【高野山】町石道
- GPS
- 10:42
- 距離
- 26.6km
- 登り
- 632m
- 下り
- 1,265m
コースタイム
- 山行
- 2:09
- 休憩
- 0:03
- 合計
- 2:12
天候 | 初日は快晴、翌日は雨のち晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2022年04月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス タクシー
ケーブルカー(ロープウェイ/リフト)
|
コース状況/ 危険箇所等 |
町石道について。よく整備されており危険箇所•道迷いの心配ともなし。ただ雨天ゆえぬかるみは相当なものでした。 |
写真
感想
今年のゴールデンウィークどうしよう?
「高野山行くで」と同行人。えーっと、高野山て女人禁制じゃなかったっけ?
「いつの話をしとるんや」‥そう、明治39年に女人禁制は全廃されていたのでした。
一日目は大阪泊。高野山では精進料理になるからと、ここでお肉摂取。ついでに蓬莱の肉まんもお腹に収めます。
翌朝、なんばから南海高野線を乗り継いで極楽橋へ。
(大阪って「なんば」といい「なかもず」といい、ひらがなの駅名が多いのはどういうことでしょう?)
そこからケーブルで高野山に移動し、さらにバスに乗り換えて千手院橋で下車。
高野山以前に、和歌山自体がお初です。わくわくしながら寺社が建ち並ぶ町に降り立ちます。
古色蒼然としたお寺と、新緑の対比が美しい。
同行人の大切な用事を終えた後、宿坊へ。今回お世話になるのは大円院というお寺さんです。
入口に置かれた石楠花の鉢が、お寺の清廉な雰囲気を引き立てます。
部屋に荷物を置き、早速周辺を散策することに。
金剛峯寺を参詣し、奥の院へ向かいます。
道すがら立派なお寺の数々を眺めていると、高野山があたかもひとつの国のように思えてきます。イタリアでいうヴァチカンみたいな。
やがて一の橋に辿り着きます。
この橋を渡れば彼岸、空気が一変します。
林立する杉と、苔むした供養塔や墓の数々。永い時間そこにあるなにかが、静かに圧してきます。ここでは生きて歩いている私たちが部外者のよう。
関ヶ原の東軍、西軍も、織田信長も明智光秀も、みな敵味方の区別なく眠っています。
清洌な水がその下を流れる橋を渡れば、弘法大師御廟。ここは厳に撮影禁止です。
川の前には個性豊かなお顔立ちのお地蔵さまがずらり。
同行人が訳もわからず携えてきた薄〜い卒塔婆‥なんていってはいけません、水塔婆をここで納めます。
「どの地蔵の前に置けばええんやろか」「左から二番目のお地蔵さまに置いて」「なんでやねん」「なぜかって? あなたに似てるからよ」「なんでそんな喋り方すんねん」‥
そしてすべてのお地蔵さまに柄杓で水を手向けます。後から後から人が並ぶので、必死でばしゃばしゃやります。
(‥他の方に倣ってそうしたのですが、実は正解がよくわかりません。気持ちだけは真摯に行いました)
デイリーヤマザキで翌日の食料(ばくだんおむすびと黒糖フークレエ)を調達し、宿坊に戻ります。
宿坊の夕餉は早く、17時半開始。
精進料理は正直物足りないだろう‥と思いきや、しっかりめの味付けかつ結構なボリュームです。目に楽しく味に変化もあり、満足。
「高野山を開いたのは誰や?」「‥空海(なにを今さら)」ここで同行人、膳のパイナップルをおもむろに突き刺し私に差し出します「食うかい?」
‥その人の年令は、見た目や体力で決まるのではない、言動で決まるのだと思う瞬間です。なぜこうもおじさんなのか。
朝は私だけ6時からの勤行に参加。
御香が薫きしめられた本堂で、お経の独特な音階のなかに身を置くとトランス状態になります。内陣まで見せていただき、貴重な体験をしました。
朝も立派なお料理をいただき、宿坊を後にします。
見送ってくださったのは若いお坊さん。
「ここにいらしてどのくらいですか?」「5年になります」「なぜ仏門に?」
‥話してくださったのは、実家は一般家庭であることと、スポーツ推薦で大学に入る予定であったが、故障で諦めざるを得なかったこと、そんな時に訪れた高野山に縁を感じたという経緯。
お若いのに、どこか超然とした雰囲気をまとった方でした。
他の方にもお話を伺いたかったね、と話しながら雨のなか町石道を目指します。
雨にけぶる大門がまさに神域と俗世を隔てるに相応しい佇まい。
一町(109m)毎に建てられた石柱を数えながら、山道を一気に下ります。
小雨ともいえない降り具合のため傘を差しての下山ですが、道が整っているのでさほど危険ではありません。
ただたちまち膝下と靴が泥跳ねだらけになり、レインパンツを持ってこなかったことを悔やみました。
あいにくの天気ですが、連休だけに途中4、5人の方とすれ違います。皆さん高野山を目指しているご様子。私たちは諸般の事情で逆打ちになったのでした。今年が閏年だったらよかったのにな。
東屋でお菓子補給しさらに進むとやがて空海ゆかりの岩が現れます。
空海は高野山から遠路お母さんがいる慈尊院に月九回も通ったそう。この岩もそれにまつわる伝承が残されています。どんだけお母さん好きなの!
六地蔵と呼ばれるのに七体あるお地蔵さんの前を通ればもう矢立です。雨もこの頃には上がりました。
持ってきたおむすびと、茶屋で買ったやきもちでお昼。コロナ対策で店内利用不可ですが、裏手にあるベンチをお借りすることができます。
近くに綺麗な公衆トイレもあります。
雨上がり、蛙の合唱を聴きながら再開。
しっとり湿った苔や羊歯類に癒されます。
この道は眺望こそ望めませんが、群生するマムシグサや、初めて目にするユウレイダケ等発見があります。
当初の計画では丹生都比売神社を巡るつもりだったのですが、雨降りで出立が遅くなり時間が押しているため見送り。世界遺産だけにもったいないけど仕方ありません。
二ツ鳥居を過ぎるとそろそろ道も暗くなり、焦りが出てきます。先を急ぎこれまでと違う斜面に出ると、急に視界が開けます。
遠くまで広がる柿畠の向こうに山々と、それに取り囲まれる街が見えます。ご褒美の時間。
陽を浴びて、たなびく雲が美しい。
柿畑に囲まれた急坂を下りて、再び鬱蒼とした杉の森に入ります。さすがにもう暗く、心細い気持ちになってきます。
(今夜の宿のお夕飯最終は19時だから、間に合わなかったらごはん抜きになるかも?)
下り続きで、比較的強い私の膝も負けそうです。
そんな時、同行人がくだらない話を振ってきます。いつもはちょっと喋りすぎ鬱陶しいなと思うのだけど、こういう時ばかりはこの人が同行人でよかったと感謝します。
山行に限らず、しんどい時に気持ちを軽くしてくれる人を大切にしようと心に誓うのでした。
そうして慈尊院に到着。
ここからは、タクシーで温泉宿に移動します。
お夕飯に無事間に合って、よかった。
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する