【阿寺】寺田小屋山(1505m)
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- GPS
- 04:11
- 距離
- 7.8km
- 登り
- 686m
- 下り
- 685m
コースタイム
- 山行
- 3:33
- 休憩
- 0:33
- 合計
- 4:06
下山でお会いした草刈り作業の方、早期退職して山登り人生。御前山から寺田小屋まで道を拓いたこともあるらしいです。しかし、山巡りの全国行脚から戻ってみると、ヤブまみれになっていたとか。それでも、いつかは寺田小屋から高森山まで道を拓きたいと語っていました。頼もしいなぁ。
過去天気図(気象庁) | 2020年10月の天気図 |
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アクセス |
写真
感想
ほんと、おバカな話ですが、道の駅で休憩した時、車のキーが行方不明。これで、今日のお山は中止!?見つかるまで、小一時間のロス・タイムでした。
気を取り直して登山口へ。駐車場にはすでに先客さんの車が二台。慌てて出発です・・・が、この登山口の登山者の99%は白草山です(ちなみに根拠はありません笑)。
黒谷林道の起点に立ちます。白草山方面に別れを告げ、荒れかけた林道へ。目指す山頂を見上げながら『熊注』の赤いゲートを越えると洗い越しです。その頃までには、舗装が剥がれ、夏草が茂り「奥の細道」と化した山道に変わります。
登り口のコンクリ階段からが、正式な登山道です。山肌をトラバースして、沢の源頭をいくつか越えます。道は崩壊箇所もあり、木橋も腐ちかけています。
あ、白いサーモスが落っこちてますよ。象印の350mlボトル。中味はコーヒーでした。山頂での憩いのひと時のパートナーでしょうか。回収してあります。持ち主の方、声をかけてください。
『保安林』の黄色い看板から山頂に直登します。ミズナラの木の立つ四つ辻。切り拓きには、名古屋営林局の赤い境界見出標が付いています。植生は植林界、ササヤブ、ダケカンバ。表情を微妙に変えながら、青空にいいざなわれて山頂に立ちました!
二等三角点と山名プレートが二枚。伐採された南面には恵那山や二ツ森山がのぞきます。
いよいよ本日のハイライト。建物跡、鉄塔跡、TVの共聴アンテナ跡をたどって歩きます。待ちわびた展望が大きく開けました。高森山、箱岩山、白草山、小秀山・・・伊吹山、養老、鈴鹿、名古屋の高層ビル群、猿投山・・・
御料局三角点まで来るとVIP登壇。御嶽山です!しかも、白装束。どこから見ても絵になるヤツ。悔しいけども私とは格が違いますね。(意味不明)
登山道の笹が刈ってあり、ヤブっぽさはゼロ。そしてキノコ祭り。さっそくシロキクラゲを見つけてノドがごくりと鳴りました。これだから食いしん坊は困る。
林道に降りて帰路を急ぎます。『熊注』の赤ゲートで出会いがありました。草刈りしてくださった方です!グッジョブ!!3〜4日かけての草刈りだったそうです。飛騨出身のその方は、南は屋久島から北は利尻まで、全国行脚したベテランさんでした。
おもむろに疑問をぶつけてみました。寺田小屋の山名の謎です。私はこれまで、ツグミなどを狙ったカスミ網猟の小屋掛け跡だろうと、ふんでいました。しかし、その方の推測は、猟でも林業でもなかったんです。
それが何と、太平洋戦争当時の敵機B29の監視用の小屋だと言うのです。1945年の富山空襲。軍需工場にではなく、市街地への攻撃が行われたことで、今でも議論を呼んでいます。
彼によれば、空襲に伴って高岡に向かうB29 の動向を探るために、ここに小屋が置かれていたんだそうです。当時、高岡には防空監視隊が展開していたので、彼の推測は的を得ているように感じました。
それにしても、こんな山奥にまで戦争の史跡。なんともはや、未来永劫、戦争の記憶が失われることは なさそうです。
ふと、我に戻りました。時計を確かめます。さあ、帰ろう。ノコンギクやクサボタンやコアカソを分けて歩いていきます。
さて次は、本日二山目。
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