鍋倉山・藤倉山(過去レコです)。
- GPS
- --:--
- 距離
- 7.2km
- 登り
- 662m
- 下り
- 674m
天候 | 曇りのち雨。 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2011年11月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
危険個所はありません。 |
写真
感想
4年前の「山と渓谷」9月号の、「ふるさとの低山」に福井県の藤倉山が載っていた。3時間50分の周回コースで手軽に登れそうなので、今度登る山はここに決めた。2011年11月5日、朝6時過ぎに出発。天気予報は曇りのち雨。北陸自動車道を今庄Iで降り、取り合えず北陸本線今庄駅まで行く。駅の駐車場で、「山と渓谷」から切り取った紙を取り出し、そこに載っている地図を眺める。たった1ページの紙切れ、下半分は写真、上段は右に文章、左に地図とコースタイムやアドバイスやふるさと情報が並んでいる。その小さな地図を眺め、登山口はおそらくこっちだろうと、今庄の古い街中に入る。しばらく進むと北陸本線の踏み切りに至る。踏み切りの手前の路肩に停車し、さて登山口は何処かなと先程の小さな地図を見ると、線路と交わる辺りに「登山口」と記されている。細い道路にカメラを持った人がいて、歩いてそこまで行くと奥に広っぱがある。道の真ん中に置かれた三脚を除けて貰い、車を乗り入れ駐車する。と、そこにブルートレインがやってきて、カメラマンは急いで三脚を立て直し、カチャカチャカチャ。あっと云う間に列車は通り抜け、カメラマンも立ち去った。このブルトレ「日本海」、客の影はまばらで、すでに廃止された「さくら」「あさかぜ」「はやぶさ」「北陸」等と、いずれ同じ運命を辿るのであろう。わたしの車が一台とまっているだけの広場で登山仕度を整える。「霊地八十八ヶ所参道 観道山弘法寺」の参道入り口には、「南無大師遍照金剛」と書かれた何十本もの幟が立ち、傍らに小さく「藤倉山ハイキングコース入り口」と書かれた柱が立っている。8時、石段を登り始めると、石室に鎮座する石仏が現れる。赤いよだれかけをしているのでお地蔵さんかなと寄って見ると、「第1番 釈迦如来」と書かれている。この釈迦如来さんから始まり、次から次へと現れる石仏を横目に見ながら登る。ゆっくりゆっくり、息を整えながら登っているのだが、直に汗が出始め、長袖シャツを脱ぐ。まずはお寺までだから10分程で着くだろうと気楽に登っている。15分程登ると、「第二十二番 薬師如来」の石仏があり、傍には「第二休み場 これより本堂まで700m」の立て札が。ん? えらい遠い所にお寺があるんだ。黙々と登り続ける。「第三休み場」からさらに十五分程登ると、赤い橋が現れる。「ごくらくばし」、とある。ゴクラクゴクラクと橋を渡り、階段を上がると鐘楼と最後の石仏、「第三十一番 薬師如来」。そして本堂、社務所等が立ち並んでいる。社務所は閉じられ、人のいる気配は無い。登り口には派手な幟が一杯立っていたが、四十分かかって登り着いたお寺には誰もいない。「変なお寺」、と本堂の横を通って先に進む。黄色く色づいている雑木林の中、山道は下って行く。正面に見える山が次なる目的地、鍋倉山だろう。落ち葉でふんわりした道は足裏に気持ちが良いが、手の届きそうな位置にある高圧線は興醒め。鞍部に降りつき、急坂を鍋倉山に登り返す。お寺から三十分程で鍋倉山頂上516mに到着。雑木林に囲まれ、なんにも見えない。鍋倉西谷への道を分け、鍋倉山からは檜の植林帯を下る。若い檜の幹は青いテープでグルグル巻きにされている。最近よく見るこの青テープ、こんなのでシカの被害が防止されるんだったら良いんだが。植林帯は雑木林に変わり、十五分程下って鞍部に降り立つ。「鳥山跡」とあり、藤倉権現への道を分ける。茶褐色の林の上部は、黄色に染まった木々がモコモコと、藤倉山の肌を日本画の世界に引き込んでいる。急坂を十五分程登ると勾配は緩やかになり、雑木林は明るいブナの林に変わる。道は直角に左へ曲がり、「藤倉山 0.5km」とある。落ち葉の敷き詰められたほとんど水平な道、雲の間から柔らかい陽が射し込む広い尾根道、ブナの黄葉から発散するカロテノイドを浴び、スキップしたくなるようないい気分。十時八分、藤倉山山頂643.5mに到着。誰もいない頂上の小さな広場、三角点に腰をおろし、昼飯にはまだ早いのでコーヒタイムとする。「厳選10種類 つまみ種」をつまみながら、穏やかな秋の日差しの下でひとりのんびりと飲むコーヒー。ススキの穂がたなびく向こうには山々がうねり、さらに向こうの白山は雲の中。充分リフレッシュして下りにかかる。しばらくはコンクリート製疑似丸太の面白味の無い階段だが、その先は落ち葉の敷き詰められたブナ林の水平な道。こんな気持ちの良い道なのに、ひとっこ一人会わないのはどういう訳だ。わたし一人で独占するのは勿体無い。いつまでも水平な道が続く訳は無く、急な下りとなってブナ林は雑木林に変わる。高圧線の鉄塔を過ぎ、さらに急坂を下る。再び鉄塔が現れ、周りが切り開かれた土台に立つと、眼下に今庄の街が飛び込んでくる。どんどん下って行くと檜の暗い植林帯、それを抜けると黄葉の明るい雑木林、そして、「故郷の歴史懐かし愛宕山」に到着。傍らには、銅板に刻まれた「あヽ ふるさとの空 ふるさとの山 ふるさとの友」。すぐ先の小さな広場には、「燧ヶ城跡、」の石碑。こんな狭い場所にお城? 燧ケ城のあった愛宕山の城について『源平盛衰記』は、「海上遠く打廻り越路遥かに見え渡る。磐石高く聳え挙がって四方の峰を連ねたれば、北陸第一の城郭なり」、と記しているとの事だが、こんな狭い場所に北陸第一の城郭が建っていたとはとても考えられない。物語というのはこのように針小棒大に書くものである、ということを勉強。城跡から今庄の街を見下ろしながらどんどん下り、降り立った所は新羅(しんら)神社の境内であった。全国各地に新羅神社があるが、いずれも新羅(しらぎ)から渡来した人が祀ったもののようである。何でも良いので、取り合えず二礼二拍一礼。新羅神社から出て、北国街道今庄宿の古い街並みの中、本陣、副本陣、造り酒屋など、キョロキョロ眺めながら歩く。街の人が見知らぬわたしに、「こんにちは」、と声を掛けて呉れ、見知らぬ相手に、「こんにちは」、と答える。本日始めての発声であった。駐車場までの街中歩きであるが、どこか温かい匂いのする街道筋、味気のない林道歩きより余程趣きがある。11時45分、駐車場に帰り着くと、他に2台の車が止っていた。3時間15分、コースタイムより35分早い到着であった。それにしてもこんな良い山で、誰にも会う事が無かったのは不思議。車の中で味噌汁を作り、オムスビを頬張っていると、フロントガラスにポツリポツリと雨が。そう云や誰かが云ってたな、「北陸では弁当忘れても傘忘れるな」、って。途中寄った「今庄365温泉やすらぎ」、広い浴室にわたし一人。アルカリ性単純硫黄泉で汗を流し、露天風呂でゆっくりと時を過ごす。ビールはぐっと我慢し、雨の中、北陸道を全ての車に追い越され、制限時速通りに走るのは、心の余裕。
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