鍋倉山(過去レコです)。
- GPS
- --:--
- 距離
- 9.6km
- 登り
- 756m
- 下り
- 749m
天候 | 晴れ。 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2004年03月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
とくに危険個所はありません。 |
写真
感想
平成16年3月28日、珍しくこの3日間晴天が続いている。暖冬とはいえ、飛騨や長野の山は未だ積雪が多く登れないだろうと、西濃地方の山から鍋倉山を選んだ。揖斐川右岸を北上し、揖斐川町から揖斐川の支流である粕川に沿って春日村に向かう。左手に「春日もりもり村」へ向かう橋が現れ、その手前に右手に入る細い道がある。車一台がやっと通れる程の道で、東海自然歩道の小さな立て札があるがその向きが定かでなく、果たしてこの道が鍋倉山への道なのか不安である。粕川の支流である高橋川の右岸に沿う道は、舗装はしてあるものの左から崖が迫り、右は谷底である。徐行運転で恐々進むと、急に道が広がり、舗装もされ、この山奥に何の為に作られたのかと理解に苦しむ立派な道となる。その立派な道の終点に昭和41年に全村離村した谷山集落があり、その集落の歴史を記した御影石の碑が立てられている。壊れかけの古い家屋に混じって新しい家もあり、人の気配は無いが現在も利用している人がいるようだ。「鍋倉山5.5辧廚判颪れた東海自然歩道の道標が立っている道路脇に駐車し、8時35分、高橋川の左岸に沿う林道を歩き始める。林道は車も通れる道で、道路脇に一台、林道の終点にもう一台車がとめられている。すでに山に入っている人がいる事がわかり気が楽になる。道が左にカーブし、右山トラバースで杉の落ち葉でおおわれたフカフカした道を登り、なだらかではあるが徐々に高度をあげ、渓流の音が次第に下に小さくなって行く。杉の植林であるが、木の間から日も差し込み暗さは無い。「鍋倉山3.8辧廚琉篤發ある場所に来ると、遠のいていた渓流の音が急に大きくなり、再びきれいな水が流れるせせらぎを見ながら気持ち良く歩く。せせらぎの中に2人の男がおり、そのうちの1人が突然声を掛けて来る。「許可証を持っているか?」と云う。この山は許可証がいるのかと一瞬思ったが、彼等は釣り師で、わたしを釣り人と間違えたらしい。さらに進むと、昔はワサビ田だったのだろうか、段々になった石垣が現れ、そこに杉が植林されている。苔むした木橋を渡り、高橋川の右岸に出て少し行き、同じような橋を渡り再び左岸に出る。高橋川の支流を渡り、渓流と別れてジグザグの登りが始まる。外津汲への分岐に至ると「鍋倉山2.9辧廚良玄韻立っている。日陰の道には所々雪が残っており、それが段々多くなり、ついには雪の積もった登山道となって尾根に出る。雪はしまっているが時々ズブズブと膝まで埋もれてしまい、足を引き出すのに一苦労する。「鍋倉山2.9辧廖◆2.5辧廖◆1.5辧廖◆0.8辧廚判颪れた標識も、順番に深く雪に埋もれていく。ブナ、ミズナラの枯れ木が立ち並ぶ林の中の銀世界を歩き、「水場50m」の標識を過ぎ少し登ると、雪の広場に立派な避難小屋が建っている。これをやり過ごし、緩やかに下って登り返すと鍋倉山の頂上である。谷山集落から2時間20分であった。頂上といっても峠のような所で、そこに鍋倉山の説明板が無ければ気がつかずに通り過ぎてしまいそうである。両側は枯れ木が立ち並んでいるが、木の間から雪を冠った山々が垣間見える。西に伊吹山、それに続く貝月山、金糞岳、さらに三周ケ岳だろうか、取りあえず自分の登った事のある山の名前を思い浮かべたが定かではない。東から北にも白い山々が連なっているが、どれが何なのかさっぱり判らない。記念写真を撮り終えて避難小屋に戻り、小屋の横のテーブルに腰を下ろして昼食をとった。インスタントラーメンであるが、雲一つない快晴の下、雪に囲まれて食べるのはひと味違ったものとなる。しばし別世界を味わった頃、4人組の賑やかなパーティが現れたのを機に帰ることにした。ズボズボと雪にはまり込むのを繰り返し下るが、登りと違って足を引き出すのは簡単である。とは云え、足を捻ったり怪我をしたりしないように気をつけながら慎重に下山し、1時間半程で谷山の集落に戻った。来る時には気づかなかったが、谷山からの細い林道にはカタクリの花が可憐に咲いていた。春日もりもり村の、入湯料400円の薬草湯で汗を流し、気持ち良く帰路に着いた。
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