【尾張丹羽郡の山】尾張富士〜尾張白山〜尾張本宮山
- GPS
- 05:51
- 距離
- 13.9km
- 登り
- 657m
- 下り
- 658m
コースタイム
天候 | 高曇り |
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過去天気図(気象庁) | 2020年12月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
千種〜大曽根 JR中央線 大曽根〜平安通〜上飯田 名古屋地下鉄 上飯田〜羽黒 名鉄小牧線 |
その他周辺情報 | 無し |
写真
装備
個人装備 |
地下足袋+脚絆
焚き火セット
ノコギリ
弁当
水筒
軍手
ラテルネ
地図磁石
防寒具
雨具
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共同装備 |
ツエルト
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感想
朝ごはんの片付けを終えてから、やっぱ山に行くかな〜と思いたって、「自宅から6時間で下山コース」の作り置きの計画を引っ張り出す。
20年ぶりに名古屋に住んだら、大曽根、上飯田のあたりが小牧線とつながっていた。ここを通って尾張三山の麓の犬山市へ。味美、味鋺、と地名が気になる。
羽黒はやはり修験道関連の由来だろうか。駅から浅間神社までの道で尾張富士が近づいてくる。通るクルマが速くてコワい道だ。色のついた1キロくらいの石にお願いを描いて山頂に運ぶと奉納になる。僕も切実なお願いを描いて一個ザックに入れる。石には「はやく家族一緒に暮らせますように」と書いた。
参道は御嶽山の霊神碑並みの景観の献石の列だ。参拝〇〇回記念、陛下即位記念など、石を建てる事情は様々。上の方の巨大な石になると、大正前半くらいの時期が多い気がする。第一次大戦後から関東大震災までの、活気のあった頃かな。それにしても重そうだけど、やはり人力で上げたのだろう。名古屋城の石垣だって運ぶんだから。昔の人は今とは違う肉体なのである。
山頂に献石してお社にお参り。入鹿池方面へ。湖岸では、ボートの群れに驚く。愛知県人はこんなところに集まってボートを漕いでいるのか!12月とはいえまだブルブルするほどは寒くない。やっぱりここは南国なんだな、と思った。
神尾の古い建物も残る一角に紅葉が鮮やかだ。ちょうど小雨が降ってきたので、紅葉の下、落ち葉の上に腰を下ろしておにぎりを食べる。ここの佇まいがすごく良かった。
白山への道は地形図にはないが、実在する。ヤマレコの「みんなの足跡」で明瞭に導かれる。これがなければ全く手がかりがない。まあ、どこを登ってもたいしたヤブではないけれど。ここの登りで知人からのオンライン電話あり、顔だしで山行打ち合わせ。
白山山頂では85歳含む、和気藹々のご婦人グループが楽しそうに持ち寄りご飯の食事を終えたところだった。僕の履いている地下足袋の話で盛り上がり、話をする。みんな下界じゃ集まって大声で話せないから、とても楽しそう。ここはデカメロンだよ。
続けて本宮山へ。ここも道がたくさんあり、地形図には表示無く、ヤマレコのスマフォ画面がすべてを示している。こういう山の散歩は本当に頼ってしまうなあ。でもやはり表示を追うだけになってしまうと、いったい何をしに山に来たのかと、ハッとすることがある。浄泉寺の参道はトラの狛犬や立派な仏塔や本堂があるが、僧侶のいる気配が無い。小さな子どもづれ家族に二組あう。クルマで半分来られるし石段が多いからかな。
本宮山でも、やはり子供みたいに楽しそうに話し合っているご婦人二人組がいて、下界じゃみんな辛抱しているのだろうなと思った。入鹿池のボートもそんな気もちで来ているのかもしれない。
3つの山、展望はなぜかどれも名古屋方面に限られていた。駅周辺の摩天楼は、実際本当によく見える。鈴鹿からも、伊勢神峠からも見えるのだから。高曇りで、鈴鹿の方までは不明瞭。こっちが低いせいか養老山脈が巨大山脈に見えた。岐阜側の木も刈って、展望が見たかった。山麓に住んでいるならば、朝飯前に往復できる良い山だ。
大懸神社から楽田までの下山路は、やはりクルマが傍らをビュンビュンの殺風景な直線道で、山麓情緒がまるで無かった。名古屋の郊外は、豊かなせいなのか建物はモデルハウスみたいなのがひしめく、まっすぐ道の造成地ばかりで、工場と送電線と看板が山の景観を塞いでいる。沿線の駅前も小綺麗で人工的な町並みが多く、味気ない。山麓田園歩きで駅に降りる山行が好きだが、今回は、アサリの味噌汁を飲み干したら、椀の底の砂を口に入れてしまったような印象だった。でも味噌汁はうまかった。
締めの味噌汁がヨカッタ。
おおあがた神社には参りましたか? アレのスポットなんですよ、ここは。
もちろんおまいりしました。要イマジンな石がありました。
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