新龍アルプス・龍野古城巡り
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- GPS
- 06:16
- 距離
- 18.2km
- 登り
- 1,101m
- 下り
- 1,122m
コースタイム
- 山行
- 5:21
- 休憩
- 0:55
- 合計
- 6:16
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2022年04月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
復路:JR姫新線本竜野駅 |
コース状況/ 危険箇所等 |
祇園山登山道の巻き道は羊歯が茂り狭く斜めで難路 |
写真
感想
JR姫路駅から姫新線播磨新宮行に乗換え終点まで乗った。新しい気動車に変わり快適な車内だった。エンジンの振動が旅情を掻き立てるがやはり煩い。登山の手始めは栗栖川の対岸に横たわる新田山(97m)に登る。此の山は四国88箇所の石仏が登山道に並び一日にしてお参りできる。京都の御室成就山のような感じになっている。山頂は西山公園として展望が良く、歩き出した播磨新宮駅を間近に俯瞰することができ、此の後行く祇園嶽から亀山の稜線も一望することができた。山頂部には龍野市の水道施設があり巨大な水槽が銀色に輝いていた。北の方には烏岩、重ね岩があり変化に富んだ山頂が楽しめた。
水道施設の作業道で西側に下り、「城山城搦手→」の指導標に従い市野保集落に入ったが「搦手」が何処なのか分からず、予定ルートと少し違うようなので「てんかさま50m先左」の指導標に従い辿って行くと“越部の禅尼の墓”(てんかさま)があった。この先フェンスで区切られ進入出来ないので迂回して椎茸の榾木の並んだ処から谷に下り、涸れ沢を横断し稜線に取り付いた。直ぐに正規の登山口があり一安心。稜線の道は北側の山腹道となり羊歯が繁り道が斜めになり結構難路となった。軈て稜線の鞍部に乗り上がり北側に飛び出した祇園嶽(340m)に立ち寄った。山頂には3等三角点「祇園山」が置かれ、祇園嶽城の跡とされ案内板があり縄張図も載っていた。其れによると文検討は一切残っていないが削平地や出土物などから城山城の出城ではなかったかと推測されている。山頂先端部に大岩があり展望が開けていた。
山頂直下にあった「←出城80m」の表示に従い行ってみると明らかに人の手が加わった平坦地があり案内板は無かったが其と知れた。市野保への分岐に戻り亀山方面への縦走路を進んだ。展望のない稜線だがミツバツツジが咲きいい感じだった。P377まで来ると立てられた大石に南無阿弥陀仏の銘のある供養碑や蛙岩を見て亀の池(きのいけ)分岐に到った。亀岩があり、よく見ると亀の顔に見えた。3分で亀の池に達すると開けて池越しに亀山が望めた。山中なので天然の池だと思っていたが、溜池だった。
分岐に引き返して亀山に向かうと展望地があり揖保川と栗栖川に挟まれたたつの市新宮町の市街が俯瞰できた。亀山直前で石塁方面への分岐があったが「先ずは山頂」と亀山(きのやま458m)山頂に達した。4等三角点「亀山」が設置されていたが展望のない山頂だった。亀山は“城山城(きのやまじょう)”の跡で西暦663年白村江の戦いで敗れた大和朝廷が唐・新羅の侵攻に備えて築いた山城とされている。山頂西方向に「←門の築石5分」の案内があり、ザックをデポして行ってみた。加工された大石は城門の扉の礎石だったようだ。先程パスした“石塁3”にも足を延ばし苔生した石積みを見た。山頂に戻り南への縦走路を進むと“石塁2”、“最大の堀切”の案内があり縦走路を外れて立ち寄った。石塁3とは比べ物にならないしっかりした石垣があり、その先には深く切れ込んだ掘割があった。
山頂域には3つのピークがあり三角点のあるピークを主峰として、仮に南峰(451m’)、東峰(441m’)としたが一帯は城山城(きのやまじょう)のエリアで、人工的な平坦地は郭跡のようでいきなり急斜面となる所は土塁の跡と推測される。東峰まで来るとさっきまで持っていたコンパスがない! 南峰の下りで手に持っていた処までは記憶にあるので引き返して探したが道のない処を適当に歩いていたので正確にトラックバックすることができず発見できなかった。残念!
東峰の西で“←礎石建物址80m”の案内があったので行ってみると平坦地に礎石が並んでいた。その少し先には、樹木が切り開かれた展望所があり20人程の団体が憩い賑やかだった。的場山に続く稜線がアルプスらしい様相を呈していた。此の稜線は、ミツバツツジの稜線で美しかった。P389の手前で振り返ると亀山東峰が望めた。直下にあった礎石建物址展望所でr休憩していた団体がまだいるようだった。P389ではたつの市の市街地が望めた。最初に登った新田山も俯瞰することができた。
P389から100m程下降し4等三角点「佐野」(383m)向けて登り返すと小ピークの後に三角点が置かれたピークに達した。南に進路を変え少し登ると送電鉄塔があり佐野への下山路が東に分岐した。標高410m余りのピークに達すると近づいてきた的場山を望むことができた。揖西町中垣内への下山路が分岐し、330mまで高度を下げて的場山に登り返すと車道が右手から現れたが車道を歩くこともなく丸太階段で山頂に到ることができた。山頂には2基(もう1基あるらしい)の電波塔があり、車道は電波塔の保守道路のようだった。的場山(394m)山頂には、3等三角点「竜野」があり3人の登山者が休んでいた。山頂には、日の丸と青と黄色の国旗が挿された木が立てられ、ロシアの侵略に苦しむウクライナ支援を現していた。
北東尾根から回り込むように進み両見坂に下ると北龍野と上霞城からの登山道が上がってきていた。巨大な石灯篭があり、“鶏籠山龍野古城”の案内板が設置されていた。此れから登る鶏籠山は、明応8年(1499)に赤松村秀によって築かれ、蜂須賀、福島、木下、小出と城主が替わり慶長3年(1598)には麓に下りて現在の平山城の龍野城址となっている。鶏籠山(218m)は、麓から見ると鶏の伏籠に似ているのでこの名になったと云う。山頂は本丸跡で南側に二の丸があり、竪堀や土塁、石垣の跡がしっかり残っていた。
麓に下り獣除けネットの二重の扉を開けて龍野城址のエリアに入った。隅櫓や本丸御殿、埋門などがあり、名残の桜が綺麗で観光客が訪れていた。龍野は醤油と素麺で有名な街でレンガ造りの煙突を備えた醤油工場と町屋が重要伝統的建造物保存地区に指定されている。街を西に向けて歩き桜の時期が過ぎた龍野公園を見て白鷺山の北西端に達した。北側の遊歩道を登ると“童謡の小径”でセンサーが反応して童謡が流れた。作詞家三木露風の生誕地で“赤とんぼ”と云えば龍野が思い浮かぶ。白鷺山(121m)山頂には4等三角点「日山」が置かれ展望台が設けられていた。南東側に下ると国民宿舎赤とんぼ荘があり、一部車道を歩き粒坐天照神社(いいぼにますあまてらすじんじゃ)に下山した。
重伝建地区を歩き龍野橋で揖保川を渡り振り返ると、鶏籠山が将に鶏の伏籠そのものに見えた。その背後には的場山が聳えていた。JR本竜野駅まで歩き縦走を終えた。
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