【1日目】韮崎 ICで下り釜無川に架かる武田橋を西に渡ると正面に南アルプス
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10/1 9:46
【1日目】韮崎 ICで下り釜無川に架かる武田橋を西に渡ると正面に南アルプス
山梨県韮崎市は甲斐武田家発祥の地、その後武田信玄父信虎以降の居館となった甲府躑躅ヶ崎館(現武田神社)からは北西15kmの位置
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10/1 9:44
山梨県韮崎市は甲斐武田家発祥の地、その後武田信玄父信虎以降の居館となった甲府躑躅ヶ崎館(現武田神社)からは北西15kmの位置
,泙困蝋暖緝霤鳥瓩了畤澄822年創建の武田八幡宮(韮崎市神山町北宮地1185)へ
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10/1 9:56
,泙困蝋暖緝霤鳥瓩了畤澄822年創建の武田八幡宮(韮崎市神山町北宮地1185)へ
嵯峨天皇の勅命で武田王の祠廟を遷座し九州宇佐宮を合祀し創建
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10/1 9:44
嵯峨天皇の勅命で武田王の祠廟を遷座し九州宇佐宮を合祀し創建
甲斐源氏の祖新羅三郎義満の曾孫龍光丸が神前で元服、武田太郎信義と名乗り「甲斐武田家」が発祥
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3/17 15:06
甲斐源氏の祖新羅三郎義満の曾孫龍光丸が神前で元服、武田太郎信義と名乗り「甲斐武田家」が発祥
拝殿
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10/1 9:54
拝殿
武田信玄の代に再建の本殿、祭神は誉田別命・足仲津彦命・息長足姫命・武田武大神
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10/1 9:57
武田信玄の代に再建の本殿、祭神は誉田別命・足仲津彦命・息長足姫命・武田武大神
武田信義が元服以後、武田八幡宮は甲斐武田家の氏神として尊崇された
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10/1 10:25
武田信義が元服以後、武田八幡宮は甲斐武田家の氏神として尊崇された
天正10年2月19日、武田家滅亡の寸前勝頼夫人が戦勝を祈念して訴えた願文
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10/1 10:06
天正10年2月19日、武田家滅亡の寸前勝頼夫人が戦勝を祈念して訴えた願文
願文の碑、ねか(願)わくはれいしん(霊神)ちからあわせて、か(勝)つ事をかつ頼(勝頼)一しにつけしめたまい、あた(敵)をよも(四方)に志り(退)そけん・・
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3/17 15:11
願文の碑、ねか(願)わくはれいしん(霊神)ちからあわせて、か(勝)つ事をかつ頼(勝頼)一しにつけしめたまい、あた(敵)をよも(四方)に志り(退)そけん・・
奥に白山城跡、武田信義の要害として築かれ(東の)新府城防衛の拠点的城郭
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10/1 10:15
奥に白山城跡、武田信義の要害として築かれ(東の)新府城防衛の拠点的城郭
隣に為朝神社、源為朝は1156年島流しの後鬼二匹を従え信義の元に身を寄せ武田為朝を名乗った
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10/1 10:04
隣に為朝神社、源為朝は1156年島流しの後鬼二匹を従え信義の元に身を寄せ武田為朝を名乗った
771年創建、曹洞宗鳳凰山願成寺(韮崎市神山町鍋山1111)、本尊は薬師如来
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10/1 10:42
771年創建、曹洞宗鳳凰山願成寺(韮崎市神山町鍋山1111)、本尊は薬師如来
境内に武田氏系図、信虎→信玄→勝頼→信勝で最後
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10/1 11:02
境内に武田氏系図、信虎→信玄→勝頼→信勝で最後
初代、武田信義公墓塔、左は夫人、右は乳母姫
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10/1 10:47
初代、武田信義公墓塔、左は夫人、右は乳母姫
信義の嫡子一条忠頼は次子行忠を甘利の庄に封じ、行忠は甘利を苗字として庄の要地に居館を構え、武田信虎・信玄の時代に甘利虎泰・昌忠を始め代々武田家の重臣・・
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3/17 14:52
信義の嫡子一条忠頼は次子行忠を甘利の庄に封じ、行忠は甘利を苗字として庄の要地に居館を構え、武田信虎・信玄の時代に甘利虎泰・昌忠を始め代々武田家の重臣・・
扇子平山城跡(甘利氏館跡に大輪寺)韮崎市旭町2990
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3/17 14:53
扇子平山城跡(甘利氏館跡に大輪寺)韮崎市旭町2990
腹が減ってはなんとやら、名前だけでホイホイと誘い込まれたアルプス食堂で大盛
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10/1 12:13
腹が減ってはなんとやら、名前だけでホイホイと誘い込まれたアルプス食堂で大盛
た敬楙覿瓩で見つけた躍躑原(おどりはら)
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10/1 11:43
た敬楙覿瓩で見つけた躍躑原(おどりはら)
1581年姻戚木曽義昌が織田方に寝返り、人質の母70歳、嫡子千太郎13歳、息女17歳を西方野原にて、躍り上がって殺戮
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10/1 11:41
1581年姻戚木曽義昌が織田方に寝返り、人質の母70歳、嫡子千太郎13歳、息女17歳を西方野原にて、躍り上がって殺戮
チ眛興仝明寺(韮崎市藤井町駒井654)に人質として殺された木曽氏の墓
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3/17 15:52
チ眛興仝明寺(韮崎市藤井町駒井654)に人質として殺された木曽氏の墓
β舂胸柿眛興)福寺(韮崎市穴山町)、武田信虎夫人が男児受胎を祈願し信玄誕生
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10/1 12:36
β舂胸柿眛興)福寺(韮崎市穴山町)、武田信虎夫人が男児受胎を祈願し信玄誕生
うれしさを何にたとえん千萬の宝にまさる世つぎ児をえて(信虎公夫人大井氏)
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10/1 12:36
うれしさを何にたとえん千萬の宝にまさる世つぎ児をえて(信虎公夫人大井氏)
南北朝期武田信武の子義武が穴山を領し菩提寺として建立、武田二十四将穴山信君(梅雪)は中興開基
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10/1 12:37
南北朝期武田信武の子義武が穴山を領し菩提寺として建立、武田二十四将穴山信君(梅雪)は中興開基
重臣信君は信長の甲州征伐と共に離反、家康の与力となるも本能寺の変後落武者狩りにて死亡
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10/1 12:38
重臣信君は信長の甲州征伐と共に離反、家康の与力となるも本能寺の変後落武者狩りにて死亡
Э敬楙襦穴山信君が献策し武田勝頼が築城
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10/1 10:58
Э敬楙襦穴山信君が献策し武田勝頼が築城
八ヶ岳火山の泥流による七里岩、上空から見ると地形先端がニラの葉に似た形から韮崎という地名に
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10/1 10:59
八ヶ岳火山の泥流による七里岩、上空から見ると地形先端がニラの葉に似た形から韮崎という地名に
七里岩ライン沿い北側に新府城の支城能見城跡
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10/1 12:52
七里岩ライン沿い北側に新府城の支城能見城跡
13:00新府城跡、信長の甲斐侵攻に備え真田昌幸に命じて築かせ甲府より移転
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10/1 13:00
13:00新府城跡、信長の甲斐侵攻に備え真田昌幸に命じて築かせ甲府より移転
ゼエゼエ249段登って新府藤武神社(韮崎市中田町中条字城山)
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10/1 13:03
ゼエゼエ249段登って新府藤武神社(韮崎市中田町中条字城山)
想定復元図、織田軍の侵攻を前に1582年3月火を放ち東方岩殿城を目指して落ちた
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10/1 13:05
想定復元図、織田軍の侵攻を前に1582年3月火を放ち東方岩殿城を目指して落ちた
新府城本丸跡、起工天正9年(1581年)2月15日、入城12月24日、落城1582年3月3日(勝頼在城68日間)
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10/1 13:15
新府城本丸跡、起工天正9年(1581年)2月15日、入城12月24日、落城1582年3月3日(勝頼在城68日間)
北側に1864年建立という石祠・武田勝頼公霊社、武田十四将霊碑
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10/1 12:50
北側に1864年建立という石祠・武田勝頼公霊社、武田十四将霊碑
右に長篠役陣歿将士之墓(長篠での織田徳川軍への大敗後武田家弱体化)
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10/1 13:08
右に長篠役陣歿将士之墓(長篠での織田徳川軍への大敗後武田家弱体化)
新府城(新府中韮崎城)二の丸(案内)
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10/1 13:18
新府城(新府中韮崎城)二の丸(案内)
馬出
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10/1 13:22
馬出
西三の丸
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10/1 13:23
西三の丸
東三の丸
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10/1 13:29
東三の丸
南大手門
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10/1 13:30
南大手門
帯曲輪
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10/1 13:31
帯曲輪
13:35振り出し
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10/1 13:35
13:35振り出し
城の周りにひっそり彼岸花(曼珠沙華)、花言葉はあきらめ、悲しい思い出
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10/1 13:19
城の周りにひっそり彼岸花(曼珠沙華)、花言葉はあきらめ、悲しい思い出
┸敬楙襪ら4.5km甲府に南下し涙の森(韮崎市上ノ山3657)高遠城落城の翌朝、新府城に火を放ち夫人や子供わずかな将兵を従え大月の岩殿城へ向かった
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3/17 14:00
┸敬楙襪ら4.5km甲府に南下し涙の森(韮崎市上ノ山3657)高遠城落城の翌朝、新府城に火を放ち夫人や子供わずかな将兵を従え大月の岩殿城へ向かった
火の手が上がる新府城を眺め戦国の世の厳しさに胸を打たれ涙にむせんだ勝頼夫人の歌、うつつにはおもほえがたきこのところ仇にさめぬる春の夜の夢
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3/17 14:02
火の手が上がる新府城を眺め戦国の世の厳しさに胸を打たれ涙にむせんだ勝頼夫人の歌、うつつにはおもほえがたきこのところ仇にさめぬる春の夜の夢
さらに500mほど南下し回看塚(みかえりづか/甲斐市宇津谷)
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3/17 14:13
さらに500mほど南下し回看塚(みかえりづか/甲斐市宇津谷)
春がすみたちいづれどもいくたびかあとをかへして三日月の空(勝頼夫人)
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3/17 14:12
春がすみたちいづれどもいくたびかあとをかへして三日月の空(勝頼夫人)
さらに8km南下して塩崎駅南口近くに泣石(甲斐市下今井)、ここでも新府城を振り返って泣いた
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3/17 13:45
さらに8km南下して塩崎駅南口近くに泣石(甲斐市下今井)、ここでも新府城を振り返って泣いた
振り返って新府城方面、甲府躑躅ヶ崎館までは10km弱
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3/17 13:45
振り返って新府城方面、甲府躑躅ヶ崎館までは10km弱
甲府躑躅ヶ崎館(現武田神社)を過ぎて20km近く東に移動(新府城から30km超)し、真言宗智山派柏尾山大善寺(甲州市勝沼町勝沼3559)、岩殿城に落ちる途上の最初の宿
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10/1 14:45
甲府躑躅ヶ崎館(現武田神社)を過ぎて20km近く東に移動(新府城から30km超)し、真言宗智山派柏尾山大善寺(甲州市勝沼町勝沼3559)、岩殿城に落ちる途上の最初の宿
信玄のいとこで勝頼の乳母であった理慶尼は武田滅亡記「理慶尼記」を記した(展示中)
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10/1 14:47
信玄のいとこで勝頼の乳母であった理慶尼は武田滅亡記「理慶尼記」を記した(展示中)
桂樹庵理慶尼墓、兄勝沼信元が信玄に滅ぼされ嫁先から離縁となり従者四人を連れ大善寺の尼となる
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10/1 15:19
桂樹庵理慶尼墓、兄勝沼信元が信玄に滅ぼされ嫁先から離縁となり従者四人を連れ大善寺の尼となる
本堂(薬師堂)、武田家再興がかなわないと家臣の大半は離散、岩殿城主小山田信茂も裏切り天目山を目指すことに
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10/1 14:53
本堂(薬師堂)、武田家再興がかなわないと家臣の大半は離散、岩殿城主小山田信茂も裏切り天目山を目指すことに
1868年3月6日近藤勇の甲陽鎮撫隊三百(後に百八十名脱走)が境内の柏尾坂で3千の官軍と戦い2時間後江戸へ敗走
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10/1 14:46
1868年3月6日近藤勇の甲陽鎮撫隊三百(後に百八十名脱走)が境内の柏尾坂で3千の官軍と戦い2時間後江戸へ敗走
勝沼や馬子もぶどうを 食いながら(芭蕉)
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10/1 15:01
勝沼や馬子もぶどうを 食いながら(芭蕉)
4km程東進し武田勝頼公腰掛石(甲州市大和町日影)、一行が鶴瀬・駒飼郷に滞陣のおりこの石に腰掛け敵や周囲の動静を伺っていた
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3/17 10:03
4km程東進し武田勝頼公腰掛石(甲州市大和町日影)、一行が鶴瀬・駒飼郷に滞陣のおりこの石に腰掛け敵や周囲の動静を伺っていた
小山田信茂の謀反により東の岩殿城へは向かえず北の天目山を目指すことに、住宅地の一角に400年以上経った現在でも花が供えてあります
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3/17 10:02
小山田信茂の謀反により東の岩殿城へは向かえず北の天目山を目指すことに、住宅地の一角に400年以上経った現在でも花が供えてあります
1km東へ進んで、天目山に向かう途中の甲斐大和駅前に武田勝頼像
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10/1 15:29
1km東へ進んで、天目山に向かう途中の甲斐大和駅前に武田勝頼像
1km弱、東の大月に向かう甲州街道から別れて北側の天目山に登っていく分岐には「日川渓谷と武田の秘境」と武田菱
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10/2 16:19
1km弱、東の大月に向かう甲州街道から別れて北側の天目山に登っていく分岐には「日川渓谷と武田の秘境」と武田菱
甲州街道の分岐から3.5km天目山方面に登って大蔵原思案石(甲州市大和町田野/日川渓谷レジャーセンター内)
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3/17 9:40
甲州街道の分岐から3.5km天目山方面に登って大蔵原思案石(甲州市大和町田野/日川渓谷レジャーセンター内)
北の天目山栖雲寺までは2km足らずながら、織田徳川軍と謀反の小山田信茂軍に包囲されたとの情報からこの石に腰掛け思案し田野に戻ることに
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3/17 9:38
北の天目山栖雲寺までは2km足らずながら、織田徳川軍と謀反の小山田信茂軍に包囲されたとの情報からこの石に腰掛け思案し田野に戻ることに
2km戻って鳥井畑古戦場(甲州市大和町田野)、天正十年(1582)3月10日、孤影消然僅かな家臣を従えて敗走続ける・、秋山紀伊守光継、阿部加賀守、土屋昌恒等43人・、
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3/17 9:49
2km戻って鳥井畑古戦場(甲州市大和町田野)、天正十年(1582)3月10日、孤影消然僅かな家臣を従えて敗走続ける・、秋山紀伊守光継、阿部加賀守、土屋昌恒等43人・、
翌朝払暁、織田信長の先鋒滝川一益、河尻鎮吉ら約4千・、武田家滅亡最後の激戦地なり
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3/17 9:49
翌朝払暁、織田信長の先鋒滝川一益、河尻鎮吉ら約4千・、武田家滅亡最後の激戦地なり
瓜溶査邯点鐓譟∬居を命ぜられていた小宮山内膳友晴は武田家最後の戦いに駆けつけ主君に殉じた
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10/2 16:22
瓜溶査邯点鐓譟∬居を命ぜられていた小宮山内膳友晴は武田家最後の戦いに駆けつけ主君に殉じた
嘉擴袷畋∧匱蠕攬篝悄崖道の最も狭い所で片手は藤蔓につかまり刀で敵兵を切って日川に蹴落とした
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10/1 17:10
嘉擴袷畋∧匱蠕攬篝悄崖道の最も狭い所で片手は藤蔓につかまり刀で敵兵を切って日川に蹴落とした
天目山に向かった勝頼一行は大蔵沢で織田方に行手を阻まれたが惣蔵の活躍により田野まで戻り自刃
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10/1 17:10
天目山に向かった勝頼一行は大蔵沢で織田方に行手を阻まれたが惣蔵の活躍により田野まで戻り自刃
嚇擴袷畋△諒(南アルプス市徳永1685-1)少時より勝頼に仕え長篠の役に奮戦し天目山の戦いで片手千人斬りの偉勲を樹て勝頼公に従容として自刃する時を与え27歳にて自害
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3/17 14:30
嚇擴袷畋△諒(南アルプス市徳永1685-1)少時より勝頼に仕え長篠の役に奮戦し天目山の戦いで片手千人斬りの偉勲を樹て勝頼公に従容として自刃する時を与え27歳にて自害
天目山3km、引返した大蔵原のある日川渓谷レジャーセンター2km手前が終焉の地
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10/1 15:58
天目山3km、引返した大蔵原のある日川渓谷レジャーセンター2km手前が終焉の地
換暖綛饉蕕箸覆辰寝塙の命により勝頼等の菩提を弔うため建立の曹洞宗天童山景徳院(田野寺)
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10/1 16:04
換暖綛饉蕕箸覆辰寝塙の命により勝頼等の菩提を弔うため建立の曹洞宗天童山景徳院(田野寺)
1582年3月11日勝頼一族郎党約五十名が自害した
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10/1 15:51
1582年3月11日勝頼一族郎党約五十名が自害した
最期の日勝頼は元服(鎧着の式)前だった信勝に盾無鎧を着せ御旗を松の根元に立て擐甲の礼(世継ぎの儀式)を行った
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10/1 16:06
最期の日勝頼は元服(鎧着の式)前だった信勝に盾無鎧を着せ御旗を松の根元に立て擐甲の礼(世継ぎの儀式)を行った
勝頼公生害石、「おぼろなる月もほのかに雲霞晴れて行くへの西の山の端」
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10/1 16:18
勝頼公生害石、「おぼろなる月もほのかに雲霞晴れて行くへの西の山の端」
北条夫人生害石、「黒髪のみだれたる世ぞはてしなき思ひに消ゆる露の玉の緒」
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10/1 16:18
北条夫人生害石、「黒髪のみだれたる世ぞはてしなき思ひに消ゆる露の玉の緒」
辞世の碑「あだに見よ誰も嵐の桜花咲き散るほどの春の夜の夢」(信勝)
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10/1 16:21
辞世の碑「あだに見よ誰も嵐の桜花咲き散るほどの春の夜の夢」(信勝)
甲将殿
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10/1 16:19
甲将殿
背後に武田勝頼・信勝・北条夫人の墓
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10/1 16:16
背後に武田勝頼・信勝・北条夫人の墓
没頭地蔵尊、勝頼公三十七歳、同夫人十九歳、信勝公十六歳とある
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10/1 16:21
没頭地蔵尊、勝頼公三十七歳、同夫人十九歳、信勝公十六歳とある
㉑姫ヶ淵、武田家は滅び、勝頼公夫人の侍女十六名も日川の淵で身を投じた
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10/1 15:54
㉑姫ヶ淵、武田家は滅び、勝頼公夫人の侍女十六名も日川の淵で身を投じた
㉒勝頼が最後に目指して辿り着けなかった武田家縁の天目山栖雲寺(甲州市大和町木賊122)
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10/1 16:38
㉒勝頼が最後に目指して辿り着けなかった武田家縁の天目山栖雲寺(甲州市大和町木賊122)
武田信満の墓、1416年上杉氏憲の乱にて甲斐守護であった信満は敗れ天目山にて自害、武田勝頼が目指したのは信満の不運と自分の境遇を重ね合わせたからでしょうか
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10/1 16:40
武田信満の墓、1416年上杉氏憲の乱にて甲斐守護であった信満は敗れ天目山にて自害、武田勝頼が目指したのは信満の不運と自分の境遇を重ね合わせたからでしょうか
㉓雲峰寺(甲州市塩山上萩原2678)大河ドラマ「武田信玄」、黒沢明監督の映画「影武者」のロケ地、作家の中里介山が小説「大菩薩峠」の執筆のため当寺の一室に起居
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3/17 12:05
㉓雲峰寺(甲州市塩山上萩原2678)大河ドラマ「武田信玄」、黒沢明監督の映画「影武者」のロケ地、作家の中里介山が小説「大菩薩峠」の執筆のため当寺の一室に起居
天正十年(1582)武田勝頼自刃後、家臣たちが再興を期して武田家の重宝(後令泉天皇から清和源氏源頼義へ下賜された日本最古の日の丸の御旗、武田の軍旗孫子の旗、諏訪神号旗、馬印旗)をひそかに当山へ納めた
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3/17 12:05
天正十年(1582)武田勝頼自刃後、家臣たちが再興を期して武田家の重宝(後令泉天皇から清和源氏源頼義へ下賜された日本最古の日の丸の御旗、武田の軍旗孫子の旗、諏訪神号旗、馬印旗)をひそかに当山へ納めた
火災によって諸堂すべてを消失したが再興に向けては武田信虎(信玄父)が印判状を与えて励まし、武田信玄が武運長久を祈願する文書を納めている
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3/17 11:53
火災によって諸堂すべてを消失したが再興に向けては武田信虎(信玄父)が印判状を与えて励まし、武田信玄が武運長久を祈願する文書を納めている
㉔甲斐善光寺(甲府市善光寺3丁目36-1)信玄の従甥で武田二十四将にも数えられるが謀反の小山田信茂は、
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11/11 8:37
㉔甲斐善光寺(甲府市善光寺3丁目36-1)信玄の従甥で武田二十四将にも数えられるが謀反の小山田信茂は、
織田・徳川勢により甲斐が平定された後、信長に拝謁しようとしたが、織田信忠から武田氏への不忠を咎められ嫡男、老母、妻、女子とともにここで処刑された
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11/11 9:18
織田・徳川勢により甲斐が平定された後、信長に拝謁しようとしたが、織田信忠から武田氏への不忠を咎められ嫡男、老母、妻、女子とともにここで処刑された
勝頼家臣は最後まで裏切ることなく守り戦死したが、その子供たちは後に家康に重用され、江戸時代には各地の城主に任命されたという。大善寺にはその子供たちから寄進された文殊菩薩、毘沙門天が安置されている。
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10/1 14:51
勝頼家臣は最後まで裏切ることなく守り戦死したが、その子供たちは後に家康に重用され、江戸時代には各地の城主に任命されたという。大善寺にはその子供たちから寄進された文殊菩薩、毘沙門天が安置されている。
移動中の中秋の名月、武田家滅亡からわずか3ヶ月の1582年6月21日本能寺の変にて信長没
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10/1 18:34
移動中の中秋の名月、武田家滅亡からわずか3ヶ月の1582年6月21日本能寺の変にて信長没
翌日は岩殿山登山ながら久々の飲み会へ
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10/1 20:35
翌日は岩殿山登山ながら久々の飲み会へ
飲み放題を頼んでノックアウト
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10/1 21:25
飲み放題を頼んでノックアウト
【2日目】勝頼が再興を果たそうと目指した大月駅前の岩殿山へ
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10/2 11:23
【2日目】勝頼が再興を果たそうと目指した大月駅前の岩殿山へ
㉕駅前イオンから見上げた岩殿山、勝頼から離反した小山田信茂の詰城
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10/2 11:36
㉕駅前イオンから見上げた岩殿山、勝頼から離反した小山田信茂の詰城
12:00高速下にある岩殿山公園駐車場
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10/2 12:00
12:00高速下にある岩殿山公園駐車場
強瀬登山口に向かう
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10/2 12:02
強瀬登山口に向かう
12:05落石の恐れがあり通行止め
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10/2 12:03
12:05落石の恐れがあり通行止め
畑倉登山口へ
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10/2 12:12
畑倉登山口へ
12:25自動車学校を超えたあたりで登山口
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10/2 12:26
12:25自動車学校を超えたあたりで登山口
12:30畑倉神宮でお参り
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10/2 12:29
12:30畑倉神宮でお参り
12:55本丸跡、小山田信茂は武田家滅亡後に織田氏に出仕したが甲斐善光寺で処刑
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12:55本丸跡、小山田信茂は武田家滅亡後に織田氏に出仕したが甲斐善光寺で処刑
岩殿山最高地点634mにある烽火台
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10/2 12:57
岩殿山最高地点634mにある烽火台
13:00倉屋敷跡
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13:00倉屋敷跡
馬場跡
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馬場跡
13:05岩殿山展望所、山梨百名山、秀麗富嶽十二景、関東の富士見百景
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13:05岩殿山展望所、山梨百名山、秀麗富嶽十二景、関東の富士見百景
前夜の飲み過ぎで食欲なく結局水分補給のみ
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10/2 13:06
前夜の飲み過ぎで食欲なく結局水分補給のみ
眼下に桂川や橋の手前の駐車場、イオンなど大月市街
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10/2 13:27
眼下に桂川や橋の手前の駐車場、イオンなど大月市街
30分くらい昼寝して浅利登山口に下山開始
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10/2 13:45
30分くらい昼寝して浅利登山口に下山開始
13:45番所跡
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10/2 13:45
13:45番所跡
揚城戸跡
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揚城戸跡
築坂
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10/2 13:58
築坂
ふり返って山頂
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10/2 14:02
ふり返って山頂
14:05鎖場コースで上から目線
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10/2 14:07
14:05鎖場コースで上から目線
下からから目線、足場などもあり危険度低い
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下からから目線、足場などもあり危険度低い
14:00大月駅方面とコロナで建設延期の東横イン
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10/2 14:10
14:00大月駅方面とコロナで建設延期の東横イン
14:15岩場は崩落のため進入禁止で林間コースへ
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10/2 14:13
14:15岩場は崩落のため進入禁止で林間コースへ
滑りそうなロープのある急斜面
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10/2 14:14
滑りそうなロープのある急斜面
14:30天神山
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14:30天神山
近くに祠
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近くに祠
14:45岩場ルート、林間ルート分岐
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10/2 14:44
14:45岩場ルート、林間ルート分岐
この先危険
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10/2 14:44
この先危険
岩場通過中
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岩場通過中
裏側に回り込み
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裏側に回り込み
14:50トズラ峠分岐
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10/2 14:48
14:50トズラ峠分岐
その名も悲しい稚児落としから辿ってきた方面を振り返って
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その名も悲しい稚児落としから辿ってきた方面を振り返って
大月駅の標識で安堵、織田方に城を包囲され逃げる途中に泣きだして落とされた稚児は小山田信茂側室千鳥姫の赤子万生丸
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10/2 14:50
大月駅の標識で安堵、織田方に城を包囲され逃げる途中に泣きだして落とされた稚児は小山田信茂側室千鳥姫の赤子万生丸
15:15麓の祠にご挨拶
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10/2 15:13
15:15麓の祠にご挨拶
中央高速
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中央高速
15:35太刀塚
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15:35太刀塚
麓から岩殿山を見上げる
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10/2 15:39
麓から岩殿山を見上げる
15:45無事、駐車場着ふ〜
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10/2 15:47
15:45無事、駐車場着ふ〜
日本有数の高アルカリ泉という天目山温泉でお肌ツルツルでさっぱりして、
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10/2 17:16
日本有数の高アルカリ泉という天目山温泉でお肌ツルツルでさっぱりして、
最後は甲府でスープカレーとかで満腹になっておしまい也
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10/2 19:05
最後は甲府でスープカレーとかで満腹になっておしまい也
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