(はじめに)
この第9−6章では長野県の中部、中信地域にある火山性の山々について、その形成史を中心に説明します。
具体的には北側から、高原状の山々である美ヶ原、霧ヶ峰、および八ヶ岳連峰です。なお蓼科山(たてしなやま)は、八ヶ岳連峰の一部として説明します。
具体的には北側から、高原状の山々である美ヶ原、霧ヶ峰、および八ヶ岳連峰です。なお蓼科山(たてしなやま)は、八ヶ岳連峰の一部として説明します。
1)美ヶ原
美ヶ原(うつくしがはら)高原は長野県の中央部にあり、南に隣接する霧ヶ峰高原と共に、信州を代表する高原といえます。
霧ヶ峰高原との地形的な境目は明確ではなく、高原状の地形地が連続しており、ドライブウエー(通称:ビーナスライン)も、美ヶ原から霧ヶ峰高原へと連続していますが、中間部の和田峠を境目とするのが一般的なようです。
さて、美ヶ原の地質を、産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、山腹部(約1600m付近まで)は、新第三紀 中新世(約20−14Ma)の安山岩質の火山岩で形成されています。これは、この時期に起きた「日本海拡大/日本列島移動イベント」に関連して形成された火山性の地質と考えられます。
同じ地質は、長野県北部から新潟県にかけて広く分布しており、上記イベントの影響が広範囲にわたったことを示しています。またこれらの火山岩性の地質は、海底火山噴出物と推定されており(文献1−a)、現在は標高 約1600m付近まで分布していることは、前章で説明した、北信地域と同様に、第四紀における地殻変動により、美ヶ原を含む中信地域が、かなり隆起した場所であることも示しています。(文献1−a)によると、中信地域の第四紀における隆起量は、約5000mに達すると推定しています。
その中新世の火山性地質の上に重なるように、標高 約1600−2000mには、第四紀の火山岩(安山岩質)が分布しています。
現在は周辺からの浸食が進み、尾根筋(=ほぼ、ビーナスラインが通っている箇所)に縦長に分布していますが、元々はもう少し東西に幅広く分布していたと思われます(この段落は私見です)。
この第四紀の火山岩で形成されている峰々は、北側から列挙すると、王ヶ鼻(おうがはな:2008m)、王ヶ頭(おうがとう:2034m)、茶臼山(ちゃうすやま:2006m)、三峰山(みつみねやま:1888m)があります。ただしこれらのピークは高原状の地域から突出しているわけではなく、美ヶ原高原のうち少し標高が高い場所、という感じです。
この高原状の地形は、一見、典型的な溶岩台地に見えますが、(文献1−a)によると、美ヶ原においては、まず160万年前〜120万年前に、火山由来の溶岩台地が形成され、その後、全体が隆起するとともに、台地部分は氷期の周氷河作用によってなだらかにならされて形成された地形(地形学でいう、「メサ」状地形)、と解説されています。
なお、上部の溶岩層を形成した火山がどこにあったのか?は明確になっていません。
霧ヶ峰高原との地形的な境目は明確ではなく、高原状の地形地が連続しており、ドライブウエー(通称:ビーナスライン)も、美ヶ原から霧ヶ峰高原へと連続していますが、中間部の和田峠を境目とするのが一般的なようです。
さて、美ヶ原の地質を、産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、山腹部(約1600m付近まで)は、新第三紀 中新世(約20−14Ma)の安山岩質の火山岩で形成されています。これは、この時期に起きた「日本海拡大/日本列島移動イベント」に関連して形成された火山性の地質と考えられます。
同じ地質は、長野県北部から新潟県にかけて広く分布しており、上記イベントの影響が広範囲にわたったことを示しています。またこれらの火山岩性の地質は、海底火山噴出物と推定されており(文献1−a)、現在は標高 約1600m付近まで分布していることは、前章で説明した、北信地域と同様に、第四紀における地殻変動により、美ヶ原を含む中信地域が、かなり隆起した場所であることも示しています。(文献1−a)によると、中信地域の第四紀における隆起量は、約5000mに達すると推定しています。
その中新世の火山性地質の上に重なるように、標高 約1600−2000mには、第四紀の火山岩(安山岩質)が分布しています。
現在は周辺からの浸食が進み、尾根筋(=ほぼ、ビーナスラインが通っている箇所)に縦長に分布していますが、元々はもう少し東西に幅広く分布していたと思われます(この段落は私見です)。
この第四紀の火山岩で形成されている峰々は、北側から列挙すると、王ヶ鼻(おうがはな:2008m)、王ヶ頭(おうがとう:2034m)、茶臼山(ちゃうすやま:2006m)、三峰山(みつみねやま:1888m)があります。ただしこれらのピークは高原状の地域から突出しているわけではなく、美ヶ原高原のうち少し標高が高い場所、という感じです。
この高原状の地形は、一見、典型的な溶岩台地に見えますが、(文献1−a)によると、美ヶ原においては、まず160万年前〜120万年前に、火山由来の溶岩台地が形成され、その後、全体が隆起するとともに、台地部分は氷期の周氷河作用によってなだらかにならされて形成された地形(地形学でいう、「メサ」状地形)、と解説されています。
なお、上部の溶岩層を形成した火山がどこにあったのか?は明確になっていません。
2)霧ヶ峰
霧ヶ峰は、中信地域の高原状の地域のうち、南半分を示します。この地域も前章の美ヶ原高原と同様に、高原状の大地が緩やかに広がっており、顕著なピークは見当たりません。最高峰となっている車山(くるまやま:1925m)も、周辺部からわずかに高いだけです。
この霧ヶ峰高原は、産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、美ヶ原高原とは異なり、新第三紀 中新世の火山岩は、地表には現れておらず、ほぼ全域で、第四紀の火山岩(安山岩質)が分布しています。
第四紀の中信地域の火山活動の中心はこの霧ヶ峰高原にあった可能性が高く、(文献1−a)によると、車山の西方、南方の地質は第四紀の溶岩流で形成された緩斜面としています。
(文献1−a)では霧ヶ峰高原の地形に関し、それ以上の詳しい説明はありませんが、美ヶ原高原と同様、氷期においては、「周氷河作用」によって緩斜面化が進んだのではないか?と思います(この段落は私見です)。
この霧ヶ峰高原は、産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、美ヶ原高原とは異なり、新第三紀 中新世の火山岩は、地表には現れておらず、ほぼ全域で、第四紀の火山岩(安山岩質)が分布しています。
第四紀の中信地域の火山活動の中心はこの霧ヶ峰高原にあった可能性が高く、(文献1−a)によると、車山の西方、南方の地質は第四紀の溶岩流で形成された緩斜面としています。
(文献1−a)では霧ヶ峰高原の地形に関し、それ以上の詳しい説明はありませんが、美ヶ原高原と同様、氷期においては、「周氷河作用」によって緩斜面化が進んだのではないか?と思います(この段落は私見です)。
3)八ヶ岳連峰
八ヶ岳火山群の活動については、1970年代に、河内氏によってまとめられています(文献2―a)、(文献2−b)。
文献1−b)もそれに基づいて八ヶ岳連峰の火山活動史を記載しており、大きく古期と新規に分け、さらに古期第0期から古期第3期、及び新規第1期から新規第6期までの、合計10のステージに分けています。
一方、1980年代以降、岩石の機器分析による年代測定技術の進歩によって、八ヶ岳火山から噴出した火山岩類の年代測定が進み、その結果に基づき、八ヶ岳火山群の歴史に再検討が加えられました(文献3)。
以下、まずは(文献3)をベースに、八ヶ岳火山群の形成史を記載します。
まず最初は、「北八つ地域」で火山活動が起こりました。時代的には約120−80万年前の期間です。この時期のに活動した火山群をまとめて、(文献3)では「八柱(やばしら)火山群」と呼んでいます。なお「八柱山」(やばしらやま:2115m)という山が、北八ヶ岳のうち、北横岳の東方 約3kmにあり、この山名から取られた火山群の名称です。
この時期の火山活動はかなり古いことと、その後の火山活動の影響により、現在ではその火山体は残っていません。噴火中心は、大石川流域に2か所、と八柱山付近の1か所、合計3か所あったと推定されています。
ところで、産総研「シームレス地質図v2」を確認すると、北八ヶ岳連峰の北東側の斜面(佐久側)には広く玄武岩質の火山岩類が分布しており、(文献3)で説明されている八柱火山群の噴出物と考えられます。
その後、約80万年前から約50万年前の間は、「北八つ地域」も「南八つ地域」も火山活動が不活発な平穏期になりました。
そして約50万年前から現世に至るまでの間、「北八つ地域」に加え「南八つ地域」でも火山活動が活発となりました。
なお(文献3)では、その活動の詳細は明確には書かれていませんので、50万年前から現世までの火山活動については、(文献1−b)をベースに、(文献4)、(文献5)も参照して述べます。
なお(文献4)(文献5)の元ネタは、(文献7)のようですが、やや古い書籍で、ネット上でも古本しか販売していないようなので、直接確認はしていません。
まず約40―25万年前に、「南八つ地域」で火山活動が活発となり、安山岩質の巨大な成層火山が形成されました。(文献4)や(文献5)ではこの巨大火山を「古阿弥陀岳火山」と呼んでいます。この火山の中心部は、現在の赤岳と阿弥陀岳の間あたりだったと推定されています。
なお(文献5)では「古阿弥陀岳火山」の活動時期を約25−20万年前としています。
また、赤岳と阿弥陀岳との間にある小さいピークである「中岳」は、その当時のマグマの通過した通路(火道)である、「岩頸(がんけい)」だと推定されています(文献3)。
この巨大な成層火山の高さは、3000mを超えていたと推定されており、(文献4)や(文献5)では、最大期には、約3400mの標高を持っていたと推定しています。
この巨大な成層火山は、24−20万年頃に、山体崩壊を起こしました。その崩壊物は岩屑なだれとなり、山梨県の甲府盆地方面に流れ下りました。この岩屑なだれは、途中の地名を元に「韮崎(にらさき)岩屑なだれ」という名称がついています。
その堆積物を釜無川が浸食していったため、釜無川の両側は比高が最大、約150mもの断崖を形成しています。
なお(文献5)ではこの山体崩壊の時期を約20万年前としています。
続いての火山活動は、(文献1−b)にかなり詳しく記載されていますが、今後、見直しされる可能性もあるので、概略を述べるにとどめます。
なお一部は(文献5)の記載内容を参照しました。
まず「南八つ地域」では、前述の「古阿弥陀岳火山」の山体崩壊ののち、周辺部にあたる地域に、権現岳火山、横岳火山(横岳から硫黄岳にかけての一帯)といった小型火山が形成されました。その他、西岳火山(成層火山)や、編笠山火山(溶岩ドーム)が形成されました。
なおこれらの火山の形成時期は、(文献1−b)には記載がありませんが、(文献5)では、その記載の順から見ると、約20万年前から約10万年前の時代と想定しているようです。また現在の阿弥陀岳は、(文献5)では、前述の「古阿弥陀岳火山」が噴出した際の溶岩で形成されている、としています。
「南八つ地域」の硫黄岳付近では、少なくとも2回の山体崩壊が起こったようです。時代は不明ですが、最初の山体崩壊では、八ヶ岳東側に岩屑なだれが流れ、千曲川流域へと火山性泥流となって流れ下りました。「千曲川泥流」、「海ノ口泥流」という名称がついています(文献5)。
さらに、西暦888年(平安時代の仁和4年)には、硫黄岳北面から天狗岳東面、稲子岳付近にかけて、大規模な山体崩壊が起こりました(文献1−b)、(文献5)。
地形図をよく見ると、稲子岳の近く(「にゅう」呼ばれる地点)から天狗岳東面、夏沢峠東面、硫黄岳北面へと崖状地形が続き、その東側、しらびそ小屋がある辺りや、夏沢鉱泉があるあたりは、低い凹地状地形となっていますが、この地形は、この時の山体崩壊の跡です。
この際、稲子岳(2388m)の山体も横滑りしつつ崩壊し、現在のような、主稜線より東側に、一段低い位置に山体があり、間に舟状凹地がある、という変わった地形を作りました。
この時も岩屑なだれが下流で泥流化して遠距離に流れ下りましたが、この泥流は、「大月川泥流」という名称がついています。また八ヶ岳東面の松原湖沼群も、この時の岩屑なだれで形成されたと推定されています。
一方、「北八つ地域」では、天狗岳、中山、丸山、縞枯山、および蓼科山といった溶岩ドーム型の火山が形成されました。
これらの火山の形成時期は、(文献1−b)によると、約3−2万年前と、比較的若い火山群です。実際、これらの火山は山体の浸食が少なく、原型に近いように見えるので、見た目でも若い火山だと推定できます。
(あくまで私見ですが、蓼科山は、外観から考えると、溶岩ドームというより、成層火山に近いのではないかと思います)
「北八つ地域」を含め、八ヶ岳連峰での最も若い火山は、北横岳火山(溶岩ドーム型)です。周辺の坪庭地区などで、新鮮な溶岩流の形跡を見ることができます。この溶岩流は、「八丁平溶岩」と呼ばれます。
北横岳火山は、最新の火山活動時期が 約800年前と推定されているため、「活火山」として認定されています(文献6)。八丁平溶岩も、この時期の溶岩流だと推定されています。
文献1−b)もそれに基づいて八ヶ岳連峰の火山活動史を記載しており、大きく古期と新規に分け、さらに古期第0期から古期第3期、及び新規第1期から新規第6期までの、合計10のステージに分けています。
一方、1980年代以降、岩石の機器分析による年代測定技術の進歩によって、八ヶ岳火山から噴出した火山岩類の年代測定が進み、その結果に基づき、八ヶ岳火山群の歴史に再検討が加えられました(文献3)。
以下、まずは(文献3)をベースに、八ヶ岳火山群の形成史を記載します。
まず最初は、「北八つ地域」で火山活動が起こりました。時代的には約120−80万年前の期間です。この時期のに活動した火山群をまとめて、(文献3)では「八柱(やばしら)火山群」と呼んでいます。なお「八柱山」(やばしらやま:2115m)という山が、北八ヶ岳のうち、北横岳の東方 約3kmにあり、この山名から取られた火山群の名称です。
この時期の火山活動はかなり古いことと、その後の火山活動の影響により、現在ではその火山体は残っていません。噴火中心は、大石川流域に2か所、と八柱山付近の1か所、合計3か所あったと推定されています。
ところで、産総研「シームレス地質図v2」を確認すると、北八ヶ岳連峰の北東側の斜面(佐久側)には広く玄武岩質の火山岩類が分布しており、(文献3)で説明されている八柱火山群の噴出物と考えられます。
その後、約80万年前から約50万年前の間は、「北八つ地域」も「南八つ地域」も火山活動が不活発な平穏期になりました。
そして約50万年前から現世に至るまでの間、「北八つ地域」に加え「南八つ地域」でも火山活動が活発となりました。
なお(文献3)では、その活動の詳細は明確には書かれていませんので、50万年前から現世までの火山活動については、(文献1−b)をベースに、(文献4)、(文献5)も参照して述べます。
なお(文献4)(文献5)の元ネタは、(文献7)のようですが、やや古い書籍で、ネット上でも古本しか販売していないようなので、直接確認はしていません。
まず約40―25万年前に、「南八つ地域」で火山活動が活発となり、安山岩質の巨大な成層火山が形成されました。(文献4)や(文献5)ではこの巨大火山を「古阿弥陀岳火山」と呼んでいます。この火山の中心部は、現在の赤岳と阿弥陀岳の間あたりだったと推定されています。
なお(文献5)では「古阿弥陀岳火山」の活動時期を約25−20万年前としています。
また、赤岳と阿弥陀岳との間にある小さいピークである「中岳」は、その当時のマグマの通過した通路(火道)である、「岩頸(がんけい)」だと推定されています(文献3)。
この巨大な成層火山の高さは、3000mを超えていたと推定されており、(文献4)や(文献5)では、最大期には、約3400mの標高を持っていたと推定しています。
この巨大な成層火山は、24−20万年頃に、山体崩壊を起こしました。その崩壊物は岩屑なだれとなり、山梨県の甲府盆地方面に流れ下りました。この岩屑なだれは、途中の地名を元に「韮崎(にらさき)岩屑なだれ」という名称がついています。
その堆積物を釜無川が浸食していったため、釜無川の両側は比高が最大、約150mもの断崖を形成しています。
なお(文献5)ではこの山体崩壊の時期を約20万年前としています。
続いての火山活動は、(文献1−b)にかなり詳しく記載されていますが、今後、見直しされる可能性もあるので、概略を述べるにとどめます。
なお一部は(文献5)の記載内容を参照しました。
まず「南八つ地域」では、前述の「古阿弥陀岳火山」の山体崩壊ののち、周辺部にあたる地域に、権現岳火山、横岳火山(横岳から硫黄岳にかけての一帯)といった小型火山が形成されました。その他、西岳火山(成層火山)や、編笠山火山(溶岩ドーム)が形成されました。
なおこれらの火山の形成時期は、(文献1−b)には記載がありませんが、(文献5)では、その記載の順から見ると、約20万年前から約10万年前の時代と想定しているようです。また現在の阿弥陀岳は、(文献5)では、前述の「古阿弥陀岳火山」が噴出した際の溶岩で形成されている、としています。
「南八つ地域」の硫黄岳付近では、少なくとも2回の山体崩壊が起こったようです。時代は不明ですが、最初の山体崩壊では、八ヶ岳東側に岩屑なだれが流れ、千曲川流域へと火山性泥流となって流れ下りました。「千曲川泥流」、「海ノ口泥流」という名称がついています(文献5)。
さらに、西暦888年(平安時代の仁和4年)には、硫黄岳北面から天狗岳東面、稲子岳付近にかけて、大規模な山体崩壊が起こりました(文献1−b)、(文献5)。
地形図をよく見ると、稲子岳の近く(「にゅう」呼ばれる地点)から天狗岳東面、夏沢峠東面、硫黄岳北面へと崖状地形が続き、その東側、しらびそ小屋がある辺りや、夏沢鉱泉があるあたりは、低い凹地状地形となっていますが、この地形は、この時の山体崩壊の跡です。
この際、稲子岳(2388m)の山体も横滑りしつつ崩壊し、現在のような、主稜線より東側に、一段低い位置に山体があり、間に舟状凹地がある、という変わった地形を作りました。
この時も岩屑なだれが下流で泥流化して遠距離に流れ下りましたが、この泥流は、「大月川泥流」という名称がついています。また八ヶ岳東面の松原湖沼群も、この時の岩屑なだれで形成されたと推定されています。
一方、「北八つ地域」では、天狗岳、中山、丸山、縞枯山、および蓼科山といった溶岩ドーム型の火山が形成されました。
これらの火山の形成時期は、(文献1−b)によると、約3−2万年前と、比較的若い火山群です。実際、これらの火山は山体の浸食が少なく、原型に近いように見えるので、見た目でも若い火山だと推定できます。
(あくまで私見ですが、蓼科山は、外観から考えると、溶岩ドームというより、成層火山に近いのではないかと思います)
「北八つ地域」を含め、八ヶ岳連峰での最も若い火山は、北横岳火山(溶岩ドーム型)です。周辺の坪庭地区などで、新鮮な溶岩流の形跡を見ることができます。この溶岩流は、「八丁平溶岩」と呼ばれます。
北横岳火山は、最新の火山活動時期が 約800年前と推定されているため、「活火山」として認定されています(文献6)。八丁平溶岩も、この時期の溶岩流だと推定されています。
(参考文献)
文献1) 町田、松田、海津、小泉 編
「日本の地形 第5巻 中部」 東京大学出版会 刊 (2006)
文献1−a) 文献1)のうち、
第3−2−(1)節 「筑摩山地」の項
文献1−b) 文献1)のうち、
第3−1章 「八ヶ岳火山群」の項
文献2−a) 河内
地域地質研究報告書 「蓼科山地域の地質」地質調査所 刊 (1974)
(コード;東京(8)第24号)
https://www.gsj.jp/data/50KGM/PDF/GSJ_MAP_G050_08024_1974_D.pdf
文献2−b) 河内
地域地質研究報告書 「八ヶ岳地域の地質」地質調査所 刊 (1977)
※ 本文献はネット上にはアップされてなく、内容は未確認です。
文献3)西来、松本、宇都、高橋、三宅
「中部日本 八ヶ岳地域の火山活動期の再検討」
地質学雑誌、 第113巻、p193−211 (2007)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/geosoc/113/5/113_5_193/_pdf
文献4)ブログ記事 (著者不明)
「八ヶ岳の歴史を解説」
https://garage-life.jp/yatsugatake-history
2021年11月 閲覧
文献5)中澤
「平成29年度 夏期研修講座 地学分野資料;八ヶ岳」
http://si-rone-ko.up.seesaa.net/image/meshiear.pdf
2021年11月 閲覧
文献6)気象庁;日本活火山総覧(第4版) Web掲載版
のうち、「No.46 横岳」の項
https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/STOCK/souran/main/46_Yokodake.pdf
2021年11月 閲覧
文献7)八ヶ岳団体研究グループ 編・著
「八ヶ岳火山;その生い立ちを探る」 ほおづき書籍 刊 (2005)
(ネット上で古本として販売されてるようですが、読んでいません)
「日本の地形 第5巻 中部」 東京大学出版会 刊 (2006)
文献1−a) 文献1)のうち、
第3−2−(1)節 「筑摩山地」の項
文献1−b) 文献1)のうち、
第3−1章 「八ヶ岳火山群」の項
文献2−a) 河内
地域地質研究報告書 「蓼科山地域の地質」地質調査所 刊 (1974)
(コード;東京(8)第24号)
https://www.gsj.jp/data/50KGM/PDF/GSJ_MAP_G050_08024_1974_D.pdf
文献2−b) 河内
地域地質研究報告書 「八ヶ岳地域の地質」地質調査所 刊 (1977)
※ 本文献はネット上にはアップされてなく、内容は未確認です。
文献3)西来、松本、宇都、高橋、三宅
「中部日本 八ヶ岳地域の火山活動期の再検討」
地質学雑誌、 第113巻、p193−211 (2007)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/geosoc/113/5/113_5_193/_pdf
文献4)ブログ記事 (著者不明)
「八ヶ岳の歴史を解説」
https://garage-life.jp/yatsugatake-history
2021年11月 閲覧
文献5)中澤
「平成29年度 夏期研修講座 地学分野資料;八ヶ岳」
http://si-rone-ko.up.seesaa.net/image/meshiear.pdf
2021年11月 閲覧
文献6)気象庁;日本活火山総覧(第4版) Web掲載版
のうち、「No.46 横岳」の項
https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/STOCK/souran/main/46_Yokodake.pdf
2021年11月 閲覧
文献7)八ヶ岳団体研究グループ 編・著
「八ヶ岳火山;その生い立ちを探る」 ほおづき書籍 刊 (2005)
(ネット上で古本として販売されてるようですが、読んでいません)
この、第9−1章のサイトには、第9部「関東、中部地方の火山、その形成史」各章へのリンクがあります。
【書記事項】
初版リリース;2021年11月21日
△改訂1;文章見直し、多少追記、書記事項追加(2021年12月25日)
△最新改訂年月日;2021年12月25日
△改訂1;文章見直し、多少追記、書記事項追加(2021年12月25日)
△最新改訂年月日;2021年12月25日
お気に入りした人
人
拍手で応援
拍手した人
拍手
ベルクハイルさんの記事一覧
- 日本の山々の地質;第7部 東北地方の山々の地質;7−9章 奥羽山脈(3)奥羽山脈の非火山の山々、及び奥羽山脈の隆起について 11 更新日:2024年01月27日
- 日本の山々の地質;第7部 東北地方の山々の地質、7−8章 奥羽山脈(2) 奥羽山脈南半分の火山群 11 更新日:2024年01月15日
- 日本の山々の地質 第1部 四国地方の山々の地質、 1−10章 香川県の山々;讃岐山地、香川県の山々の地質と地形 20 更新日:2023年03月18日
※この記事はヤマレコの「ヤマノート」機能を利用して作られています。
どなたでも、山に関する知識や技術などのノウハウを簡単に残して共有できます。
ぜひご協力ください!
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する