記録ID: 2245994
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ハイキング
関東
鎌倉街道上道の旅 (2) 多摩丘陵越え 下瀬谷〜七国山〜府中
2020年03月06日(金) [日帰り]
![情報量の目安: S](https://yamareco.info/themes/bootstrap3/img/detail_level_S2.png)
体力度
3
日帰りが可能
- GPS
- 10:28
- 距離
- 35.0km
- 登り
- 241m
- 下り
- 239m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 7:20
- 休憩
- 3:11
- 合計
- 10:31
5:37
5:39
11分
中原街道・宗川寺(鎌倉街道ここから)
5:50
5:51
9分
左馬神社
6:00
6:02
7分
相鉄線ガード
6:09
6:11
15分
日枝神社
6:26
6:27
16分
瀬谷銀行跡
6:43
6:46
8分
上瀬谷の八幡宮
6:54
6:55
11分
マークスプリングス
7:06
7:07
13分
円成寺西の国道246号線歩道橋
7:55
8:00
15分
南町田駅西の陸橋
8:27
8:38
11分
富士塚(大和市最高地点)
9:16
9:22
21分
泉龍寺
9:43
9:48
9分
町田天満宮
9:57
10:27
4分
原町田中央通交差点(上道と秩父道の追分)
10:31
10:47
8分
小田急線踏切
10:55
10:56
15分
町田高校
11:11
11:13
4分
養運寺
11:17
11:20
14分
宏善寺
11:34
11:36
4分
千代ヶ丘入口交差点
11:40
11:44
11分
山崎団地東の高台
12:14
12:18
7分
芝溝街道・野津田公園入口
12:25
12:26
24分
野津田公園・鎌倉古道の草原
13:49
13:50
24分
恵泉女学園大前交差点
14:14
14:17
10分
貝取遊歩道の休憩点
14:27
14:27
11分
乞田川の大橋
14:38
14:38
7分
多摩市役所
14:45
14:55
0分
熊野神社・大木戸跡
14:52
14:53
10分
関戸古戦場跡
15:03
15:07
3分
関戸橋南詰
15:28
15:30
8分
分倍河原古戦場跡
15:38
15:38
6分
南武線踏切
15:44
15:45
2分
美好町二丁目交差点(鎌倉街道ここまで)
15:47
15:48
3分
京王線踏切
15:51
分倍河原駅
桜ヶ丘駅から宗川寺までのアプローチ、南町田駅グランベリーパーク駅への寄り道、大和市最高地点への寄り道、泉龍寺への寄り道、鎌倉街道を外れて分倍河原駅までの歩き、以上を足すと6km弱となりますので、鎌倉街道上道を歩いたのは約29km程度です。
歩行中の平均速度は4.76km/h。未舗装の山道もあり、まあこんなものでしょう。
歩行中の平均速度は4.76km/h。未舗装の山道もあり、まあこんなものでしょう。
天候 | 快晴 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2020年03月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
GOAL……JR南武線&京王本線・分倍河原駅まで。 途中、東急田園都市線の南町田グランベリーパーク駅、JR横浜線&小田急線の町田駅、京王相模原線&小田急多摩線の永山駅、京王本線の聖蹟桜ヶ丘駅および中河原駅、以上の駅前または至近を通ります。 また、途中の随所で路線バスを利用できますが、本数はまちまちです。頻繁に来るところもあれば、小野路のように約1時間に1本のところもあります。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
*危険なところはありません。但し、ところどころ道幅が狭かったり、路側帯が細かったりで、車が非常に危険です。とくに相鉄線を挟んだ瀬谷界隈、町田駅界隈、小野路の手前ではヒヤヒヤさせられます。 *ほとんど舗装されていますが、七国山界隈・野津田公園内・小野路の北・貝取山緑道では、未舗装の古道ハイキングコースを歩くことになりますので、足元はしっかりとしたものを。 *道標は、瀬谷町(中屋敷)界隈、本町田界隈、七国山〜野津田公園〜小野路界隈(町田フットパスの核心部)、貝取山緑道界隈を除けば、ほぼありません。また、ところどころ再開発などで古道が消失しているところがあり、推定・迂回で歩いているところもあります。 *境川にほど近い金森5丁目界隈では、細道が分かりづらく方向感覚が狂い、私が歩いたところも多分正確ではないと思いますが (^^;)、最終的に杉山神社が現れれば問題ありません。 |
その他周辺情報 | ★小野路里山交流館……町田高校を過ぎてから、多摩ニュータウンの豊ヶ岡界隈に出て来るまで、かなりの距離にわたってコンビニも食事処も現れない中、オアシスのような施設です。鶴川と多摩ニュータウンを結ぶ主要道上にあるため、車で乗り付けた客で意外と賑わっています。言ってみれば田舎道・里山の「道の駅」といった施設でしょうか。 昼時でしたら「小野路うどん」を賞味できるほか (13:30まで)、各種の飲み物・アイス・グッズを購入し休憩できます。営業時間・定休日については公式HPをご覧下さい。 |
写真
04. 相鉄の狭いガードをくぐります。
相鉄の電車は現在続々と、YNB (Yokohama Navy Blue) 塗装になってイメチェン中。(阪急マルーン色を意識したブランド戦略)
相鉄の電車は現在続々と、YNB (Yokohama Navy Blue) 塗装になってイメチェン中。(阪急マルーン色を意識したブランド戦略)
10. 東名高速をくぐる手前にある、上瀬谷の八幡神社。
下瀬谷から続いて来た田舎の住宅街な雰囲気はここで忽然と終わり、しばらくは東名横浜町田インターを取り巻く工場・マンション多めなエリアとなります。
下瀬谷から続いて来た田舎の住宅街な雰囲気はここで忽然と終わり、しばらくは東名横浜町田インターを取り巻く工場・マンション多めなエリアとなります。
11. 瀬谷区の北西の外れにある「マークスプリングス」の南〜東を進みます。
外周に背の高いマンションをめぐらせ、その内側には別世界のお洒落な街並みをつくった謎の都市で、ドラマや映画の撮影にも使われるとのことです。
外周に背の高いマンションをめぐらせ、その内側には別世界のお洒落な街並みをつくった謎の都市で、ドラマや映画の撮影にも使われるとのことです。
13. 鎌倉街道上道は、町田市の鶴間公園(鶴間という地名は町田市と大和市にまたがりややこしい w)の中を通っていたようですが、公園再開発で踏み跡不明瞭ですので、公園とグランベリーパークの間の道を進みました (来し方を振り返る)。
昨年秋のグランベリーパーク再開発&オープンと同時に出来た「スヌーピーミュージアム」の脇を通ります。
昨年秋のグランベリーパーク再開発&オープンと同時に出来た「スヌーピーミュージアム」の脇を通ります。
14. 鶴間公園にはトイレがないため (-_-;)、トイレ休憩を兼ねて、田園都市線の南町田駅グランベリーパーク駅に寄り道します。
グランベリーパークの開業に合わせ、たまプラと並ぶ田園都市線のイメージ戦略を象徴する駅に大改造され、駅名もやたらと長くなりました (汗)。
グランベリーパークの開業に合わせ、たまプラと並ぶ田園都市線のイメージ戦略を象徴する駅に大改造され、駅名もやたらと長くなりました (汗)。
16. 南町田駅を出発し、画像15の陸橋に来ました。
大山〜蛭ヶ岳、そしてちょこっと富士の雄大な眺めをバックに、東急8500系が最後の力走中です (来年か再来年には2020系に置き換えられ全廃 T_T)。
大山〜蛭ヶ岳、そしてちょこっと富士の雄大な眺めをバックに、東急8500系が最後の力走中です (来年か再来年には2020系に置き換えられ全廃 T_T)。
23. 再び鶴間橋界隈に戻り、鎌倉街道上道の旅再開。
金森五丁目付近では細道を歩き、どこで曲がったら良いか、ドシロートにはなかなか分かりません。しかもこういう時に限って、ヤマレコMapを登山開始にするとき、事前にダウンロードした地図画面でスタートにするのではなく、まっさら状態でスタートさせたため、ナビ機能が使えず地図のみに頼り……半分迷子に w
金森五丁目付近では細道を歩き、どこで曲がったら良いか、ドシロートにはなかなか分かりません。しかもこういう時に限って、ヤマレコMapを登山開始にするとき、事前にダウンロードした地図画面でスタートにするのではなく、まっさら状態でスタートさせたため、ナビ機能が使えず地図のみに頼り……半分迷子に w
33. さて、鎌倉街道上道歩きは、ここで一つの節目を迎えます。
JR町田駅すぐそばの、原町田中央通り交差点は、往時の追分となっており、左は秩父へ向かう山ノ道、右は高崎・信州・越後へ向かう上道となります。
町田は、古の時代においてはこれから向かう「本町田」界隈が中心地で、ここは「原町田」と呼ばれる田舎でしたが、明治以後八王子と横浜を結ぶ「絹の道」の繁栄によって原町田も交通の要衝として飛躍的に発展し、横浜線や小田急線の開通がさらに追い風となって、今や原町田が完全に町田の中心となりました。
ちなみに横浜線の町田駅は、1980年まで原町田駅を名乗っており、もっと天満宮に近い位置にあり、駅舎も田舎風でした。小田急も、1976年までは新原町田駅を名乗っていました。
1980年前後からは、バブルの追い風もあり、町田駅周辺はデパートも集積する一大商業地・歓楽街となりましたが、鎌倉街道界隈には昔ながらの乾物屋や道具屋の類も残っています。
JR町田駅すぐそばの、原町田中央通り交差点は、往時の追分となっており、左は秩父へ向かう山ノ道、右は高崎・信州・越後へ向かう上道となります。
町田は、古の時代においてはこれから向かう「本町田」界隈が中心地で、ここは「原町田」と呼ばれる田舎でしたが、明治以後八王子と横浜を結ぶ「絹の道」の繁栄によって原町田も交通の要衝として飛躍的に発展し、横浜線や小田急線の開通がさらに追い風となって、今や原町田が完全に町田の中心となりました。
ちなみに横浜線の町田駅は、1980年まで原町田駅を名乗っており、もっと天満宮に近い位置にあり、駅舎も田舎風でした。小田急も、1976年までは新原町田駅を名乗っていました。
1980年前後からは、バブルの追い風もあり、町田駅周辺はデパートも集積する一大商業地・歓楽街となりましたが、鎌倉街道界隈には昔ながらの乾物屋や道具屋の類も残っています。
42. 山崎団地を見下ろす道から、北岳と滝子山 (?) を遠望!
今は団地の建物や電線でかなりスポイルされていますが、この尾根道からの眺めは本当に素晴らしく、「確かに七国山だ……」と納得。
(以前、多摩丘陵赤線延ばしで七国山を歩いたときには、薬師池公園→七国山→ぼたん園というコースで進みましたので、この尾根の眺めを知らないまま「何が七国山だ。景色は森で遮られ、誇大広告じゃないか」と思ってしまいました ^^;)
今は団地の建物や電線でかなりスポイルされていますが、この尾根道からの眺めは本当に素晴らしく、「確かに七国山だ……」と納得。
(以前、多摩丘陵赤線延ばしで七国山を歩いたときには、薬師池公園→七国山→ぼたん園というコースで進みましたので、この尾根の眺めを知らないまま「何が七国山だ。景色は森で遮られ、誇大広告じゃないか」と思ってしまいました ^^;)
48. 坂を下りきると鶴見川。肺炎問題による臨時休校でヒマを持て余した子供たちの歓声が響いていました。
鶴見川は上流から下流まで割と雰囲気が良いため、川下りの旅を考えなくもないのですが、途中から処理水がニオうのが難点。
鶴見川は上流から下流まで割と雰囲気が良いため、川下りの旅を考えなくもないのですが、途中から処理水がニオうのが難点。
68. 多摩市役所に到着し、本日の街道歩きはここでおしまい!小田急永山駅に向かい帰宅しよう……と思ったのですが、時間はまだ2時半過ぎ。永山駅まで歩く距離に+αを加えれば聖蹟桜ヶ丘駅に着きますし、さらに関戸橋を渡って分倍河原駅に向かうのもそう遠くはない……。というわけで直進! w
74. 分倍河原合戦場跡の碑。
鎌倉幕府に不満な新田義貞は急速に各地の武士団を糾合し、小手指ヶ原と久米川で幕府軍を撃破。さらにここで全面衝突し、一度は援軍を増した幕府軍にしてやられるも形勢をを立て直し、ついに幕府軍を撃破して決定的勝利。命運尽きた鎌倉は、稲村ヶ崎から新田軍に攻め込まれて滅亡……。
鎌倉幕府に不満な新田義貞は急速に各地の武士団を糾合し、小手指ヶ原と久米川で幕府軍を撃破。さらにここで全面衝突し、一度は援軍を増した幕府軍にしてやられるも形勢をを立て直し、ついに幕府軍を撃破して決定的勝利。命運尽きた鎌倉は、稲村ヶ崎から新田軍に攻め込まれて滅亡……。
感想
肺炎問題が巷にはびこる昨今。私も東南アジアへの旅行をキャンセルせざるを得なかったのですが、そこでぽっかり浮いた時間を悶々と家の中で過ごすのも、精神衛生上よろしくありません。濃厚接触にならない範囲で外出し、気晴らしをしながら体力を涵養するのが一番です。
そこで、1週間前にはじめの一歩を標したばかりの鎌倉街道上道歩きの続きとして、自宅からすぐの下瀬谷界隈から、府中の分倍河原まで歩いてみました。
住宅街続きで面白みは薄いと思いきや、七国山〜野津田公園〜小野路の「町田フットパス」的世界観の区間では、里山ハイクの魅力満載ですし、変化に富んだ街道歩きの楽しさに満ちています。
さらに、抜けるような青空の下、山岳展望もそれなりに得られ、多摩丘陵のアップダウンも無事踏破出来ましたので、目出度し目出度しです♪
次回は分倍河原から狭山市まで、基本は武蔵野の住宅街・大通り歩きですが、武蔵国分寺や久米川合戦場・八国山といったスポットもあり、また撮り鉄休憩も予定しており、結構楽しみです。
以上、里山も含む街道歩きのレコで恐れ入りますが、ご覧頂き誠にありがとうございました m(_ _)m
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コメント
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bobandouさんこんばんは
つきみの・上鶴間・町田は知っている風景が多く、楽しく拝見させていただきました。大和市の最高地点の富士塚は半分削られてちょっと残念ですよね
そうそう七国山から北岳が眺められるのは驚きです。山崎団地はよく行きますので、西の方角を眺めてみますね。
レコありがとうございました。(*- -)(*_ _)ペコリ
おはようございます、コメントどうもありがとうございます!
ほとんどの方にとっては「?」な内容が多い、都市部の街道歩きレコではありますが、沿道に縁がある方がたまに反応して下さるのがありがたいです
富士塚は、道路の法面にされてしまって痛々しいのも確かですが、ちゃんと木も茂っていて、昔ながらに大事にされていることが分かりましたので良かったです
それにしても、富士山があちこちの高台から見えるのは当然として、何と、北岳も笹子峠あたりの低い場所越しに見える……というのは、最近の横浜高地歩きや今回の鎌倉街道歩きでの新鮮な発見です
東京・神奈川の丘陵から北岳が見える場所マップとか……需要は低そうですね w
山崎団地東の尾根は、団地さえなければ!と歯ぎしりするほど、昔は眺めが良かったのだろうな〜と思う場所ですので、何かのついでに是非どうぞ!
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