《三遠南信》砥鹿神社【本宮山、西蔵】千両、豊川稲荷
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- GPS
- 09:10
- 距離
- 25.5km
- 登り
- 1,120m
- 下り
- 1,118m
コースタイム
天候 | 快晴 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2016年12月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
馬の背から西側は、地形図を読める力が必要です。 |
写真
装備
個人装備 |
地下足袋+脚絆
焚き火セット
ノコギリ
弁当
水筒
軍手
ラテルネ
地図磁石
防寒具
雨具
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共同装備 |
ツエルト
6mm×10m
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感想
天気が良いが遠出はできない休日。かねてから第一希望の三河一宮、その名も本宮山の登拝ルートを里宮から奥宮へ。そしてそのまま西へ縦走してできれば古刹の財賀寺までと計画したが、暗いうちから起きるのが嫌で始発電車を見送ったため、結果財賀寺手前で下山した。不明瞭ルートだし日も短し仕方なし。
一宮というくらい、この地域で最も古い律令時代以来のお宮で、その本所だから本宮山。東三河平野どこからでも美しく見える最高峰。これは里宮から歩くべしと始発点を決める。
三河一宮駅前に大きなイチョウが黄色くなっていて、その下を歩くと、「そこは道路ではございません!」と、軽食店の男に強く咎められて驚いた。
砥鹿神社でお参りを済ませ、ケヤキ巨木も見て、東側の河岸段丘を一度おりたが、また登り返し、本宮山を目指して裏道を歩く。現代の自動車道路や鉄道にちぎられた古い参道を探すと、田の間の小橋の袂に、古い石碑を見つける。山が正面に見えて気持ち良い。蕎麦屋や駐車場があるところが現代の登山口のようだ。たくさんの人が登っていく。老いも若きも常連も初心者もトレランもいるようだ。話した老人は脳梗塞をしてうまく話せないというが、確かな足取りで登っていた。
ずっと展望の利かない尾根だが、所々に鳥居、石段、水場があるのがすごい。鳳来寺山ほどの石垣ではないが、かなり歴史ある石段が整備されている。急登が続き、岩場もあり、なかなか登りごたえもある。途中一般開放はしていないが車道が2度横切る。
奥宮周辺の石段はいよいよの盛り上がりを見せる。やはりこちらのルートからきてよかった。奥宮でお参りし、御朱印を求める。お宮の裏側に回るとにわかにすごく広い整地広場があり、普通の格好の人たちや七五三のチビが正装して歩いてきた。ここまできて、本宮山スカイラインというのがあって裏から車で来られるんだということを思い出した。全く忘れてしまっていたので自分でも驚いた。それほどガラリと世界が分けてある。
最高点は、三河と尾張をつなぐ電波の要衝だ。あらゆる通信機関の電波塔が林立している。これだけのもの作るんだから、建設、保守で車道はあるよなあ。でもこの山は、神社と電波塔が違うピークにあってなかなか棲み分けられていて良いと思う。岡崎側から馬の背の下まで車で来られるみたいで、そこから山の支度をしていない人たちがたくさん登ってきていた。まだ登るのか!と泣き言を言って座り込んでいる人がたくさんいて、富士山みたいだ。
馬の背から西の縦走路ではたった一人とだけ会った。西蔵からきたという。標高482.5のポコを西蔵というのを知らなかった。だって地形図に書いてないんだもの。「にしくら」と読む。「チベット」ではない。
お互い、地形図を持っている。ポーランド人のように、静かな物腰の人だった。
馬の背と西蔵の中間あたりで、間違えた尾根を降ってしまい、林道工事現場に出て気づく。伐採のため見通しがあり、見えていた送電線で位置がわかった。頼り無いながらも踏み跡と赤いテープを頼って、地図は見ていたが方向確認が疎かだったので間違えた尾根に導かれた。送電線がなければ位置確認もすぐにはわからなかった。いっそ道がなく、尾根上の薮を辿っていればまだ間違い無いのだが、踏み跡が少しトラバっていたりするので、地形の確認がやりにくくなる時が弱点だ。油断をすればいつでもこうして間違え、そして引き返す。引き返せるだけの時間的余裕さえあれば良い。
送電線が三回この尾根を横切る。三つ目は地図に無かった。野暮だけど、そこだけは木が刈られて展望が開けて、海が見える。浜名湖が見える。
送電線のあたりも地形図上、尾根が複雑なので慎重に探りながら辿る。
西蔵の山頂にはささやかな腰掛けや小さな標識があった。好きな人たちが整えているのだろう。このまま杣坂峠、観音山、財賀寺まで行くのは、日も短いので諦める。どこから降ろうかな。西蔵の西のポコから降る道記号をあてにしたが知らぬ間に過ぎてしまい、北側の林道が接近するコルに来てしまった。現在地も確かだし、ここから南西斜面の藪を漕いで林道に降りることにした。標高差で150m、20分も降れば出られるはず。こういう時のためにも、足は地下足袋が良い。登山靴で藪をこぐって、どうにも想像がつかない。
林道から集落へ。第二東名の爆音は、うるさい。
千両の道を歩いていると、古い家の前で老婆と目が合い会釈をしたら、どちらさんですね、山から降りて来ました。じゃコーヒー一本あげるから飲んで行きなさい、ありがとうございます。ということで20分ほど缶コーヒー飲んで立ち話をした。こんなやりとりが楽しみで藪を漕いでこの集落に降りた。
老婆は九十歳、耳もよく話も好きな人だ。10年前までは菊を作っていた。この家は昭和24年建築。当時は物がなくて、商店をやっていたけど、この土間を固めたモルタルは、物々交換で手に入れた。天井の一枚板がすごく素敵。この裏山で一番いい杉(ヒノキ?)を挽いたと。幅が1.5mはある。昔はここで店をやっていた。奥の間では酒も飲ませたという。懐に一升瓶を隠して持って行かれたこともあるという。賑やかだったんだな。ここは峠越えのルートだから。
里芋と薩摩芋と、ゆずをもらった。また来いよと言ってくれた。お礼を言って、駅まで歩くからもう失礼しますよと言ったら、ここをまっすぐ降っていけば豊橋駅だと言った。1時間半はかかるけど、おばあさんも昔よく歩いたんだろう、驚いたりしなかった。マル芳酒店という看板があった。ひさしぶりに美味しい缶コーヒー飲んだ。
速い車が脇を通って怖い道をひたすら南南東へ。舗装路は足裏が痛いので道路脇の土や草を選んで歩く。この道はかなたに海が見える気がするほど空が低く、遠くまで続いている。空がどんどん色を変えていく美しい時間。畑が翳り、山が翳り、街の明かりがついて、星が光る頃、豊川稲荷についた。
財賀寺までは届かなかったけど、豊川稲荷にはお参りできた。
yoneちゃん、おはようございます。いい山行でしたね、天気は良いし、サトイモ、サツマイモe.t.c人柄だね
東三河の雄、本宮山いいでしょ
ありがとうございます。何かくれるというおばあさんがいれば、えんりよはしません。うちの母がそうだから。
それ最高!
いましがた帰宅しました。
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