阿寒岳(野中温泉より周回ルート 雌阿寒岳、阿寒富士)
- GPS
- --:--
- 距離
- 11.5km
- 登り
- 1,167m
- 下り
- 1,167m
コースタイム
- 山行
- 6:30
- 休憩
- 0:20
- 合計
- 6:50
ピークハント
天候 | 晴れ山頂付近はガス |
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過去天気図(気象庁) | 2018年07月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
船
日本百名山 第43座目 阿寒岳 生きてるうちにトラバース 北海道遠征 7月14日 神戸空港〜新千歳空港〜清岳荘 7月15日 羅臼岳 7月16日 斜里岳 暴風雨&視界無しの予想のため断念 7月17日 雌阿寒岳 7月15日 新千歳空港〜神戸空港 |
コース状況/ 危険箇所等 |
常に噴火の危険性をはらむ活火山 でもどこにもシェルターはありません。 雄阿寒岳 活火山であることに留意 雌阿寒岳 噴火警戒レベル1(活火山であることに留意) 気象庁より 概要 阿寒カルデラの南西壁上に生じた雌阿寒岳は、ポンマチネシリや阿寒富士など8つの小さな火山から構成される成層火山群で、玄武岩・安山岩・デイサイト(SiO2量は50.2〜65.5 wt.%)の多種類のマグマが噴出した。 火山群中央部には約13000年前の火砕流噴出で形成された中マチネシリ火口(直径1.1km)がある。 ポンマチネシリや西山・北山・阿寒富士の火山体が形成された後に、約1000年前にポンマチネシリ山頂部で中規模のスコリア噴火があった。その後は主に水蒸気爆発が頻発し、ポンマチネシリ山頂部にポンマチネシリ火口(旧火口と赤沼火口)が形成され、近年も数年おきに小規模な噴火が発生している。 噴火活動史 各火山について、地質学的な研究によってわかっている過去1 万年の火山活動史を記載した。また、過去1 万年間の噴火活動と有史以降の火山活動とに分けて記載した。 過去1万年間の噴火活動 約13000年前から3000〜4000年の間隙をもって火砕流が3時期にわたって中マチネシリ火口から噴出した。 このうち約13000年前の活動が最も大きく、火砕流が四方に流出し、プリニー式噴火による降下軽石スコリア層も南東方に広く降り積もった。また溶岩流も流出した。その後約9000年前には螺湾(らわん)川沿いに、更に5000〜6000年前には茂足寄(もあしょろ)川沿いに火砕流が流下した。約3000〜7000年前には主に溶岩からなる西山・北山・ポンマチネシリの各火山体が形成され、約1000〜2500年前には玄武岩溶岩と降下火砕物からなる阿寒富士が形成された。 最近1000年間の噴火活動は、初期のポンマチネシリ山頂部のスコリア噴火の後、いずれも水蒸気噴火と考えられている。 約700年前にポンマチネシリ旧火口が形成した後に、約400年前にはマグマ水蒸気爆発によって赤沼火口が開口し、山麓に火山灰が堆積するとともに泥流も発生した。1955年噴火までの約100年間は小規模な水蒸気爆発が少なくとも10回発生した。これらの活動は、旧火口内の青沼火口等や中マチネシリ火口内の小爆裂火口などで行われたものと推測される。1955年噴火以降現在までは、ポンマチネシリ山頂火口で小規模な水蒸気爆発が断続的に起こっている。 |
その他周辺情報 | 阿寒湖 彦 居酒屋 とても美味しい、また大将含めスタッフがとても感じが良い。 |
写真
装備
個人装備 |
長袖シャツ
Tシャツ
ソフトシェル
ズボン
靴下
グローブ
防寒着
雨具
日よけ帽子
靴
ザック
昼ご飯
行動食
非常食
飲料
地図(地形図)
ヘッドランプ
予備電池
GPS
ガイド地図(ブック)
ファーストエイドキット
常備薬
日焼け止め
保険証
携帯
時計
サングラス
タオル
ストック
カメラ
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感想
4泊5日での北海道遠征
5日も家庭と仕事を空けての遠征に少し心苦しいけど、山が呼んでいる!?
家族に感謝!会社に感謝!
そして5日も遠征のアテンドを買って出てくれた北海道の山友、ヤマレコ友
yo-shaさんに感謝!
活火山 雌阿寒岳
比較的登りやす山でしたが、やはり北海道の百名山!
阿寒湖周辺も含め、見所多数の素晴らしい山でした。
固有種の花も沢山咲いており、プロのカメラマンも登山されてました。
以下Wikipediaより
雌阿寒岳(めあかんだけ)は、北海道、阿寒の活火山で標高1,499m。古くはアイヌ語でマチネシリ。玄武岩からデイサイト(SiO2 50 - 70%)の成層火山群、1000 - 2500年前には、阿寒富士火山体が形成。日本百名山に選定されている[3]。
釧路市と足寄町に跨っているだけではなく、振興局も跨いでそびえている。国土地理院による正式名称は雌阿寒岳だが、深田久弥の百名山をはじめ一般に阿寒岳というと、この雌阿寒岳を指すことが多い。
阿寒の名を冠する山は他に二座あり、雌阿寒岳の近くに阿寒富士(1,476m)、少し離れて雄阿寒岳(1,371m)がある。何れも火山である。雄阿寒岳と阿寒富士は今のところ静かだが、雌阿寒岳は現在もさかんに活動している。登山家の深田久弥が訪れた1959年や、最近では1998年に小規模な噴火を起こし、周辺では降灰が観測され、登山の禁止と解除が繰り返されている。2006年3月21日に小規模噴火を起こした。
登山道はオンネトー湖畔からのものと雌阿寒温泉からのもの、他に阿寒湖畔からのものなど数本があるが雌阿寒温泉とオンネトーからのものがよく利用される。両コースの場合、山頂までは夏場の標準的な登山の場合で3時間程度。標高差は約800m程度。北海道の山の中でも比較的登山道の整備もよく、コースからの眺望も良好で家族連れや初心者にも上りやすい山である。ただし活火山のため登山が制限される場合があるのと夏場でも悪天候に注意は必要である。頂上には1972年に落雷のため登山中に死亡した小学生を悼む石碑が建っている。
阿寒カルデラと雌阿寒岳の地形と
位置関係。中央右は雄阿寒岳
阿寒周辺をはじめ周辺にはこれらの火山から流れ出た溶岩が周辺の川を堰き止めて作った湖が点在していて、マリモで有名な阿寒湖は雄阿寒岳の麓にあるが、多数の遊覧船が湖面を埋め、湖畔の温泉街と共に『観光地化』されている。 雄阿寒岳周辺にはペンケトーとパンケトーという湖もあり、アクセスの悪さから観光開発がされず原始的な雰囲気を残している。雌阿寒岳の麓には静かな原生林に囲まれた雌阿寒温泉(野中温泉)と、かつて秘湖と呼ばれたオンネトーがある。
阿寒周辺は過去に巨大カルデラ噴火があったと考えられ、その結果、阿寒湖が形成されたとも言われているが、まだ詳細は分かっていない。
火口
火口底の青沼
頂上部には大きな噴火口がある。その周辺数カ所や山麓のいくつかの場所には噴気口があり、活発に噴煙を上げている。噴火口の底には雨水のたまった小さな沼が存在する。昔は赤沼、青沼、小赤沼と3つの沼があったが、80年代後半から火山活動の活発化による地熱の上昇によって小赤沼は干上がってしまい、現在見られるのは赤沼と青沼だけである。
気象庁の常時観測火山で火山性微動や噴火に伴う空気の振動等を観測するための地震計や空振計が設置されている[4]。2006年12月16日には噴火警戒レベルが導入された。
噴火の歴史[編集]
2006年の小規模噴火後の噴気(3月21日)
噴火活動は、主にポンマチネシリ火口及び中マチネシリ火口で行われていて、しばしば噴火が見られるなど活発な活動が知られているが、雌阿寒岳が見える範囲に住民が入植した1900年代初頭以前の活動は知られていない。火山の周辺は無人地帯で集落等は存在せず国道と道道、僅かな宿泊施設が点在するのみであり、かなり大規模な噴火が生じない限り、直接的な被害は生じないものと考えられている。有史以降の噴火は、水蒸気爆発 - マグマ水蒸気爆発による噴火である。
1951年 7月から1952年 2月にかけて断続的に鳴動が起きる。
1952年 3月 十勝沖地震の直後から数日間鳴動が活発になる[5]。
1954年-1961年 断続的に小噴火、火山灰が降灰。噴火時の風向きにより北東70kmの網走市、東40kmの弟子屈町へ及ぶ。
1964年-1966年 断続的に小噴火。
1988年 小噴火。
1996年 小噴火。北側約50km程度の半径のドーナツ状の範囲に微量の降灰。
2006年 小噴火。火口西側にごく小規模な融雪を伴う泥流が発生。
植生[編集]
山麓は樹林帯で、エゾマツ、アカエゾマツ、ダケカンバなど北海道の原生林によく見られる樹種が多い。標高900m近くまで上がるとハイマツの林となり、眺望も開けてくる。更に標高1,100mを越えると高山植物帯となる。
この山で見られる高山植物のうち、メアカンキンバイとメアカンフスマの2種にこの山の名前が付けられている。最初に発見されたのがこの山で、現在でも多数がこの山で見られるが、この山の固有種ではない。
標高1,200m以上では大部分は火山性の砂礫地で、所々に高山植物が群生している。以前は登山道の近くでも「高山植物の女王」と呼ばれるコマクサが多数生えていたが、登山者の盗掘によってすっかり少なくなってしまった。
中腹のハイマツ帯では秋にはマツタケが生えるが、雌阿寒岳は阿寒摩周国立公園の中にあるため採取は禁止されている。
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