらが顕著で歩けないので、巻かずにまじめにポコを消化していく。c848くらいから視界も100くらいになり、ポコを超えては風に吹かれ、下りではブッシュの海に突っ込み転び、立ち上がりまたポコを超えて…を延々と。ダルい。c888付近で1回ワンデリング。c669手前の下りで視界が開けてラサウが見える。なんか黒くね?あと遠くね?そんなこと思いつつポコを消化し、時間的に行けそうなので乗越決定。
ラサウの頂上は岩峰になっていてカッコいい。直上は不可能なので北から巻く。これがヤバかった。身長くらいのチョロカンバが、跨げもせずくぐれもしない絶妙な高さに、折ったり曲げたりできない絶妙な太さの枝を伸ばしている。これが斜面一帯を覆っている。雪もシールが効かないクソ雪。斜度も普通にある。なんで俺こんなことしてんだろ、という思いが頭をよぎるなか格闘する。あひ~。tmkは馬鹿デカいザックと枝に挟まって窒息しそうになったそう。たった100mあげるだけなのに1h30mかかった。
50mくらい先にピークあったけどまた灌木こぎをしなきゃいけないし時間もかかってしまっていたのでカット。沢中へ下る。上部は多少Bushyだけどもはや我々には何も感じない。ちょいちょい口が開いている沢を滑り、c500くらいで幕営。水汲める。電波×(SB)。稜線上は割とどこでも電波入りそう(Docomo)。疲れた~。もう二度とラサウにはいかないぞ。tmkはペツルのラテルネがちゃちいとご立腹のご様子。
1/25
朝起きるとテントが圧迫されている。昨日から20~30センチくらい積もったようだ。スキーでもう少し行こうと思っていたが、ラッセルがあるのでシール貼ってスタート。ずーっとラッセルで沢中はところどころ口が開いていてめんどくさい。大量降雪のせいで沢の側面がよく雪崩れた。ほとんどtmkがラッセルしてくれた。ありがとう。ずっと雪が降り続いていることもあり全身びちょびちょで不快。予定より手前から尾根を乗越気味に沢を登り主稜線へ。主稜線付近は気にならない風で視界なし。Bushで尾根がわかる感じ。岩峰はなんもで一つ目は西巻き、二つ目は東巻きした。c570くらいのコルからはトラバり気味に行くことに。覗いた感じ下の方が歩きやすそうだったのでtmkに下の方が楽かもと伝え、自分はとりあえずコンタ変えずに斜面をトラバる。しばらく行くと下の方に結構深い沢型や微尾根が出ていてtmkがハマっているのが見えた。ごめんね。上は楽だったよ。
遠音別南のコル付近についた時点で12時を過ぎていたので、今日はもうテンバ入りしちゃおうということで621ポコの西側のコルに幕営した。タンネで快適。そこから西のポコ挟んで反対側もタンネで快適そうだった。時間と燃料に余裕があったので乾燥大会。まだ3日目だというのに色々臭すぎて笑った。初場所が14日目を迎えていて、王鵬と金峰山と豊昇龍が熾烈な優勝争いをしていた。tmkは相撲に疎いようだったので、オタク特有の早口で相撲のあれこれをレクチャーして沈。なんだか体調が悪い。
1/26
明後日から低気圧がやってくるので、なんとしても今日中に愛山荘に行きたい。6:30に出発すると低気圧の前面だからか思ったより穏やかだった。
765は西側から巻き気味に登る。尾根の崖マークは雪で埋まっているので問題ないが、急なので15mくらいツボにして登る。そっからはただ尾根を上げるだけなのだが、雪質が終わってる。表面に風に叩かれたパック層があり、その下に前日の新雪があり、その下にシールが効かない系の固い層がある。パック層を潰して、ラッセルしつつ、ずり落ちないようにエッジを効かせるという3工程を毎歩する必要があり体力と時間を食う。体調も悪く、のどがめっちゃ痛くて息切れするとフラフラするような状態だったのもあってtmkの後ろでずっとうつむきながら歩いていた。体温計を山行に持ってくると風邪と確定して弱気になっちゃうので、持ってきてなくてよかった。絶対熱あった。
そんなこんなで予想より苦労して遠音別ピーク。この時はまだ風もなく時折青空も見える感じだった。ピークの東側はラインを選べば、岩の間を縫ってエクストリームなスキーが出来そう。
知西別までの稜線は、1113までは基本ずっと細かった。風と積雪のせいか雪稜チックになっている部分もあった。八剣山の山スキー部的7pit.みたいな所もちょくちょくあった。おそらく遠音別の壁と思われる1170の手前の下りは、スキーだとはじかれるしアイゼンだと踏み抜くめんどくさい感じ。ツボで適当に下ってたら10mくらい滑落した。意外と止まんなかった。tmkはそれを見てアイゼンに換装していた。
1113についた時には気にならない風&視界10mくらいになっていて、知西別をあきらめて樹林内に逃げ込むかどうか話し合ったが、ギリ行けそう&明日以降動けない可能性を考えて突っ込むことに。ストック、ザック、サロペ山ジャン全部バッキバキ。ゴーグルも外側がどんどん凍ってくる。地形もよくわかんないし何も見えないのでGPSちらちら見ながら知西別へ。c1200くらいからは地形も顕著になってわかりやすいしなんも。
ピークに15:45着。体力(体調)の限界がきていたが降りなくてはいけない。スキーに替えて909へ延びる尾根を下っていく。ガッチガチのボッコボコで全然快適には滑れない。が、早く樹林内に入りたいしもう暗くなり始めてるしうだうだ言ってられない。転げながら降りて、コルあたりでシールに変更し、すでに日没しているのでラテルネをつける。
雪も降り始めて真っ暗になってどこを歩いてんだかさっぱりわからないのでGPSを見ながら小屋を目指す。ラテルネに照らされる目の前を振る雪と白い平坦な地面と時折生えているチョロカンバが、海をただようカスと海底の砂地と海藻に見えてきて、海の底を歩いているような感覚になった。愛山荘への下りはスキーしたら快適そうだったが、この暗さとヘロヘロ具合でスキーしたら重大事故になりかねないのでシールで降りる。というかシールで滑って転んで止まる、の繰り返し。この辺の記憶は疲労と空腹でもはや曖昧。愛山荘についたのは20:00。13h30m行動。お腹が空きすぎて、腹の皮膚が肋骨に引っ付くのを確かに感じました。風邪の日にやっていいことじゃないよこんなこと。
1/27
昨日の長時間行動、外は風雪。文句なしの完全停滞。体調不良も最高潮に。カメラで見たらめっちゃ頬がこけていた。
愛山荘は網走山岳会が管理してくださっている快適な小屋。ただ、薪が少なかったため、これから数日停滞することを何となく予感していた我々はほとんどストーブを使わずに生活することにしていたのでずっと寒い。ちょっと酸っぱいのが難点だが、水は赤イ川から汲める。電波、FMはいらないのでSTVラジオを一日中聞いて過ごす。16時間くらい寝た。
1/28
この日も停滞。窓が昨日より埋まっている。お湯を入れたα米をぶちまけて朝飯抜き。えーん。ラジオネーム「後ろ髪引かれて前から禿げそう」にツボる。疲れている。
1/29
停滞。この日は電波をとりに一人で知床峠方面へお散歩。赤イ川と道路の交点から70~80くらい登ったところで電波入る(Docomo)。その結果30,31は低気圧で動けそうになく、当初は天気が良さそうだった2/1も微妙に。2/2以降が良さそうということがわかる。停滞を5しか持ってきていないため、この瞬間全山縦走の望みが潰えた。全部で6日連続で停滞することが決定し、かつ岬にはもう行けない。正直もう帰ってもよくないか?とおもったが、クソ重い荷物をもってここまで来たんだからせめて羅臼岳でも行ってやろうじゃないかということになり、魂の6停滞を決定。ただの意地である。こんだけ待つんだからドピーカンじゃないと羅臼のぼっこを破壊してやる、とtmkは鼻息を荒くしていた。
1/30
停滞。そろそろ虚無というものを悟り始める。7:00に起き、気休め程度の薪を燃やし、カレーメシを食べ、震えながらラジオを聞き、ツェルトをかぶって本を読み、窓の外をボーっと眺め、16:00に天気図をとり、気休め程度の薪を燃やし、カレーメシを食べ、19:00にテントに入って寝る毎日。寒いので小屋の中にテントを張って寝ていたのだが、この頃になると公衆便所と鶏小屋を混ぜたような淀んだ空気が充満している。お互い動くたびにイラっとするほど臭い。STVラジオの放送順を暗記しつつある。日中はtmkとも1時間に一回くらい、1ラリー程度の会話しかしなくなる。毎日、今日も午前中を乗り越えた、今日も日没まで漕ぎつけた、と思いながら生活する。
岬まではどうせ行けない、羅臼に登ってもだれにも褒められない、帰ってもだれにも責められない、2時間歩けば下界が両手を広げて受け入れてくれるというのになんでこんなことをしているんだろうか…。たまにお互い発狂しかけるが、羅臼登頂大逆転サヨナラホームランを打つことでしか、この重荷と6停滞を肯定する術はないんだと言い聞かせて何とか正気を保つ。体調は完全に回復した。
1/31
停滞。もう一度電波を取りに行く。今度はLINEを見たいtmkも一緒。当初より雲が多そうなものの、気圧配置的にも予報的にも大丈夫そう。2/2羅臼At決定。ようやく終わりが見えてきた。一方tmkは電波入らず(SB)発狂。クソフト〇ンク、カスマホ、など悪態をしきりについていた。この日の夜、20:00くらいに単独の登山者が小屋に来た。9日ぶりの人間。いいにおいがした。途端に自分たちの臭さが恥ずかしくなった。
2/1
停滞。魂の6停滞最終日。ようやく明日、この「臭い虚無」から抜け出すことが出来る。明日の今頃は…と妄想に浸るたびに気分が上がる。よく頑張ったと自分をほめたい。これから先、この6日間ほど次の日が来るのを待ち遠しく思うことは無いだろう。
2/2
帰りのバスの兼ね合いもあり、2:00起き3:00デッパ。ラテルネを付けて行動開始。南西ルンゼから登るのが一般的らしいが、下調べをしっかりしていなかったこと、低気圧の影響による雪崩のリスクが未知数なこと、100パーセント確実に登りたいことなどの理由から、西側の尾根から羅臼平に乗り、ピークアタックすることにした。
赤イ川は渡渉できなかったので道路との交点から回り込み、1099の北側の緩い尾根を目指して歩く。岩が出てきてからトラバースをするのを避けたかったので、808の尾根に乗ってからあまり標高を上げないようにトラバり気味に進む。c850くらいで樹限。暗いのはもちろんだが、天気も思ったより良くない。空が明るくなってからも一面ガスで目印になる植生もほとんどないので、尾根をトラバっているのか沢中をトラバっているのかわからない。板が半分浮いて初めて段差と気づくレベル。なんだかなぁと思いながらコンタを上げていく。
羅臼平についたころにようやく太陽の影が。10日ぶりの太陽に思わず声が出る。羅臼平からピークまではSEで行ける。ピーク直下5mくらいが岩がちなのでそこだけEP。ピークは時折ガスがかかるものの、太陽が差し込み青空。あたり一面は雲海。時折その雲が切れて海が見える。この辺りで一番高いこともあって360度見渡せる景色は最高だった。久々の青空と太陽が気持ちいいし、登頂できてよかった~。
帰りは南西ルンゼを滑走して帰ろうということになる。登りはずっと固かったのでルンゼもあまり期待はしていなかった。案の定入り口は固めで岩も時折出ているような感じ。しかし、1ターン、2ターン、ルンゼの真ん中に入ると…
!!!。パウダー!!!キターーー!!!思わず出る雄叫び。6日間の鬱憤が全て脳汁に変わっていく。気持ちよすぎ。上部と下部に挟まれた一番ルンゼが深い250mの区間だけに奇跡的にパウダーがたまっていた。俺たちが山荘で震えながらラジオを聞き、ツェルトにくるまり、臭さに耐えていたその時間が、ルンゼにパウダーを溜めてくれていた。正直登っている時は、6日間も停滞する意味あったのかとかつまらないことを少し考えたりもしていたが、ピークに立った時、そしてこのルンゼを滑ったその瞬間にそんな悩みは吹っ飛んだ。耐えてよかった。無駄じゃなかった。下山しながら50mおきに振り返る。青空とルンゼとシュプール。かっちょいい~!きもちいぃ~!逆転サヨナラ大ホームランである。
山荘について荷物をまとめて、きれいに掃除をして別れの挨拶。本当にお世話になりました。道路をスキーで下って知床自然センターへ。センターには人がいっぱいいて、清潔な空間が広がっていて、視覚に入ってくる情報が多すぎてなんだかタイムスリップしたような気分になった。と同時に、帰って来たなあと思ってほっとした。
帰りもOBのお宅に一泊させていただき、鹿焼肉と美味しいお酒を頂く。またまたごちそうさまでした。達成感10、悔しさ20、諦め70の山行だった。まあちゃんと帰ってこれたので良しとしましょう。お疲れさまでした。
学生最後の長期縦走は、行動5停滞6というひどく不格好で下手くそな山行になってしまったけど、なんだかそれも自分らしくていいな、と今では少し思っている。一緒に知床に来ていっぱいラッセルして、最後まで一緒に粘ってくれたtmkには本当に感謝している。ありがとう。
ただ、悔しさもやっぱり残っている。帰りのバスの車窓から自分たちを追いかけるように寄せ来る波を見て、この景色を岬で見たかった、そして海岸を延々と歩きながら帰って来たかったという思いが沸々と湧いてきた。歩いたつもりだったけど、地図を見たらまだ半分しか歩けていなかった。燃えカスになりたいと思って入山したけれど、全然燃えカスにはなれなかった。山脈が海に沈むその先まで歩いた時に、自分が何を思い何を感じるのかを結局知ることはできなかった。もしかしたら長期縦走は最後かもなと思いながら入山したけれど、6日間の停滞は縦走欲を余計に掻き立ててしまった。
現実問題として今までのような山の行き方は出来なくなると思うけど、それを言い訳にせずにまた山旅をしたい。まだまだ終われませんなぁ。
駆けたいと
果ての白さを
這う小屋で
ラヂヲ錆びても
ルンゼ踏み切る
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