飯盛山《播磨アルプスの東》
- GPS
- 07:10
- 距離
- 24.6km
- 登り
- 910m
- 下り
- 906m
コースタイム
- 山行
- 6:08
- 休憩
- 1:03
- 合計
- 7:11
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2021年10月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
復路:JR神戸線宝殿駅乗車 |
コース状況/ 危険箇所等 |
飯盛山北稜線から黒岩山手前までは羊歯や笹の藪が濃い 一ッ山は蜘蛛の巣だらけ |
写真
感想
JR加古川線の2両編成の列車を神野駅を降りると意外と“街”だった。先ずは駅の東にある城山を目指した。なるべく往復を避けたいので北側から回り込むようにして中西条の東登山口に到った。山頂にある愛宕神社への舗装道路が山頂まで続いていた。山頂真西の位置で直登する登山道に入り城山(じょうやま85m)山頂に達した。3等三角点「城山」が置かれ、コンクリート造りの愛宕神社があった。此の山は「西条の城山」と案内板がありあ南北朝の武将赤松円心の居館、西条城址だったが此と云った痕跡はなかった。
コンクリート道を通り登山道交差に戻り、登山道を南へと下った。一旦神野駅に戻り、西側の池尻橋で加古川を渡った。権現池から流れ出る西川沿いの自転車道を北上し嶽山の北端に達した。コンクリート舗装の愛宕神社の参道を歩き神社からは登山道に出て嶽山(96m)山頂に到った。山頂標識はないが西側が岩場で展望が良く送電鉄塔のある西峰や飯盛山や高御位山(304m)が望めた。
西峰の直下には5m程の鉄梯子があり岩の上に出ると嶽山西峰(90m’)山頂に到った。南西側に下ると平荘湖の第2堰堤で土曜日とあってジョギングや散歩をする地元の人達が多かった。堰堤の付根は切通しで湖岸に弁財天神社が鎮座していた。南にある升田山への取付は標識があり明瞭だった。採石場の跡で岩が剥き出しになり痛々しい。稜線の岩の縁を歩き、升田山(105m)山頂に達した。3等三角点「上ノ山」があり展望は360゜、先程登った嶽山や此の先の北西稜線、高御位山等が素晴らしい。時間は早いが昼食休憩を取った。
北西稜線は升田山古墳群のエリアで「◯号古墳」の標柱や案内板が設置され10基分は数えられたが古墳はもっとあるようだ。地形的に大した膨らみもなく標識がなければ古墳とは気が付かない。再び平荘湖の湖畔に下り第3堰堤を歩き北端で鍋山へ取付いた。山麓の藪の中にテラスハウスがあり、そのフェンス添いの踏み跡を登って行くとそれが登山道で鍋山(80m’)山頂に達した。展望はなく、山頂標識もない味気なさですぐに北西尾根を下った。登山口にはソファーや訳の分からないものが散乱するでもなく並べられ、そこにいる人たちが異様だった。
地形図に湖の中に道のようなものがあり、そこを歩くつもりだったが繋がる道もなく木の間越しに見ると半ば水没し草の生えた堰堤のようで迚歩ける状態ではなかった。引き返して湖岸の遊歩道を歩き、平荘湖に浮かぶ島のような一ッ山(70m)は北端が繋がっている。入口は笹で覆われ入る気になる人は少ないだろう。笹を分けて侵入すると酷かったのは最初だけではっきりした踏み跡があった。ただ人が来ていないのは確かで、蜘蛛の巣だらけでそれも女郎蜘蛛の太いやつで油断をすると顔にべったり。北岸の道を進み先端手前の藪の薄そうなところから稜線に取付いた。稜線には微かな踏み跡があり、テープも巻かれていた。蜘蛛の巣と格闘して一ッ山山頂に到るが藪の中で山頂標識もなく展望も得られなかった。帰りの北尾根の道は比較的明瞭で3分程で入口に戻ることができた。
車道を横断すると相ノ山の登山口で少し進むと岩場となり、これが一枚岩でずっと岩の上歩きが続いた。送電線を2組過ぎると相ノ山(179m)で展望は登山道の途中の方が良かった。4方向に登山道があり平荘湖、自然の家方面へも下りられる。北東方向の飯盛山方面に進み一旦下降して次のピークで飯盛山への登山道を離れ“アクア館”方面に進み愛宕山にアルバイトした。愛宕山(192m’)山頂には送電鉄塔があり展望は飯盛山、嶽山方面が開けていた。分岐のピークに引き返し飯盛山に向かうと鞍部で送電線が越え愛宕山が谷越しに望めた。
登り返すと顕著なピークで遠くから見ても、飯盛山、相ノ山と合わせて三つ瘤に見えるので飯盛山南峰(200m’)と名付けた。飯盛山(216m)はこの程度の標高ながら平荘湖周の山では最高峰で存在感がある。西方向には洞貝山と高御位山を望むことができた。なるべく引き返したくないので北への縦走路を進み畑谷池に向かう道を進んだ。登山道が羊歯で覆われ開けると蜘蛛の巣に悩まされ、飯盛山に源を発する谷を横断し南峰から繋がる登山道に合流すると整備された道となりやれやれだった。洞貝山手前のピークからは、飯盛山南峰と相ノ山が見られた。
洞貝山(132m)に達すると山頂標識は無く、開かれたところに東屋が設置されていた。西の方には今日最後に行く予定の宮山(88m)と後方に高御位山(304m)が見え、南には黒岩山、行者山、神吉山が連なっていた。北に縦走路は続き、少し行くと反転して自然の家方面に山麓の岩場の巻き道で下って行った。自然の家の手前で再び反転「地知行ダム→」に従い歩いていくと地知行池の堰堤に飛び出し、南に横断すると、飯盛山3座の姿が池に映り素晴らしい。振り返ると洞貝山の姿もしっかりしていた。
対岸に渡り黒岩山への登山道に取付いた。谷間の暗い道で鉄塔ピークに乗り上がった。再び平荘湖が望め一つ山、升田山、鍋山が湖を取り巻くようなアングルで望めた。折り返すように西に進み黒岩山(133m)に達すると4等三角点「天下原」があり、西に続く行者山、神吉山の稜線が望めた。山頂で登山道刈払いの作業者に出合い、この先は済ませたと云うことなので喜ばしい限り。西尾根を下るとやはり一枚岩の岩場で、登山道を外さないようにルート取りが難しい。鞍部に達すると上の岩場にいるのを見ていたと云うご夫婦に出会い暫し歓談。行者山(83m’)山頂は、仏様なのか行者様なのか3体の石像があり、神吉山2号墳の案内板も設置されていたが此の石碑のために古墳の一部が破壊された形成があるとのことだった。
行者山の下山路は一枚岩を削り階段が作られ、手摺まで設えられていた。神吉山への稜線には石の祠に石仏が鎮座、此れが幾つもあり、究極は碑文が刻まれた大岩が立ち、行者山が信仰の山であることを示していた。黒岩山からの稜線の先端の神吉山(かんきやま61m)に到ると“神吉山1号墳”の標柱があり、日露戦争紀念碑が立派だった。西神吉町宮前の墓地に下山し高砂北条線の4車線道路を歩き宮山の北側に回り込んだ。今日最後の山、北尾根に登山道は描かれていないので先端部の茂みから取付いた。藪漕ぎを覚悟していたが稜線に何処からともなく登山道が現れ導いてくれた。宮山(88m)山頂は、角の丸くなった3等三角点「宮山」があるが展望はなし。少し引き返して南への縦走路の分岐点に宮前宮山古墳群の案内板があり、3基の規模の大きい古墳があるそうだ。
宮山の西側は加古川運動公園でスポーツ大会が行われているのかアナウンスの声が良く聞こえていた。下山してきた所は八幡神社で、立派な社殿があり、登山の無事を報告した。此処からは車道歩き3.4劼琶殿駅まで歩いた。低山ばかりとは言え都合24劼諒盥圓亙發応えがあった。
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