記録ID: 409308
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積雪期ピークハント/縦走
塩見・赤石・聖
【過去レコ】思い出の山 南アルプス 塩見岳
1974年03月25日(月) ~
1974年03月27日(水)
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- GPS
- 104:00
- 距離
- 35.1km
- 登り
- 2,983m
- 下り
- 2,965m
コースタイム
1日目 鹿塩BSから三伏峠
2日目 三伏峠から塩見岳ピストン (12時間くらいかかりました)
3日目 三伏峠から鹿塩BS (三伏峠の降りの森林帯でソロが登ってきました)
*日にちは多少誤差があります。多分3月20日頃。1974年04月01日(月)〜 1974年04月03日(水)と判明
2日目 三伏峠から塩見岳ピストン (12時間くらいかかりました)
3日目 三伏峠から鹿塩BS (三伏峠の降りの森林帯でソロが登ってきました)
*日にちは多少誤差があります。多分3月20日頃。1974年04月01日(月)〜 1974年04月03日(水)と判明
天候 | 1日目:曇り、夜吹雪。2日目:快晴。3日目:快晴 |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
|
コース状況/ 危険箇所等 |
鹿塩BSの位置が不正確です。 |
写真
感想
冬山は高校1年の奥多摩や丹沢を経て、高校2年の時から、1月の甲斐駒や南八ヶ岳(赤岳等)を登る。大学受験が終わった高校3年の3月の山行です。ちなみに南八ヶ岳はその後よく電車で通いました。
今でも心に残る、思い出の山です。三伏峠からトレースが無く、途中で追いついた信州大学のソロとラッセルを交代しながら行きました。塩見岳山頂直下の半ば氷化した雪壁の下は滑落は許されなかったので、緊張したのを覚えています。ラッセルで時間を取られ三伏峠まで12時間近くかけて戻りました。
半シュラフの為、ガランとした三伏峠の小屋では、寒さが厳しく、信州大学のソロとふたりで寒い寒いと言いっていたのが今でも忘れられません。
レコ作成日:2014年2月22日
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コメント
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モノクロの写真ですが凄く綺麗に撮れてますね!
感動しました
それにして技術の進歩は凄いですね…
かっこいいなー
キャノネットというカメラを中学の時から使っていて、一眼ではないけど、バカチョンでもないキャノンのカメラで、壊れるまで、かなりな長いあいだ使いました。
登山道具も進歩しましたね、服も含めて、あの当時はラクダと言われたウールの下着に、ウールのカッターシャツ。当然、オーバーズボンの下はウールのニッカボッカでした。
kenさんが高3卒業間際、今から39年前ですか?
トップ写真の女性全てが着物姿であるのも、時代を感じさせますね。
拙者が高校に入った頃ですので、周囲の女性は洋装が大半だったように思いますが、地域性もあるのでしょうね。
キスリングも懐かしい・・・。
今ではとんと見なくなりましたね。
白黒写真ながら山稜ははっきりと写ってますね。
信大生の右後方に写る富士山は空中に浮かんでいるようです。
これらはネガフィルムをデジタル化されたのでしょうか?
16番のご自身の写真、ピッケルを斜に構えて「どうだ!」との面構えとお見受けします。
たしかに女性全てが着物姿ですね。地域性でしょうね。あの頃は交通の便やメディアが今ほど発達していなかったから、都会と地方とでは服装やメイクの差が顕著だったのでは。
その通りです、10年くらい前にネガフィルムをデジタル化したんです。その時一部のネガを紛失してしまいました
お歳暮の配達のバイトして、購入したシモンのピッケルで山頂で「どうだ!」と構えました
白黒の写真。
山頂からの展望。
それと伊那大島駅の風情。
感動しました。
malembeさんの山行日数 378日 、すごいですね
自分で言うのも変ですが、伊那大島駅の風情、確かにいい感じですね。時代を感じますね。
感動していただき、光栄です、有難うございました。
すてきな写真見せていただきありがとうございます。
私も積雪期塩見岳でヤマレコで五番めに古い記録で書いてます。
ラクダの下着は今の登山下着に劣らないものですし、ハンガロンの手袋+オーバー手袋を超えるものは今も無いと思っています。ぼくが冬山を始めた1984年も健在でしたし、今もそれほど変わらぬ装備で登っています。道具は進歩というか、格好よくはなりましたね。でも、70年代スタイルも格好いいと思います。ストーブ、スコップ、寝袋などは軽くなりました。
昔の山用角スコップは、先週以来の雪かきに活躍しています。
写真、お褒めいただき有難うございます。山行日数ハンパないですね!
積雪期塩見岳レコ等拝見させていただきました。
スキーを担ぎ上げたのもすごいですね。
ラクダの下着は、汗で濡れたときの感触の具合、そして保温力も有、今でも冬山では最適だと思っています。ただ、当方、しばらく冬山から遠ざかっていたら、体が軟弱化したのか、ウールのチクチク感が気になり、今は速乾性下着に変えてます。ただ、その上に昔からのウールのシャツを着ています。
手袋は、ほんと、今でもいいのがないですね。ハンガロンの手袋+オーバー手袋は冬山には最適ですね。私も今でもハンガロンの手袋は2セット(穴のあいたところをウールの糸で補修しながら)持ってます。数年前に北ヤツで使っているの見られたら、「ずい分古いの使ってるね」と年配の登山者に言われました。
はじめまして、こんにちは
とてもいい状態のお写真ですね。
高度成長の頃でしょうか、当時の道具とか様子が勉強になりました。
初めまして、こんばんは。
モノクロのネガは月日が経っても、色あせが少ないようです。あ!白黒だから色あせは無いか
レコは拝見してます、日記も見ました。クライミングを存分に楽しんでるようですね、早く肩が治るといいですね。
こちらこそ、コメント頂き有難うございます、過去レコアップした甲斐がありました。調子に乗って、高2の時の2月の八ヶ岳赤岳の過去レコもアップしちゃうかも。
初めまして。
残雪期私も塩川から登りました。
塩川小屋から先、当たり前ですが今と全く変わりませんね。
やはり苦労した山行は振り返ってみてもイイものですね。
tomhigさん、初めまして。
もう半世紀近く昔のことですけど、今でも、最後の雪壁の登り下りや、登頂後の小屋で寒くて、夜、信州大学の学生と「寒い、寒い」とお互いに独り言のように言っていたのを覚えてます。
あの日の夜の星空は今でも覚えてます。暗黒の空間より、星の瞬きの方が多く、驚きを隠せませんでした。
コメントありがとうございました。
深沢下降点から鹿塩までだと、北岳経由ですね。素晴らしいです!
写真にはありませんが、星の方が暗黒の宇宙空間より多いと知ったのは、山伏小屋の夜でした。
1週間前の多摩、奥多摩の山行は忘れても。山伏峠からの塩見や夜の星空は今でも鮮明に覚えてます。
プルーンのドライフルーツは結構高価だと思うので持って行ってないと思います。下山時に山伏峠下の森林帯でスライドしたソロ青年のかもしれません。
あの頃は、学生でお金も、車もなく、私もギリギリのお金で山に行ってました。
冬の北岳は逃げていきました。せめて、無積雪期に深沢下降点から北岳だけでも行きたいと思ってます。
コメント有難うございました。
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