《筑摩山地》田沢駅→【光城山、鷹巣根(刈谷原)城山】→刈谷原
- GPS
- 05:17
- 距離
- 13.7km
- 登り
- 800m
- 下り
- 651m
コースタイム
- 山行
- 4:46
- 休憩
- 0:32
- 合計
- 5:18
ルートは道のないところも尾根型の地形を見ていてば行くことができるが、地図読みは必ず必要。
天候 | 晴れされど、雲が陽光を遮ること多し。風冷たし。 |
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過去天気図(気象庁) | 2017年11月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
帰り 四賀化石館16時50分→松本駅17時20分頃 |
写真
装備
個人装備 |
地下足袋+脚絆
焚き火セット
ノコギリ
弁当
水筒
軍手
ラテルネ
地図磁石
防寒具
雨具
|
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共同装備 |
ツエルト
6mm×10m
|
感想
突然、田沢駅。山の紅葉がまだ美しい。今年はこの雑木紅葉の中何度も山歩きができた。
国道19号は車がうるさいので山側の集落沿いを歩く。あいさつしたおばあさんと話し込む。「光城山へ行くの。いいねえ。きょうはおひさまも照るし。いいねえ。」と。光城山の山麓の神明宮にお参りしてその裏からどんぐりの山をモクモク登る。何人かと会った。山頂直下には曲輪跡と、堀切跡があった。安曇野と北アルプスを望む好展望地。でも樹齢数百年と思われる松が、松枯れ病と思しき惨状で、切り株だらけ、処理済み材だらけだった。山頂すぐ下まで車で来る人も多いようで、何人もあった。挨拶をしたおじさんと松枯れのはなしをひとしきり。
ここも1553年の武田信玄信濃攻めで落城した。安曇野を見下ろし、犀川高瀬川合流を見下ろし、刈谷原への通り道を抑える要衝だ。お宮にあった説明を読み、四賀村の刈谷原城(鷹巣根城)へ尾根伝い、谷越えでいってみようと決める。途中の山間集落も興味深い。
子の神、麻生、入の沢を、山道を縫って渡り歩く。煙立つ人家あり、暮らしもある模様だけど、人と顔をあわせることがなかった。途中・702の尾根の上で何か人の声がすると思えば、車が20台ほど集まってサバイバルゲームの大会をやっていた。こ、こんなところで!そこから降った人家の裏に出ると、そこは山奥とは言えとても風情ある古い屋敷のある集落だった。サバゲー大会のせいか、住民は外に出てきてくれなかった。よそものが大勢で来ると怖いものだ。こういうところを訪ねるには、たったひとりで徒歩で、無防備で行かないと交流はできない。道筋に、野生高木と化した桑の木が結構多い。特徴ある葉ですぐわかる。昔は桑とタバコが多かったことだろう。
最後の尾根を、自動車道路を避けながら登っていくと、踏み跡は不明瞭ながら鷹巣根城(刈谷原城)の西尾根に乗る。この城も1553年に滅亡した。刈谷原は松本盆地から四賀村に抜け上田(→江戸)や善光寺へ抜ける要衝。真っ先に攻め滅ぼされた模様。ここの本丸も、松の巨木が全て枯死していた。ここ数年のことと見える。松くい虫病恐るべし。岡田の伊深城本丸でも巨松が横たわっていたっけ。ここは杭が一本あるのみで道も案内板も整備されていなかった。松も台風で倒れるのを待つのだろう。本丸、いくつかの曲輪、堀切などを認める。木がなければ四賀村の錦部地区が丸見えだ。虚空蔵山も美しい。
刈谷原の宿場町は江戸時代にも松本から一日コースのところで、古い屋敷多し。本陣跡などは特に案内が無かった。出口のところが曲尺手(かねんて)になっている。ここも大きな御屋敷だ。
矢室から、レーコさんがやっているという喫茶店に向かう。もう、刈谷原峠越えで松本まで歩くのはやめて、4時50分のバスで帰ろう。店はちょうどバイク客が20人ぐらい居て、相席になっても集団は声が大きく、ちょっと溶け込めない。
カレーを頂いて勘定の段になって、店主とレーコさんがどこから来たの?と問うてくれ、山を越えてきた話をした。「善光寺街道だからね、私も一度歩いていってみたいな」とおっしゃった。12時間くらいで行けそうだとのこと。
バスが来るまで、向かいの四賀化石館を見学。なんと、昭和61年、保福寺川で小学5年生が釣りをしていて新生代第三紀層からクジラの歯を発見、そこから体長7〜8mのシガマッコウクジラの全身骨格化石を発見してしまい、その勢いでこの博物館も建立されたとのこと。第三期層恐るべし。村内には他にもトドのようなやつ(アロデスムス)の骨もでているそうだ。さっき歩いた限界集落のあたりじゃないか。もっと出てこないかな。村のことを博物館のおじさんに根掘り葉掘りバスが来るまで聴き倒す。四賀村は、会田、五条、中川、錦部の四っつが合併して出来た名だったけど、2005年松本に合併した。でも僕にとっては四賀村です。この発見者、山田少年は、その後どうなったのですか?論文をまとめたアメリカの博士に連れられて古生物学者に?「いや、松本駅前でイタリア料理店やっていますよ。」さすが、地元のおじさん。こんど食べに行ってみよう。
1902年篠ノ井線の鉄道の開通でさびれにさびれた旧北国西街道。こんな地域が好きだ。この前も乗って帰ったバスがきょうも来た。16時50分はもう日が暮れて黄昏どきだが、この狹い盆地からも白銀の鹿島槍が見える。
お客は信州大学前まで僕ひとり。信大前で学生が沢山乗り込んできた。四賀村から松本駅まで510圓。歩くことを思えば安いものだ。駅前の駐輪場で自転車を回収してイタリヤ料理店をチェック。スペインバルの地下のイタリヤンという立地だ。こんど食べに来よう。いろんな人と話した。人と話すときは低く小さな声で一対一であることが大切だ。
コメント
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電車間違えちゃったんですか
光城山は桜の季節にしか登った事ないですが、
今ぐらいの、紅葉の季節の方がいいですね。
山歩きの最後は地元の大衆食堂かと思ったら
今回はレーコさんのカフェだったんですね(^^♪
バイクシーズンはライダーで連日にぎわっていますね。
私もそろそろ行かないと!
さくさくさんのお勧めとのことで行ってみたよ。ひとがたくさん来るだけあって話の通じるお店ですね。こんどは峠越えで虚空蔵山かな。帰りのバスがあるって助かりますね。
お客様の下の名前で光城でみつきと呼ぶ人がいて、何故名前に城の漢字つけるのかとみつきとゆうのが女子っぽいなと思っていましたが、(お客様は男性)同じ名前の山があるんですね。山なら違和感ないですね
みつきさん、名前聞く限り凄いいい男っぽいですから、責任重し。男磨かないと。というか、今時の名前は負担がおもすぎですね。子の命名時は肩の力を抜きましょう。またまた、どーでもいい話ですね。
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