記録ID: 963641
全員に公開
ハイキング
奥多摩・高尾
ゴンエ尾根から雲取山を経て三峰ルートへ
2016年09月17日(土) ~
2016年09月18日(日)
体力度
4
1泊以上が適当
- GPS
- 04:57
- 距離
- 23.1km
- 登り
- 2,046m
- 下り
- 1,815m
コースタイム
1日目
- 山行
- 0:00
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 0:00
6:00
奥多摩小屋
2日目
- 山行
- 7:25
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 7:25
8:10
0:00
121分
東日原バス停
10:11
35分
唐松谷下降点
10:46
29分
長沢谷渡渉地点
11:15
44分
二軒小屋尾根
11:59
170分
ゴンエ尾根取付き
14:49
46分
権衛の頭
15:35
奥多摩小屋
3日目
- 山行
- 5:34
- 休憩
- 0:14
- 合計
- 5:48
ゴンエ尾根は小雲取山から東に延びる野陣尾根の支尾根で、東北東に張り出している。尾根の突端ではゴンエ谷と大雲取谷、そして長沢谷が出会う。富田新道が拓かれるまでは日原側からの雲取山への主要登山道だったが、その後廃れたという。
昨年11月に雪山登山の下見のつもりで臨んだところ、早めの積雪で無残に敗退した。三連休のうち最後の日を予備日にして、台風の遠いうちに出発した。
このルートの難点は公共交通機関利用では登山口までが遠い事で、平日だと東日原から三時間弱、日原林道を歩かねばならない。しかも自宅からは東日原行の始発バスには間に合わず、どうしても八時前に東日原を発つ事になる。
歩き始めは調子が良く、登山者に嫌われる林道歩きも、観察の仕方では様々な楽しみがある等と思っていたが、二時間を超える位で硬い路面と単調な風景に嫌気が差した。林道の大部分はコンクリートの簡易舗装で、未舗装部分も石灰質のせいか固い。スニーカーを持って来るべきだったかもしれない。
道中は意外に人がいた。八丁橋までは何台も自家用車が通ったし、その先もバイクや自転車を見かけた。道路工事も進んでいる。ただの林道にしては整備が余りに充実している。後述するようにその先の登山道も整備が進んでいる事も考えれば、限定的にしても一般車の通行を想定しているのかも知れない。
ふと何処まで進んだかを確認しようとしてスマホの山旅ロガーを開くと、GPS機能の不良でこれまでのログを取れていなかった。再起動しても変わらない。バリエーションルートを行くのにこれが無いのはかなり不安だったが、一番難しい尾根の突端までは昨年通っている上、いざとなれば富田新道に変えればいいと踏ん切りをつけ、進んだ。
東日原から丁度二時間で漸く唐松谷下降点に到着。興味深い掲示を見つけた。東京都水道局が地元の大館建設工業に登山道の整備を発注しているというものだ。上の写真でも紹介しているが、長沢背陵から石尾根に至る主要ルートのみでなく、富田新道、そして今は通行禁止になっている唐松谷林道を整備しているようだ。
(現地の地図は細かく読み取れず、写真に撮ったものを地図と比較しているだけなので、間違いはあるかもしれない)。
これから向かう長沢谷下降点から二軒小屋尾根乗越までの道がごく最近整備された事もあり、いよいよ―大ダワ林道の代替として―二軒小屋尾根が整備されるのではという先輩方のヤマレコもあったので、期待を込めて地図を眺めたが、生憎記載は無かった。ただ奥多摩山岳救助隊元副隊長の金邦夫氏の著作でも、水道局が代替ルートとして有力視しているという記述があった。期待して良いかも知れない。
長沢谷下降点の目印を発見、やっとのことで登山道が始まる。先達の記録通り、良く踏まれて整備されているように見える。少なくとも足元から崩れて滑落するような恐怖は感じない。
いよいよ長沢谷に降りた。ここに真新しい木橋が架かったという話を聞いたので、先程から探しているが見つからない。苔生した過去の木橋の上流・下流10m程を探したが、無い。代わりに過去の木橋の数メートル下流に新しい流木があるだけだ。それも同じ太さの丸太が四本。まさかな…もっと下流の二軒小屋尾根取付き辺りで見つけられたのを勘違いして読んだのかも知れない。
雨が続いているだけあって、前回のように飛び越えられる幅ではない。裸足になって渡渉する。まだ暑い季節なだけに気持ち良い。
その先は前回道に迷ったところで、目印の大きな桂を探す。桂の手前から明瞭な踏み跡がある。冬枯れの頃と違い、下草の緑と、踏み跡の土と落ち葉の茶のコントラストが美しく、分かりやすい。
九十九折を数度繰り返せば二軒小屋尾根のタワ部分が目に入る。今回は何の苦労もなく乗り越した。大ダワ林道を少しだけ進めば、大雲取谷へまっすぐ降りる踏み跡がある。見つけられなくとも降りれるところで降りれば良い。
大雲取谷も飛び越えられる水量ではない。再度裸足で渡り、座って靴下を履こうとしたところで足の裏がつった。水を1.2リットル補給して進む。ここからは右岸をへつる。流木や岩が多いが、決して高巻きはせずに水際を進む。流木を超えた所に地面があると勘違いして軽く飛び降りたら平岩に土が被さっただけのもので、そのまま転んだ。
黒い岩が大きく張り出しているところがあり、僅かに足を載せられそうなところが一箇所しかない。幸い手を伸ばせる範囲に出っ張りがあり、両手でしっかと掴んで片足ずつ渡った。
次は本当にへつる余地が無い岩だ。そこが最後で、そこだけ高巻けばゴンエ尾根の突端だ。一挙一動に緊張を強いられる事こそがバリエーションルートの醍醐味だと思うが、後は太い尾根を登るだけなので、今回はそんなところはもう無い。そう思っていた。
行動開始から三時間近く経って、漸くの事、今回の目的であるゴンエ尾根の登りが始まった。気分がだれてしまっているが、気合を入れて急登をよじ登る。
先程の谷沿いから比較的新しい人の足跡がある。それも参考にしながら登るが、急で崩れやすく、速度が上がらない。それでも最初は茸を愛でて、鳥の声に和む余裕があった。
一旦勾配が緩み、再度きつくなった辺りから露岩帯が二三度現われた。ただ尾根は太く、とっかかかりも多いので難なく通ることが出来る。鈍足で数十分は歩いた頃、最初の倒木が現われた。石尾根や岩尾根でも珍しくないと、最初は素直に超えていた。ただ今回は借り物の大きめのザックを背負っており、いつもなら素直に潜れるところも、ザックを引っ掛けて難儀した。
超えても超えても倒木が現れる。尾根登りなので、勾配によって目の前の森の先に空が現れたり消えたりする。倒木の勾配をやっつけて空が透けて見えると、その先にまた倒木が広がっている。なんとなく踏み跡を追っていると、巻くどころか勾配が余計きつくなり、横を見てみると40度を超えていた。いつの間にか獣の踏み跡を追ってしまっていた。
上を見上げ、凡その方向をつけてトラバースで登って行く。すると薄くではあるが九十九折の道がついているのを見つけた。それを追ってみると、直登を避けて南側に巻き始めた。倒木は無いが足元は緩い。数十分のうちに道は急になり、再度尾根に乗り上げた。小休止して太陽を見て方角を確認する。南西で間違いない。GPSが無いので、何処まで登ったかに確証が無い。隣の野陣尾根はまだまだこちらより高い。今から思えば、北側に芋ノ木ドッケらしい頂が常に見えていたので、コンパスを使えばそれなりに同定出来たはずだ。
気力は落ちてきたが、生憎体力も装備も問題無い。ここで逃げてはいくらなんでも情けない。せめて野陣尾根に接続するゴンエの頭までは行こう。
ところがここから更に倒木が増えた。酷いところでは数メートルに一本の割合で、大人が一抱えする程度のものが転がっていた。乗り越えるのも潜るのも辛いと横に巻けば、また他の倒木が邪魔をする。時間ばかりが過ぎていく。そろそろ左手の野陣尾根が近づいても良い頃だが、それも見えない。不安と焦りが高じてくる。
ひょっとして道を間違い、全く見当違いのところを歩いているのではないか。仮に動けなくなってもビバークは出来るし、ゴンエ尾根に登る事は周囲にも伝えてきた。だがもし全く違うとこに居るとなれば、どうなるだろう。午後になって太陽が隠れたので、コンパスを使って方角を確かめた。南西に登っているのは間違いない。地形図を舐め回すが、野陣尾根を見過ごさない限りはそういう尾根はここ以外にない。不安から途中同じ行動を三度はとった。
地形は一向に変わらないが、植生は目まぐるしく変わった。下草に覆われたと思えば全く無くなり、あるところでは苔に覆われていた。
ゴンエの頭に到着して昼飯を取る予定だった14時40分を超えた。蝿が多くて鬱陶しいが、焦っているのも自覚しているし、腹が減ったので、その辺の倒木に腰掛けて弁当を開いた。食後も数分休んで動き始めるが、足が上がらない。膝上程度の倒木も超えられない。自分で思ったように体を捌けない。
極端にペースを落としながら進むと、またきつい勾配だ。この時はもう無心になっていたと思う。写真を撮っていないのもその証左だ。それでも高みをやっつけると、今度こそは広い平坦な所に出た。下草は笹に変わった。ノロノロと笹を分けて進むと左手に立派な道が現われた。おいまさかこんなのを見逃していたのか、と思ったが、これこそが野陣尾根の富田新道ではないか。コンパスを見ると道は真西に転じていた。間違いない。
笹に覆われた尾根に細くともしっかり続く道は、歩きやすい。足を轢きずって進んでいると、左右に丸太が積んであったり、真新しい切り株があったりする。尾根上は風も強いし、落雷も多い。それでも登山道に倒木が無く綺麗なのは、誰かが整備しているからだ。当たり前の事ではあるが、管理されていない山とはどういう状態で、登山道維持の為にはどれ程の労力が払われているか。大変恥ずかしい事に今漸く気がついた。子供の頃から山には親しんできた積りだったが、殆どは里山で、人の手が入っていたのだ。大袈裟ではなく道の周りの切り株や丸太一つ一つを見ては感謝しながら進んだ。
今日は雲取山山頂まで行って雲取山荘に泊まる予定だ。時間はまだ大丈夫だろうが、体力はそろそろ限界だ。あと200m弱の標高差を登れるかも不安だし、山頂から山荘までの険しい下り道もきつい。この先小雲取山の頂の手前で左に巻く道があり、奥多摩小屋に着ける。距離はあるが、登りはない。無理をすれば行けなくはないが、単独行なのだから「迷った時は安全側に倒す」べきだろう。程なく分岐点に着き、一旦奥多摩小屋へ向かったものの、どんどん道が下るのにげんなりして、二度ほど躊躇した。
石尾根に接続し、入山後始めて人間に出会った。奥多摩小屋には15時半に到着。缶ビールで生還を祝った。
夜は19時頃に早々に寝た。夜中に目が覚めて便所に行こうとツェルトを開いて立ち上がった時、両足の内腿がつった。悶絶しながらその場で立ち尽くすしかなかった。思った以上に体力は限界だったようだ。
翌朝は相変わらず曇り空だった。全く何も見えない雲取山山頂をさっさと通り過ぎ、三峰神社へ向かった。体力は充分に回復したようで、登り返しも釣瓶落としも問題なくこなした。勝手なもので、排水溝すら切られている山の道に物足りなさを感じてしまった。お清平の辺りから本降りになり、やむを得ず合羽を着た。途中霧藻ヶ峰休憩所ではご主人と立ち話して、勉強させて頂いた。前白石岩の肩の北面の急斜面では毎年のように滑落事故が起きており、去年も一人助からなかったという事。登山道の整備は矢張り多大な手間で、今日もチェーンソーを抱えて二名が入っている。そういうのも山小屋の仕事だという事。極端な軽装備で入山するトレイルランナーが増え、登山者にも真似する者がいるという事など。他山の石と噛み締めながら下った。雨の勢いが収まらない中、これから登る人々と何度かすれ違った。台風が近いのに大丈夫だろうか。ほぼ予定時間通りに着いた三峰神社の参道は、霧に埋もれて荘厳な風景だった。
学んだ事も反省すべき事も多い山行だった。何より、何十年と人の手が入っていない山の実情はどんなものなのか。それに比して普段の、特に一般登山道はどれ程整備されているか。全く分かっていなかった。他の登山者も、安全を確保した形で、実体験出来れば勉強になるのではないか。
上述のように雲取山周辺では大規模に登山道整備が行われている。そういう話を聞いて、あるいは山の斜面で伐採をしている様子を見て、簡単に自然破壊だの、ありのままの自然を知りたいと思う人は多い。私自身にもそういう気持ちはある。だが山を管理する人は、手を入れないと山は死ぬという。今回体験したのはその一端だったのだと思う。
積雪期に行くには、まだ尚早だ。何より体力が無さ過ぎる。これにラッセルが加われば、どれだけの時間と体力を要するか、想像もつかない。無雪期に複数回経験して、この山をもっと知ってからだ。
アプローチの長さも大きな課題だ。冬であれば、麓での前泊は必須だろう。ただ幸いこれは昨年試している。
それでもゴンエの頭までの間でビバークする必要があるかも知れない。その為には積雪期の斜面で安全にビバーク出来るようにもならなければならない。
GPS機能に頼りすぎている。近隣の山峰を使って同定する位はすぐに出来なければならない。
今回は標高と距離から計算して所要時間を多めに見積もったが、足らなかった。ただ山の様子は―特に管理されていなければ―しょっちゅう変わるものであり、始めてのバリエーションルートであれば正確に計るのは難しいだろう。むしろ引き返せるところで引返す、あるいはビバークする。その為に必要な装備を持ち、現場で冷静に柔軟に判断する。今回引返す事はせず、かつ行程を短縮したのは、間違いのない判断だったと思う。
喉元過ぎれば熱さを忘れる。快適な家にいれば、また倒木と格闘したあの濃密な時間が恋しくなる。
昨年11月に雪山登山の下見のつもりで臨んだところ、早めの積雪で無残に敗退した。三連休のうち最後の日を予備日にして、台風の遠いうちに出発した。
このルートの難点は公共交通機関利用では登山口までが遠い事で、平日だと東日原から三時間弱、日原林道を歩かねばならない。しかも自宅からは東日原行の始発バスには間に合わず、どうしても八時前に東日原を発つ事になる。
歩き始めは調子が良く、登山者に嫌われる林道歩きも、観察の仕方では様々な楽しみがある等と思っていたが、二時間を超える位で硬い路面と単調な風景に嫌気が差した。林道の大部分はコンクリートの簡易舗装で、未舗装部分も石灰質のせいか固い。スニーカーを持って来るべきだったかもしれない。
道中は意外に人がいた。八丁橋までは何台も自家用車が通ったし、その先もバイクや自転車を見かけた。道路工事も進んでいる。ただの林道にしては整備が余りに充実している。後述するようにその先の登山道も整備が進んでいる事も考えれば、限定的にしても一般車の通行を想定しているのかも知れない。
ふと何処まで進んだかを確認しようとしてスマホの山旅ロガーを開くと、GPS機能の不良でこれまでのログを取れていなかった。再起動しても変わらない。バリエーションルートを行くのにこれが無いのはかなり不安だったが、一番難しい尾根の突端までは昨年通っている上、いざとなれば富田新道に変えればいいと踏ん切りをつけ、進んだ。
東日原から丁度二時間で漸く唐松谷下降点に到着。興味深い掲示を見つけた。東京都水道局が地元の大館建設工業に登山道の整備を発注しているというものだ。上の写真でも紹介しているが、長沢背陵から石尾根に至る主要ルートのみでなく、富田新道、そして今は通行禁止になっている唐松谷林道を整備しているようだ。
(現地の地図は細かく読み取れず、写真に撮ったものを地図と比較しているだけなので、間違いはあるかもしれない)。
これから向かう長沢谷下降点から二軒小屋尾根乗越までの道がごく最近整備された事もあり、いよいよ―大ダワ林道の代替として―二軒小屋尾根が整備されるのではという先輩方のヤマレコもあったので、期待を込めて地図を眺めたが、生憎記載は無かった。ただ奥多摩山岳救助隊元副隊長の金邦夫氏の著作でも、水道局が代替ルートとして有力視しているという記述があった。期待して良いかも知れない。
長沢谷下降点の目印を発見、やっとのことで登山道が始まる。先達の記録通り、良く踏まれて整備されているように見える。少なくとも足元から崩れて滑落するような恐怖は感じない。
いよいよ長沢谷に降りた。ここに真新しい木橋が架かったという話を聞いたので、先程から探しているが見つからない。苔生した過去の木橋の上流・下流10m程を探したが、無い。代わりに過去の木橋の数メートル下流に新しい流木があるだけだ。それも同じ太さの丸太が四本。まさかな…もっと下流の二軒小屋尾根取付き辺りで見つけられたのを勘違いして読んだのかも知れない。
雨が続いているだけあって、前回のように飛び越えられる幅ではない。裸足になって渡渉する。まだ暑い季節なだけに気持ち良い。
その先は前回道に迷ったところで、目印の大きな桂を探す。桂の手前から明瞭な踏み跡がある。冬枯れの頃と違い、下草の緑と、踏み跡の土と落ち葉の茶のコントラストが美しく、分かりやすい。
九十九折を数度繰り返せば二軒小屋尾根のタワ部分が目に入る。今回は何の苦労もなく乗り越した。大ダワ林道を少しだけ進めば、大雲取谷へまっすぐ降りる踏み跡がある。見つけられなくとも降りれるところで降りれば良い。
大雲取谷も飛び越えられる水量ではない。再度裸足で渡り、座って靴下を履こうとしたところで足の裏がつった。水を1.2リットル補給して進む。ここからは右岸をへつる。流木や岩が多いが、決して高巻きはせずに水際を進む。流木を超えた所に地面があると勘違いして軽く飛び降りたら平岩に土が被さっただけのもので、そのまま転んだ。
黒い岩が大きく張り出しているところがあり、僅かに足を載せられそうなところが一箇所しかない。幸い手を伸ばせる範囲に出っ張りがあり、両手でしっかと掴んで片足ずつ渡った。
次は本当にへつる余地が無い岩だ。そこが最後で、そこだけ高巻けばゴンエ尾根の突端だ。一挙一動に緊張を強いられる事こそがバリエーションルートの醍醐味だと思うが、後は太い尾根を登るだけなので、今回はそんなところはもう無い。そう思っていた。
行動開始から三時間近く経って、漸くの事、今回の目的であるゴンエ尾根の登りが始まった。気分がだれてしまっているが、気合を入れて急登をよじ登る。
先程の谷沿いから比較的新しい人の足跡がある。それも参考にしながら登るが、急で崩れやすく、速度が上がらない。それでも最初は茸を愛でて、鳥の声に和む余裕があった。
一旦勾配が緩み、再度きつくなった辺りから露岩帯が二三度現われた。ただ尾根は太く、とっかかかりも多いので難なく通ることが出来る。鈍足で数十分は歩いた頃、最初の倒木が現われた。石尾根や岩尾根でも珍しくないと、最初は素直に超えていた。ただ今回は借り物の大きめのザックを背負っており、いつもなら素直に潜れるところも、ザックを引っ掛けて難儀した。
超えても超えても倒木が現れる。尾根登りなので、勾配によって目の前の森の先に空が現れたり消えたりする。倒木の勾配をやっつけて空が透けて見えると、その先にまた倒木が広がっている。なんとなく踏み跡を追っていると、巻くどころか勾配が余計きつくなり、横を見てみると40度を超えていた。いつの間にか獣の踏み跡を追ってしまっていた。
上を見上げ、凡その方向をつけてトラバースで登って行く。すると薄くではあるが九十九折の道がついているのを見つけた。それを追ってみると、直登を避けて南側に巻き始めた。倒木は無いが足元は緩い。数十分のうちに道は急になり、再度尾根に乗り上げた。小休止して太陽を見て方角を確認する。南西で間違いない。GPSが無いので、何処まで登ったかに確証が無い。隣の野陣尾根はまだまだこちらより高い。今から思えば、北側に芋ノ木ドッケらしい頂が常に見えていたので、コンパスを使えばそれなりに同定出来たはずだ。
気力は落ちてきたが、生憎体力も装備も問題無い。ここで逃げてはいくらなんでも情けない。せめて野陣尾根に接続するゴンエの頭までは行こう。
ところがここから更に倒木が増えた。酷いところでは数メートルに一本の割合で、大人が一抱えする程度のものが転がっていた。乗り越えるのも潜るのも辛いと横に巻けば、また他の倒木が邪魔をする。時間ばかりが過ぎていく。そろそろ左手の野陣尾根が近づいても良い頃だが、それも見えない。不安と焦りが高じてくる。
ひょっとして道を間違い、全く見当違いのところを歩いているのではないか。仮に動けなくなってもビバークは出来るし、ゴンエ尾根に登る事は周囲にも伝えてきた。だがもし全く違うとこに居るとなれば、どうなるだろう。午後になって太陽が隠れたので、コンパスを使って方角を確かめた。南西に登っているのは間違いない。地形図を舐め回すが、野陣尾根を見過ごさない限りはそういう尾根はここ以外にない。不安から途中同じ行動を三度はとった。
地形は一向に変わらないが、植生は目まぐるしく変わった。下草に覆われたと思えば全く無くなり、あるところでは苔に覆われていた。
ゴンエの頭に到着して昼飯を取る予定だった14時40分を超えた。蝿が多くて鬱陶しいが、焦っているのも自覚しているし、腹が減ったので、その辺の倒木に腰掛けて弁当を開いた。食後も数分休んで動き始めるが、足が上がらない。膝上程度の倒木も超えられない。自分で思ったように体を捌けない。
極端にペースを落としながら進むと、またきつい勾配だ。この時はもう無心になっていたと思う。写真を撮っていないのもその証左だ。それでも高みをやっつけると、今度こそは広い平坦な所に出た。下草は笹に変わった。ノロノロと笹を分けて進むと左手に立派な道が現われた。おいまさかこんなのを見逃していたのか、と思ったが、これこそが野陣尾根の富田新道ではないか。コンパスを見ると道は真西に転じていた。間違いない。
笹に覆われた尾根に細くともしっかり続く道は、歩きやすい。足を轢きずって進んでいると、左右に丸太が積んであったり、真新しい切り株があったりする。尾根上は風も強いし、落雷も多い。それでも登山道に倒木が無く綺麗なのは、誰かが整備しているからだ。当たり前の事ではあるが、管理されていない山とはどういう状態で、登山道維持の為にはどれ程の労力が払われているか。大変恥ずかしい事に今漸く気がついた。子供の頃から山には親しんできた積りだったが、殆どは里山で、人の手が入っていたのだ。大袈裟ではなく道の周りの切り株や丸太一つ一つを見ては感謝しながら進んだ。
今日は雲取山山頂まで行って雲取山荘に泊まる予定だ。時間はまだ大丈夫だろうが、体力はそろそろ限界だ。あと200m弱の標高差を登れるかも不安だし、山頂から山荘までの険しい下り道もきつい。この先小雲取山の頂の手前で左に巻く道があり、奥多摩小屋に着ける。距離はあるが、登りはない。無理をすれば行けなくはないが、単独行なのだから「迷った時は安全側に倒す」べきだろう。程なく分岐点に着き、一旦奥多摩小屋へ向かったものの、どんどん道が下るのにげんなりして、二度ほど躊躇した。
石尾根に接続し、入山後始めて人間に出会った。奥多摩小屋には15時半に到着。缶ビールで生還を祝った。
夜は19時頃に早々に寝た。夜中に目が覚めて便所に行こうとツェルトを開いて立ち上がった時、両足の内腿がつった。悶絶しながらその場で立ち尽くすしかなかった。思った以上に体力は限界だったようだ。
翌朝は相変わらず曇り空だった。全く何も見えない雲取山山頂をさっさと通り過ぎ、三峰神社へ向かった。体力は充分に回復したようで、登り返しも釣瓶落としも問題なくこなした。勝手なもので、排水溝すら切られている山の道に物足りなさを感じてしまった。お清平の辺りから本降りになり、やむを得ず合羽を着た。途中霧藻ヶ峰休憩所ではご主人と立ち話して、勉強させて頂いた。前白石岩の肩の北面の急斜面では毎年のように滑落事故が起きており、去年も一人助からなかったという事。登山道の整備は矢張り多大な手間で、今日もチェーンソーを抱えて二名が入っている。そういうのも山小屋の仕事だという事。極端な軽装備で入山するトレイルランナーが増え、登山者にも真似する者がいるという事など。他山の石と噛み締めながら下った。雨の勢いが収まらない中、これから登る人々と何度かすれ違った。台風が近いのに大丈夫だろうか。ほぼ予定時間通りに着いた三峰神社の参道は、霧に埋もれて荘厳な風景だった。
学んだ事も反省すべき事も多い山行だった。何より、何十年と人の手が入っていない山の実情はどんなものなのか。それに比して普段の、特に一般登山道はどれ程整備されているか。全く分かっていなかった。他の登山者も、安全を確保した形で、実体験出来れば勉強になるのではないか。
上述のように雲取山周辺では大規模に登山道整備が行われている。そういう話を聞いて、あるいは山の斜面で伐採をしている様子を見て、簡単に自然破壊だの、ありのままの自然を知りたいと思う人は多い。私自身にもそういう気持ちはある。だが山を管理する人は、手を入れないと山は死ぬという。今回体験したのはその一端だったのだと思う。
積雪期に行くには、まだ尚早だ。何より体力が無さ過ぎる。これにラッセルが加われば、どれだけの時間と体力を要するか、想像もつかない。無雪期に複数回経験して、この山をもっと知ってからだ。
アプローチの長さも大きな課題だ。冬であれば、麓での前泊は必須だろう。ただ幸いこれは昨年試している。
それでもゴンエの頭までの間でビバークする必要があるかも知れない。その為には積雪期の斜面で安全にビバーク出来るようにもならなければならない。
GPS機能に頼りすぎている。近隣の山峰を使って同定する位はすぐに出来なければならない。
今回は標高と距離から計算して所要時間を多めに見積もったが、足らなかった。ただ山の様子は―特に管理されていなければ―しょっちゅう変わるものであり、始めてのバリエーションルートであれば正確に計るのは難しいだろう。むしろ引き返せるところで引返す、あるいはビバークする。その為に必要な装備を持ち、現場で冷静に柔軟に判断する。今回引返す事はせず、かつ行程を短縮したのは、間違いのない判断だったと思う。
喉元過ぎれば熱さを忘れる。快適な家にいれば、また倒木と格闘したあの濃密な時間が恋しくなる。
天候 | 曇のち雨 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2016年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
|
コース状況/ 危険箇所等 |
・ゴンエ尾根へ取り付くまで二度の渡渉が必要です。 ・ゴンエ尾根は登山地図にも地形図にも記載されていないバリエーションルートです。赤テープすらありません。また後述のように倒木が激しく、非常に歩きにくくなっています。ルートファインディングや地形図から地形を読み取る能力が不可欠です。 ・携帯電話のGPS機能不良の為、1日目のGPSログは取れませんでした。地図に記載してあるルートは、一般登山道部分はこちらの山行計画機能のヤマプラで作成、ゴンエ尾根部分は過去の自分や他の方の記録を参考に地図から拾い、合成したものです。 |
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