富士山(BCで初の山頂)
- GPS
- --:--
- 距離
- 11.1km
- 登り
- 1,493m
- 下り
- 1,496m
コースタイム
- 山行
- 8:24
- 休憩
- 4:09
- 合計
- 12:33
過去天気図(気象庁) | 2011年05月の天気図 |
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アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
装備
個人装備 |
スキー板(BD アスペクト 166cm 128-90-115mm)
ケーブルビンディング(BD オーワン)
プラブーツ(ガルモントケナイ)
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感想
富士山BCは前年(2010年)5月の第3週末に富士宮口から初めてトライしたが、残念ながら、9合5尺3550m辺りで断念した。(8合目3200m過ぎまではすこぶる順調で2時間ほどで到着したのであるが、そこから先がまったくだめだった。下りの滑走は快適だったけれど)
この年はそのリベンジとも言えるもので、吉田口から取り付いた。
やはり8合目から先がきつく、そこから実に6時間近くかかったようだが、なんとか頑張って山頂に達した。
下りの吉田大沢のスケールは感動ものであった。
ただ、まっすぐ降り過ぎて、登山ルートからはだいぶ外れた7合目の下付近の滑走終了点からスキー靴で歩いて5合目まで戻るのが大変であった。
少し長くなるが、『中国山地のバックカントリースキーと高校登山部顧問の30年』第3部 四方山話16「2015富士山バックカントリー敗退、そしてその借りを乗鞍で」の中で2011年の富士山BCに触れた部分を引用してみる。
(以下引用)
翌2011年のやはり(1学期中間テスト週間で、クラブ指導からフリーになれる)5月第3週、2回目の富士山バックカントリーに挑戦した。
このたびも富士宮口からを考えていた。前年のように金曜日の16時過ぎの出発ではなく、正午に広島を出発し、晩早めに富士川SAに到着して休憩、深夜には5合目まで上がる計画であった。(翌日の時間的余裕に加え、少しでも体を高度に慣らしておく意味もあった。)
ところが東日本大震災の少し後に発生した富士山地域の地震による崩壊で、富士宮5合目に上がる道路は通行止めとなっていた。やむなく今回は吉田側に回ることにした。
深夜1時半に富士スバルライン入口に到着すると、ゲートが開くのが午前3時であったので、それまで車の中で休みながら、3時の開門と同時に5合目を目指して車を走らせた。そうして5合目(2300m)に着いて、登山支度をしながらまたしばらく休憩し、5時過ぎに登山を開始した。
この時の道具は金具もテレマーク(ケーブル式)で、板も前年のものよりはさらにファット系のものを新調し、テレマークブーツも新しいものを新調していた。(それまで使っていたものよりも滑降性能の良さそうなものを求めたのだが、その分歩きの際は少々窮屈だった。)登りのスタイルは前年と同様で、プラブーツを履き、板のみザックに取り付けて登った。
この時も8合目(3040m)までは順調で2時間30分少々で登れたが、そのあとからが次第にきつくなった。何とか前年の雪辱を果たしたいと思い、最後はザックもデポしてどうにか山頂(3710m)に立ったが、8合目からは実に6時間近くを要していた(内、休憩の時間が約2時間30分)。
降りは前年以上に快適であった。幅が1kmもあろうかと思われるような吉田大沢の大斜面を豪快に滑り、わずか10数分で7合目の下(2650m)あたりまで滑り降りた。
ただし、その後が大変であった。滑り降りた方向は夏の下山道よりもさらに南寄りの方向で、北方向へのトラバースとなる吉田口5合目までのプラブーツでの2時間半近くの歩きはなかなか辛かった。登りの際、スキー板にブーツも取り付けて登っている人の姿を見て、なるほどあのようなスタイルもあるのかと思っていたが、雪のない道の歩きはやはり登山靴か運動靴のものだ。
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