子の権現駐車場から登山じゃなくて、下山スタートです。
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9/10 8:24
子の権現駐車場から登山じゃなくて、下山スタートです。
主要路は右ですが、今回は破線道の左へ。何も気づきませんでしたが、後でS社の地図を見ると「天寺八丁」石があるみたいでした。あそこに転がっているのがそうだったのかな?
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9/10 8:37
主要路は右ですが、今回は破線道の左へ。何も気づきませんでしたが、後でS社の地図を見ると「天寺八丁」石があるみたいでした。あそこに転がっているのがそうだったのかな?
道の状態はこんな感じ。
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9/10 8:39
道の状態はこんな感じ。
作業道に出ました。ブル道かと思い、あまり期待せず歩いていたら、
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9/10 8:43
作業道に出ました。ブル道かと思い、あまり期待せず歩いていたら、
何やら苔むした石が転がっていたので、良く見てみると、
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9/10 8:51
何やら苔むした石が転がっていたので、良く見てみると、
「十三丁」とありました!天寺(子の権現)の町(丁)石で間違いないようです。おそらく江戸期のもの。
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9/10 8:54
「十三丁」とありました!天寺(子の権現)の町(丁)石で間違いないようです。おそらく江戸期のもの。
その先には「拾四町 南川有志」の石。こちらはおそらく大正〜昭和初期かな。青年団の道標に近い物がありますね。
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9/10 8:57
その先には「拾四町 南川有志」の石。こちらはおそらく大正〜昭和初期かな。青年団の道標に近い物がありますね。
作業道(出口に立入禁止のテェーン有)から車道出ると、エイリアンのような町石。石灰岩が浸食されているようです。
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9/10 9:02
作業道(出口に立入禁止のテェーン有)から車道出ると、エイリアンのような町石。石灰岩が浸食されているようです。
「子のごんげん これよ(り)十五(丁) 」
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9/10 9:05
「子のごんげん これよ(り)十五(丁) 」
ちっちゃなお地蔵さんはお子さんの墓標のようです。左に「文化三寅・・」(1806)
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9/10 9:10
ちっちゃなお地蔵さんはお子さんの墓標のようです。左に「文化三寅・・」(1806)
右にはこちら。現地では「子権現西六(丁)」と思ってしまいましたが・・・?
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9/10 9:14
右にはこちら。現地では「子権現西六(丁)」と思ってしまいましたが・・・?
赤越川と林道日用線
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9/10 9:17
赤越川と林道日用線
祭礼の旗立石でしょうか。
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9/10 9:20
祭礼の旗立石でしょうか。
「拾八町 南川有志」がありました。
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9/10 9:21
「拾八町 南川有志」がありました。
近くには何かあったような石組。
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9/10 9:23
近くには何かあったような石組。
一瞬、ナナカマドと思いましたが、冷静に見るとサンショウのようでした。
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9/10 9:35
一瞬、ナナカマドと思いましたが、冷静に見るとサンショウのようでした。
林道起点の日用橋。そしてお目当ての道標がありました。
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9/10 9:44
林道起点の日用橋。そしてお目当ての道標がありました。
「右 なぐり かわごえ 左 子のこんげ(ん)」紀年銘は無。○は日輪?
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9/10 9:47
「右 なぐり かわごえ 左 子のこんげ(ん)」紀年銘は無。○は日輪?
道の向いの高い所に2基の馬頭観世音。
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9/10 9:50
道の向いの高い所に2基の馬頭観世音。
小:文化十一年(1811) 大:文政三年(1824)
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9/10 9:51
小:文化十一年(1811) 大:文政三年(1824)
覆屋の石造物、何れも石灰岩のようです。右から馬頭観世音(文政二年、1819)、地蔵菩薩立像、青面金剛の庚申塔(安永期、日月雲、三猿、ショケラ持ち)、そして風化の著しい地蔵菩薩坐像?
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9/10 9:57
覆屋の石造物、何れも石灰岩のようです。右から馬頭観世音(文政二年、1819)、地蔵菩薩立像、青面金剛の庚申塔(安永期、日月雲、三猿、ショケラ持ち)、そして風化の著しい地蔵菩薩坐像?
日用橋を少し戻って、森坂峠へ。入り口付近は草が繁茂し、蜘蛛の巣だらけでしたが、
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9/10 10:16
日用橋を少し戻って、森坂峠へ。入り口付近は草が繁茂し、蜘蛛の巣だらけでしたが、
すぐに道形は安定しました。峠は御一行が休憩中だったので、挨拶をして素通りしました。
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9/10 10:22
すぐに道形は安定しました。峠は御一行が休憩中だったので、挨拶をして素通りしました。
峠を下って分岐にある道標。
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9/10 10:37
峠を下って分岐にある道標。
厳重なゲートの出口。
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9/10 10:45
厳重なゲートの出口。
R299を少し歩いて、小床橋から参道に入ります。国道の向かいに架橋碑(大正四年、1915)があります。
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9/10 10:51
R299を少し歩いて、小床橋から参道に入ります。国道の向かいに架橋碑(大正四年、1915)があります。
何かあったような感じです。
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9/10 10:54
何かあったような感じです。
覆屋跡
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9/10 10:55
覆屋跡
小床川。なかなかいい感じです。
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9/10 10:58
小床川。なかなかいい感じです。
気になる道標。「妙見宮 川下(三)社 是より(三)丁 高山□(十丁)」妙見宮は我野神社のことかなぁ?
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9/10 11:06
気になる道標。「妙見宮 川下(三)社 是より(三)丁 高山□(十丁)」妙見宮は我野神社のことかなぁ?
小床の六地蔵、立派な六面幢です。後ろには風化した浮彫の地蔵尊が3体。
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9/10 11:13
小床の六地蔵、立派な六面幢です。後ろには風化した浮彫の地蔵尊が3体。
「宝暦五年乙亥十一月(1755)
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9/10 11:15
「宝暦五年乙亥十一月(1755)
秩父郡上吾野 願主良因小床村中」
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9/10 11:16
秩父郡上吾野 願主良因小床村中」
サプライズでイワタバコのお花見もできました。
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9/10 11:19
サプライズでイワタバコのお花見もできました。
まだ頑張って咲いているのですね。
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9/10 11:20
まだ頑張って咲いているのですね。
安曇幹線347号出入口。墓標のお地蔵様が立っておられます。
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9/10 11:24
安曇幹線347号出入口。墓標のお地蔵様が立っておられます。
今は自然石が置かれてようですが・・・
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9/10 11:26
今は自然石が置かれてようですが・・・
小床峠分岐。峠までの区間はまだ未踏なので気になります。
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9/10 11:31
小床峠分岐。峠までの区間はまだ未踏なので気になります。
カーブを曲がりと、何だか後ろ髪を引かれたので、振り返ってみると、何やらあるようです。
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9/10 11:32
カーブを曲がりと、何だか後ろ髪を引かれたので、振り返ってみると、何やらあるようです。
「大日如来」の石塔でした。これはうれしいサプライズ!
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9/10 11:35
「大日如来」の石塔でした。これはうれしいサプライズ!
しかも江戸期です。「安政五戊午年八月吉日」(1858)、「施主浅見八百吉」とありました。
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9/10 11:36
しかも江戸期です。「安政五戊午年八月吉日」(1858)、「施主浅見八百吉」とありました。
車道はここで終了です。
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9/10 11:40
車道はここで終了です。
これも殆ど路傍の石と化していますが、「十八丁」石ですね。「右 天寺道 左 馬道 小床村中」、
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9/10 11:42
これも殆ど路傍の石と化していますが、「十八丁」石ですね。「右 天寺道 左 馬道 小床村中」、
「安永八己亥十月」(1779)、紀年銘も健在です。
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9/10 11:45
「安永八己亥十月」(1779)、紀年銘も健在です。
静之神社に行ってみます。お初です。
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9/10 11:50
静之神社に行ってみます。お初です。
ちょっとした投入堂みたいで、なかなかいい感じ。
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9/10 11:52
ちょっとした投入堂みたいで、なかなかいい感じ。
岩棚の小社の前に張り出した覆屋。このテラスがないと、参拝は危険ですね。
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9/10 11:53
岩棚の小社の前に張り出した覆屋。このテラスがないと、参拝は危険ですね。
近くの岩壁には石祠も。手前はお狐様、奥のものには
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9/10 11:56
近くの岩壁には石祠も。手前はお狐様、奥のものには
落ち着いた表情のお地蔵様。
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9/10 11:58
落ち着いた表情のお地蔵様。
♬パープルスター、パープルスター・・・すみません、「パープルタウン」と「ポーラスター」が混ざっちゃいました(笑)
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9/10 12:00
♬パープルスター、パープルスター・・・すみません、「パープルタウン」と「ポーラスター」が混ざっちゃいました(笑)
来年の夏は盛花の時に来てみたいですね。
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9/10 12:06
来年の夏は盛花の時に来てみたいですね。
参道に戻り、イワタバコの咲く岩壁に「清心」地蔵尊。子の山の僧で独力で、ここの切通しを開いたそうです。
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9/10 12:07
参道に戻り、イワタバコの咲く岩壁に「清心」地蔵尊。子の山の僧で独力で、ここの切通しを開いたそうです。
「天寺十六丁 小床施主 小沢十郎左衛門」「安永八己亥十月」(1779)
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9/10 12:16
「天寺十六丁 小床施主 小沢十郎左衛門」「安永八己亥十月」(1779)
こちらも趣のある参道ですね。
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9/10 12:19
こちらも趣のある参道ですね。
「天寺十四丁」浸食が進んでいるようです。
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9/10 12:24
「天寺十四丁」浸食が進んでいるようです。
そしてこちらは有名な「天寺十二丁」石です。「安永八己亥十月日 秩父郡白久村 施主 新井喜・」
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9/10 12:33
そしてこちらは有名な「天寺十二丁」石です。「安永八己亥十月日 秩父郡白久村 施主 新井喜・」
傍らにピックの入ったコインケースの落し物。ギター弾きさんかな?私も同じことしています(笑)。
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9/10 12:39
傍らにピックの入ったコインケースの落し物。ギター弾きさんかな?私も同じことしています(笑)。
佇まいはこんな感じ。丁石後ろの尾根を辿るとイモリ山、森坂峠、本陣山方面です。
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9/10 12:41
佇まいはこんな感じ。丁石後ろの尾根を辿るとイモリ山、森坂峠、本陣山方面です。
朝の分岐点まで戻りました。
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9/10 12:54
朝の分岐点まで戻りました。
参道の上方にあり、朝は見逃してしまった「七丁」石。上下が欠損しているようです。「・・己亥十月・・小床・・」とだけ確認できました。
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9/10 13:00
参道の上方にあり、朝は見逃してしまった「七丁」石。上下が欠損しているようです。「・・己亥十月・・小床・・」とだけ確認できました。
子の権現(二本スギ)にとうちゃこです。正式名は大鱗山雲洞院天龍寺。丁石では「天寺」。子の年、子の月、子の日、子の刻に忌まれた子の聖が草庵を結び、弟子の恵聖上人が創建。
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9/10 13:18
子の権現(二本スギ)にとうちゃこです。正式名は大鱗山雲洞院天龍寺。丁石では「天寺」。子の年、子の月、子の日、子の刻に忌まれた子の聖が草庵を結び、弟子の恵聖上人が創建。
茶屋で「子の山うどん(天ぷら)」(500円)。提灯も里帰りできました!食後には凍らせたブルーベリーをいただきました。
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9/10 13:24
茶屋で「子の山うどん(天ぷら)」(500円)。提灯も里帰りできました!食後には凍らせたブルーベリーをいただきました。
こんなのもありました。「禁葷酒」(きんくんしゅ)。五葷(ニンニク、タマネギ、ネギ、ニラ、ラッキョウなど煩悩を刺激する野菜)やお酒は修行の妨げになるから入っちゃだめよ。
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9/10 13:35
こんなのもありました。「禁葷酒」(きんくんしゅ)。五葷(ニンニク、タマネギ、ネギ、ニラ、ラッキョウなど煩悩を刺激する野菜)やお酒は修行の妨げになるから入っちゃだめよ。
「元文三戊午天・・」(1738)
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9/10 13:35
「元文三戊午天・・」(1738)
黒門。左の塀に「纏のリス君」がいます。奥には仁王像も見えます。
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9/10 13:39
黒門。左の塀に「纏のリス君」がいます。奥には仁王像も見えます。
「登山道丁標起点 吾野口三十二丁 表口三十丁 名栗口三十丁」
「大正十三甲子年三月吉日 開帳紀念」(1924)「武叛樟邵猝攵ζ蔚帆塙膩之 天壽庵主人書」
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9/10 13:44
「登山道丁標起点 吾野口三十二丁 表口三十丁 名栗口三十丁」
「大正十三甲子年三月吉日 開帳紀念」(1924)「武叛樟邵猝攵ζ蔚帆塙膩之 天壽庵主人書」
「日本一社 子聖大権現」本堂
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9/10 13:50
「日本一社 子聖大権現」本堂
経ケ峰に向かいます。閻魔堂と地蔵堂。
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9/10 13:51
経ケ峰に向かいます。閻魔堂と地蔵堂。
閻魔様
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9/10 13:52
閻魔様
地蔵菩薩。よく見てみると享保十一年(1726)とありました。
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9/10 13:53
地蔵菩薩。よく見てみると享保十一年(1726)とありました。
経ケ峰640m山頂。出羽三山で修行していた子の聖が月山で投じた「般若心経」がここまで飛んできたのですね。
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9/10 14:00
経ケ峰640m山頂。出羽三山で修行していた子の聖が月山で投じた「般若心経」がここまで飛んできたのですね。
山頂の石造物群。宝篋印塔、読誦塔、廻國塔などなど。その中に
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9/10 14:00
山頂の石造物群。宝篋印塔、読誦塔、廻國塔などなど。その中に
ちょっと判りづらいですが、大日如来。「天下泰平 國家安穏 奉悉建立大日尊像・・」などの建立目的の他、
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9/10 14:02
ちょっと判りづらいですが、大日如来。「天下泰平 國家安穏 奉悉建立大日尊像・・」などの建立目的の他、
「元禄九子天十二月吉日」(1696)。この下方に願主銘(僧名)があるようですが未読。
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9/10 14:11
「元禄九子天十二月吉日」(1696)。この下方に願主銘(僧名)があるようですが未読。
「武州高麗郡川越/下大谷澤村 江地(源左エ門)」施主でしょうか?なお塔の左右側面には「南無阿弥陀佛」とあります。
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9/10 14:14
「武州高麗郡川越/下大谷澤村 江地(源左エ門)」施主でしょうか?なお塔の左右側面には「南無阿弥陀佛」とあります。
そして十一面観音。悪鬼に火を放たれピンチだった子の聖を、龍と化して大雨を降らして救ったそうな。
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9/10 14:15
そして十一面観音。悪鬼に火を放たれピンチだった子の聖を、龍と化して大雨を降らして救ったそうな。
台座には「享保十六辛亥九月吉日」(1731)「江戸糀町講中」。
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9/10 14:16
台座には「享保十六辛亥九月吉日」(1731)「江戸糀町講中」。
奥の院釈迦堂には円空仏のような木喰仏のような木彫りの仏様が数体安置。
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9/10 14:21
奥の院釈迦堂には円空仏のような木喰仏のような木彫りの仏様が数体安置。
飯能アルプス方面、ツリーは確認できず。
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9/10 14:23
飯能アルプス方面、ツリーは確認できず。
石造物群の中にもう一方、「大正五辰十月十日」(1916)。
どなたかな?
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9/10 14:27
石造物群の中にもう一方、「大正五辰十月十日」(1916)。
どなたかな?
増上寺の石燈籠が2基。対のものでした。
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9/10 14:32
増上寺の石燈籠が2基。対のものでした。
オレンジ色のにくい奴のお背中。
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9/10 14:33
オレンジ色のにくい奴のお背中。
最後は阿字山へ。山名の由来は子の聖の御母堂。独身で60歳であった阿字さんが霊験で懐妊し生まれたのが子の聖だそうです。
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9/10 14:39
最後は阿字山へ。山名の由来は子の聖の御母堂。独身で60歳であった阿字さんが霊験で懐妊し生まれたのが子の聖だそうです。
参道すぐの大日如来。どっしりし佇まいで、
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9/10 14:40
参道すぐの大日如来。どっしりし佇まいで、
私のお気に入りの大日様です。
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9/10 14:40
私のお気に入りの大日様です。
広いお背中には銘文がびっしり。「奉悉建立大日如来・・(中略)・・元禄十一戊寅(1698)眞海上人」。真海上人は当寺の29世で、そ代まで羽黒山末、その後寛永寺末になり、明治以降延暦寺の末寺になったそうです。
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9/10 14:45
広いお背中には銘文がびっしり。「奉悉建立大日如来・・(中略)・・元禄十一戊寅(1698)眞海上人」。真海上人は当寺の29世で、そ代まで羽黒山末、その後寛永寺末になり、明治以降延暦寺の末寺になったそうです。
これは最近kotakkyさんのレコで覚えたばかりのウスタケでしょうか。
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9/10 14:49
これは最近kotakkyさんのレコで覚えたばかりのウスタケでしょうか。
もう一息
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9/10 14:52
もう一息
阿字山大日尊。「阿」は梵字の一番最初の文字。万物の根源を表すそう。大日如来の「種子」(しゅじ)でもあります。
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9/10 14:53
阿字山大日尊。「阿」は梵字の一番最初の文字。万物の根源を表すそう。大日如来の「種子」(しゅじ)でもあります。
このお方もラガーマンのような立派な体躯。
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9/10 14:53
このお方もラガーマンのような立派な体躯。
まだお若いお顔が初々しい。
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9/10 15:06
まだお若いお顔が初々しい。
お背中も袈裟が彫られています。
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9/10 15:07
お背中も袈裟が彫られています。
台石に「阿字山 大日尊」
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9/10 15:07
台石に「阿字山 大日尊」
「享保十六辛亥天/八月・・」(1731)
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9/10 15:08
「享保十六辛亥天/八月・・」(1731)
阿字山620m。前回は真新しかった山名板が木に同化していました。
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9/10 15:09
阿字山620m。前回は真新しかった山名板が木に同化していました。
一冊の本になってしまうような盛沢山のレコありがとうございます、マイナーかなと思っていた南川口参道にも石造物が残っているのですね、苔むしたコースを訪れてみたいです。作成途中でしたら、お暇を見つけて、ゆっくりと仕上げてください、急かしたくないです。
後日レコに訪れます。では、また。to264565、
もったいないお言葉ありがとうございます。
to264565さんのレコは今回に限らず私の山歩きのモチベーションになっているので、これからも気になった物をどんどん紹介していただけるとありがたいです。それでは。 godohan
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