北岳バットレス第4尾根
- GPS
- 32:00
- 距離
- 10.0km
- 登り
- 1,761m
- 下り
- 1,741m
コースタイム
天候 | 晴れやくもり |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2014年09月の天気図 |
アクセス | 7時半双葉サービスエリア集合 |
コース状況/ 危険箇所等 |
激混みでした |
写真
装備
個人装備 |
メット+ハーネス+登攀具+クライミンシューズ
その他宿泊用夏個人装備
道は地下足袋(スパイクのほとんどとれたスパ地下)
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共同装備 |
ツエルト(1)
ストーブ(1)
鍋セット(1)
ザイル50m(2)
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感想
甲府に住んで三年目。ようやく北岳の直登ルートに行ってみっぺ!という気分が高まってきた。
沼田の清野さんと、つくいさんと、バットレス4尾根、中央稜の計画。
三連休で、芦安の駐車場はどこも一杯で、どこに停めてどこでタクシー乗るのかサッパリ分からない。客を乗せたタクシーが偶然通ったので聞くと、その客載せて夜叉神で帰って来るらしいので、次載せてくれと頼む。タクシーは空いてる駐車場に案内してくれて、そこに僕らを停め、そのまま行った。しばらくして帰って来て、広河原まで乗る。7570圓。
広河原でも、登山者が多い。最近の山は若い人が増えたなあ。大カンバ沢ルートを行こうと思っていたのに、いつしか白根御池ルートに乗ってしまっていた。分岐のあたりに人が多過ぎて、さっと通り過ぎたせいかと思われる。仕方が無いので、そのまま直進する。トラバースだから損は無い。
白根御池のテント場はぎっしりで、タイヘンな状態だった。大カンバ沢ルートに合流してしばらく行くと、バットレス沢の二股手前で呼び止められた。茂木さんだ。台湾の山岳会の許さんたちと白根三山縦走すると聞いていた。予定ではきょうは農鳥岳へ抜けるとのことだったけど、こっちへ降りて来たのだった。7月の海外遡行同人の集会であったみなさんだった。許さんは15年前、玉山に一緒に登ってもらった懐かしい台湾のおじさん。やっぱり当然いきなりウヰスキーを勧められ、飲む。
バットレス沢の次の沢で水を汲んで、左岸の踏み跡を辿ってbガリーに登る。暫く急傾斜の踏み跡をハアハアと辿っていくと、黄色っぽい岩壁が遮る。その左端のクラックルートに取り付く。ホールドスタンスはあるので地下足袋、運動靴のまま、傾斜はあるのでザイルは出して2p半ほど。その後いくつか行き止まりトラップのある踏み跡を辿ってbガリーとcガリーの間の薮尾根を超えて、ガレだらけのcガリーを渡ろうとしたら、数パーティーがcガリーを降りて来ていた。朝から4尾根の上にたくさん人がいて、渋滞しているのが下からよく見えていた。時間切れで降りて来た人たちだった。
cガリーは落石激しく、下手なところは渡れない。ひとパーティーはcを下って行った。おそろしや。
cガリーを渡った先にも踏み跡は伸び、深いカンバの茂みの中に良いビバークサイトがある。4尾根下部から取り付く尾根末端のすぐ近くだ。研究熱心な清野さんがこういうことを本当に良く知っている。3、4人足を伸ばして寝られる奇跡的な天場だ。あの激混み様では、上でもビバークの人はたくさんいそうな予感。
晩飯は各自。僕はモチ4個入れた納豆汁にシシトウと青唐辛子入れてあったまる。水は3リットルずつ上げた。清野さんと七帝柔道記の話で盛り上がる。バーボンも少し。マルタイのスープ粉をサケのツマミになめる。シュラフは極小サイズ。つくいさんは緊急シートをかぶっただけで寝た。毛の靴下はかない人は足が寒かった。真夜中に清野さん足がつり、腕立て伏せしていた。朝飯はマルタイのスープをじっくりコトコトシリーズのエビのビスクにすり替えた濃厚汁麺にモチ2個。うまい。
天場から1分で取り付き。朝焼けはわずか1分ほどで太陽が雲に入ってしまったが、バットレスを深紅に染め上げた。3級以下の楽ルートだが高度感あるピッチを2p半登ると、広いテラスがあり、そこに泊まっていた先行パーティーの最後のひとりがいた。昨日は10時に取り付いたのに渋滞で全然登れず、ここに泊まったという。この先に2、3、4人組がいる。このテラスのcガリー側から直接登ってくるのが4尾根の多数派ルートのようだ。でもあんなアリ地獄のガレ登るより下から取り付いた方がいいなあ。
ここで待っていると、朝、白根御池小屋から1時発で一番に登って来た2人組が、cガリー側から登って来た。60代と思しき古参クライマー組。清野さんなら知っている人だろうかと思っていたが、上に行くまでに渋滞の順番待ちで清野さん交えて話をするうち、幽ノ沢の開拓時代にとても活躍したお方とのことだった。清野さんが登攀歴も登攀者名も何でも知っているので、話をするうち「●●ルートと言えば○○さんの記録をよく読みました」、「それは私です」、「あなたでしたか」ということになる。渋滞だったけれど、良い出会いがあってよかった。若い時に華々しい活躍をしても、いつまでも長く登り続けて、こうしてクラシックルートにやってくる。いつまでも長く登り続けるというのがそうそうできる事ではないのだ。いろいろな世間の都合を片付けて、その上仲間がいなくては。
ルートはそこから5〜6ピッチで、マッチ箱のコル崩壊の話、枯れ木テラス崩壊前後の変わり様の話など聞き乍ら。フェイスとクラックで安定した岩、高度感ある愉快な、さすがはクラシックルートだ。戦前の開拓期の歴史を一通り読んで来てよかった。最後の核心の、立ったチムニーのところで後を振り向くと、10人いた。この日は少なくとも2+3+4+3+2+10=24人いた勘定。渋滞待ちで2時間近くは余計にかかったかもしれない。
時間待ちの間、富士山の歌などをダークダックスみたいに歌っていたらシンガーソングクライマーの名を賜った。富士山が美しく見えたので。
9時までに抜けられたら中央稜に繋ごうという予定だったけど、終了点10時半になり、諦める。でもこっから見る中央稜の立ってる圧巻に、とても僕に行けるように見えなかった。松濤明が昭和17年に初登。
この日、左のdガリーからピラミッドフェイスの桃色のど真ん中を直登し、4尾根のカンテにひしめく我々を尻目に一人でぐいぐい直登していった完全フリーの男が居た。
山頂で信州側を眺める。白馬まで見えた。富士山が降雪前の青い富士だ。
下山はざざっと下る。先週も山だったせいか調子が良い。地下足袋でちゃかちゃか下った。
あのヘンな場所の駐車場のほうへは、バスも乗合タクシーも行かないようなので、広河原の100圓公衆電話でタクシーを呼ぶ。1時間後に来た。その間、またお二人に会ってお話をした。
バスも乗り合いもぎっしり。広河原には立派な建物があるのに顔を洗う水道も無く、売店の一つも無く、案内所と配車員だけで、これだけ人がいるのに商売気が無いんだねえという印象だった。芦安の駐車場もどこに停めたか分からなくなりそうなほどあちこちだ。でも人が多いのは閉口だけど、少し前に比べると、若い登山者(特に若い女)が増えて本当によかったねえなどと話す。
芦安から甲府は近い。ラーメン食べて解散。またいい山行きましょう。
(メモ)
夜叉神のゲートは6時に締まる。5時半に広河原を出るのがぎりぎり。それまでに、携帯電話電波の通じる山頂付近でタクシーを呼んでおくのが最後の手段。
中央稜行くなら、山頂下の4尾根下降路から終了点に降りて懸垂下降でcがリー最上部に降りて取り付く手もあるが、美しくないと思う。
http://aach.ees.hokudai.ac.jp/xc/modules/AACHBlog/details.php?bid=702
米山さんお疲れ様でした。
私たちおじさんチーム(二人で121歳)もマッチ箱の懸垂下降着地点の岩穴でビバークしてました。ただし、この季節の3,000mに不慣れなこともあり火器類もシュラフも携帯しなかったためツェルトを被って寒さをしのぎました
それでも翌15日はトップで終了点に着くことができたので気持ちよかったです
カナさん、記録拝見。バットレスに向けて精進の一年だったのですね。その夜、何パーティーがあのリッジ上で泊まったんでしょうね。こちらから見える範囲では一番先頭の人は黄色の上下の服着てました。
マッチの下は狭いですね。あそこに数時間前に泊まっていたとは。世間もまた狭いですね。
私たちの次の3人チームもビバークしたと言ってました。それから黄色の上下は私です
ガ〜ン!そうだったンすか!!
黄色カッパの赤メット、8時26分、最後のチムニー登攀中のところ激写されてますね!
先頭の人、もっと早く登ってください!
今年の夏は、クライミングや沢に大忙しですね
怪我や事故など起こさないよう、これからも山を楽しんでください。
タビオさん、今年の夏は怪我や事故などがあったので、あんまり行ってないのです。
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