カラパタール、エベレストBC、アマダブラムBCへ

- GPS
- 296:00
- 距離
- 138km
- 登り
- 10,289m
- 下り
- 10,289m
コースタイム
- 山行
- 4:00
- 休憩
- 1:00
- 合計
- 5:00
- 山行
- 4:00
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 4:00
- 山行
- 3:30
- 休憩
- 0:50
- 合計
- 4:20
- 山行
- 5:00
- 休憩
- 1:00
- 合計
- 6:00
- 山行
- 4:50
- 休憩
- 1:30
- 合計
- 6:20
- 山行
- 5:10
- 休憩
- 1:30
- 合計
- 6:40
- 山行
- 4:00
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 4:00
- 山行
- 9:00
- 休憩
- 1:30
- 合計
- 10:30
- 山行
- 5:20
- 休憩
- 0:50
- 合計
- 6:10
- 山行
- 4:50
- 休憩
- 1:40
- 合計
- 6:30
- 山行
- 5:20
- 休憩
- 1:10
- 合計
- 6:30
- 山行
- 4:30
- 休憩
- 1:10
- 合計
- 5:40
- 山行
- 3:30
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 3:30
11月7日(月)
8:00 安曇野穂高発 高速バス
12:00 新宿着 総武線 京王線
15:30 京王成田 泊
11月8日(火)
10:35 成田発 香港
19:00 香港発
22:00 カトマンズ着 泊
11月9日(水)
7:45 カトマンズ発 ルクラ
トレッキング開始
<復路>
11月22日(火)
9:40 ルクラ発 カトマンズ
11月23日(水)
23:30 カトマンズ発 香港
11月24日(水)
10:10 香港発 成田
15:15 成田着 雪にびっくり
20:00 新宿発 あずさ 松本 大糸線安曇追分
0:00 自宅着
天候 | 快晴 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2016年11月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
飛行機
|
コース状況/ 危険箇所等 |
問題ない 高度障害・寒さ・乾燥・埃に注意 |
その他周辺情報 | ロッジ・レストランが充実している |
写真
装備
個人装備 |
マスク
軽登山靴 くるぶしまでの重い登山靴より快適 |
---|---|
備考 | 咳止めの薬 |
感想
2016(平成28年)11月9日(水)<1日目>
カラパタールへ ルクラ~トクトク(Waterfall)
「ルクラ出る ゾッキョの角先 青空に」
24日帰国、真夜中に自宅に到着しました。
ぼーっと1日過ごし、徐々に報告をしていきます。
カラパタールへ向けてルクラを出発。
そのルクラの飛行場は驚くことがいっぱいだった。
まず谷間にあるルクラ
その街のど真ん中に滑走路がある。
乗ってきた飛行機はTars Airの13人乗りの小型機。
風に揺られながら谷間を上り勾配の短い滑走路に着陸する。
1機到着すると、次の飛行機がすぐに滑走路に向かってくる。
それが4機続くのだった。
出発は下向きの滑走路を谷に向かい全速力で滑空していく。
何機もの離着陸を見ていると慣れてくる。
谷間にゴー音が響き続けエベレストの出発点の活気を感じた。
石畳のルクラの街中はにぎやかだ。
土産物屋、ロッジ、それにスポーツ店が多い。
ノースフェイスのロゴが入った商品が目につく。
ありとあらゆる登山用品が山のように軒先に並ぶ。
何も持ってこなくても準備ができそうだった。
サガルマータの国立公園へのチェックポイントを過ぎると
本格的な登山道となる。
砂埃がひどい!
途中で出会った日本人が21日間快晴だったと教えてくれた。
これからも乾季の時期で雨はないとのこと。
青空が広がり、空気は乾燥して、土・砂
それに、動物のフンまで乾燥して人・動物が行きかう度に舞い上がる。
動物はゾッキョという水牛が荷運びのため行きかう。
ゾッキョは角がぐねっと曲り天を突きさすように鋭い。
すれ違う時には要注意とのことだ。
しかし、何度もすれ違ったりぬかされたりしたが危険を感じることはなかった。
かえってかわいい目が愛らしくも感じられた</strong></span>。
その他ヤクという毛の長い牛、ロバ、馬が重そうな荷を背にして闊歩していく。
それらの力持ちの動物は道にお構いなしに垂れ流しをしているのだった。
この垂れ流しの物が様々なところで活躍していることは
後に大変お世話になりありがたいものだったことを体験する。
ドゥー・コシ(白い川)沿いに登り、
時々縦揺れのすごいつり橋を渡りエベレスト街道を先に進みました
本日の宿はウォター・フォール・ロッジ
宿の横には滝が流れ落ち一晩中その水音が響いていた。
日本の山小屋とは違い
個室が準備されている。
他人とシェヤすることはよほどのことがない限りないとのことだった。
プライバシーは守られ、気軽に休むことはできた。
トイレは共同で、洋式トイレが設置されていた。
この地方の山間ではジャガイモが美味しく
今日の夕飯はジャガイモの上にチーズをのせた料理をいただいた。
ほくほくの芋にチーズが合い、食は進んだ。
明日への活力が涌いた気がした。
2016(平成28年)11月9日(木)<2日目>
カラパタールへ(二日目) ナムチェ到着
「夕日浴び ナムチェの丘に エベレスト」
ウォター・フォール・ロッジよりナムチェへの道には
ドゥー・コシを渡る4つのつり橋</strong></span>が待っていた。
ワイヤーで張られた、二人がすれ違うのがやっとという橋だ。
殊にナムチェに近い最後に渡るつり橋は圧巻だった。
川から高さ90m</strong></span>だそうだ。
言われないとその高さが周りの壮大さから分からないのだが
実際に渡りながら下を見ると奈落の底に落ちていくような高度間があった。
超怖い!
揺れるつり橋、それも縦揺れがする。
リズムに乗って渡っていくしかない。
すれ違いも止まらずにすり抜けるのが渡るコツ。
正面から荷物を持つポーター、水牛が来れば待つしかない。
やはり70~80m先の対岸の様子を見て渡るのだ。
渡り切るとホッとするとともに
身体に縦揺れの感覚が残りしばらくふらふらする。
最初は慎重になっていたが何度もわたるうちに
この縦揺れ感覚が慣れて、つり橋が面白くなってしまった。
ナムチェバザールには昼過ぎには着いた。
町に入るとストゥーパが出迎えてくれた。
作られたばかりだろう噴水の水路に沿って
階段状になった街並みを登っていく。
多くの店、ロッジが立ち並びにぎやかだ。
そんな中ゾッキョも歩くのだった。
谷間に作られた坂の街並みだ。
明日は金曜日だが、午後から週1回のサタデイ・バザールが開かれるという。
昔から物流行き来が盛んな町だという。
ナムチェバザールと呼ぶのもそのバザールからきているようだ。
今日の泊りは「フレンドリー・シップ」というロッジ。
杉の床、階段、それにテーブルがしっかりと磨かれ
窓からは正面にコンゲという切り立った峰が立ち
眼下にナムチェの街並みが広がっていた。
食堂に入ると故田部井淳子さん、三浦雄一郎さん、野口健さんらが
ロッジのご主人アン・ドルジ、通称アンジさんと写真に納まっていた。
その他エベレスト初登頂のヒラリーさん、無酸素登頂のメスナーさんなどとの写真もあり
その面々に驚かされた。
アンジさんは安曇野の燕山荘で働いていたことがあるということで日本通でもあり
偶然にも居合わせた燕山荘・天渓赤沼さん率いるゴーキョ・ツアーのガイドを務めるということだった。
夕焼けのエベレストを期待して
夕刻 ナムチェの小高い丘に登った。
そのナムチェの丘で夕日が沈むのを待つ。
全く昼間は雲がなかったのに雲がかかり夕焼けが見られるのか心配した。
その心配もなく、夕刻には多くの峰々が見渡せるようになった。
ナムチェからのアマダブラムの尖った峰は独特だ。
ナムチェからだと傾いた槍のようだが、
夕日が山頂だけを照らしたとき、
チョンと穂先だけに火がともったようになり、
面白いというっか、珍しい自然現象を見せてもらった。
雪のかぶる山の色が白色から黄色っぽい色に変わり、
日が差す山は標高の高いエベレスト・ローツェ、ヌプチェだけになる。
その日が段々と赤っぽくなり、
8000m峰の山頂部のみが夕焼けに染まった。
歩き始めて二日目にして待望のエベレストの雄姿を見ることができた。
前回登ったピケピークから見た時には
小さくてなかなか確認のできなかったエベレスト
それが目の前に大きく見え感動の日となった。
これからさらにエベレストに近づいていくかと思うと
その絶景に期待が膨らむばかりだった。
2016(平成28年)11月11日(金)<3日目>
カラパタールへ ナムチェ滞在・エベレストビューホテルでコーヒー
「滞在日 エベレストビューに 高度上げ」
ナムチェでは高度順応のために2泊する。
標高は3450m程だが、このナムチェが高度を慣らすための
重要なポイントとなるそうだ。
そして高度順応のためにはガイドのダンさんが
次のことを守ってほしいといろいろ教えてくれた。
①飲酒はナムチェまでこれからは飲んではいけない。
すでに私は成田出発から禁酒状態!
②肉類は食べない。
ナムチェから上ではチキンも食べない。
③油は避ける。
油で揚げたようなものは食べないこと。
④頭は冷やさない。
寝るときも帽子をかぶるようにする。
⑤冷たい水は飲まない。
うがいも暖かな水を使う。
⑥頭痛が出たら、すぐに薬を飲む。
おかげで、今回は高度障害、頭痛もほとんどなく順調に高度を上げていくことができた。
エベレストビューホテルがあるナムチェの上の村シェンボチェへ急登を登る。標高3800m程だ。
ちょうど同じ時間帯ネパールの中学生も登校途中だった。
毎日この坂を上っていくのは大変そうだが、平気で登っていく子供たちだった。
そして笑顔が絶えず、おしゃべりも絶えず、すごいエネルギーを感じた。
急登を登り終えるとエベレストが見ることができる
素敵なホテルが現われた。
ここはまだエベレストビューホテルではないが、
ビューホテルの半額程度で泊まれるとダンさんが教えてくれた。
このホテルの先に長野県人が建てたというエベレストビュー・ホテルがあった。
敷地の周りもきれいにしてあり、
趣のある階段を上ると「エベレストビューホテル」の名前があり、
フロントを過ぎると目の前にエベレストを望むテラスがあった。
エベレスト、アマダブラムなどが展望できるテラスは
まさに極上の展望台だ。
ここの宿泊代はネパールとしては破格の35000R(35000円)だそうだ。
今回の私の全宿泊代が出そうな金額になる。
びっくりしてコーヒーは安心して飲める金額か心配したが、
何とコーヒはインスタントコーヒー・スモールで300R(300円)ということで
ガイドのダンさんと一緒にエベレストを眺めながらテラスでのコーヒーを一時楽しんだ。
青空に世界の屋根
ヌプチェ、ローツェそしてエベレストが見渡せる。
とても幸せな気分に浸ることができた。
手前タブチェ、奥がエベレスト、ヌプツェ、ローツェ???
名前のわからないという山も素晴らしい!
絶景の広がるエベレストビューホテルだった。
シェンボチェを下るとクムジュンという緑色の屋根が美しい村があり
そこには立派なヒラリー学校があった。
先ほどの急登を登っていた子供たちもこのヒラリー学校に通っている。
エベレスト初登頂のヒラリーが登頂後、生涯をかけて作り上げた学校だ。
ヒラリーの金色の像が校舎の真ん中に立ち、一際目立っていた。
日本の支援もあるようで日本のことも書かれていた。
クムジュンからシェンボチェへ登り返しナムチェへと戻る。
丘の上にはどこにもタルチョと呼ばれる旗がなびいている。
これは、ネパールのお願いの仕方で、
願いことがあるとお坊さんに旗を祈願してもらい。
いつ張ったらよいか伺いを立て、
基本的に東から西へ張り巡らすそうだ。
場所はどこでもよく朽ちるまで張られているようだ。
シェンボチェからナムチェへの下りでは
ナムチェの街の様子が眼下に手に取るように見渡せた。
弧を描くように谷に広がっているのが分かった。
そしてその街の中でも一際、人がごった返す場所が見て取れた。
サタデイ・バザール</strong></span>が始まっていたのだ。
金曜日から始まる週1回のバザール、
今日、金曜日の午後から始まっているのだ。
ナムチェに下り、早速バザールの開かれている場所へと行ってみた。
ナムチェを通っても金曜日の午後から土曜日にかけてしか見られないとのことで
今回ちょうどその金曜日ににナムチェに滞在していたということで
ナムチェバザールをこの目で見ることができた。
野菜、衣類、果物、穀物、雑貨、肉など、
ありとあらゆるものが所狭しと並べられ売られていた。
近隣の村々から持ち寄られたもので
近隣から多くのそれらの品物を目当てに集まる人でごった返していた。
様々な商品が道端に置かれその品数に驚くしかなかった。
バザールは見るだけだったが、
ナムチェの商店、ロッジで初めて買い物をした。
商店ではカラパタールまでの道のりが分かる
バンダナの地図。300R(300円)
さらにロッジではカラパタール山頂で被ろうと、
カラパタールと書かれた毛糸の帽子を購入した。600R(600円)
3800mのエベレストビューホテルまで高度順応のハイキング
今日も快晴!
エベレストの絶景を望みのんびりと一日過ごせた。
リンドウの仲間だろうか? 花も咲いていた。
明日は大きなお寺のあるタンボチェまで行くことになる。
ふるちゃん
2016(平成28年)11月12日(土)<4日目>
カラパタールへ ナムチェ~タンボチェ
「白い布 チベット僧院 ラッパの音」
ナムチェ・フレンドシップ・ロッジを出発。
目の前にエベレスト・アマダブラムを見ながら歩く。
出発の前夜
エベレストBC、それにカラパタールへ登って来たと言う下山中の
西欧の美しい方と話が少しできた。
カラパタールは素晴らしい景色で最高だとのこと。
明るくて辛さを感じない様子だったが、
咳が出て、疲れて、大変ハードだったと言葉を発していた。
行ってきたばかりの生の情報が得られるのは良いものだ。
期待と不安が交差する。そんな気分になった。
ロッジを出るといきなりゾッキョ(水牛)が現われる。
よく見ると道の真ん中で小さなジャガイモの朝食中。
美味しそうにむしゃむしゃ食べる姿は可愛いものだ。
その横を通り過ぎ、ナムチェの街中を過ぎると
右手に崖を見て、登りではあるがほぼ水平の道が続く。
天だブラを右方向に正面にエベレストの頭を見ながら進む。
谷はドゥー・コシ(ミルクの川という意)の青海のかかった白い水面が見えている。
ナムチェに着く前の谷底から90mの吊りましも見ることができた。
上から見ると小さく、今いる場所がどれだけ上がっているか。
あまりにも壮大過ぎて感覚がマヒしてきている。
この横道は常に整備しているということで
通行に寄付を募っていた。
100Rを寄付し記帳簿に名前を書いてきた。
すべて人力での石切り、運送、並び替えで時間と手間はかかっている。
赤いとげとげのある植物がずっと見られた。
とげがあり歩くときには要注意で触らないようにとの話だった。
日本でいう紅葉のようで、色のない白いエベレストの山に良く似合っていた。
水平道から下り始める手前でゴーッキョ方面の道と分かれる。
そして、下る下るドゥー・コシまで一気に下り
そこで昼食「ダルバートと野菜のカレー」
ダルバートとは豆のスープ、豆を煮てつぶし煮込んだ感じだ。
豆の味が主体で自分でコショウ、塩などで味を強めほぼ毎日のように食した。
カレーはインドと違い香辛料が薄く、薄味の野菜炒めを食べているような感じ、
これもコショウ、塩を振りかけ食べないとなかなか食が進まない感じだった。
中には味がぴったりくるものもあったが、全般的に薄味のネパール料理だった。
どうも薄味にありったけ辛い唐辛子をかけるのが本筋のようだと後で気が付くが
あまりにもトウガラシが辛く、舌に試しに付けただけで目が回り、舌がマヒした。
谷を登り返したところがタンボチェ</strong></span>、今日の宿泊所になる。
標高は3860mの丘になる。
少しでも高度にならそうとわずかばかり登る。
タンボチェのチベット仏教僧院が雲の中に幻想的だった。
僧院
4時から僧院内に僧侶が集まりお勤めが始まるという。
公開されていているというので早速僧院内へ。
トレッカーを中心に大勢が僧院内に詰め込まれるように入った。
押されるように中に入り、座ったところが何と長ーいラッパの先が耳元にある。
読経が始まり、しばらくたつと鐘、太鼓そして何とラッパが耳元で鳴り響。
ぶお~ん ぶお~~ん~
吹いている若い僧侶の顔を見ると目が合いにこっとしている。
思わずにっこり返すしかない。
もう一つ貴重な体験をした。
生き仏様
三度生まれ変わったというお坊様の元に歩みより、
純白のカタを首にかけていただいた。
若い方で、目が澄んでいて、一目で魅力を感じる方だった。
オーラがあった。その一言だ。
これでカラパタールに登れそうな気になった私。単純だ。
読経が続く僧院から出ると満月に近い月が
エベレスト・アマダブラムなど世界の屋根を照らしていた。
タンボチェでは日本人の名前をいくつか見ることができた。
加藤保男さんは厳冬期はじめ3度のエベレストを登頂しているとのこと
その記念碑、追悼の碑が建てられていた。
また故橋本龍太郎さんやジュディ・オングさんの名前が刻まれた碑も見られた。
眺めの良い丘に建つ碑はエベレストが良く似合っていた。
窓のない急ごしらえのベッドだけ、狭い倉庫のような部屋に閉じ込められたタンボチェではあったが、
エベレストを眺められる絶好の宿泊所で
アマダブラムも形を変え、すっと迫力を増し聳えていた。
貴重な体験を大事に、倉庫で小さくなり眠りについた。
2016(平成28年)11月13日(日)<5日目>
カラパタールへ タンボチェ~ディンボチェ
「荒涼の 4000m越え ディンボチェに」
寒さを感じたタンボチェの一夜が明け、
身を縮ませながらタンボチェの丘から両脇にシャクナゲ茂る道を下った。
イムジャ・コーラの川を渡り登り返すとバンボチェへと入る。
チョルテン、仏画の書かれた美しい門をくぐる。
目の前にはローツェ、アマダブラムが白い峰を光らせている。
イムジャ・コーラの流れも蛇行をし荒涼とした大地に変化をつけている。
アマダブラムはすっかり姿を変え端正な山容を天に突きさしている。
山崩れが時々あるということで、
アマダブラムの麓でも大規模な山崩れがあり
その崩れた白い山肌はアマダブラムの雪にも劣らず美しい模様を描いていた。
バンボチェを過ぎ、
ショマレという小さな村のヒルトップ・ロッジで昼食をとった。
奥さんが一人で切り盛りしている小さなロッジ。
実はここのご主人は11回エベレストにガイドとして登頂した
テン・ドルジさん
悲しいことに2014年のエベレストBCでの雪崩で14名亡くなった中のお一人だった。
33歳という若さで生涯をとじられている。
数々のエベレスト登頂の賞状が壁に飾られていたが、切ないものを感じた。
一人の息子さんをカトマンズに出し、このロッジを開き、
細々と生活を送っているとのことだった。
奥さんの出してくれたダルバート野菜カレーは、
香辛料が効きジャガイモ・ニンジンが主体の日本的な味付けで美味しくいただくことができた。
1か月近く晴れが続き、歩くたびに細かい砂埃が舞い上がる。
快晴の安定した天気は望むところだが、
この乾燥した空気は長くいるとかなり気管支にダメージがある。
マスクは欠かせないものとなってきた。
こんな時洗面器一杯の水が最高の喜びになる。
顔を洗い、鼻の中を洗い、気持ち的にもさっぱりとする。
このロッジでは一杯の洗面器の水と美味しい昼食で、
ディンボチェまでの荒涼とした道を登り切ることができた。
ディンボチェのロッジはYAKホテル、
標高は4350m。
ここで2泊、焦らずに高度順応を行う。
明日はイムジャ・コーラをさかのぼり標高4730mのチュクンまで往復する。
ロッジからは目の前にローツェの南壁が力強く迫っている。
ヒマラヤヒダと呼ばれる岩壁の横縞がくっきりと見て取れる。
また夕焼けのローツェがディンボチェの村に浮かび上がりこの上ない絶景を楽しませてくれた。
明日はもっとローツェに近づくと思うとうきうきしてきた。
トイレ情報
このルートはトイレの心配はないと言っても良い。
各所にロッジがありいざとなれば飛び込むことができる。
男 小の方はどこでもOK.
私も今日ディンボチェを下り終わったところで 小をも要した。
ロッジにと思ったところ、
そこでと指さされ道の脇、ちょっとした木陰で済ますように言われた。
トイレより外の方が気持ちいいとのこと。その通りです。
大の方はおかげさまで順調。
各ロッジで用をすますことができた。
ほとんど洋式トイレになっていて不便を感じなかった。
ただ日本の様に衛生的とは言えないので服など汚さないように注意が必要だ。
洋式でも、便座が別に置かれているところが多く、きれいならば使い、
ちょっとという時は、座らず太腿の力で踏ん張る。
始末は水洗もあったが、水桶に組まれている水を使い、
缶などでその水を汲み流す方法であった。
シャワーの先が置いてあるところもあり、使ってみたがなかなか上手くいかない。
手元がくるいびしょぬれ状態となる。
想像してみてください悲惨です。
使用した紙は日本の山小屋と同じでどこでも紙箱が置かれているので
そこに入れるようになっていた。
この10年でだいぶ進歩したトイレ事情だった。
2016(平成28年)11月14日(月)<6日目>
カラパタールへ ディンボチェ~チュクン往復
「チュクン行く 白い峰々 聳え立つ」
ディンボチェからイムジャ・コーラに沿ってチュクンまで
高度順応のトレッキング
ナムチェとこのディンボチェが大切な場所。
ここで焦って先に進むとヘリコプターのお世話になるそうだ。
今日も朝からヘリコプターが飛んでいる。
ほぼ休みなくと言っても良い。
ここは焦らず慎重に高度順応のトレッキングを楽しもうと思った。
そしてこのトレッキングは大正解である。
展望の良さ!
ネパールが世界の屋根と呼ばれるわけが分かったような気がする。
どの方向を見ても白い峰々が続く。
どこの景色を切り取っても最高の絵になるのだ。
白い石の川
鉄平石のような平らな石も多く見られ
その石を運ぶポーターも見かけた。
川を渡るヤク
ゾッキョとの違いは全身を覆う長い毛だ。
飼い主には大声で怒鳴られるが、
川の水を飲みながら、のんびりと歩み、
忠実に荷を運ぶエベレスト街道のペットのような存在だ。
ヌプツェ・ローツェとアマダブラムに挟まれたようなチュクン
そのロッジでブラック・ティーと野菜入り焼き飯を食べた。
飲物は紅茶
ミルクティー、レモンティー、ジンジャーティー、そしてブラックティー
ブラックティーとは紅茶そのもの。
高度が上がってくるとミルク、レモンティーよりブラックティーに限るのだ。
今回ここで食した「焼き飯」が、鬼門であった。
味付けは良かったのだがコメが硬かった。
標高が5000mに近いチュクンではご飯が柔らかく炊けないのかもしれない。
回数を数えながら何度も噛み、残すことが嫌いな私は時間をかけ完食した。
しかし残すのが正解だったか?
この夜、少しお腹の調子を崩してしまった。よくお腹を壊すパターンを繰り返してしまった。
下痢止めの薬を飲み回復を願ったところ、思った以上に悪くならず元に戻った。
以後急激に食欲が落ちたのは事実だ。
食べ終わった後、ディンボチェに戻るにはあまりにも時間があり、
もう少し高度を上げたいとガイドに申し出たところ
30分ぐらい登りましょうとのことになった。
アイランドピーク、ローツェのベースキャンプ方面へ歩き
小高い丘によじ登った。
チュクンはロッジの標高が4730m、
その丘はガイドさんのアプリで見ると4900mを超えていた。
ほぼ次の宿泊地ロブチェの標高と同じということで自信を得た。
明日はロブチェ
そしてロブチェからは一気に目指すカラパタールへ
さらにエベレスト・ベースキャンプへと登ることになる。
ようやく見えてきた今回の目標が現実味となりワクワクするのだった。
ディンボチェ辺りから急激に寒くなり、
夜はダウンを着て寝袋にもぐりこんだ。
寝袋の中にはお湯の入ったアルミ製の水筒を入れる。
湯たんぽとして大変役立った。
2016(平成28年)11月15日(火)<7日目>
カラパタールへ ディンボチェ~ロブチェ
「凍るボトル 氷河の末端 ロブチェに」
クーンブ氷河末端のモレーンを眺め、乗り越え
明日のカラパタールを目指すロブチェに向かう。
ディンボチェからはまずは斜めに登り、
平らな縁に飛び出す。
大きな碑が立ち、タルチョがたくさんひらめいているところだ。
ここトゥクラはエベレストで亡くなった多くのシェルパの墓が立つ。
数え切れないほどのチョルテンがあり、
エベレストの厳しさ、エベレストを目指した者の犠牲者であることを示しているようだ。
ちょっと物悲しい場所から先、
歩く左手は深い谷間があり、
ようやく日が差しだしたペリチェの村が見える。
その谷間をひっきりなしにヘリコプターが飛び回っている。
高山病のレスキューが行われているという。
実際にチュクンで運ばれていくところを見、
ディンボチェでも頑強そうな西欧人がこれからヘリで下りると食堂にいた。
ガイドを付けずに、一気に登って来た人の多くが5000m付近でダウンするとのことだ。
道のりが長いので自力とは行かず、ヘリの要請ということになっている。
US$3000ほどだそうだ。
高山病になったら即余力で高度さえ下げれば元に戻る。
高度順応をし、ガイドのアドバイスを聞いていればヘリのお世話にまではならないようだ。
ごつごつとした岩、土砂が山のように積もっているところが出てくる。
モレーンと呼ばれる氷河の運んできた土砂だ。
歩く右側には氷河も顔を出している。
ロブチェ峰はロブチェを代表する山。
そして目の前にはカラパタールの丘が少し見えてくる
その先はプモリ、リンテン、カンブチェ、チャンチェそしてヌプツェが美しい。
その他タブチェ、ソラチェなど白い峰々に360度取り囲まれる。
雄大な景色に見とれてしまうのだった。
ロブチェの宿、アバウト・クラウド・ロッジに着くと
今日カラパタールに登って来たと言う二人から話を聞くことができた。
まずは風が強い、そのため寒さが厳しい。
手先が冷たくて山頂にはほとんどいられなかった。
とのこと
風、寒さ対策!
完全防備で明日は目指すカラパタールだ。
それにしてもロッジで紅茶と初めて緑茶が出て
何杯も飲み過ぎ、夜は3回もトイレに行った。
トイレの中は凍っていた。
寒いぞ!ロブチェは。
2016(平成28年)11月16日(水)<8日目>
カラパタールへ 登頂、エベレストBCへ
「最高の エベレスト望む カラパタール」
本番の日がやって来た。
ここまでが本当に長く、遠い道のりだったように思う。
ルクラを出発して何と8日目になる。
寒い寒い!
ペットボトルがカチカチに凍っていたのには驚き。
気持ち的にも寒さをより感じてしまったようだ。
厚めの革の手袋とインナーをはめているが指先が動かない。
ポールは持たずに、手をダウンのポケットに入れて歩く。
6時半という出発時間も今までになく早い。
そのためか寒さが身に応えた。
日が差すようになれば暖かいのだが、しばらくの我慢だった。
日が差しだすと気温も一気に上がり力も沸いてきた。
クーンブ氷河のモレーンを登り、進む。
どんどんプモリとヌプツェが大きく壁のように聳える。
ゴラクシェブに着き、ヒマラヤ・ロッジでランチのサンドイッチを作ってもらい
カラパタールへと出発した。
昔は池ではなかったこと思われるゴラクシュブの砂の平地を進む。
カラパタールとエベレストBCへの分岐があり、
カラパタールの急登に入る。
淡々と色のない砂と岩の登りを進むしかない。
山頂はなかなか見えず、単調な登りが長く感じられた。
そんな時はエベレスト方面に目をやる。
すると徐々ではあるがエベレストが大きく、ヌプツェの横から顔を出してきていた。
山頂!
とうとう8日目に目指すカラパタールに登ることができた。
風、寒さもさほど厳しくなく、山頂を楽しんだ。
目の前には、今までにない迫力ある世界一のエベレストが聳える。
圧巻の力強さを感じる。
時間のたつのを忘れ360度の眺望も楽しんだ。
どこを見てもエベレストにも劣らぬ絶景が並ぶ。
山頂付近で展望を楽しみながらサンドイッチのランチを食べ、
次の目的地エベレストBCへ向かった。
本来ならばゴラクシュブへ泊り、翌日のチャレンジとなるところを
カラパタールの中腹辺りからエベレストBCへの道へ下ることになった。
思っていた以上にガレ場の続く急斜面で緊張しながら下った。
下る目印は時々積まれている石だけ、
ガイドと二人でその目印を探しながら、
氷河に沿ってベースキャンプに向かうゴラクシュブからの道にたどり着いた。
モレーンが積み重なる登り下りを進む。
時々谷に向かい氷河が崩れる音がする。
氷に支えられる大きな石、今にも崩れそうなモレーンを通り過ぎる。
エベレストBCへのルートは毎年変化するという。
正にそれの状況を感じながらエベレストBCに着いた。
エベレストBCは氷河が運んできた土砂、モレーンの積み重なった狭い場所だ。
こんな狭いところにテントがシーズンの5月頃には立ち並ぶそうだ。
今は直ぐ近くにアイスフォールが迫り、
エベレストへの最初の難所であることを荒々しい雪・氷の塊が示している、
一般ハイカーはここまでですよと言っているようだった。
今回の目的はカラパタールだけだったが、
急遽ガイドさんの判断で行くことができた。
10時間ほどの行程となったが
エベレスト街道の終点まで行けたことはうれしいおまけになった。
ゴラクシェブのロッジに着くころには寒さで体が動かず、
ロッジに入りストーブで体が温まると
今日の充実した一日を振り返り、
目標カラパタール、エベレストBCへ行くことができた喜びが涌いてきた。
夕食時のこと
疲労と寒さに食欲もなく
夕食は野菜スープとパスタにした。
味の薄い野菜スープにインスタントみそ汁を入れ飲む、
これは正解で美味しくいただくことができた。
パスタの方はどうしても食が進まず残すことになってしまった。
横にほとんど動かずうずくまったままの人。
何と気づかずにいたのだが日本人だった。
「頭が痛いし、高山病で。食欲ないです。」
という。
話を聞くとジリから歩いてきたということで
それはすごいが、一気にゴラクシュブまで登り、
カラパタールの途中まで行ったところであまりにも気分が悪くなり戻って来たという。
職を辞め、ネパールそしてインドへとバックパックをしているとのこと
山にはほとんど登ったことはないとのことだった。
話を聞いていたガイドがロッジの支配人のような人物に気分の悪い人がいる
と伝えてくるとすぐに酸素濃度を調べるもので測ると60%しかないとのことで、
頭痛薬か高山病の薬があれば飲めと勧めた。
すると全く薬は持ってないとのこと
その支配人はロッジにある薬があるからとりあえずアレルギー体質でなければ
飲みなさいということで2錠飲むよう勧めた。
しばらく雑談をしているうちに話し声に力が出て、
少し良くなってきたみたいと言うのだ。
スープを飲んだ方がいいと勧められゆっくりだが飲み干したのだ。
気分だいぶ良くなりましたと目の前にずっと置かれていたチャーハンも
なんと完食してしまったのだ。
支配人曰く、夜中に気分が悪くなったら食堂に来るようにと話をしていた。
それにしても薬のすごさ。
若さゆえの回復力もあったのかもしれないが恐るべし薬だった。
日本では手に入らないものだろうがあまりの薬のすごさにびっくりだった。
元気を取り戻し明日は早めに下りて行きますと話していた。
自力で下山していったのだろうと思う。
2016(平成)11月17日(木)<9日目>
カラパタールへ ゴラクシュブ~ショマレ 下山開始
「朝プモリ 凍った窓辺に 光さす」
意外と寒さを感じない部屋でしっかりと休むことができた。
安心感、達成感が大きい。
でもルクラまでの道は長い、まだ何泊かしないと
と思うと何か重いものが頭と心をよぎるのだった。
そんな一夜が明け
凍った窓ガラスの外にはプモリが
下山への喜びを祝福するように輝き聳えていた。
今日はゴラクシュブから1000m以上下ったショマレへ。
いつものように行き交うハイカーたち。
きっと登りに期待をして進む人。私のように目的を達成して下る者。
あるいはポーター、そしてゾッキョ、ヤクを連れ日々の暮らしをする人たち。
挨拶の「ナマステ」も下りだと気楽に声が出せた。
登りに1泊したロブチェでは、
下りだから紅茶でなくてもいいだろうということで、
お茶にコーラを頼み、ガイド、ポーターさんと飲んだ。
久しぶりの紅茶以外の飲物に感動した。
エベレストで亡くなったシュルパの墓を過ぎ、
登りに使ったディンボチェからの道とは違う、谷間の道を下った。
その谷間にある村ペリチェは
今日の宿泊場所だったがお昼に着き、昼食をとった。
ゴラクシェブを出るときの朝食が、
トーストと卵を焼いただけのオムレツ
見ただけでのどを通らない、食欲が出てこなかった。
腹が空いているのに入っていかないのだった。
そんな時、ガイドのダンさんが、
お汁たっぷりの熱々のヌードルを食べるではないか!
前日に朝食を頼んで寝るのが習慣になっていたので
何気なく、トーストとオムレツでということであまり考えずに朝を迎えたのだが、
自分の頼んだものは全く手が出ない、食が進まないのだった。
それに反しヌードルは無性に食べたい、うまそうに感じ
この時ばかりはダンさんを恨んだのだった。
そこでペリチェの昼食はもちろん熱々のヌードル!
やっと食べられた。
昨夜あたりから食欲が落ちていたが、美味しく完食することができた。
人間、食べるもので元気が出ます。
当たり前ですが何が苦しいときに美味しくいただけるか?
ちょっと考えておくことも大切だと思いました。
本来はペリチェであったが、少しでも先に進めることは嬉しいものがあった。
アマダブラム麓のバンボチェまで行けそうであったが、
なぜかショマレで泊まることになった。
登りに紹介した11回エベレストに登ったシェルパの
奥さんが一人で切り盛りしているロッジだ。
ショマレは電気がなく、暗闇の中で過ごすこととになった。
そのため夜の明かりは星!
電気のない村の夜空の美しさに感激してしまった。
ドゥー・コシ(ミルクの川の意)と同じようにミルキーウェイも流れていた。
明日はアマダブラムのベースキャンプを目指す。
2016(平成28年)11月18日(金)<10日目>
アマダブラムBCへ
「目の前で アマダブラムが 手招きす」
ショマレをゆっくり出発。
バンボチェには、あっという間に到着。
今日宿泊するバンボチェのロッジでは、
これから出発するという登山者が何人か見られた。
その中にはアマダブラムの山頂を目指す人もいる。
アマダブラムのBCは今がシーズンで多くの登山者がいるという。
日本人はほとんど訪れることもなくマイナーなポイントではある。
私はBCまでの往復だが、絶景が楽しめるという。
昼食のサンドイッチを作ってもらいゆっくり出発。
いったん川まで下り、川を渡って一気に高度を上げていく。
振り返るとバンボチェの村が川向うに見ることができた。
広い丘陵を登っていく。
アマダブラムはその大きさ、迫力を増してくる。
エベレストBCとは違いBCからのアマダブラムは目の前に聳え、
人を寄せ付けないような威風を感じ取れた。
大きなテントが並ぶ、ここがアマダブラムBCだ。
大きなテントの周りには宿泊用の小さなテントがいくつか並ぶ。
BCの一つSAYORI・アドベンチャーは
ダンさんの友人がたまたま経営するBCで、
その大きなテントの中を見せてくれた。
食堂兼情報交換・くつろぎの場になるゲストルーム・テント
調理場テントさらにその奥には食料倉庫テントが並ぶ。
そしてスタッフが私たちにお昼を御馳走するから
なんでも好きなものを言ってくれというので
私はラーメン、ダンさんはカレーということになり
手際のよい調理が始まった。
野菜が入った日本風のインスタントラーメンだったが
BCだけに美味しくいただくことができた。
カレーもあっという間に作り上げ、うまそうにダンさんは食べていた。
ここをベースにアマダブラムを登るというが
C1、C2を山中に設定して山頂へ、
どうしても力不足と思われる人にはC3も設定して登頂を目指すという。
「つぎは登ってください。」
と言われたが、目の前の山容を見ると
「YES」とは言えなかった。
日本人のチャレンジは少ないようだが徐々に広まってきているとの話だった。
アマダブラムは眺める山だ。
二度とここに来ることはないだろうがその景色の美しさ、
アマダブラムの魅力を存分に味わうことができた。
バンボチェに戻る。
ロッジのストーブに火が入った。
ゾッキョ、ヤクなどのフンを乾かしそれを燃料にしている。
身体の芯まで暖まり、その勢いで寝ることも多かった。
火力が弱まると素手で燃料を放り込むのだ。
慣れてくると何の違和感もなく道に転がる糞が
我々の身体を温めてくれると思うと
無駄なくすべて循環していると感じた。
ダンさんの配慮で思いがけないアマダブラムのBCを訪れることができた。
エベレストBCも、本来は行く予定はなかったが行くことができた。
明日はナムチェになるが本当にラッキーなカラパタールの旅となった。
ダンさんに感謝!
2016(平成28年)11月19日(土)<11日目>
カラパタール下山 ナムチェに戻る
「青空に のぼるは山と 土埃」
バンボチェをゆっくり出発。
朝もさほど寒くなく、日差しと共に気温も上昇して快適。
それに乾燥しているために汗をかくところまではいかない。
ただ土埃に鼻も眼も喉も悲鳴を上げている。
常にマスクはして、サングラスで目は守っているつもりだが、
咳が出て息苦しく、眼も洗いたい気分だ。
すでに一か月ほど青空広がる快晴が続いている。
ありがたいことだがここまで乾燥すると雨が欲しいと思う次第だ。
タンボチェは今回通過するだけだったが、
今一度ゴンパの門をくぐり僧院のテラスからの眺望を楽しんだ。
掃き清められた石段のゴンパも美しいが、
ゴンパから眺めるエベレスト、ヌプツェ、ローツェそしてアマダブラム
近くで見る迫力とは違い、その優美さを感じた。
お昼はドゥー・コシが合流するプンキテンガ(タシンガー)でお昼。
二種類のマカロニを野菜と一緒に香辛料で炒めたもの。
かなりの量だったがもちもちの食感が良く完食。
下山の余裕か。日本に帰ってから作ってみたいと思った。
ナムチェに着く。
ホッとした気持ちが大きかった。
ナムチェでしか手に入らないという写真(ポスター)があるというので
早速そのお店に行ってみた。
様々な写真の中から
「Panoramic Vew of the Khumbu Glacier at Sunset 」
Photo: Lhakpa Sonam Sherpa
を選んだ。
エベレストが夕日で赤く染まり、
クーンブ氷河のエベレストBC、プモリそして登ったカラパタールが、
それにアマダブラムも写しこまれているパノラマ写真だ。
3泊目となったフレンドシップ・ロッジでは、
日本のお米に日本風のカレーが夕飯に出た。
戻って来たという感覚にとらわれてしまうのだ。
ゴーキョから戻って来た人達からは、
レンジョラ峠を越えてゴーキョがお薦めという話やら、
ダンさんからは次はアンナプルナがいいと思うとの話が出て、
カラパタールのゴールがまだなのに次のネパールの話で盛り上がってしまった。
早くルクラに戻りたい気持ちはあるが、
明日はゆっくりバグディンまでだ。
ルクラまでは1日で戻ることは十分可能なだけに、
飛行機の都合で日程変更ができない歯がゆさを感じるのだ。
2016(平成28年)11月20日(日)<12日目>
カラパタール下山 ナムチェ~バグディン
「エベレスト どこの風景 ベストワン」
ナムチェを出発し、ドゥー・コシ沿いに下るに従い
気温が上がり数日前の寒さが嘘のように思われた。
そして見られる山が緑に変わり、
最後のエベレスト・ビューポイントでは
しっかり目に留め置こうと今までになく
エベレストを見つめている自分がいた。
もう一度ネパールに来よう、ゴーキョへ登ってみたいと思っていても
来られるかどうかは分からないから。
今、この幸せなひと時を大事にしようと思った。
ガイドさんとポーターさんはかなりの差がある。
ガイドさんは道案内という役目になるのだが、
私たちと同じロッジに寝泊まりすることがほとんどで
食事なども一緒にすることが多かった。
それでも宿泊者が多いと食堂のベンチでの宿泊ということもあった。
また食事はガイド全員がそろって客の後に食べているということも見られた。
ポーターさんは全く宿泊場所は違っていた。
ポーターさん用の宿泊所が決まっていて、
そこでの寝泊まりということらしい、
そして宿泊代はない代わりに食事代だけが必要だという話を聞いた。
ナムチェを出てすぐ
ポーターさんたちが泊まるという宿泊所を
ガイドさんの知り合いということで案内してもらった。
中は暗くて狭いのだが、土間の隅の方にベッドが置かれていた。
宿泊所のおばさんにミルクティーを出してもらい、
テーブルにドーナツのような食べ物が置いてあったので食べてみたいといったところ
どうぞっということで食すことができた。
正にドーナツで油がしみ込んだ甘くはないがもっちりしたパンだった。
今日1日は長く感じた。
たぶんルクラまで十分行くこともできるが
バグディンでの宿泊があるというのが分かっていたからだろう。
ほとんど停電のロッジに泊まる。
バグディンではガイドのダンさんとビールを飲んだ。
久しぶりのビールだ。
もちろん登頂の祝杯だ。
ダンさんはシェルパビール500mⅬ、
私はエベレストビール350mⅬにした。
シェルパビールの方が美味しいと言われたが、350mⅬがなかったからだ。
グッと滲みるものはあったが、冷えてない。
ロッジは停電していたが、
それは理由ではなく冷やす習慣がないようだ。
それでも久しぶりにふわふわした気持ちになり、
明日はルクラで祝杯だ!
冷えたビールはないかな?と思いつつ床に就いた。
2016(平成28年)11月21日(月)
カラパタール下山 ルクラに戻る
「ルクラ発 世界の屋根を 巡る旅」
昨夜泊まったバグディンからは
3時間ほどでルクラに到着。
余裕で計画通り、
それ以上の行程をハイキングすることができた。
ルクラの飛行場の横にあったロッジに
一晩泊まり明日の午前中にはカトマンズへ戻ることになっている。
よく飛ばなくなるというルクラからの飛行機も
ここは天候に恵まれ順調ということで
明日も問題ないとの話だった。
お昼にはこのロッジで
ポーターさんも入れて解散の食事会をした。
3人で冷えたビールをと思ったが、
やはり冷えてないビールが出てきた。
カウンターに並べられたものだ。
ビールの名前も覚えていないが、
旅の成功とガイドさん、ポーターさんに感謝をこめて乾杯をした。
日本から持って行った柿の種が気に入ってもらえたようで
300mⅬ程のペットボトルに入れていった柿の種など
ほとんど食べずに残っていたが、
今日の1日で完食してもらえた。
ポーターさんはルクラから南に2日ほど行ったところに住み、
シーズン中の今は家族でルクラに家を借り
仕事に励んでいるとのことだった。
ポーターさんとは今日ここでお別れということで
古着になるがロングT、Tシャツを添えてわずかではあったが
気持ちばかりのお礼を受け取ってもらった。
このたびで一番飲んだのが紅茶!
朝2杯、昼2杯、夜2杯は最低飲んできた。
するとだいたい80杯と数字が出る。
一番飲んだのがブラックティーと言われる普通の紅茶。
レモンティー、ミルクティー、ジンジャーティーなどあった。
変わったものでは塩・バター・小麦粉ティー!
エベレスト街道の旅は終わった。
何といっても景色は最高で、どこを見ても絵になるところばかりだった。
第一目標のカラパタールからのエベレストも見られ、
そればかりでない様々な山、名もない山の迫力に圧倒されるばかりだった。
ふるちゃん
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