【岳人1972年313号208ページ】★初冬の北鎌尾根 、湯俣から槍ヶ岳、槍沢から木村小屋を経て沢渡へ
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- GPS
- 56:00
- 距離
- 70.6km
- 登り
- 6,450m
- 下り
- 6,371m
コースタイム
- 山行
- 3:00
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 3:00
- 山行
- 10:50
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 10:50
- 山行
- 9:50
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 9:50
- 山行
- 3:00
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 3:00
天候 | 11/19:七倉から千天出合>>曇り 11/20:千天出合から北鎌コル>>晴れ 11/21:北鎌コルからP8手前 >>夕刻から雪 11/22:停滞>>吹雪 11/23: P8からへ槍ヶ岳山荘冬季小屋 >>晴れから曇り 11/24:槍ヶ岳山荘冬季小屋から上高地 木村小屋 >>ガス 11/25: 上高地 木村小屋から沢渡は多分 >>晴れ |
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アクセス |
利用交通機関:
電車 バス タクシー
復路:沢渡から松本駅はバスと電車、松本駅から新宿駅は急行 |
コース状況/ 危険箇所等 |
★槍ヶ岳・北鎌尾根◇ 1972年11月19日―24日◇都立南高校山岳部OB会 19日、大町より車で七倉へ入る。千天出合には昼過ぎに着く。 20日、雪が全くなく暑いくらだ。P4に至ってもアイゼンを必要とせずP5の横断は雪も少なく夏より楽であった。北鎌のコルの斜面にツエルトを張る。 21日、吹雪、昨日の夕方より天気が崩れ、外は吹雪になる。雪に流される危険が生じたのでP8の頭へ移動。新雪は1日で相当積もり、腰を没する。P8の頭でビバーク。 22日 吹雪、停滞。 23日 快晴、天気は今日1日しかもちそうもないのでピッチを上げる。独標はルンゼを止めて。トラバースルートを取り、先行パーティを追いぬく。岩稜は雪が風で飛ばされていて快適だった。ピークの横断は足元から雪が崩れ、肝をひやす。穂先への登りはノーザイルで登ったが、最後の1Pは吹き溜まりとなり、アンザイレンする。下降は悪く、カッティングする部分があった。 24日 吹雪、天気は予想通り崩れ、槍沢を下るが、トレールもなく深いラッセルに悩まされた。木村小屋泊。 |
予約できる山小屋 |
七倉山荘
|
写真
二日目は快晴で、雪も殆ど無いP4だと思われます。
硫黄尾根と後ろの裏銀座の高さを考え、平坦地はその辺りです。先輩のKさんです。ヤッケもスパッツもアイゼンも無いですね
装備
個人装備 |
ダブルのヤッケ上下に編み上げのスパッツ(槍の肩に夜中に来たパーティが着ていた
今でいうモンベルのドリュタイプのヤッケが今でも記憶に残っている)。<br />行動中は目で帽で帽
毛糸の手袋にカバー
ピッケルはシモンのスーパーPB
アイゼンはタニの12本。<br />就寝時は半シェラフに羽毛服。<br />先輩のヤッケはビニロン。
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共同装備 |
コンロは灯油のホエーブス。<br />ツエルト。<br />9mmザイル。
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感想
11月後半の北鎌尾根に挑戦しようと考えたのは、1972年9月に今回と同じ湯俣から槍を超え大キレットを通過、北穂高岳から涸沢までの単独の縦走がきっかけになった。(涸沢で待ち合わせた女性2名と滝谷クラック尾根に登りました)
冬の北鎌は単独では厳しいと考え、高校の山岳部の一年先輩で同じ大学のKさんを誘うと二つ返事でOKを貰い計画を進めた。
その時の装備はツエルト、石油コンロ、ザイルは持参したが、使用した記憶はないですね。食料は覚えていません。
七倉から湯俣を超え千天出合まで普通の登山道です、P2末端でも渡渉は無く橋があり手元にはワイヤーがありました。
P2からP3、P4、P8までは大した雪もなく無雪期同様でした。
当然ザイルのお世話になっておりません。
夕方から翌朝まで雪が降り辺りの景色は一変し踏み跡も見えなくなりましたが、そもそも踏み跡は当てにしていないので問題ありません。
P9付近でのビバークではホエーブスの灯油注ぎ口の蓋を雪中に落とし数分探した事は記憶に残っています。
独標は最初からトラバースを選択しており、新雪が歩き易くしているかのようにスムーズに通過し独標の稜線に到着しました。そこからも北鎌平を問題なく通過し、最後の大槍には明るい内に到着しました。 翌朝は雪の状態を見て槍沢を膝位のラッセルで下山です。 本日は上高地 木村小屋迄です。(木村小屋は帝国ホテルの冬季管理小屋の役目で開いていましたが、昭和49年にご主人が亡くなられ閉めたような??
木村小屋では、風呂?? 炬燵、食事を堪能し翌朝は沢渡まで歩きました。
*北鎌尾根は翌年1973年3月に高校の後輩2名と、途中に滝谷を登り、西穂高までで2週間の予定で入山しましたが、悪天候で大キレットを通過できず、槍沢を降り、木村小屋に泊まりました。 後輩2名は翌年、自分達の後輩と同じルートを試みるも、同じ結果に終わった、との事。
*同じ時期、我々より1日前に入山した、H蠅了崖拮瑤北鎌尾根で遭難、同社の救助パーティが釜トンネル出口(上高地寄り)で二次遭難と、木村小屋で聞いた記憶があります。
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