御嶽山(過去レコです)。
- GPS
- --:--
- 距離
- 6.4km
- 登り
- 883m
- 下り
- 877m
天候 | 晴れたり曇ったり。 |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
危険個所はありません。 |
写真
感想
友達のお母さんはかなりの婆さんだったような気がするが、その人が毎年御嶽山に登るという話しを聞いた事がある。じゃ、わたしも登れるだろうと、平成13年6月9日、朝3時40分に家を出た。東名高速から中央道を通り、中津川からは国道19号で、元橋を左折したのは5時55分であった。王滝川に沿って走り、途中で左折し王滝村に至った。御岳スキ-場に向かって立派な道が整備されており、その終点の田ノ原の大きな駐車場に着いたのは丁度7時であった。「木曽御嶽自然休養林 田ノ原天然公園 二○八○m」と記された木の大看板を見て、それ程登らなくてもよいのだと安心し、車の中でひと眠りした。7時36分に石の鳥居をくぐって公園の平らな道を歩くと、目の前に御嶽山の偉容がせまってきた。あいにく天候は曇りでガスがかかっおり、それでも山頂近くの建物が見え隠れしていた。これから登る所がこんなによく見える山は始めてで気分が楽になる。7時50分、木の鳥居があり、そこから枕木の階段の山道となり、両側に笹が茂っていた。8時25分、階段を登り切った所に、金剛童子、覚成行者などの像がならんだ広場があり、ここで小休止。振り返ると、はるか向こうの雲の上に中央アルプスの山々が連なっているの見ることが出来、元気が出てきた。ここから先は岩がごろごろした登山道で周囲は這い松だけとなり、森林限界である事が感じられる。8時43分、「剣が峰へ一四四四m」と記された石室のある八合目に到着。上は晴れており頂上付近の建物がよく見えるようになったが、下はガスに包まれ何も見えない。9時、「富士見下 剣が峰へ一三七六m」と書かれた石柱を横目に見ながら、岩がごろごろと階段状になった道を登って行った。登山道にはロープが延々と張られており、時にはこれに掴まって登るうち、天気は快晴となり、日ざしが強く汗も多くなったが、下から気持よい風が吹き上げて爽快。登山道の左側に大きな雪渓が頂上近くまで続いており、昨日購入したばかりの四本爪の軽アイゼンを試す事にした。9時10分、九合目と書かれた石柱の所でアイゼンを付けにかかったが、これがなかなか厄介で一苦労してやっと付けることが出来た。勇んで雪渓に足を踏み込んだがこれがまたまた難しく、一歩足を踏み出すとツルリと滑り、ストックで体を支えると、ストックは1m以上ズブズブと雪の中に刺し込まれ、前のめりになると爪先に体重がかかり一層ツルツルと滑ってしまうのである。軽アイゼンは平らなところでは良いだろうが、雪渓の登りには不適である事がわかった。200m程で雪渓はあきらめ、岩のごろごろした登山道に戻った。ちょっと行くと九合目石室に到着したが、さっきの九合目は何だったのだろうという疑問が残る。這い松もなくなり、周囲は岩だけの道を登り10時8分、王滝山頂2936mに到着した。立派な神社を背に記念撮影し、一服。神社の左側に出ると、目の前にゴツゴツした岩山の剣が峰がガスの中に出現。一面岩だらけの中を頂上直下の小屋を目指し、汗をかきながら登った。屋根に石が並べてある、いかにも山小屋らしい小屋はまだ閉じたままで人の気配は無い。小屋を右手に曲がるとコンクリートの階段があり、これをヨタヨタ登り切り鳥居をくぐると立派な神社が建っており、そこが剣が峰山頂であった。頂上に着いたのは10時40分で、約3時間の道のりであった。神社の反対側から下を見るとコバルト色の水をたたえた綺麗な池が二つならんでおり、それを大きく取り囲むように岩山が連なっていた。鳥居側には王滝頂上が見え、それらの山肌には雪渓がいくつもあり、まるで大きなバンカーのようである。残念ながらガスのため遠くの山は見る事が出来なかった。頂上でラーメンを作って食べたが、その間、山登りの格好をした5人の人がいただけで御嶽教の信者らしき人に会うことは無かった。11時20分、頂上を出発。手袋をはめてロープをつたいながら足早に下った。これから登ってくるグル-プに幾つか会ったが、やはり信者らしき人に出会うことは無かった。まだ山開きしてないのだろうか、白装束の御岳教の信者が登るのはもう少し後のようで登山道が混雑するような事はなかった。12時20分に金剛童子で一服し、登山道を下りた所にある御嶽教の遥拝所で再び一服し、13時少し前にフラフラになって駐車場についた。
13時15分、田ノ原駐車場を出発し、めぼしき温泉は無いだろうかと目をやりながら運転していると、「たかの湯」という看板が目に入った。しめしめと車を停めてよくみると宿泊者以外の入浴お断りと記されており、がっかりしながらさらに行くと、もうすぐ王滝村という辺りに「うしげの湯」という看板が見えた。ここは日帰り入浴が可能で、温泉で汗を流し畳みの上でひと寝入りし、帰宅したのは17時30分であった。朝早くの出発で疲れたが、満足感のある一日であった。
御嶽山は北アルプスの山であると思っていたが、どうもそうでは無いらしい。日本アルプスという呼び名は、大阪造幣局の技師として来日した英国人ウイリアム・ゴウランドが、明治14年に出版した「日本案内記」の中で、信州と飛騨の境にある山脈は「Japanese Alps」と呼ぶにふさわしいとした事から始まる。その後、かのウォルター・ウエストンが、明治29年に「日本アルプス登山と探検」を出版し、日本アルプスの名前が普及した。そして明治41年発行の日本山岳会機関紙「山岳」誌上で、山川 黙が、飛騨山脈を北アルプス、木曽山脈を中央アルプス、赤石山脈を南アルプスと呼ぶことを提言した事から、日本アルプスは三つに分けられた。御嶽山は北アルプスである書かれている本は多い。御嶽神社のホームページには、「北アルプス山系の南端に位置する標高三〇六七mのこの山は・・・・」と書かれており、「ひだ地学六十七号」の「飛騨山脈南部の地形と地質(下畑五夫)」には、「飛騨山脈は、南は御嶽山から岐阜・長野・富山・新潟県の境に沿って日本海沿岸の親不知付近にまで・・・・」と記されている。御嶽山と同様に独立峰に見える乗鞍岳は北アルプスの山であることには異論はなさそうであるが、その南に立つ御嶽山は果たしてどうなのか? 深田久弥は、「普通御嶽は日本アルプスの中に入れられるが、この山は別格である。そういうカテゴリーからはみ出している。北だの、南だのと、アルプスは混みあっているね、そんな仲間入りは御免だよ、といいたげに悠然と孤立している」と記している。国土地理院の「日本の山岳標高一覧」には、乗鞍岳は「飛騨山脈」、御嶽山は「御嶽山とその周辺」とされており、これから見ると深田の言う通り、御嶽山は日本アルプスではないことになる。実際、地図を見るとわかるように、乗鞍岳は安房峠で焼岳と連なって北アルプスという感じがするが、御嶽山は乗鞍岳とも中央アルプスの恵那山とも離れており、国土地理院の定義もさもありなんと思われる。
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