30年振りの雲取山は遠かった(三峰神社から鴨沢へ)
![情報量の目安: S](https://yamareco.info/themes/bootstrap3/img/detail_level_S2.png)
![都道府県](/modules/yamainfo/images/icon_japan_white.png)
- GPS
- 32:00
- 距離
- 21.5km
- 登り
- 1,506m
- 下り
- 2,010m
コースタイム
三峰神社10:35−12:10地蔵峠(昼食)12:45−13:00霧藻ヶ峰−13:10お清平−14:10前白岩山−15:40大ダウー16:00雲取山荘
23日(金)
雲取山荘4:00−4:30雲取山4:40−5:40奥多摩小屋(朝食)6:10−6:35ブナ坂−7:00七ツ石山−7:10ブナ坂−9:35鴨沢登山口−10:00鴨沢バス停
天候 | 1日目:晴れ後曇り・雨 2日目:晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2014年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
|
コース状況/ 危険箇所等 |
道は整備されていて、全くといっていいほど危険な個所はない。 |
写真
感想
昨年11月末、相棒が30年振りに雲取山に登った話を聞いた。その折、来年の新緑の季節に一緒に登らないかと、お誘いを受けた。
実は30年前の12月、この相棒と二人で雲取山に1泊で登ったことがあった。だから、こちらも30年ぶりの雲取山ということになる。あの頃はまだ二人とも三十代前半の若さだった。
何しろ30年も前のことなので、その時の記憶はほとんど霧の彼方に消えてしまっている。どこから登って、どこに下ったかも、全く覚えていない。ただ、山頂で眺めた暮色に染まる富士の姿と、山小屋から見たおびただしい星々、そして湖のように輝く東京の夜景だけが、おぼろげに瞼の裏に残っているだけである。
今回は相棒が昨年登ったのと同じコースを行くことにした。三峰神社から入り、雲取山荘に一泊し、雲取山頂を経て、鴨沢に下るというルートだ。
西武秩父駅から9時10分発の三峰神社行のバスに乗る。10人ほどの登山者と地元の人が2,3人乗っているだけで、ガラガラといっていい状態だ。
朝6時前に相棒の家を出てから、実に4時間半電車とバスを乗り継いで、ようやく登山口の三峰神社に着いたのが10時20分頃だった。我々の他には、4人の男性のパーティー、単独行の男性が1人、同じく単独行の女性が1人という少なさだ。
杉の林の清々しい空気の中を、ゆるやかな実に整備の行き届いた道を登り始める。昨年11月に登ったばかりの相棒に先導を任せる。しばらく行くと、後ろから単独行の女性がみるみる近づいて来た。我々は、ともかくゆっくり歩くことにしているので、道を譲ることにした。これで、最後尾を行くことになった。
雲取山まで10.7km、雲取山荘までは9km弱と、かなりの距離がある。ただ、三峰神社と雲取山の標高差は約900m、今日の泊りの雲取山荘とは700mに過ぎないので、ひたすらだらだら登るのだろうと思っていた。
しかし、このだらだらが曲者で、いっこうに距離も高度も稼ぐことができないのだ。第1のポイントと思われる霧藻ヶ峰の登りにかかる頃から、様相が一変した。
登りの勾配がきつくなり、やっと山らしくなってきたなどと思っていたら、霧藻ヶ峰の頂から急降下が始まった。お清平の鞍部まで約70m下り、見上げると、今下って来たよりも高い峰が聳えている。
ここから白岩山までの500mに近い標高差はきつかった。前白岩山の肩、前白岩山、白岩山小屋と登るにつれ、次第に上空に暗雲が掛かって来た。最初はぽつりぽつりだった雨も、次第に本降りの様相を呈してきた。生来面倒くさがり屋の我々は、雨具に着替えるのが煩わしく、折り畳み傘をさして登ることにする。
白岩山への登りは、けっこう急であったが、雨に背中を押されてか、2人のピッチも上がっていった。午後3時ころ、ようやく白岩山に登りつく。雨の中、記念撮影をする。傘をさしてたたずむ少々太めの相棒の姿をレンズ越しに見ると、どこかで見たことのある姿だ。
―となりのトトロ!まさに傘をさしたトトロそのものだ。しかし、そのことは胸のうちに仕舞ったまま、交代してこちらが被写体となる。後でその写真を見ると、そこにはタモリの姿が写っていた。三脚を持って来ていないので、トトロとタモリのツーショットを撮ることができなかったのは、返す返すも残念である。
白岩山のあたりだったろうか、登山口付近で先行していった女性に追いついた。雨具に着替えたばかりのようだ。
―傘さして登るんですね、と驚いた様子。
―いや、無精者なので、雨具を着るのが面倒で、と言い訳がましく答える。
―このルートは何度も登っているけれど、ひとりで来るのは初めてです。不安だったけど、何とか来れました。
―いや、我々よりずっと健脚ですよ、というと、ニコリとほほ笑む。スリムな体型の、なかなか格好いい女性だった。
女性はしばし休んでいる様子なので、先行する。
白岩山から、大ダウまでは下りに下る。このまま下山してしまうのではないかと思われるくらい、急降下を続け、やっと鞍部の大ダウにやって来た。そこでは、先行していた4人の男性パーティーが休憩していた。
ここから雲取山荘までは、30分ほどだという相棒の言葉に、休憩をせずに先を急ぐことにする。ここで、男坂と女坂の二股に分かれているが、躊躇なく、女坂の方を行く。男坂を登る元気は残っていない。女坂を登るうち、空が明るくなり、雨が止んできた。
午後4時、雲取山荘に到着した。予定では午後2時半くらいに着くという目論見だったが、大幅に遅れてしまった。何はともあれ山道の9kmは長かった。
夕食は、小屋の外で、自炊をする。メニューは、五目御飯と、昨日半調理して持参した豚汁。夕方になり、気温が下がって、寒いくらいなので、あったかい豚汁は最高だった。
隣では、我々より少し年代が上の、10人ほどのグループが、盛大に宴会をしていた。焼肉の匂いと、陽気な談笑の声が、あたりに響く。この世代は男だけが寄ると、何でこんなにもにぎやかで、元気なのだろう。
この日はツアーの団体客があったが、ありがたいことに、部屋が貸し切りだった。六畳ほどの部屋の真ん中に炬燵が置いてあった。何と昔懐かしい豆炭炬燵だった。足を入れると、電気とは異なる柔らかい暖かさが、体を包む。
布団を敷いて、横になり、落ち着いた頃だった。相棒恒例の足の痙攣が始まった。辛そうだが、何ともしようがない。これまでの経験からすると、翌朝にはケロッと直って、元気に歩きだすので、心配するだけ損だと思い、にやにやしながら眺めていたら、10分ほどで治まったようだ。
明日は雲取山頂で、ご来光を見るために4時には小屋を出るつもりだ。早々に寝ることにする。
2日目の朝、3時半に目が覚めると、相棒はすでに起きていた。窓越しに外を見ると生憎ガスっている。それでも山頂では晴れて、ご来光を仰げるかもしれないという淡い期待を抱いて、4時に小屋を出発する。
ヘッドランプの光を頼りに、霧の中の急登が続く。相棒は、昨日の痙攣がうそのように快調な足運びだ。普段はほとんど山に登らず、散歩以外これといったトレーニングをしていないのに、いきなり2千メートル、3千メートルの山に登れるのは、どこに秘密があるのか。
30分ほどで、雲取山頂に到着した。大分明るくはなったが、残念ながら霧は晴れず、視界は全くない。10分ほど待ってみたが、状況は変わらないので、先を行くことにした。
山頂の肩にある避難小屋の温度計を見たら、3度だった。寒いはずだ。昨夜小屋に泊まっ人がいて、ものすごく寒かったといっていた。
少し下ると、みるみる霧が晴れて、右手にまだ白く雪化粧をした富士山が姿をあらわした。そして、その右奥に白く連なるのは南アルプスだろうか。昨年夏に、二人で北岳、間ノ岳、農鳥岳とテント泊で、縦走したことを思い出す。
奥多摩小屋の外で、朝食を食べていると、あの単独行の女性がやって来た。雲取の山頂で、一瞬、富士が見えたという。
―ここで朝食なんて、しゃれていますね、と言い残して、すたすたと去って行った。やはり格好いい。
朝日に照らされた石尾根を彩る落葉松の新緑が何とも瑞々しい。ブナ坂までやって来た時、強い既視感に打たれた。かつてこの場所に立ったことが確かにある、と感じた。30年前の遠い風景の記憶が頭の片隅に微かに残っていたのだろうか。
鴨沢10時30分のバスにはかなり余裕がある。せっかく来たのだから、七ツ石山をピストンすることにした。山頂までは急登だったが、割とすんなり登ることができた。七ツ石小屋を経て、下る道もあったが、バス時間を考えて、再びブナ坂に戻ることにした。
あとはひたすら鴨沢目指して下るのみだ。下るにつれて、次々に登ってくる登山者に出会った。日帰りらしき人、テン泊だろうか大きなリュックを背負った人、トレランらしき人、しまいにはマウンテンバイクで登る人にも出会った。
山道に咲くミツバツツジに時折足を止めながら、ゆっくりと鴨沢バス停まで下った。
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する