《筑摩山地》犀川舟場-聖山-のろし山-麻績城-聖高原駅
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- GPS
- 08:27
- 距離
- 19.5km
- 登り
- 1,364m
- 下り
- 1,171m
コースタイム
- 山行
- 8:13
- 休憩
- 0:28
- 合計
- 8:41
大きな山体を、どん底の犀川沿いの集落から小集落をつないで登って、更級郡から筑摩郡へ山越えしたい。上杉、武田の前線になった戦国の要衝、麻績城と虚空蔵山城を下りながら城攻めしたい。この二本柱で計画を立てた。
天候 | 好天 風も微風。 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2019年03月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
大町市市民バス:八坂コース:信濃大町7:55→8:36舟場 200圓 国鉄篠ノ井線:聖高原駅17:56松本18:30 580圓 |
コース状況/ 危険箇所等 |
一部藪こぎあり。全て登山道ではない。藪は濃くない。雪は西側斜面では1300から。降りでは1000m付近まで残雪あり。たらら山〜聖峠の間の林道の雪は潜る。ヒザまで。ここは長いし、地下足袋を履き替える。 |
その他周辺情報 | 聖高原駅前 小松屋 |
写真
装備
個人装備 |
地下足袋+脚絆
ノコギリ
弁当
水筒
軍手
ラテルネ
地図磁石
防寒具
軽登山靴+スパッツ
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共同装備 |
ツエルト
6mm×10m
|
感想
犀川沿いの旧八坂村は大町市に合併し、信濃大町の駅前から市営コミュバスが、山越え40分の行程を貸し切りで200圓で連れて行ってくれた。申し訳なし。松本市域では朝イチの山方面行きバスはほとんど無くなってお寒い状況なのに大町は偉い。
犀川と高瀬川に挟まれた1000mに満たない山脈それ自体が旧八坂村だ。散在する小集落は孤島のように孤立し、広い敷地は皆無。宅地と畑地は重機も無かった何世紀も前に削って、石を組んで作った。マイクロバスで通り抜けるのが申し訳ない。
大町駅のホームで金太郎伝説と八坂の関わりが書いてあった。都落ちの鬼女と安曇の八面大王との子が金太郎(金時)で、源頼光に使えたと。八面大王は田村麻呂に討たれ鬼女は鬼無里へ行って死んだと。
山越えしてきたバスを降りて犀川の橋を渡れば今は長野市に併合された旧更級郡大岡村下大岡。大きな屋敷もある。イカした石像もある。少しヒンドゥーっぽい。集落はずれから、山道にはいってすぐに、車時代以前の廃道を見つけ、そっちに行く。尾根向こうの集落への峠道だ。石碑あり、お宮あり。今は誰も通らないようだ。ヤブもかぶっている。昔はこの道を超えて南の日向集落のカノジョのところに夜這いに行ったりもしたんだろうな。
根越の集落は、家々の真ん中を清流が流れていて棚田の畦と未舗装の土の道が気持ちよかった。どんどん上がって行くに連れ、安曇連峰の山が、八坂の山並みの上に顔を出していく。ネパールや東チベットの山越えキャラバンで、巨峰が見えたときの感激ににている。なんと、先月奮闘した超マイナールートの唐沢岳北東尾根のラインが、この花尾の集落からはバッキリと見えて感激する。あの1646も、1900mのエル・カピタン・チコも見えるじゃん!ここに住んだら毎朝見惚れることだろう。
芦ノ尻集落は、県道沿いで、家も多い。すり鉢状の集落だが、遠くの空に、生坂アルプスの京ケ倉山脈が真正面だ。その向こうには安曇野越しに鉢盛山から常念。山(シナ)の更(サラ)に奥に山が重なる。今はなくなった更級郡の名の由来を知るこの景観だ。シナは科、級などと書く信濃の語源。
ここからは道が聖山に直通してないので適当にヤブを行く。たら原山南面の斜面は、一番急なところを行く。ヤブは濃くない。傾斜はあるが快適に登る。たら原山台地に上がり。林道に乗るととたんに積雪30センチ。しかも膝まで潜るので、地下足袋を軽登山靴に履き替える。ズボンズボンの長い林道だが、こんなことは慣れているので大丈夫。樹林や遠くの聖本峰を眺めながら進む。
巨大アンテナが5本も立っている最高点は、樹林も刈ってあるのか展望が良い。信州北半分の山はほとんど見える。風もなく陽光もあるので、おにぎりをゆっくり食べてのんびり過ごす。全部のゴマ粒を逃さぬよう歯で潰しながら。かりんとうもたくさん。この山は長野盆地からも見えていたんだな。
聖峠からの道を下る。のろし山方向に行きたいので、途中からヤブをこいで1126の東の沢型を降りる。ほどなく林道、舗装路へ。のろし山は、溜池の堤から取り付く。はじめ傾斜がすごいが、標高差170mを一気に登る。日暮れとの競争かな。
のろし山、麻績城、虚空蔵山城を上から城攻め。のろし山の山頂部は狭く、城郭向きではなかったのか、のろし台だったとのこと。麻績城は、細い尾根、両側の急斜面の道を行くと戦国ムードが盛り上がる。堀切もあり、なかなか広い山頂曲輪だった。立派な松も健在。松枯れはここまでは来ていない。これは、この下の虚空蔵山城の背後の詰城として後から築いたとのこと。
虚空蔵山城への下り道が発見できず、かと言ってヤブを漕いでつなぐには斜面が急過ぎて、のろし山との最低コルまでもどり、そこから下る道がつながっているかもしれないと下ったが、道はそのまま降りてしまった。また虚空蔵山城だけ来なければなあ。なんと行っても一番の本命だ。
山道を降りたら麻績宿の本陣裏にひょっこりと出た。街ブラもしたかったが、松本行き電車は50分後。食堂でラーメン食べる方を選ぶ。昭和30年代スタート風の小松屋、ここ一軒のみ。うちのおっかさんと同年代クラスの老婆がラーメン作ってくれた。おいしかった、おっかさん。
麻績駅、いやいまは聖高原駅か。の跨線橋の上から、常念岳の左に鋭鋒を見つける。あれは・・前穂高?それしかないか。きょうは意外なところから見える意外な山の連発だった。
一日かけて聖山を遊び尽くした。バスを降りてから小松食堂まで、誰にも会わなかった。
コメント
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よねちゃん、こんばんは
こういう素朴なラーメンが、おいしいんだよね
豊橋の”ふじのや”は行ったっけ〜
ふじのや、ばあちゃんがよく注文を間違えるけど、お客がみな暖かく応じる一体感あるお店でしたね。いつまでもやってほしいですね。
大町の金時伝説、知らなかったです。
足柄山の金太郎とは違うのかしら?
鬼無里の鬼女もこの話とはちょっと違う様です。
伝説は諸説ありますね〜
聖山は初夏に行くとアブの大群がものすごくて怖いです。
八坂と信州新町の堺にある大姥山1,006mの伝説みたいです。底から流れる金熊川(かなくま)は、金太郎と熊からできているみたい。
鬼無里の鬼女もやや違う。知名度ないけどあちこちに似た話があるようですね。この前降った唐沢岳の幕岩下に、金時滝というのがありました。あれも関連なのかしら。
まだ日の短い季節、時間との戦い…
すばらしい!!👏
賞賛ありがとうございます。
バスで犀川河畔に行ける便を見つけたのが勝因です。聖山は名山なのに、山頂近くまで車で行ってはもったいない山です。犀川からの途中の根越や芦ノ尻の集落の佇まいなど、歩いて行かなければ見つからないすばらしい風景でした。是非山越えでの山行をおすすめします。この山行で聖山は、私にとって、とても大切な山になりました。
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