嵐の涸沢カール
天候 | 3日曇り 4日晴れ曇り 5日曇りのちあられ、雨、雪 6日みぞれまじりの雨 7日曇り |
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過去天気図(気象庁) | 2012年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
バス
|
コース状況/ 危険箇所等 |
横尾本谷出合付近はデブリがひどく、雪解けまでは日々ルートが変わるだろう。 川も露出している箇所があり要注意。 カールは昨年よりデブリは少なかったように思う。 あずき沢はデブリの上に新雪があり。 奥穂高方面の上部ルンゼからの雪崩を数回目撃した。 |
写真
感想
連休を利用しての涸沢カール。
当初の予定は奥穂高岳と北穂東稜だった。
5月3日は徳沢園で幕営。夕方から少し雨が降り出した。
翌4日、涸沢まではおおむね晴れていた。
しかし涸沢カールから見上げた稜線はどこも白く雲に覆われていた。
奥穂高のルンゼから雪崩ている。ときどき聞こえるゴーッという音が不気味だ。
テントを設営して夕食の準備に取りかかる頃から天気が崩れ始めた。
下山後知るが、この頃既に涸沢岳では遭難が発生していた。
一晩中雪やみぞれがフライシートに激しく叩き付ける。
パートナーには、初めての嵐の中の幕営。しかもとくべつに酷い。
ときどき気をまぎらわせることを言ってみるが、
風の音の方がすごくて効果はなかったかもしれない。
5日朝、雲の切れ目から朝日が差し込む。
湿った雪がテントの周りに積もっていた。
カールの上空は相変わらず雲に覆われている。
県警のヘリが穂高岳山荘へむけて飛んで行きヘリポートに着陸したのが判った。
5時頃にはザイテングラードにも北穂沢にもアリの行列のように登山者が見えた。
我々も朝食をとりハーネスとヘルメットを装着してザイテングラードを目指した。
急斜面だがしっかりしたとレースに導かれてグングン高度をあげる。
あずき沢はデブリの上に新雪が積もっていて危険。だれも歩いていない。
途中、見知った山岳ガイド氏のパーティーがアンザレンして登って来た。
が、ザイテングラードの基部を少し過ぎたあたりで
「やばいから引き返しましょう」とクライアントに告げて皆で下りて行った。
午前10時、穂高岳山荘に到着した。人心地つくために山荘でうどんを食した。
あとで知ったが、前夜、ここでは壮絶な救出劇が行われていたのだった。
先のヘリは6名の遭難者を搬送したものだったのだ。
我々はそうとも知らず、温かいうどんに満足して再び戸外に出で奥穂高岳ピークを目指そうとした。
外に出ると着いた時よりさらにガスが濃くなり風も出ていた。
とりつきの岩稜帯と梯子は全く見えない。
登っているのか下降しているのか判らないが、あるパーティーのコールの声と、
アイゼンが鉄梯子にぶつかる音、ガチャがふれあう音などが聞こえて来る。
小屋前でロープを準備して様子を見ているパーティーが2つほどあった。
判断をする時だ。我々は涸沢に戻ることにした。
ザイテンの下りは途中から秘密兵器のヒップソリで下りた。
周りの登山者の目には「あいつら、、、」と写ったかもしれない。
ザイテン下部で右へとトラバースして、さらにカール底部までヒップソリ。
遊んでばかりもいられないので、
もう一度少し登り返した急斜面で、雪面でピッケルを使った支点構築、
ロープを出してセカンドのビレイ、懸垂下降の練習をした。
支点として埋設したピッケルを懸垂下降後回収するセットを試したがうまく行った。
そうこうしているうちに雲行きが怪しくなり、アラレが降り出した。
テントへ帰ろうとしたときに雷が鳴り始めた。
ここへ落ちてくださいと言わんばかりの、金属を身につけている。
生きた心地がしなかった。なんとかテント場へ戻り、
気休めだが、装備を外して少し離れたところに置いて、テントに入った。
5日の夜の嵐はこれまで経験したなかでは、もっとも激しいものだった。
仰向けになりシュラフから顔だけを出して天井を見ていると、
とつぜん強風でテントがぐぁーっと変形するのが判る。
そのままポッキリ骨組が折れるのではないかと不安がよぎる。
夕方から明け方まで、雪、みぞれ、あられ、暴風、雨とが交互にやって来た。
6日あさ。この日予定では北穂の東稜をやるつもりだったが、
テントを出て様子をうかがうまでもなく、中止を決定。
朝食の準備をしていると、長野県警の救助隊員の方がやってきて、
救助のヘリが来るので風で飛ばされないように注意してくださいとのこと。
県警のヘリは常念岳方面から飛来したが、気流の関係か、
いったんカールまで来ながら旋回しては離脱、着陸できたのは三度目のトライだった。
このときはザイテングラートで滑落し怪我をした人を搬送したらしい。
ヘリが飛去った頃からみぞれまじりの雨が強くなり、
一刻も早く下山することに。
テント撤収はたいへんイヤーな作業に。
涸沢ヒュッテ売店前の軒先を借りて下山の最終準備。
歩き始めた頃には雨脚はさらに強くなり、横尾までずっと暴風雨。
出だしでまたもや秘密兵器を活用したので、3パーティーほど追い抜いて横尾に到着。
あとで知るが、このころ奥穂高岳から下山中のパーティーが
まちがい尾根に入り込んで滑落遭難していた。
横尾から徳沢までも暴風雨。
合計3時間半の嵐の行軍。
ハードシェルとレイヤリングが機能して肌は濡れなかったが、
これが稜線なら、一つ間違えば低体温症になっていてもおかしくない。
生きて還れてよかった。
既に起こってしまった遭難について、
当事者でないものが後からとやかく言うことは出来ないと思う。
しかし、なぜ起きてしまったのか、どうすれば防げたのか、
自分の身に引きつけて考えることは有意義だろう。
地上天気図だけではなく高層天気図で大気の状態を立体的に把握すること。
悪天候時には稜線部で行動する時間をなるべく短くすること。
いうまでもなく、十分な装備を携行すること。
そしてリーダーや経験者は、見栄を張らずに、撤退する勇気を持つこと。
心に念じたい。
5月4日の天気図の変化を見ると、
2つの低気圧は前線でつながっておらず、
明け方から午前中は中部山岳地帯で擬似好天が見られた事がうかがえる。
2つの低気圧が遠ざかるに従って
正午頃から急速に等圧線が混み始めている。
追記:
下山後、涸沢周辺の遭難について調べた。
間違い尾根での遭難パーティーはジャンダルムから縦走して来た模様。
リーダーは北アルプスの冬山経験者で残りの二人は初体験だったとも伝えられている。
アンザレンしてコンテで進んでいたなら、
下りで未経験者であった先頭がルートを誤ったのかもしれない。
遺体収容に向かった山荘のスタッフによれば、
滑落後、ビバーク態勢を取った形跡があったとも。
「よくがんばった」と言ってあげたい。
連休明けの7日にも奥穂高山頂付近で2パーティーが行動不能になった模様。
数日来の悪天はまだ続いていて山は荒れていた。
山荘スタッフの決死の献身的な救助行動に頭が下がる。
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