雲取山・滝谷山・北雲取山《京都百名山No.58・59・101》
- GPS
- 09:18
- 距離
- 19.5km
- 登り
- 1,193m
- 下り
- 1,200m
コースタイム
- 山行
- 8:20
- 休憩
- 0:58
- 合計
- 9:18
天候 | 曇りのち晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2018年03月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
三ッ又山までは道なし、その後は道あり、特段問題なし |
写真
装備
個人装備 |
長袖シャツ
タイツ
ズボン
靴下
グローブ
防寒着
ゲイター
靴
予備靴ひも
ザック
昼ご飯
行動食
飲料
地図(地形図)
コンパス
笛
計画書
ヘッドランプ
予備電池
GPS
筆記用具
ファーストエイドキット
針金
常備薬
保険証
携帯
時計
サングラス
ストック
カメラ
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感想
寒の戻りで京都市内は冷え込んだ。国道477号線で花脊峠を越えると薄らと積雪があり凍結していた。花脊大布施町の桂川を渡りイナヤ谷の林道に入ってすぐの橋を渡り、オサ谷に入った処に車を置いた。秋房さんを先頭にイナヤ谷とオサ谷の間の尾根に取付きたいが道は無い。恐ろしく急な斜面で木に摑まりジグザグに這い登った。80m程標高を上げると傾斜は落ち着き普通に歩けるようになった。
高度を上げると木は雪を持ち、地面も白くなって行った。思っていたより気温は低く標高を上げると冷たい風が吹き抜けていた。P843を過ぎると一際急傾斜となり三又山(890m’)に乗り上った。展望もなく何の表示もない山頂だった。平成17年に来たときの記録を見ると山頂標識が掲げられていたようだ。
此処からは左京区花脊と右京区芹生を分ける尾根で昭和63年の京都国体で縦走競技のルートとなったことから“国体尾根”と呼ばれている。次のピークは、くまさ山(881m’)で南に飛び出している。此方も山頂標識はなかった。西に進んで京都百名山の北雲取山(900m’)に達した。京都府山岳連盟による「ゴミ持ち帰り運動に協力を!」というブリキの看板が古びて木に食い込んでいた。此れ自体がゴミのようで自然破壊に思えるが・・・それともう1枚「高瀬900m」の標識があったが、勝手に付けられた間違った名称のようだ。北にある829mのピークが高瀬山だ。
三又山に戻り区境尾根を南下しハタカリ峠に達した。区境尾根を一旦離れ、雲取山を目指した。ピークを一つ越えた処が雲取峠で広々として気持ちが良い。京都府立大学のりょうぶ小屋があるが静かで誰もいなかった。雲取山北峰の北端をトラバースし小ピークを越えて雲取山(911m)に達した。3等三角点「川上」が置かれているが展望は得られなかった。暫し休憩するが風かあり体が冷えるので4分で山頂を後にした。
時間があれば雲取山北峰に立ち寄ろうと思っていたが予定時間より25分も遅れていたのでそのまま雲取峠に戻った。峠を越えると花脊から登って来たと云う中年の男女と出会った。ハタカリ峠まで戻ると左京・右京境の尾根に復帰し、南西へと進んだ。時間回復のため予定していた地蔵杉山は端折り、北側の山麓を掠めて通過した。一ノ谷に繋がる南の谷の源頭部を見ると京都産業大学の小屋があり、規模が大きく営業小屋のような佇まいだった。稜線を忠実に進み小ピークから南下するとまた産大の小屋が見え、小屋前を迂回した方が近かったようだ。ピークを2つ越えた鞍部辺りから地形図に無い林道が現れ略稜線に沿って付けられていた。
寺山峠(807m’)は、花脊別所町から雲取山に登る人たちが越えて行く峠で稜線ルートと一ノ谷経由のルートがある。先程出会った男女は此処を通って稜線ルート取り帰りに谷ルートを取るようだ。時刻は11:21樹林帯で風が防げるので昼食休憩にした。寺山峠には稜線を挟んで東に左京区、西に右京区の標識が掲げられていた。嘗ては愛宕郡花脊村と北桑田郡黒田村で花脊村は昭和24年京都市に編入され、黒田村は昭和30年京北町となり平成17年に京都市に編入された。
寺山峠の北側で稜線に絡みついた林道は、峠の南側でも続いていた。泥濘んで酷い状態なので稜線を忠実に辿ったが林道開削の為か伐採された木が稜線に置かれたままで歩き難い。この先林道は旧花脊峠まで続いていた。次の目標は寺山(862m)だったが迂闊にも知らない間に通り過ぎてしまった。所々開けた所があり花脊別所町の集落を挟んで東側の滝谷山やその向こうには蓬莱山(1,174m)を望むことができた。小さなピークを幾つも越え区境が稜線を離れ西側に去っていくと旧花脊峠(756m’)に達した。現在の花脊峠ができるまでは国道477号線(当時は府道)の旧道が越えていた。地蔵堂があり峠を行き交う人々が手を合わせていたことだろう。
峠の東側へと歩を進め標高差80mを登ると天狗杉(837m)で3等三角点「三輪谷」があり天狗の絵の描かれた亀岡カブスカウトによる山頂標識が掲げられていた。東に進みピークを一つ越えると花脊峠(759m)だが地形図の道とは違い北側の谷に向かって道が付いていた。朝車で通った時にあった道路の雪はもうなく、一度歩いてみたいと思っていた峠に来ることができて感慨一入だった。
杉ノ峠への林道に入って行くと谷越しにNTTの電波塔が大きく見えた。京都市内からやたら目立っているこの電波塔、今まで何処にあるのだろうと位置が良く分からなかったが杉ノ峠にあったことを今日知ることができ積年の疑問が晴れた。電波塔まで行ってみようと提案したが誰も乗り気なく却下されてしまった。
杉ノ峠(828m)では電波塔への作業道が分岐するがゲートで閉ざされていた。峠のすぐ北の東斜面は不法投棄されたゴミの現状回復命令が貼られたフェンスの先に蓬莱山の眺めが良かった。少し北に行くと「琵琶湖展望→」の標識があり蓬莱山から霊仙山と琵琶湖が展望できた。また林道が稜線に並走しているがP841のピークを取るべく稜線を歩いた。P841の後は林道を歩き、大原百井町と花脊別所町を結ぶ和佐谷峠(805m)に達した。滝谷山西端の斜面に取付くが「滝谷山、奥の奥」と書かれていた。
「奥の奥」と云うとおり、小さなピークを2つ3つ越えて滝谷山(876m)に達すると2等三角点「別所村」が置かれていたが、展望は得られなかった。暫し休憩し北へと進んだ。再び林道に下りたがすぐに林道を離れP845の稜線に取付いた。展望のない稜線を進み小ピークを幾つも越えP771に到ると北山でよく見る小さなプレートが掲げられていた。最後の休憩を取り小野谷峠へと下って行った。
小野谷峠(652m’)はひっそりとして小さな標識が掲げられていた。大原大見町と花脊大布施町を結ぶ峠で嘗ては生活道路として村人が歩いたことだろう。洗掘の跡が歴史を物語っていた。大布施町へと歩を進めると急な小野谷の荒れた道となり、今は殆ど歩く人もなく崩れて道形が怪しい部分や倒木が塞いでいる処が随所にあった。標高を160m程下げるとフェンスに囲われたプールのような施設がありその上を倒木が襲い凄い荒れ方をしていた。浄水施設の跡かと思ったが山葵の栽培試験場の跡だった。
山葵田跡からは林道となり格段に歩き易くなった。上方に立派な道路が見えて来た。 京都市による主要地方道大原花脊線で大原小出石町から花脊大布施町に到る11.9劼侶弉萋始だが平成2年以来工事は止まっているようで供用されていない。やがてこの道と合流し別所川との合流地点で国道477号線に達した。大神宮(花脊神社)に立ち寄り、秋房さんの提案で、別所川左岸の道を歩いて戻ることにした。嘗て水田であったであろう平坦な土地には杉が植林されていた。誰も住まなくなった家屋が寂しく、最期の一軒だけは生活があるようだった。イナヤ谷の林道に出てオサ谷出合の駐車地点に戻り21劼傍擇崑膽回縦走を終えた。
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