籾穅山(過去レコです)。


- GPS
- --:--
- 距離
- 8.2km
- 登り
- 629m
- 下り
- 619m
天候 | 晴れ。 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2003年11月の天気図 |
アクセス | 東海北陸道を荘川ICでおり、御母衣ダムを通り、世界遺産の白川郷へ。白川郷の北のはずれから国道360号線、舗装はされているが狭い道となり、天生峠の駐車場へ。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
危険個所はありません。 |
写真
感想
平成15年11月2日、連休の中日に妻を連れて籾糠山(もみぬかやま)に登りに行った。東海北陸道を荘川ICでおり、御母衣ダムを通り、世界遺産の白川郷に至る。白川郷の北のはずれから国道360号線に入ると、舗装はされているが狭い道となり、車の行き違いに気を使う。天生峠の駐車場は広く、トイレも整備されている。登山口には天生県立自然公園協議会の看板があり、「森林環境整備推進協力金、500円ご協力下さい」と書かれた横に、真新しい「森の募金箱」が置かれている。1000円札を投入し、丁度9時に登山口に入る。すぐに展望台があり、その手前左手の道を下り、ブナ林の中の軽い登りを行くと20分程で天生湿原に出る。湿原の入り口には林野庁の大きな案内板があり、この湿原は岐阜県の天然記念物である旨が記されている。湿原の東回りコースをたどると、木道が整備されている散策道となり、初夏であれば水芭蕉を始め色んな花が咲いているのであろうが、晩秋の今は湿原一面が茶色の世界となっている。真っ青な空が開け、この季節、この標高にしては暖かくさえ感じられ、どこからともなくアサギマダラが現れ、手首にとまる。これは珍しいと写真に撮っても、まだじっととまったままで、手首を振るとようやく飛んで行った。東南アジアまで渡るのだろうか? 湿原を越え、少し下って谷を渡ると、根上がりのカツラの大木が並ぶ広場に至る。根っ子の部分はヒト1人が充分入れる程の広さの祠となっている。「この先ブナの原生林」とあるが、人の手がかけられた跡もあり、果たして本当に原生林なのかどうか疑わしい。紅葉どころか枯れ葉もつけていないブナの林であるが、旨い空気を一杯吸いながら気分良く登ると、50分程で分岐に出る。要所要所に「中部北陸道、籾糠山まで〇〇辧廚旅困あり、迷う事は無い。ここから急登となり、周りはブナにダケカンバやシラビソが混じる林で、笹が一面に茂っている。登りが緩やかになると道は泥状になり、丸太を伝って歩く。ダケカンバの大木が現れると道は再び急登となり、登る速度もだんだん落ちてくる。分岐からおおよそ50分で頂上に到着。狭い頂上にはすでに2組の夫婦が休んでいたが、われわれも岩に腰をおろす事が出来た。遠くにかすんでいる御岳、乗鞍、穂高を見ながらちょっと早めの昼食とする。目の前に見下ろす山が木平湿原なのだろう、山腹に登山道が続き、それを登る人の姿も小さく見える。食事をしている僅かな間にも、続々と登って来る人達で頂上は大賑わい。数えて見れば20名もの人が座り込み、それぞれが口をモグモグさせている。晴れ渡った空のもと、特等席に坐り山また山の世界を楽しみ、もう少し頂上にいたい気分ではあったが食事も終わったので、11時40分に頂上を出発した。急な登山道を下り分岐に至ったが、まだ時間も早いので木平湿原を廻って帰る事にした。30分程登ると木道に囲まれた小さな湿原に到着。そこで記念写真を撮った後、ダケカンバの林の中、落葉が降り積もったフワフワした腐葉土の道を快調に歩く。左甚五郎が木の人形を作り、これに山地を開墾させて稲作を始め、臼ですった籾が風に乗ってうずたかく積もり籾糠山となったという伝承がある。たしかに籾を積んだような形の山であるが、このフワフワした足の感覚も籾の上を歩いているようだ。しばらく平地を歩いた後は、泥状の急な下り坂となり、妻は慎重に慎重に下りて来る。ブナもダケカンバも葉っぱはすべて落ちてしまっているが、気持ちの良い林の中を下り、カツラの大木の広場に戻った。天生湿原の西廻りを辿り、2時10分に駐車場に戻った。
途中、平瀬の公衆温泉に寄り、汗を流してから帰途に着いた。
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