清水峠 井坪坂経由
- GPS
- --:--
- 距離
- 19.9km
- 登り
- 1,264m
- 下り
- 1,254m
コースタイム
天候 | 曇り後雨後曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2020年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
渡渉が3カ所ありますが、いずれも楽に通過できます。 |
写真
装備
個人装備 |
ヘッドランプ(1)
予備電池(1)
1/25
000地形図
ガイド地図(1)
コンパス(1)
笛(1)
筆記具(1)
保険証(1)
飲料
ティッシュ(1)
三角巾
バンドエイド(1)
タオル(1)
携帯電話(1)
計画書
雨具(2)
防寒着
ストック(1)
水筒(2)
時計(1)
非常食(1.5)
ツェルト(1)
ファーストエイドキット(1)
医薬品
カメラ(1)車(1)
水筒2.5L
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感想
ひょんなことから腰を痛めた私は、数日椅子から立ち上がるのもやっとだったが、約1週間経過したのでリハビリのため、山路を歩くことに。普段デスクワークが多いので腰の周りの筋肉を使う山の下りは貴重で、下山後は腰も含め体調が良くなる。
さて、場所は・・・まだ腰をひねると痛いので、岩場やヘツリは危険。そうだ、ふつう清水峠へのルートは距離的にも時間的にも近い謙信尾根が利用されていて、井坪坂コースはWEBを探しても通行した記録が見つからない。地元なので一度は歩いてみようと思っていたこの道にしよう。
国道291号は清水集落を過ぎたところで、工事の為車両通行止めとなっていてそこから出発。途中謙信尾根(15里尾根)への二叉を謙信尾根側に進むが、登川を渡る手前で左側(右岸)の河原沿いの道に入る。これが藪化が酷く、送電線の整備用の道から右岸の舗装道路に上がった。
間もなく雨になった。予報は11時ころ小雨だったので、少し悪くなったのかもしれない。昨夜も断続的に降っていた。雨で一番の心配は沢の増水だ。そういえば昨年も新穂高温泉を出て白出沢の増水で一旦引き返したのだった。
檜倉沢は大きな砂防ダムが上下にあり、増水してもダムの上を歩ける。
兎平の標識に気づかず、雨の中をひたすら進む。そしてナル水沢。水量は少なく難なく通過。そして本谷も水量は少なく楽に通過。後はジグザグ道だ。
さすがに昔の街道だけあって歩きやすい。なんといっても斜度が緩い。井坪とは?後で調べると本谷の左岸にデトノイツボ沢、オキノイツボ沢とあり、清水峠からジャンクションピークの北面一帯が井坪のようだ。謙信尾根より不便なこのルートがそこそこ刈り払いなど整備されている理由は送電線を所有しているJR東日本が、鉄塔のメンテの為に利用しているからのようだ。そのため鉄塔への枝道にはピンクリボンがたっぷりあり、却って進路を間違う方が居そうで少し心配だ。
謙信尾根分岐点から約2時間10分位で清水峠に着いた。流石に少し風もあり、冷たい雨が堪える。早速白崩避難小屋に入る。小さい窓が2カ所で中は暗い。広さは3畳ほどの板の間が2カ所と、2段ベッド風の高さに1畳ほどの板の間が4つ。合計10人入れる。一番明るい窓の近くで休む。少し早いが食事にして、天気の好転を待つことにした。
少しして一人がやってきたが中をのぞいて直ぐに出て行った。続いてまた一人、入ってきたが挨拶しても返事がない。見ればレインウェアも着ていない。しかし会話ができないようで黙って見ているだけだった。間もなく出て行ったが、「うわぉ?」といって去っていった。てっきり外国人かと思ったが、帰って家族と話しているうちに、耳が不自由な方かもしれないと気付いた。
1時間しても相変わらず雨で風もある。予定は七つ小屋山に寄って謙信尾根を下るつもりだったが、登川が増水して渉れない危険も考え、来た道を引き返すことにした。峠付近にはウメバチソウの群生がきれいだった。
やっと雨もあがって、カメラを出して撮影を楽しみながらの下りだ。本谷もナル水沢も難なく通過でき、後は心配ない。
兎平には看板が倒れており、見ると昔宿泊茶屋が3軒あったことなどが書かれている。調べてみると、上杉謙信が軍事用として清水〜水上間15里の山道を開いたが、江戸時代に入ると幕府が越後からの守りのためこの道を通行禁止にし、代わりに三国街道を整備した。明治10年になり群馬から新潟への最短道路として馬車が通れる国道が作られたが、翌年には雪崩と土砂崩れで通行不能になり、その後復旧されることは無かった。明治22年に六日町の商人が私費を投じ、バイパスの井坪坂コースを開拓し、有料道路とした。最盛期には宿泊茶屋が3軒あった兎平は、明治40年の道路が無料になると同時に、毎年8mの積雪があり生活が難しいため、茶屋は無くなった。その後現在に至るまで道路の修復はほとんどされていない。
檜倉沢に帰ってきた。登山記録を見ると、ここから舗装道路でなく、本沢の右岸の足跡があるが、降りてみると今は二つの沢合流した下流に巨大な砂防ダムができ、右岸はコンクリに覆われた壁になっていて通行できないようだ。
時間にゆとりができたので、道脇の草花を見ながら(道草を喰いながら)帰った。リハビリ目的だったが、戦国時代からの清水峠の歴史も知ることができ、貴重な山歩きとなった。
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