【奉拝作戦】子ノ権現・竹寺・棒ノ嶺(棒ノ折山)・黒山・岩茸石山・高水山・雷電山・青梅丘陵【戊63.0】
- GPS
- 11:28
- 距離
- 38.7km
- 登り
- 2,304m
- 下り
- 2,361m
コースタイム
- 山行
- 9:49
- 休憩
- 1:39
- 合計
- 11:28
天候 | 快晴 → 雲の多い晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2013年12月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
復路:西武バス・岩井堂バス停〜飯能駅 |
コース状況/ 危険箇所等 |
子ノ権現周辺うっすらと積雪。 棒ノ嶺〜高水山積雪。特に、棒ノ嶺周辺は多くの人に踏み固められ、若干滑りやすい。 |
写真
感想
本年三十回目の山行は、奇しくも、山歩きを好まれる天皇陛下の傘寿の祝いの日。
陛下のご健勝と皇運の弥栄を祈念し、本山行を陛下に捧げ奉る。
また、子ノ権現において本年も健脚を全うしたことにつき御礼参拝。
よくよく見れば、「奉」(三・十・人)も「拝」(手・三・十)も三十回目にふさわしく、いとをかし、あなめづらしとなん思ゆる。
家を出た後しばらくしてライトを忘れたことに気がつく。飯能から青梅に抜けた後、あわよくば霞丘陵・加治丘陵を経て埼玉に戻ることも考えていたが、これでは日没までだろう。平前日でもあり、結果的にはよかった。
まだ真っ暗な吾野駅に降り立つ。日の出前といっても東方の山の端は若干白んできている。最初は舗装路なので、ライトが無くても特段問題なく歩ける。二日前に笹子に行ったときは、駅のホームから積雪し、道路はガチガチに凍っていたが、奥武蔵はまだその段階になく、道も乾いていた。
最近、カイロを携帯するようになったのだが、もちろん身体のためではない。ガーミンの電池が寒いと消耗するのが早いので、暖機のためである。山の入口、降魔橋で新しい電池に入れ替え、歩き出す。
先日の笹子に比べて雪が少ないが、それもそのはず子ノ権現の標高は笹子駅の標高とほぼ同じ。今日の到達点は先日の出発点なのだ。駐車場付近でようやくそれなりの積雪。しかし、境内付近には積雪無し。堂宇が開いていなかったので、スカイツリーが望めると言う奥の院へ。東京は広く、あちこちに高層ビルが林立しているので、墨田区の辺りを特定するのにまごついたが、ついに見つけた。旭日に赤く染まる東の澄み切った空に屹立する尖塔を。しかも肉眼で見えるというのが素晴らしい。万感の思いを胸に奥の院で暁鐘を撞く。鐘の音から物事が動き出す。寺の人が来訪者に気づき堂宇を開く。私は深く頭を垂れた。
竹寺までの区間は積雪はほぼ無い。秋篠宮悠仁親王殿下のお印でもある高野槇を見上げ、スカイツリーを眺めと境内をぐるりと巡って離れの鐘楼堂でまたも鐘を撞く。その後、名栗の集落へ下りる。これまでのところ他のハイカー無し。
名栗湖畔の食事処で食糧を調達する気持ちが半分ほどあったが、午前10時より前に到着。もしかしたらまだ開いていないのではないかと思いつつ立ち寄ると、ちょうど看板を「営業中」にしたところだ。手持ちの食糧を温存し、軽い朝食をとる。
白谷沢登山口に向かうと他にも山へ向かう人が。山に入ると三々五々と下山してくる人。日も十分昇りいよいよ人が増えてきた。さすがに人気の山域だ。とはいっても白谷沢の雰囲気を損なうほど人がぞろぞろ列をなしているわけではなく、視界に常に人が一人か二人入ってくる程度。春秋はもっと多いのかもしれないが。「東京近郊でおすすめの山を教えて」と訊かれたら、混みあう高尾・奥多摩は避け、棒ノ嶺を挙げることにしている。
切り立った岩の崖の間の沢・滝を抜け、林道を越えるといよいよ積雪が増える。滑らないよう一歩一歩慎重に歩くが、ゴンジリ峠から山頂までは多くの人が歩いた結果雪も固まっており、さらに注意深く歩く。下りはさらに要注意。もう少し傾斜があると危ないかもしれない。
そして、棒ノ嶺の広い山頂へ。麓にいた頃から雲が出張ってきて、展望が期待できないのではないかと半ば諦めていたのだが、意外と奥武蔵周辺の山々、遠方の平野部だけでなく、遠く上州榛名・谷川・武尊といった山々まで白化粧した姿を見せる。北側はまだ大丈夫だ。
ゴンジリ峠から黒山方面の道は南面ということもあり、急激に積雪が減っているように見え、このまま行けば雪山は棒ノ嶺だけかと思ったが、双思ったのも最初だけ。その後、高水山辺りまで断続的に積雪が続く。黒山はあっさりと到着したが、岩茸石山周辺の急登にはいつも参ってしまう。そんな苦労も展望の良い山頂に上がってしまえば報われる。
高水山から下る途中で雪は無くなったが、以前逆方向に歩いた時とは道が違うような・・・。季節が違うからかしら。と思っていたが、実際のところ、以前は雷電山から尾根沿いに上ったのに対し、今回は沢沿いの道を下っている。おかげで下山点が南西側にずれてしまったので、そこから雷電山に最短で至る道を探してアプローチする。
しかし、この道が曲者だ。まず入るところが民家の駐車スペースかと見まごう程狭い。その後、犬に吠えられながら小道に入っていくと、かつてはいくつも軒が連なっていたのであろう。石垣と竹薮と朽ちた小屋の廃墟群。諸行無常を感じていくと、最後に大きな墓が連なっている。先ほどまでの荒れ果てた光景とは一変して墓のあたりは小奇麗だ。人がいなくなっても祖先と祖先への思いは残っているのだ。
この墓の先は気をつけないと道を見失うかもしれない。が、何となく道はわかった。わからんと思ったら、辺りを見回して道をイメージすることだ。とにかく後半は急登である。
雷電山で一休みしていよいよ後半戦。辛垣城跡に寄る道と巻き道の分岐に「行きましょう。」とあるので、上っていくと頂上付近の説明板に「※何も無い!」と落書きがされている。前年4月に来た時は無かったので、その後の1年8ヶ月の間に誰かが書いたのだが、このような主観に属する書き込みには感心しない。山頂には大きな岩があり、木々があり、艶めいた笹が生茂っている。まず物理的にこの記述は正しくない。仮に何も無かったとしてもそこには歴史があり物語があったはずだ。往時を偲べばいくらでもイメージを膨らませることができる。
ここで感じるのがイマジネーションの貧困である。今年はツイッターで自らの愚行を誇らしげにアップする者が相次いで見出され、「バカッター」なる用語も広まったが、これは自分の行為がもたらす結果について想像ができないのである。以前勤めていた学習塾で国語のテストをやると、記述式の問題を挑戦することなく空欄のまま出す生徒が多かったが、それと根は同じかもしれない。どこかで思考を放棄している。思考を放棄した先には、目先に囚われた、行き当たりばったりの人生が待っているのであろう。
若干話がずれてしまったが、とどのつまりが落書した当人にとって「見るべきものが何も無い」ということなのだろう。しかし、そんなことは私的なSNSや日記に書けばいいことであって、わざわざ公共物に落書きしてまで主張することではなかろう。
日が傾き、さらに人がまばらになった丘陵を歩きながら、終点を青梅にするか、飯能にするか考える。このまま青梅丘陵を歩ききれば青梅駅で日没を迎えるだろう。飯能に戻ると里に下りた後、車道歩きが延々と続く。考えた結果、青梅だと乗換が面倒くさいし、青梅丘陵は何度も歩いているのでたまには変化がほしいということで、鉄道公園方面に向かって歩いていたのをUターンして北側に下山することとする。日没まで1時間をきった時点で初めて歩く細い道に心細くもなるが、暗くなる前に真如苑の所有する青梅の杜に降り立つ。
こうして、雲は出たものの最後まで陽光が失われることなく、天長節山行は完了。
また、平成25年の山行も幕を閉じた。
今年は負傷したこともあったが、大事無く歩ききることができた。感謝感謝。
来年もまた機動的な山行ができるよう、暫くは山行計画を検討しながら英気を養うこととしよう。
〜 平成二十五年 完 〜
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