身延山地・十枚岳登山口─篠井山─高ドッキョウ─参謀本部─中河内


- GPS
- 32:00
- 距離
- 32.2km
- 登り
- 2,772m
- 下り
- 2,804m
コースタイム
- 山行
- 5:21
- 休憩
- 1:10
- 合計
- 6:31
- 山行
- 6:11
- 休憩
- 1:36
- 合計
- 7:47
天候 | 晴れ |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス 自家用車
青柳━甲府━内船1032=1100十枚山登山口 <かえり> 中河内1020=1042但沼車庫1046=1105興津1107━1126富士1224━1243西富士宮1307━1358身延1415(ふじかわ5号)1503甲府1544━1642青柳 |
写真
装備
個人装備 |
長袖シャツ
Tシャツ
ズボン
靴下
グローブ
防寒着
雨具
着替え
靴
ザック
ザックカバー
サブザック
行動食
非常食
調理用食材
飲料
ガスカートリッジ
コンロ
コッヘル
食器
ライター
地図(地形図)
コンパス
ヘッドランプ
予備電池
筆記用具
常備薬
ロールペーパー
時計
タオル
ツェルト
カメラ
ポール
テント
テントマット
シェラフ
ラジオ
天気図用紙
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感想
『一番好きな山は何処ですか?』と訊かれれば、迷わず北アルプスの常念岳を挙げる私だが(流石、元・松本市民)、もし『一番印象深い山旅は』と問われれば、質問者にとって意外であろう答えを返すことになる。私の答えはこうだ。「’93.1.23〜24の篠井山登山」
3年前に行ったこの山旅のどこが良かったのかについては、別の機会に譲ることにするが、その“印象深い山旅”の再現を求めて、山梨県南部にある篠井山とこれまた’93年3月に一度登ったことのある山梨・静岡県境の、地図に名前のない山・高ドッキョウを結んだ2泊3日の山旅を計画。この2つの山に向け雪乱れ舞う富山を車で発ったのは2月9日の夜8時だった。ホントは10日の早朝出発予定だったのだが、激しい雪の降りようを見て、国道148号線が通れなくなる!」と思い、9日のうちに“表日本”に出てしまうことにした。148で大町市街に出ると、雪は降っておらず、月さえ出ており、大町よりも先の池田町の池田ハーブセンター前の道の駅で4時間半ばかり寝袋にもぐり込んだ後、再び車をころがし国道20号線の中央本線青柳駅前の路側帯に車を置いて、立川ゆきの列車に乗る。甲府で身延線に乗り換え、内船駅に着いたのは10:08。ここで老人の乗客ばかりの南部町営バスに乗り、十枚山登山口(成島)で下車し、大垈集落跡への林道を歩き出す。前回来たときは成島と大垈集落を結ぶ昔の山道を歩いたが、道が凍結したり、崩れていたりしたので今回は林道経由で大垈集落跡へ出ることにした。大垈集落跡の手前で昼食を摂ったあと、墓場や石垣の残る大垈集落跡から篠井山の登りにかかった。3年前来たときは、ハンターがいて「これは篠井山への登山道じゃねぇ! 帰った帰った」とイジワルされたが、今回はハンターの車も停まっていないし、銃声も猟犬の鳴き声もしないのでどうやらハンターはいないらしい…と思っていたら、標高約900 m地点で猟銃を持ったハンターと遭遇。「鉄砲撃ちがウヨウヨいるから気をつけろよ」と忠告された。この地方は温暖な気候で冬でも積雪を見ないが、流石にこの辺りから積雪が現れ始めた。といっても日陰で10 cmくらいで、陽が当たる所はゼロなのだが。途中、雪上の猟犬の足跡を人が通った跡と間違い、雪付きの急斜面を登るハメに陥ったが、積雪で道が不明でも木の枝がかからないところに登山道があると考えれば間違いはなく、16時にようやく篠井山北峰の篠井山神社に着いた。ここから少し下り、登り返すと三角点のある篠井山頂上である。この地域の山の頂上はたいがい富士山の見える方角だけ切り開かれているのだが、この頂も東側のみ切り開かれており、富士山がハッキリと見え、日本三大急流の富士川の流れに、身延線、愛鷹山、伊豆半島から清水港にかけての駿河湾もよく見えた。これぞ絶景である。しかし、日没まで時間がないので、1時間くらい居たい頂上も20分居ただけでお別れである。先の篠井山神社に戻り、西側への道を採る。この道は徳間からのコース。篠井山の登山コースとしては一番人気で、登りに使った成島・大垈コースはそれこそ猟犬の足跡しかなかったが、このコースはやたら足跡が着いている。ところどころ雪があったり、凍結したりしていて前回よりも苦労した(前回は徳間コース、雪なし)。一箇所木橋が落ちていたが、この辺りで大型銃が逃げる草音が聞こえた。先程出会ったハンターの話では、彼らの獲物はシカとのことで、今逃げていったのがシカであろうか。17:30前に林道終点に出て、この日はここで幕営。
翌11日は福士川に沿う林道の下から始まった。洒落た建物の奥山グリーンロッジは以前来たときもあったが、少し下ったところのキャンプ場の対岸にある奥山温泉は3年前には無かった。結構繁盛しているのか、観光バスが停まってたりしていた。途中サルを見ながら林道をなおも下っていくと日曜・祭日は全便運休の富沢町営バスの徳間バス停に着く。前回もバスがなかったので身延線井出駅まで歩いた。この井出駅への道程で見た光景を今も鮮明に覚えている。’93.1.24、この福士川沿いに立っていた『オウム真理教、進出反対』という看板の群れ。’93.3.5、高ドッキョウ登山のため再びこの地の来たときには、住民運動も虚しく、建設が強行されているのを目撃。そして去年、『山梨県富沢町のオウム真理教の施設・富士川清流舎に強制捜査』の報。たった3年前にサラ地だったのを自分が見ているだけに、去年のあのニュースには驚いた。今回は徳間から徳間峠へ登るので、富士川清流舎を見ることはないが…。
徳間峠へは暫くは林道だが、林道終点から少し入ると沢を何度も渡るようになり、コースサインと林業用のサインがゴチャ混ぜのため道の見極めが難しくなる。滑って左足を沢の中へ突っ込んだり、何度も迷ったりしているうちに、次第に道は沢を離れ植林帯に入った。枝打ちされた杉の枝で判然としない道を歩いていると山梨・静岡県境の徳間峠に出た。ここからは県境を、3年前とは逆に辿ることになるが、今回のコース、前回の経験を踏まえた上でのコース選択である。この高ドッキョウという山、標高こそ1,134 mだが、ヤセ尾根で急な登りや岩場が多く、手ごわい山なのだ。前回、高ドッキョウからの徳間峠への下で怖い目に遭っているので、今回は怖いところを全部登りで通過する逆コースの計画。案の定、徳間峠からの急登は北面のこともあり雪付きだった。途中中高年登山者のパーティーとすれ違い、暫く登ると高ドッキョウの頂上に着いた。『1,134 m』という標識を見ると、あと100 m高ければ…と思ってしまうこの頂も富士山の見える北東側のみ切り開かれ、他の方角の展望はない。ここから物凄い急坂を下り、コブをひとつ越えると清水方面が見える展望所に着く。さらに小1時間歩くと、親子連れから中高年まで、平治ノ段の方から回って来たらしい登山者でにぎわう樽峠に着いた。この日は樽峠でテント泊。水は静岡県側に15分も下ると得られ、水場から200 m下ったところの分岐より100 m右に入れば、地元の登山愛好家が建てたヒュッテ樽がある。
翌12日、樽峠を6時半に出て平治ノ段への物凄い急登に取り付く。シンドイ登りだが20分程で急登も終わり、左手に篠井山が見えてくる。平治ノ段には『山があっても山梨県、いつも静かな静岡県』なる県界標識があり、貫ヶ岳への道が岐れている。ここから杉の樹林帯の中を行くと中沢峠を経て、地元では三方基地(参謀本部)と呼ばれる804 m三角点に出る。三方基地の手前の「360度展望地」ではその名の通りの展望が得られた。
宍原峠へ下り、右の道を下れば林業の作業道に毛が生えた程度の道となり、沢沿いに出ると中沢峠からの道と合流。さらに下ると林道に出て、茶畑の中を歩くようになり、「今、自分は静岡県内にいるんだなあ」としっかり認識。やがて中河内バス停に着き、静鉄バスで東海道本線興津駅へ出て、鉄道で青柳に戻り、車で富山に戻った。
(越中やたらと登る会会報「さんぼ」No.13(1996.4.28発行)掲載の記事をほぼ全文忠実に転載)
追記:
この山行を行った1996年2月10〜12日の世間の一番注目を集めていた話題は、北海道の豊浜トンネル岩盤崩落事故。私も樽峠に張ったテントのなかで、発破作業による崩落岩盤撤去により生存者が救助されるかどうかドキドキしながらラジオのニュースを聴いてたものである。(2022.2.8・記)
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