記録ID: 282776
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ハイキング
四国
安徳帝潜幸所背後の尾根ハイウェイ(金見山〜大谷山回遊)
2013年04月05日(金) [日帰り]
- GPS
- 04:14
- 距離
- 8.8km
- 登り
- 492m
- 下り
- 490m
コースタイム
12:14分教場跡-12:50稜線-13:01金見山-13:09木峰-13:17切山越-13:21天狗森東部山頂-13:36唐谷山-13:43田野々越-14:11〜14:42大谷山-15:09田野々越-愛宕山公園で撮影-16:00分教場跡-16:09〜16:20生木地蔵-16:28分教場跡
天候 | 晴れのち曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2013年04月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
登山口である分教場跡付近の駐車スペースは一台分ほどしかないが、門柱から中に駐車可能なら他に二台ほどは駐車可。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
≪五座の縦走回遊≫ 四国中央市金生町山田井切山は安徳帝と平家の里として有名である。しかも他の全国各地にある伝承とは異なり、平家物語の記述と符合する内容で古文書も残されている。 この切山背後には阿讃山脈から続く山々が連なっているが、それらの尾根の縦走路の幅員は通常の尾根道と比べると突出して広い。それは稜線が防火帯になっているからである。 市町村境や県境、藩領界等の重要な境界に稜線がある場合、その稜線上が防火帯になっていることがあるが、防火のために尾根上の樹林や藪を刈り分けている訳であるから、通常の尾根道より幅員が広いのは当然とも言える。但し、現代に於いてもその幅員を保っている山は多くはない。 予讃県境西部に位置する金見山(596m・一等三角点峰)から大谷山(507m)にかけては、今でも幅員が広く、視界の彼方まで尾根道が続いているのが遠望できる。また、展望も随所に開け、三島川之江港から燧灘、瀬戸内海を眺望できるポイントもある。 この二座縦走及び回遊のコースガイドについては、三人ほどの会員が投稿しているが、なぜか一番楽なルートを採った会員はいない。 一見すると、稜線を越える田野々越(唐谷峠)から二座をそれぞれ往復するコースが楽に思えるが、地形図を見ると金見山、木峰(580m)、天狗森(530m)、唐谷山(480m)はどれも稜線からは突出したピークであり、往復するとなれば、各山の急登を二回行わなければならない。 よって、最も楽なコースは、南麓の切山集落の分教場跡から金見山東の稜線に出て、前述の山々を縦走して大谷山まで行き、そこから田野々越まで引き返し、県道9号を分教場跡まで下る回遊コースである。 尚、このコースは登山口からの高低差が小さいため、帰路、県道脇の愛宕山(469.9m)や昭和期、全国ニュースでも報道された樹木に彫られた生木(いきき)地蔵に寄った。 分教場跡前の変形四差路のガードレールに金見山方向を示した文字が書かれているので、その通り西上の道路を上がる。 すぐY字路が現れるが、そこは石標が示す龍王神社方向へ右折する。谷を越えた先にもY字路があるが、「上り」の道を採る。道は未舗装林道だが、車高の高い四駆車でないと走行は厳しく、また、対向車が来ると待避が困難である。 てっきりヘアピン続きの林道をショートカットする古道があるものと思っていたが、痕跡は認められない。 桜の木がいくらかある所を過ぎてほどなくして、林道をショートカットしようと斜面に上がったら、私道の作業車道跡に出てしまった。当初、これをコースの林道と思っていたが、藪漕ぎして適当に斜めに上がって行くと、正規林道から続くコースの登山道に出た。 植林帯の中の道は緩やかだが、木峰南東のピークのコルを越えると、一旦下りになる。 やがて上りになり、尾根が前方右に近づいてくるが、それは稜線ではなく、金見山東部から南に張り出す支尾根である。 稜線に出た地点には手製の道標が掲げられている。 西に上がって行くと広々とした尾根道が前方ピークに向けて走っているのが見えるが、そのピークは金見山手前のピークである。 金見山を越えると急下降と急上昇を繰り返すことになるので、大谷山まで縦走する際、先に大谷山を縦走して、田野々越から金見山までを後に回すと、身体に堪えることになる。 天狗森は東西にピークを持つが、山頂の風情があるのは東のピークである。 天狗森西のピークを越え、コースが北向きに変わると北方一面の展望が開け、大谷山方面を見渡すことができるが、そこから大谷山に達する尾根道が視認できる。つまりそれだけ、防火帯となっている尾根道の幅員が広いのである。 唐谷山山頂手前から振り返ると、今来た天狗森、木峰、金見山を見渡すことができて気持ち良い。 田野々越から大谷山までは、尾根道と各ピークの巻道との二種が遊歩道として整備されている。投稿者は往路、尾根道を辿り、復路は巻道を下った。尾根道からは唐谷山から金見山までの四座全てを見渡せるポイントもある。 森林管理局の図根点補点標石がある三叉路は、北に折れる。そこは予讃境界尾根と旧豊浜町&旧大野原町の境界尾根との合流地点である。尚、図根点とは、平板測量時の位置の基準点で、三角点と同様、正点と補点がある。 因みに金見山からここまで稜線に番号と「山」の字の刻字がある標柱が立ち並んでいるが、これは森林管理局の「境界目出し標」で、番号のある面の側が国有林で、「山」の刻字面側が民有林(県有林と市町村有林を含む)となる。戦前は石標だったが、戦後はコンクリート標となり、昭和後期以降に設置されたものはプラスティック標になっている。 大谷山頂はかつて、瀬戸内海を望むパノラマを誇っていたが、現在では周囲の藪のせいで、海原を遠望することは叶わない。しかし少し北西に下ると、ある程度川之江港から燧灘の展望が広がっている。 帰路、450mピーク南東の分岐から北西に折れ、カンカン石に寄った。和泉層の砂岩と頁岩からなる露頭で展望が良く、天狗森から愛宕山の尾根を見渡すことができる。 その愛宕山頂へはすぐ東の県道からは数分もかからない。大山神の祠の側に四等三角点が埋設されている。 山頂の西下は「愛宕山桜公園」でベンチもいくつか設置されているが、桜の見頃はもう終わったようである。但し八重桜はこれから。 ここからは川之江港の工場群や燧灘の展望が優れている。 公園の更に西下の安らぎの家まで下ると、車道を南東へと下り、愛宕山から南に派生する尾根を巻く形で分教場跡まで戻った。 分教場跡からは有名な生木地蔵に寄ることにした。地蔵への歩道分岐手前左上には間部神社の祠があるが、これは安徳帝を元暦元年6月、屋島からこの切山地区に迎えた五士の一士、間部藤九郎(改名前は平清重)を祀ったものである。 徳島や高知に伝わる安徳帝伝承の多くは、帝は壇ノ浦には行かずに生き延びたという説だが、この切山のものは屋島から長門の彦島へ向かうまでの半年間、滞在していた、という伝承で、五士の一士、真鍋家にはそれを示す古文書も残されている。真鍋氏の始祖は、平清盛の子息、清房で、壇ノ浦で平家が敗れて以降、真鍋次郎と改名したと言われる。切山地区の殆どの住民が平家落人の末裔なのである。 変形四差路から生木地蔵へは案内板があるので迷うことはない。約250年前、カゴノキに彫られた地蔵だが、腐食が激しいため、覆い屋を設置して、横の木にレプリカの像が彫られている。レプリカとは言っても、技術は本物同様の高度さが要求される。まさに「匠の技」である。 尚、地蔵分岐から東方の道路沿いには、数々の安徳帝や平家落人の史跡・伝承地があるが、道路の幅員が狭く、車で巡る際は対向車が来ると待避に苦慮する。 |
写真
撮影機器:
感想
[安徳帝と平家遺跡情報ほか]
大谷山は遊歩道が整備されているだけあり、平日でも行楽客やハイカーの姿が見受けられる。
カンカン石からの道を下って行けば陽石(烏帽子岩)があるらしいが未確認。
生木地蔵分岐から東方にある「院の墓」や土釜神社・土釜薬師も徒歩で行ける距離。院の墓は安徳帝の御衣と御念仏を埋め、「拝み御陵」としたもの。土釜神社は五士子孫が奉られており、薬師は安徳帝の御安泰を祈念したもの。いずれも看板や道標が設置されている。
安徳帝入国道や出国道のルートも解明されており、興味深い。
県道9号沿いに標柱が建つ、真鍋家住宅(国定重要文化財)には県下の大学が開発した「平家遺跡案内ロボット・霧山侍」があり、自動音声ガイドが流れる。
平清盛の末裔・真鍋家の当主は切山平家遺跡保存会の事務局長。
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