毛無山 天子山塊
- GPS
- 28:00
- 距離
- 8.1km
- 登り
- 1,222m
- 下り
- 1,138m
コースタイム
19日山頂8:45→1959 9:45→尾根末端静岡大学研修施設13:00
天候 | 両日快晴 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2013年01月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
下山ルートの1955南東尾根は不明瞭の上急傾斜でササブッシュひどく、巨岩もごろごろで、非常にお勧めしないルート。 |
写真
感想
山梨にも東京にも降った大雪から4日目、山でも雪は多かった。時間読みの倍かかって山頂まで。ヒザまでのズボズボラッセルで6時間半かかった。
夕映えの富士山と駿河湾の夜景色を見て、富士山の背後から登る日の出を拝む為山頂に泊まる。
山頂までに時間がかかって、もう少しで危ないところだったけどぎりぎりセーフでピンク色の富士山に間に合った。
予定では夜間に移動して二時間半ほどかけて、富士の真上から日が昇る竜ヶ岳に近い地点まで行こうとしていたけど、ラッセルでとうてい届かないのが明らかで、早々にあきらめた。
シカタさんと、身延で朝に夕に毛無山を眺めるケーシンさんとで登る。釜無川が富士川に変わり19世紀まで渡船場だった鰍沢を越えて南巨摩方面に向かうのは初めて。大河なのに両岸が山ばかりという風景は甲府盆地とは違う景観だ。この川を下り一日で静岡県まで年貢米を運び、登り五日で船引っ張って往復したのか?霊山の七面山も地滑り面が雪で白く輝いている。身延から対岸に渡って下部温泉を抜けて行くと寂れてはいるけれど結構な奥行きの温泉街で驚く。10年程前まではフーゾクもあるほど賑わっていたとのこと。由来は武田信玄の金山以来。大雪のため、冬ゲートの先まで除雪車が作業中だったので、そこまで車でサノケンさんに送ってもらう。その先は登山口まで30分ほどラッセル。
急登ヒノキ林を延々登る。ラッセルはスネくらいの深さ。途中に山の神という榧の巨木あり。高さ50センチ位で二股に別れているけれど、根元部分は幹周り3m近い巨木。
標高1460あたりから道の北側の、沢源流部のユルくなった谷地形一帯に金山の遺構がある。女郎屋敷跡、大名屋敷跡などの立て札あり。金を巡っては刃傷沙汰もケンカもあっただろうなあ。17世紀まで掘っていたらしい。10年程前に本格調査をしたそうだ。下部温泉には博物館もあった。武田軍の底力にはこういうものがあったのだなあ。
ここを過ぎると落葉広葉樹の林になって青い空が明るくなる。富士見峠は、トドマツの門に囲まれた窓から富士山に対面する感動深い場所だ。ちょうどくたびれた頃あいで。初めて見る富士の西面、大沢崩れが真正面だ。駿河湾に伊豆半島も見える山梨側では珍しい眺めだ。
急がないと夕焼けが行ってしまう。登山ルートは木が茂っていて、富士が見えるのは地蔵峠と山頂だけなのだ。ラッセルがもどかしい。辺りの樹木がオレンジ色に染まりブッシュの向こうの富士山が茜色に染まりだし、毛無山にさす夕陽は南アルプスに沈んでしまったころ、赤富士を望む山頂広場に着いた。ぎりぎりセーフで安堵。
富士は朱色になり、まもなく群青色に沈んで行った。富士、富士宮、沼津の灯りが輝き始めた。オリオン座が昇り始めた。
ケーシンが担ぎ上げたカムジャタンごっつあんになって、外では星空の夜間撮影もしてみた。頭上の半月が傾くのを待っていたら、オリオンが富士から離れて行ってしまった。気温は氷点下15度。
翌朝も雪は締まっていなかった。展望なき最高点1964には標識もなかった(雪の下か)。西側に白い南アルプスがスカッ晴れの下、樹林越しに輝いているのだが、すっきり見えるポイントが全くないのが残念。第三の山頂1959から、地図には乗っているが廃道扱いになっている南東尾根を朝霧高原に下る。上部の、尾根が細いうちはルート明瞭だが、コンタ1600付近で尾根が広く別れる辺りからは、道は勿論不明瞭で、どこでも下れるかと突入するが、段差3,4メートルのギャップがあって下降に苦労したり、雪が中途半端に乗った巨岩帯が続いたり、雪が中途半端に乗った背の高い密なササ帯(野イバラ入り)もあったりで、結構苦労した。下部の積雪は不十分で、積雪期の利点は無かった。上から下まで一貫して傾斜が強く、45度〜30度。地図読みというよりルート読み力が必要。この重荷の下降で脇腹の肋骨を木に打ち据えて、痛い思いをした。後半の標高差2〜300mはヒノキの植林帯に逃げ込んで助かる。ここも急斜面の巨岩帯だったろうに岩を退け、植林したのだろうか。たぶん戦後満洲などから追われて来た開拓民の仕事だろうかと想像する。麓という集落の東、地図の道記号より300mほど東にずれて降りた。静岡大学の研修棟という建物の裏だった。
朝霧高原は静岡県領。標高900mの北海道みたいな所だ。県境近くにはむかしオウム教団の本部もあった。カザフさんにお迎えを頼んだ。
山麓から眺める毛無山は樹木もうもう。今回の雪では竜ヶ岳への縦走をするなら山スキーが欲しかった。竜への長い稜線を横から眺める。手前の△1070の尾根にはパラグライダーの滑空場があるようで、4つも5つも、ぷかぷか浮かんでいた。富士川の谷底から山越えで富士の高嶺の山懐へ。苦労した雪の分だけ、いい山行になった。
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