西穂独標 厳冬期(過去レコです)。


- GPS
- 32:00
- 距離
- 5.9km
- 登り
- 642m
- 下り
- 642m
過去天気図(気象庁) | 2011年02月の天気図 |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
バス
ケーブルカー(ロープウェイ/リフト)
|
コース状況/ 危険箇所等 |
厳冬期北アルプス、それなりの装備で。 |
写真
感想
今は無きアミューズトラベルで、「西穂高岳・独標登頂とロープワーク講習」と云う企画があり、これに参加するため電話をすると、冬山登山の経験が必要ということであった。後日、最近登った「雪山山行歴」を列記する用紙と「雪山ツアー参加同意書」が送られてきた。蓼科山、木曾駒ケ岳、立山、天狗岳などの山行歴を記入し提出した。その結果見事「参加資格あり」と認定された。送られてきた携行品リストには、前歯付きの10本爪以上のアイゼン、ヘルメット、ハーネス、120cmテープシュリング、安全環付きカラビナが必要と記されていた。早速これらを購入し、前歯付きの12本歯のアイゼンは前回の高峰山で試行した。入るかどうか心配していたヘルメットはフリーサイズで、入る事は入ったが只でさえ大きい頭がさらに大きくなった。どんなヘルメットもわたしには似合わない事は判っているが、登山用のヘルメット程格好悪いものは無い。他にも装備万端整え、2011年2月26日、朝6時10分に予約しておいたタクシーに乗り込んだ。集合場所の名駅、銀の鈴の前に行くと、顔見知りのアミューズのスタッフと登山客がたむろしている。いつもの如く東鉄タクシーのマイクロバスに、独標組8人、丸山組6人にスタッフ4人が乗り込み7時半に出発。丸山組は新穂高で大阪からの14人と合流して行動することになると云う。各務原ICと関ICの間で事故があり、東海自動車道は通行止めとの事で、バスは下道を走り関ICに向かうが下道は大渋滞。ようやく高速道路に乗っても白鳥〜高鷲ICまではスキー客で渋滞し、ウンザリ。独標組には3人のスタッフが付くとの事。リーダーは松山さん、真ん中は今年広島支店から名古屋に来た阿部さん、いずれも日本山岳ガイド協会認定ガイドである。最後尾には何度か連れて行って貰った事のあるガイドの松本さん。8人のツアーに3人のガイドがついて心強い。もう一人のスタッフ、宇津木君は昨年塩見に一緒に行った事がある新人で、当時は大阪の所属であったが今年から名古屋に来たと云う。彼は大阪組と合流し丸山に行くとの事。車中で松山さんがロープの結び方の講習を始める。ダブルエイトノット、ダブルフィッシャマンズノット、フリクションノットと教えて呉れるが、すぐには結ぶことが出来ず、手取り足取りで何とか出来るようになる。でもこれを手袋をはめた状態で出来るかどうかは別である。新穂高のロープウェイ駐車場で登山仕度を整え、大阪組を待つ丸山組を残し、第1、第2とロープウェイを乗り継いで西穂高口駅へ。駅舎の外に出ると、快晴の下、正面に笠ヶ岳と抜戸岳、右手には槍・穂高連峰が眩しく輝いている。振り向けば、今晩宿泊する西穂山荘も見える。アイゼンとハーネスを付け、ダブルストックでいざ出発。雪壁の回路の仙石園地を過ぎると、そこはもう観光客御免の登山道となる。わたしは最後尾の松本さんの前。たっぷりと積もった雪道を、アップダウンを繰り返して進む。登りが厳くなり始めた所で一服し、松山さんが処女雪の急斜面に9mmのロープを垂らす。6mmのロープをダブルフィッシャマンズノットで輪にし、一人づつフリクションノットで登り、そして下る練習をする。中間支点のカラビナを通過する方法、フルクションノットを滑らす方法等、おおよその感覚を掴む。この間に後から来た丸山組が追い越して行く。練習を終えて、さらに20分程急坂を登ると西穂山荘の屋根が見え、16時40分過ぎに山荘に到着。テン場には色とりどりのテントが並び、その向こうに霞沢岳がど〜んと構えている。山荘は泊まり客で結構賑わっている。2階の一室に8人が入れられるが、布団は一人づつあり余裕のスペースを確保。窓側の隅に布団を敷き、まずは売店で缶ビールを買い、部屋で話しをする。京都や広島から参加した人もいる。夕飯前に外に出て遠く白山連峰に沈む夕日を眺める。6時からの夕食時、280mlのペットボトルに入れ持参した屋久島の焼酎「三岳」をお湯割りで空ける。食後は大阪組も加わって、松山さんのロープワーク講習が始まる。就寝前に歯磨き。山荘内には洗面所が無いので、外に出ると満天の星。
酔いも手伝ってぐっすり眠っていると、突然グラグラッ。地震だ! 時計を見るとまだ深夜の2時過ぎ、外では風が吹きまくっている。それからはウツラウツラ、強風が窓を揺らし、どこから入って来るのか時々水滴が頬を叩く。こんなに風が強ければ独標登山は中止になるだろうな。5時過ぎに起床。6時から朝食。外は相変わらず風が強そうだが、中止の声は聞かれず。後に知った事だが、深夜の地震は飛騨地方を震源とする震度4、マグニチュード4,9で、朝の5時38分にはそれを上回るマグニチュード5,4の地震があったそうだが、その頃何をしていたのか、これには全く気付いていない。6時50分からアミューズ体操。その間に松山さんが全員の装備をチェック。ハーネスが捻っていると履き直させられ、わたしは準備運動は無し。7時過ぎ、独標組だけ出発。夏は岩が重なる登りにくい道だが、今はすっぽりと雪におおわれ、ステップが切られたトレースを登る。少し登っただけで物凄い風、この分だと丸山までで終わりだなと思いながら付いて行く。丸山の一角に登ると風は一層激しさを増し、思わずピッケルを雪面に差し込んで両手でしがみつき、耐風姿勢をとる。森林限界は過ぎ、遮るものの無い白一色のノッペラン坊な世界、雪つぶてが頬を叩き痛い。フードを冠ろうとするも、三重がさねの手袋で、ヘルメットを乗っけたデカイ頭を覆うことは出来ず断念。ネックゲイタ―を引き上げるに留める。丸山の標識を過ぎても先頭の松山さんはブリザードの中を黙々と先に進む。本当に大丈夫かなと思いつつも松山さんを信じ、観念して隊列に従う。アイゼンは雪面をしっかり掴むが、片足を上げると強風に煽られ右に左に、フラフラしながら進む。広い稜線を見上げれば登っている人の姿も見え、こんなバカな事をしているのは我々だけでは無い事にちょっと安心する。急な登りとなったところでひと休みするが、吹きっさらしの中、左の谷から猛烈な風が舞い上がって来る。稜線の左側は雪が吹き飛ばされて岩がゴロゴロと露出している。手足の指先が冷たい。傍らを3人組のパーティーが過ぎて行く。真ん中の女性をガイドがタイトピレイで後ろ向きになって登って行く。こんな事は余程の技術を持った者でないと危険であるが、熟練のガイドと思われる。右下に上高地、右手前に前穂、背後には笠ヶ岳が見えるが、景色を楽しむ余裕は無い。長くは休んでおられず再び登りにかかる。広い稜線をジグザグに登って行くと、稜線の頭から西穂に続く白き峰々、そして独標も姿を見せ始める。雪のつかない独標は黒々とそそり立ち、てっぺんに人の姿も見える。稜線を左側に廻り込んでトラバース。慎重に岩場を下り、独標との鞍部に降り立つ。さあここからが本日のメインイヴェント、独標の岩登りである。アイゼンをしっかりと氷に踏み込み、岩を掴んで登る。露出している鎖を頼りに登るがそれも束の間、鎖は無くなり氷と岩の登りとなる。ピッケルを振りかざしてピックを氷に打ち込み、ピッケルがしっかり固定されていることを確かめて、それを掴んでギュッと上がる。そしてアイゼンをガシッと踏み込む。「これぞ雪山だ〜!」と思うと、もう頂上。西穂山荘からたった1時間半であったが、達成感は充分。行く手にはピラミッドピーク、西穂、間ノ岳、そして奥穂を経て吊尾根から前穂と、穂高の白き岩稜がゴツゴツと連なり、見る者の心を洗い流して呉れる。神々しき冬の穂高連峰、ここから先はわたし達の世界では無い。ゆっくりと頂上からの眺望を楽しみ下りにかかる。下りは危ないからと、松山さんがロープを垂らし、ヒョウイヒョイと岩場を下り、中間点を2個作る。そして順番に昨日練習したフリクションノットをメインロープに絡めて順番に下る。ロープはイザという時のもの、ピッケルを使って下るように云われるが、そんなにうまく行くものでは無い。どうしても目の前にあるロープに頼ってしまう。何とか無事、全員が鞍部に降り立つ。ロープをほどいて稜線に登り、帰りは稜線上を下る。相変わらずの強風、風に煽られフラフラと、アイゼンがズボンの裾にひっかかりフラフラと。雲行きが怪しくなり始めて来たがもう大丈夫、途中一度休憩を入れて西穂山荘に帰り着いた。ひと休みし、まだ11時前だが行動食として持ってきたパンを頬張る。ここからはもうヘルメットもハーネスもピッケルも不要。風も無い森の中、たっぷり積もった雪道をダブルストックで快適に下る。西穂高口駅からは観光客に混じってロープウェイで下り、待ち受けていたバスに乗り込み平湯へ。バス停の温泉で汗を流し、缶ビールが腹に浸み込む。翌日の新聞によると、「丹生川町の国道158号線で、路面に幅約5cmの裂け目が約30mにわたって発生し、片側通行になった」との事であるが、そんな事も知らずにバスの中で眠り、気がついた時は高鷲ICでスキーの渋滞に巻き込まれていた。
雪山、次なるステップアップは何処にしようかな。
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