富士山吉田口ルート往復(8合目引き返し)
- GPS
- 28:10
- 距離
- 7.3km
- 登り
- 1,178m
- 下り
- 1,178m
コースタイム
太子舘〜一時間登って引き返し
天候 | 一日目 晴れ時々曇り 二日目 雨時々曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2012年06月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
7月1日が開山日。今年は土日が重なり人多し。 |
予約できる山小屋 |
里見平★星観荘
|
感想
富士山はヒマラヤ前の高所慣れのために来て以来14年ぶり。7月1日が開山の日なので撮影で登った
。富士山は特殊な山で、夜中もたくさん人が歩いていて、小屋も24時間開いていて、登山者のほとんどが初心者。大みそかの二年参りかディズニーランドみたいな所だ。
二日目は山頂部(お鉢)まで2〜3時間ほど、ご来光は4時20分とのことなので、宿を1時に出る。30分ほど行くと風雨が強まったのでやめて帰る。
それでも下から次々登ってくる。20人くらいの団体にガイド一人という組が多い。小さな子供もいる。外人もすごく多い。カッコウは様々。半ズボンの外人や、バイクのヘルメットの男、肥っていて明らかに無理そうな人も・・・。
標高は日本一だし風雨が強ければ体温も下がるだろうに、自分で判断できそうな人は多くない。体型見ても山登りなんか絶対したことない人も喘ぎながら登っている。知らない人に暴言を吐く、言葉を知らない若い奴まで登りに来ている。つくずく富士山の引力はすごいものだと思う。
結果、3100mのあたりだけがご来光を拝むことができて、ラッキーなことだった。僕はご来光どうでもいいけど、みんなが喜ぶ顔がいい。
お宿に泊まったのは初めてで、ご主人9代目井上さんにいろいろお話を聞いた。
江戸時代以前から数十件の小屋があり、今は17,8軒。どこも24時間寝ずの番がいる。標高3100mの小屋では高所障害でゲロを吐く人の確率は1000人中30人。頭痛くらいならもっと多いかもしれない。上の小屋ではもう少し増える。
標高3100mから八合目というが、実は3400mあたりの本八号まで幅が標高差300mある。地形図では3100mは七合三勺となっている。
お布団ではなく、マムートの寝袋だった。
樹林帯を出た七合目あたりでは、一番早く咲く花、フジハタザオやミヤマハタザオ、それにイワカガミが咲いていた。日の出館ご主人中村さんに教えていただいた。
どの小屋も歴史も風格もあるのだが、本当に古い時代のことは、麓の寺社が災害にあったりして過去帳が流され、不明な点も多いらしい。今年は世界文化遺産登録に向けてはりきっているとのこと、僕はもっと富士山の歴史を知りたいです。
14年ぶりに登ったら、ゴミが全然なくて、美しかった。以前は全くひどいものだった。どこかの海岸みたいにゴミだらけだった。日本は良い国になっていると思う。
甲府に引っ越したのでこれからは日々吉田ルートを眺めて過ごす。吉田大沢右岸尾根の少し曲がったあたりの上あたりと覚えた。
Yoneyamaさん、こんばんは。
今度は甲府に移られたのですね。甲府周辺の山は全国区の開けた山が多いと思いますが、Yoneyamaさんが甲府をベースにしてどんな登り方をされるのか楽しみです。
富士山というと、今では浅間神社だけで全く仏教臭がしない感じですが、やはり明治の廃仏毀釈までは神仏習合の山だったのでしょうね。あまり考えてみたことがなかったのですが。
一般コースを離れて、昔のお中道の跡を歩くとかすれば富士山ももっといろいろな楽しみ方がありそうですね。
きょう小御岳神社の宮司さんに聞いたのですが、富士山には神道だけで五つの神社があって、日蓮宗の御堂が五合目近くにあり、富士講の話を聞きました。以前は多かったのですが最近は数を減らしているそうです。80団体くらい。町内会組織のようなものらしいのでその衰退が大きいようです。もとは神道ではないけれど、明治のころ神道の一派に吸収されたそうです。
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