大嶽
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- GPS
- --:--
- 距離
- 3.4km
- 登り
- 333m
- 下り
- 363m
天候 | 曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2011年12月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
船
|
写真
感想
その1
2011年12月11日(日)
みかんの収穫とみかん狩りツァーで、今年4度目の平郡島訪問。みかんの収穫はイマイチでお土産程度しか採れず、前日(半日)で終わってしまった。
そこで、かねてから一度登ってみたいと思っていた大嶽と言う岩峰に登ることにした。とは言っても島の人達に山に登ると言う習慣は無いようで、大嶽に登る道はごく一部の人しか知らないらしい。
その1人であるIsakaさんに羽仁と言う地区の登山口まで案内してもらい、大まかなルートを教わって地区の外れの神社から歩き始める。
細くてあちこち崩れた所もある道を数分歩くと茅に覆われた中に細い隙間のある場所に突き当たるが、そこを潜り抜けた先から突然道が無くなる。探すと左手に崩れた土砂の盛り上がりがあり、そこを越えると左右を斜面で挟まれた谷のような狭隘な道があった。
その道でイノシシの足跡を見つける。平郡島には元々イノシシはいないとされてきたが、近年になって死骸が見つかる等,いくつかの目撃例が噂され、今ではイノシシは定着したことが確実視されるようになっていた。そのイノシシの明瞭な足跡を発見し、はからずも生息を確認することとなった。
谷のような細い道を登りきると鞍部になっていて、そこから迷わず進路を右手に取って畑の跡のような平面の縁を辿って登る。道らしくもあり道とは言えないようでもあるがとにかく畑の跡地を遮二無二登って行くと潰れた小屋があり、また段々畑の外縁にしっかりした石垣が築かれているのを見る。
とにかく高い所へ〜と段々畑を登り切ってここが最高点と言う所を越えると下り斜面となる。
ようやく見つけた木々の隙間から向かいの山を見ると、小ピークの上に2つの岩が並んでいるのが見えたが、目指す岩峰とは明らかに違うことが分かり、それ以上は無駄と考えて引き返す。
引き返すと言っても先刻登ってきた道を探すのも容易でない似た畑,似た地形を下って何とか茅くぐりの先の地点に戻る。
この時まで、目指す岩峰は谷底のような道の右手だと思い込んでいたので、なぜ
目的地に着かないのか不思議でならず、やむなくIsakaさんに電話して道を聞く。
そこで初めて大嶽は鞍部より左手に位置すると指摘され、その方向を見上げると何とその位置から大嶽の岩峰が見えていた。思い込みはかくも思考を停止させるものか・・,と我ながら呆れ返る。
鞍部に戻ると倒れた電柱があり、そこでフユノハナワラビを発見。写真を撮っているとハッキリした道と木の幹に赤いテープの目印があるのに気づき、目印に導かれてどんどん登って大きな2つの岩の足元に出る。
一枚岩に見えた岩峰は小石や礫ヲ寄せ集めたような礫(?)岩で、岩の間を攀じ登って頂きに立つと羽仁地区や桟橋のある中生,浦等の街を見下ろすことができたので、そこを大嶽と確認する。フユノハナワラビのあった鞍部から登り30分,下りは15分程度。
大嶽の岩に立って下界に向け、インデアンコールを2度,,3度繰り返す。その声が下の畑で作業していた水無月夫人に届いていたことを後で知る。大嶽は高々277mの岩峰に過ぎないのだ。
大嶽の背後には287mのピークがあり、また大嶽から五十谷三島の峠道に向けて、かつては道があったと聞く。いずれはその道を探ってみたい。
2.5万図を見るとそこから更に島の背骨にあたる尾根を結んで平郡西地区に至る登山道が示されており、稜線上には深山(468m),長深山(452m)などの山がある。時間をかけて調べれば島を縦断する登山路を再発掘することができるかもしれない。
どこでどう間違えたのか、最後は登山口の神社ではなく街中の家々の間の細い路地に降りてしまった。
下山後,投宿先の水無月さんから、戦後の食糧難の時代,島ではサツマイモの栽培が盛んで、間違えて最初に登った斜面の畑は当時のサツマイモの栽培の跡地であり、文字通り『耕して天に至る』程だったらしいと聞かされる。
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