北ア前衛・泊駅から三峯キャンプ場経由で南保富士往復
- GPS
- 32:00
- 距離
- 16.6km
- 登り
- 971m
- 下り
- 966m
コースタイム
- 山行
- 3:16
- 休憩
- 1:30
- 合計
- 4:46
- 山行
- 6:40
- 休憩
- 1:20
- 合計
- 8:00
アプローチ:
富山916発―泊1014着
泊1400発―富山1450着
天候 | 晴れ |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
電車
|
その他周辺情報 | 下山日が6月2日だったので、みんな(顧問の先生を除く…笑)で富山のBIGなイヴェント、日枝神社の山王祭りに繰り出した(笑)。 |
写真
装備
個人装備 |
長袖シャツ
Tシャツ
ズボン
靴下
防寒着
雨具
着替え
靴
ザック
時計
シェラフ
サブザック
|
---|---|
共同装備 |
ガスカートリッジ
コンロ
ラジュース
メタ
予備石油
白ガソリン
マッチ
コッヘル
食器
ファーストエイドキット
ロールペーパー
ツェルト
ポール
テント
ランナー
ペグ
木槌
円匙
ランタン
ローソクランタン
はし
たわし
ラジオ
天気図用紙
ポリタンク
|
感想
1985年は6月1日と2日に開催された富山県高校総体の山岳競技の会場は、朝日町の南保富士だった。1985年に富山高校に入学し、山岳部に入部したばかりの1年生だった私にとっては、まだ2回目の山行。当時の富山県の高校総体の山岳競技の会場は参加校の顧問の先生が持ち廻り当番制で会場を決めていたという認識で居るんだけど、1985年の当番は泊高校だったようで、校舎のすぐ近くに登山口がある南保富士が会場に選ばれた。今でこそ『富山の百山』に選ばれるくらいメジャーな存在な南保富士だけど、当時は1:25,000地形図にも山名が載ってないマイナーな存在だった。
6月1日の土曜日は、一旦学校に集合し、富山駅に(おそらく市電で)移動。国鉄の普通列車に乗って泊駅へ。県内各地の全参加校が一旦泊高校に集合して、開会式やら早い昼食を摂ってから12:00に宿泊場所である三峯グリーンランドに向かうことになっていた。参加校は10校くらいだったと記憶してたけど、1校あたり参加者が10人と勘定しても100人くらいの大所帯が隊列組んで登山口へ練り歩いたワケである。同じ人数でも保育園の遠足だとカワイゲがあるけど、大きなキスリング背負ったイカツい兄ちゃんたちの群れ(そのなかに数名の顧問のオッサン…苦笑)をみた地元民はどう思ったか…(苦笑)。
実は、泊駅から泊高校経由で宿泊地である三峯グリーンランドに集団で向かったことは覚えていたけど、どのコースで移動したかはすっかり忘却の彼方になっており、てっきり西麓の南保地区の車道を通って向かったんだろうと思ってた。久しぶりにこの時の登山計画書を引っ張り出して確認してみたら、馬鬣山経由だった…(苦笑)。去年(2021年)の5月に馬鬣山を歩いた時(https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-3205797.html)に少なからず既視感があったのはそーゆーことだったのか!(苦笑) 初日は馬鬣山経由で三峯グリーンパークまで移動し、三峯キャンプ場でテント泊。富山高校山岳部の悪しき伝統として(苦笑)3年生は箸やらタワシやら天気図用紙(苦笑)など軽いモノを持ち、1年生はテントなど重くて嵩張るものを持たされた。まだ入部後2回目の登山で、重い荷物を背負ってヒイヒイ言いながら登ってる時だったか、引率の他校の先生が道を間違えて一同来た道を戻ることがあった。ついつい「道間違えるなんて、ふざけんなよ!」などと悪態をついた私、2年生の先輩から「オマエのセリフ、先生にモロ聞こえだったゾ! 流石のオレもフォローのしようがなかったな」ってな感じで注意された(苦笑)。件の先生からは直接は何も言われなかった(苦笑)。
2日目は重い荷物はキャンプ場に置き去りにして、身軽になっての南保富士アタック。山頂からの展望がどうだったとか、本来の目的である山岳競技がいつ開催されたとか…は全く記憶に無い(苦笑)。2年生の先輩たちのチームが入賞し、北信越大会に駒を進めた記憶だけはある。帰りの泊駅までの行程も全く記憶に無い。おそらく、学校に帰ってから富山のメイン・イヴェント、『さんのさん』で知られる日枝神社の山王祭りに行くことしかアタマに無かったからだろう(苦笑)。学校に戻ったら総出で山王祭りに繰り出し、登山疲れなんかモノともせずに夜遅くまで遊んでたことだけはしっかり覚えてる(笑)。
(2022.4.30・記)
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