Mibu-Taishaku Mountains(丹生・帝釈山系)
- GPS
- 04:57
- 距離
- 18.4km
- 登り
- 906m
- 下り
- 906m
コースタイム
- 山行
- 4:52
- 休憩
- 0:06
- 合計
- 4:58
過去天気図(気象庁) | 2022年06月の天気図 |
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アクセス |
写真
感想
神戸市北区にある丹生山系と呼ばれるエリアにハイキングに行ってきました。
実際に登ったのは次の3つの山ですが、それぞれに歴史があるのでご紹介します。
|粟源魁覆燭鵑犬腓Δ気 / にぶやま)
帝釈山(たいしゃくさん)
C媚ケ墓山(ちごがばかやま)
【 丹生山 】
播磨國風土記には、この地にあった神社で神功皇后が三韓征伐の際に「武具に辰砂を塗ると勝利を得る」と神託を得たことで、その神社が丹生神社と呼ばれるようになったことが山が名の由来となったようです。
丹生は「辰砂(しんしゃ)」と呼ばれた硫化水銀の呼称です。英語では cinnabar といいます。辰砂は朱色をとるために世界的に重宝されていたため、古代より中国や朝鮮との貿易でも日本で産出できる交易品として重要視されていました。
【 帝釈山 】
神仏習合の時代は丹生神社と明要寺は一体のものとされ、奥之院に帝釈天が置かれていたことが名の由来だそうです。
「帝釈天」とはヒンドゥー教では雷神・インドラ(Indra)のことで、雷をあやつる「ヴァジュラ vajra」という武器を持っています。このヴァジュラが真言密教では「五鈷杵 ごこしょ」という「法具」で空海さんの肖像画にも描かれています。そのため「五鈷杵」は "five-pointed vajra" と英訳されているのをよく見ます。
【 稚児ヶ墓山 】
戦国時代の羽柴秀吉による中国方面侵攻の際に、三木城の別所長治の側についた明要寺は山ごと焼き討ちになったようです。その際に子供たちも犠牲になったため、お墓を山頂に立てて菩提を弔ったことから名前が付きました。
秀吉と黒田官兵衛は中国地方へ向けて三木城、鳥取城、備中高松城と包囲戦(兵糧攻め)を行っています。兵糧攻めは味方に人的被害が出ないのが利点ですが、攻め手が相手方を大きく上回る戦力と大量の物資を後方支援によって確保できなければ継続できません。中国攻めは信長軍が大阪という日本最大の貿易拠点を支配下に置き、圧倒的な物量作戦による制圧戦を本格的に進め始めた契機とみることもできます。
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