大白木山
- GPS
- 05:40
- 距離
- 5.9km
- 登り
- 632m
- 下り
- 627m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2022年10月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 自家用車
|
写真
装備
個人装備 |
地下足袋+脚絆
焚き火セット
ノコギリ
弁当
水筒
軍手
ラテルネ
地図磁石
防寒具
雨具
|
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共同装備 |
ツエルト
|
感想
天気の悪さと家庭の事情と、五十肩と、名古屋の暑さのせいにして、この夏はほぼ山に行かずのショボいありさまだったが、肩が痛くても行ける山ってことで、松が投げてきたのがこの渋い山のピークハント。岐阜百秀山で知った、根尾川東西両股を分かつ山脈の主峰ながら地図に未記載の不遇な山。標高点が1234mという山。
7月にも終点まで乗った樽見鉄道。汽車に揺られて鉄橋に緑のトンネル、小さな山間集落を見ながら終点まで。楽しい。鉄男と鉄子が数人。岐阜の松が、別ルートから垂水駅に来ていてクルマで折越峠まで。この峠は根尾東谷の上大須と、根尾西谷の越波(おっぱ)を結ぶ峠道だった。先月読んだ「ホハレ峠」で、この奥美濃の谷と峠と山間集落の長い歴史を知り、廃村跡なども見る目がつく。峠の地蔵に関しては、岐阜百秀山に悲しき伝説もあり。脇には明治28年の刻印あり。日清戦役の年だ。
道は山頂反射板の巡視路的に整備されている。周辺でよく営林作業の仕事で訪れる松によれば平日でも峠周辺に駐車があるというが、きょうは貸し切りだった。天気良過ぎで、こんな地味な山には用がないのかな。
登り2時間、下り1時間のお手軽山とはいえ、久しぶりの山歩きに、足が喜んでいる。地下足袋で地面を踏みしめるのは、本当に気持ちが良い。狭くて見通しも無いような雑木の尾根をただ登って降りるだけだが、岐阜百秀山という良書によって、とても素敵な山頂を手にした気分だ。
山頂には巨大反射板の鉄塔が二基、突っ立っている。その資材も横たわっている。工事現場のような野暮なところだが、このおかげで高木の刈払いがあり、いくらかの展望がある。木曽御嶽山から屏風山方向が開けていて、上大須ダムとその上には懐かしきドウの天井、左門岳。能郷白山は山頂ではヤブの陰で見えなかった。今度の冬、越美国境山脈を延々スキー縦走したいのだ。だから国境の山頂は行かずにとってあるのである。
山頂でカップラーメンを食べながら二時間も世間話をする。誰も来ない。寝転がっても叫んでも、自由だ。途上の根上がりヒノキは枝が多くホールドが豊富で、松がどこまでも登って行った。肩が上がるのが羨ましいなあ。
岐阜市北部の松宅へ厄介になる。根尾東谷川から神崎川、武儀川、長良川へ。山間の峠周辺の古くからの街道筋の家並みや石垣の佇まいにぐぐっと来た。バス停の標識には読めない地名が連続。塩後(しょーご)とか伊往田(いおうた)とか。林産地の風情だ。息子たちはみな、名古屋平野へ出てしまったのかな、などと話す。
日向はまだ暑いが戸を開けて寝たら、丑三つ時には寝袋に入らないと寒くなった。いよいよ屋外で活動できる気候期になった。
コメント
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Yoneまつコンビだから、もうちょっと違った大白木かと思ったが、わたしが30年前に小学生の息子と歩いたコースでした。でも、塩後は有りとしてもなぜ伊往戸(いおうど)の地名が出て来るのか不思議に思いました。
*神崎伊往戸の奥にはかつて四つの集落がありました。江戸時代に百人余りの村人が「伊勢講」を募って、4年に一度二人だけが伊勢に行くことが出来ました。その折すべての村人が伊往戸に集まって送り迎えをしたそうです。それが伊勢への入り口ということで「伊往戸」と呼ばれるようになりました。現在の北山小学校伊往戸分校の跡地にその名残があります。
<まーすけの奥美濃うんちく>
マースケさん伊往戸の語源ありがとうございます。そういう話は大好物です。伊勢講の語源だったのですね。田は間違いで戸ですね。
何か月も山いかずでしたので、とりあえず散歩でも行くかというのにふさわしい(ほかにルートとしては取りようもない)山の計画も在庫ありますよ。そういう山でも山麓地名をめぐる歴史文化を知って価値ある山行にしていきたいです。
伊往戸の件は、「塩後」が現地読みで「ショーゴ(←しおご)」と読むのが困難なように「伊往戸」が現地読みで「ヨード(←いおうど)」と読むのが理解を越えている事例としてyoneyamaさんに挙げたものです。
「伊往戸」は伊勢往復の戸である、と。故にイオウト→ヨードの転、か。
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