まずは丹生湖の駐車場からマリンちゃんでスタートです。妙義が綺麗です。
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1/22 8:58
まずは丹生湖の駐車場からマリンちゃんでスタートです。妙義が綺麗です。
神成山の未踏ルートを探索します。どんな出会いがあるか、期待でムズムズします。
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1/22 9:01
神成山の未踏ルートを探索します。どんな出会いがあるか、期待でムズムズします。
野焼きをしていました。春を迎える準備かな。
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1/22 9:04
野焼きをしていました。春を迎える準備かな。
前回見つけた道標からスタートしようと思ったら、のっけから「御嶽」石燈籠に出会いました。
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1/22 9:12
前回見つけた道標からスタートしようと思ったら、のっけから「御嶽」石燈籠に出会いました。
旗立ての旗杭石「大字下丹生第十一區下組」「大正八年十一月吉日(1919)/石田安太郎書」
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1/22 9:12
旗立ての旗杭石「大字下丹生第十一區下組」「大正八年十一月吉日(1919)/石田安太郎書」
「塞・・」神でしょう。「安政四(1857)・・」・・は土の中。
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1/22 9:13
「塞・・」神でしょう。「安政四(1857)・・」・・は土の中。
剥落してますが間違いないでしょう。こちらをスタート地点にしました。
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1/22 9:15
剥落してますが間違いないでしょう。こちらをスタート地点にしました。
小路の曲がり角に馬頭観世音、たぶん「昭和十一年四月・・」(1936)
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1/22 9:20
小路の曲がり角に馬頭観世音、たぶん「昭和十一年四月・・」(1936)
道標の所に来ました。小路は畑の間を通り抜け、山肌に向かいます。
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1/22 9:22
道標の所に来ました。小路は畑の間を通り抜け、山肌に向かいます。
正面に第2峰神成山が見えました。
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1/22 9:29
正面に第2峰神成山が見えました。
竹藪のトンネル
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1/22 9:30
竹藪のトンネル
そのまま直進すると神成城本丸跡です。右に「御嶽山(神成山)へ急坂路」とあります。
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1/22 9:33
そのまま直進すると神成城本丸跡です。右に「御嶽山(神成山)へ急坂路」とあります。
注連張場、その左手方向に
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1/22 9:33
注連張場、その左手方向に
石造物があるようです。
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1/22 9:34
石造物があるようです。
「二代 普寛霊神 大先達 柳田和三郎 松本琥吉」、背面に「大正十一年四月八日建之(1922)」その他発起人、講員銘多数列刻。
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1/22 9:36
「二代 普寛霊神 大先達 柳田和三郎 松本琥吉」、背面に「大正十一年四月八日建之(1922)」その他発起人、講員銘多数列刻。
大きな青石に「清滝辯財天」、銘無し。隣はS60年の先達碑。
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1/22 9:38
大きな青石に「清滝辯財天」、銘無し。隣はS60年の先達碑。
急坂は本当でした。さらに落葉で滑ります。
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1/22 9:41
急坂は本当でした。さらに落葉で滑ります。
覚明霊(神)碑がありました。
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1/22 9:46
覚明霊(神)碑がありました。
急坂路は神成山の巻道を越えて続きます。
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1/22 9:52
急坂路は神成山の巻道を越えて続きます。
小さな小平地(腰廓かな)がいくつもありました。
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1/22 9:54
小さな小平地(腰廓かな)がいくつもありました。
その隅っこに
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1/22 9:56
その隅っこに
「弘法大師」背面に「明治十・・二月・・」・・部は埋まっています。
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1/22 9:59
「弘法大師」背面に「明治十・・二月・・」・・部は埋まっています。
「十一面観世音」、背面に「納主須藤忠茂」
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1/22 10:00
「十一面観世音」、背面に「納主須藤忠茂」
中央に「(天?)之御中之大神」その両脇に「(盥)産霊大神/(神)皇産霊大神」おそらく造化の三神でしょう。
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1/22 10:01
中央に「(天?)之御中之大神」その両脇に「(盥)産霊大神/(神)皇産霊大神」おそらく造化の三神でしょう。
分岐の案内があります。
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1/22 10:04
分岐の案内があります。
そして御嶽山(神成山)頂上に立つ「御嶽大神」です。下丹生方面、北面しています。
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1/22 10:05
そして御嶽山(神成山)頂上に立つ「御嶽大神」です。下丹生方面、北面しています。
その隣にある石祠(明和二年(1765)施主 神成村)は南面です。
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1/22 10:05
その隣にある石祠(明和二年(1765)施主 神成村)は南面です。
難題の破風山から石尊山のアイスラッガー。遠景は四ツ又〜鹿岳。ゴシュウの宿題もそのうちに片付けないと。
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1/22 10:07
難題の破風山から石尊山のアイスラッガー。遠景は四ツ又〜鹿岳。ゴシュウの宿題もそのうちに片付けないと。
山頂直下に「五大龍王」と八大童子・三十六童子の文字塔。
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1/22 10:09
山頂直下に「五大龍王」と八大童子・三十六童子の文字塔。
さらにちょっと下って「大日大聖不動明王/「矜迦羅童子 制咤迦童子」の不動三尊文字塔。
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1/22 10:13
さらにちょっと下って「大日大聖不動明王/「矜迦羅童子 制咤迦童子」の不動三尊文字塔。
先程の周遊巻道をここから下って、yamadanukiさんに教えてもらった神成山P2-2へ向かいます。
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1/22 10:17
先程の周遊巻道をここから下って、yamadanukiさんに教えてもらった神成山P2-2へ向かいます。
一度下ってからの登り返し。峰の頂上には何か建っているようです!テンション超⤴。
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1/22 10:18
一度下ってからの登り返し。峰の頂上には何か建っているようです!テンション超⤴。
山頂部はちょっとした岩場になっており、多くの石塔が建ったり、倒れていました。こんな所があったなんてビックリ×2!東からの眺め。
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1/22 10:21
山頂部はちょっとした岩場になっており、多くの石塔が建ったり、倒れていました。こんな所があったなんてビックリ×2!東からの眺め。
下の方から見て行きます。「長崎大神」どのような神様か今一わからない。
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1/22 10:22
下の方から見て行きます。「長崎大神」どのような神様か今一わからない。
マイブームの「絹笠大神」蚕神ですね。
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1/22 10:24
マイブームの「絹笠大神」蚕神ですね。
これにも驚き「意和羅天 大頭羅神王」のダブルネーム。意和羅山と八海山、どちらも御嶽の代表神です。
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1/22 10:25
これにも驚き「意和羅天 大頭羅神王」のダブルネーム。意和羅山と八海山、どちらも御嶽の代表神です。
欠けていてよくわかりませんが「諏訪神」でしょうか?背面に「松本源六」とあります。
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1/22 10:27
欠けていてよくわかりませんが「諏訪神」でしょうか?背面に「松本源六」とあります。
「三笠山刀利天宮 明治十五年五月廿一日(1882)黛駒吉 立」ここの中ではいつ番古いと思われます。
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1/22 10:31
「三笠山刀利天宮 明治十五年五月廿一日(1882)黛駒吉 立」ここの中ではいつ番古いと思われます。
岩場の西側。遠景はこれまた宿題が残っている東大桁山。左手前に倒れているのが、
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1/22 10:32
岩場の西側。遠景はこれまた宿題が残っている東大桁山。左手前に倒れているのが、
「天照皇大神/八幡大神 春日大神」
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1/22 10:33
「天照皇大神/八幡大神 春日大神」
上部がほぼ消失している「大神」塔。
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1/22 10:33
上部がほぼ消失している「大神」塔。
中央に發そびえるのが「三笠山刀利天宮/阿留麻耶天狗 三宝大荒神」。残念ながら紀年銘は無さそう。
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1/22 10:36
中央に發そびえるのが「三笠山刀利天宮/阿留麻耶天狗 三宝大荒神」。残念ながら紀年銘は無さそう。
ということでこの峰に主は三笠山刀利天宮と思われます。つまりここは(神成山)御嶽山に対する三笠山とみることができるでしょう。
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1/22 10:37
ということでこの峰に主は三笠山刀利天宮と思われます。つまりここは(神成山)御嶽山に対する三笠山とみることができるでしょう。
その三笠山を振り返って、西尾根をくだります。
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1/22 10:39
その三笠山を振り返って、西尾根をくだります。
この後、広い傾斜地になって、適当に下りました。
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1/22 10:41
この後、広い傾斜地になって、適当に下りました。
そして谷筋に合流、
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1/22 10:50
そして谷筋に合流、
さらに水気のある沢に明瞭な道がありました。ただその先が物凄い笹藪で直進不能。山側に巻きました。
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1/22 10:55
さらに水気のある沢に明瞭な道がありました。ただその先が物凄い笹藪で直進不能。山側に巻きました。
するとコンクリ舗装の道が現われました。ちょっと戻って先程の笹藪方面に行ってみました。この先のほんの僅かの距離が猛烈な藪になっていました。再び戻ります。
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1/22 11:03
するとコンクリ舗装の道が現われました。ちょっと戻って先程の笹藪方面に行ってみました。この先のほんの僅かの距離が猛烈な藪になっていました。再び戻ります。
コンクリ舗装の道で下山すると、また竹林の道になり、
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1/22 11:10
コンクリ舗装の道で下山すると、また竹林の道になり、
結局、前回のスタート地点にした庚申塔の所へ出ました。
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1/22 11:14
結局、前回のスタート地点にした庚申塔の所へ出ました。
前回登った竹藪の尾根。打越の御嶽山の参道です。
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1/22 11:14
前回登った竹藪の尾根。打越の御嶽山の参道です。
西林寺の御堂。神仏習合のようです。てっきり聖観音かと思ったら、千手観音で手は盗まれてしまったと、ご近所の方に教えていただきました。
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1/22 11:19
西林寺の御堂。神仏習合のようです。てっきり聖観音かと思ったら、千手観音で手は盗まれてしまったと、ご近所の方に教えていただきました。
石燈籠は手前、文化六年(1806)と奥、嘉永元年(1848)。
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1/22 11:20
石燈籠は手前、文化六年(1806)と奥、嘉永元年(1848)。
さらに古そうな六面石幢も左右に二基ありました。
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1/22 11:21
さらに古そうな六面石幢も左右に二基ありました。
のどかな山村風景。はさがけと紅梅。稲木が金属製ってのは今時ということかな。
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1/22 11:23
のどかな山村風景。はさがけと紅梅。稲木が金属製ってのは今時ということかな。
再び尾根に取り付いて山に入りましたが、特に何もなし。ただ城跡を思わせる地形は随所にありました。
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1/22 11:34
再び尾根に取り付いて山に入りましたが、特に何もなし。ただ城跡を思わせる地形は随所にありました。
例の三笠山ですね。この後、山稜経由でハイキング道に合流しました。
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1/22 11:41
例の三笠山ですね。この後、山稜経由でハイキング道に合流しました。
白椿はいくつか咲いていました。
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1/22 11:55
白椿はいくつか咲いていました。
本丸跡。ここも良い城跡が残っていますね。
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1/22 11:58
本丸跡。ここも良い城跡が残っていますね。
そしてハイキング道にドンと構える「御嶽座王大権現」。yamadanukiさん言う所のP0峰ですね。
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1/22 12:08
そしてハイキング道にドンと構える「御嶽座王大権現」。yamadanukiさん言う所のP0峰ですね。
ウサギさんパッケージのトラヤさんの羊羹で一寸休憩。この後、前回見つけた北甘楽精糸會社の建てたお墓をもう一度確認に行くと、
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1/22 12:10
ウサギさんパッケージのトラヤさんの羊羹で一寸休憩。この後、前回見つけた北甘楽精糸會社の建てたお墓をもう一度確認に行くと、
前回は全く気付かなかった2基の石塔を見つけました。
「天之御中主尊」、先程もあった造化の神。
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1/22 12:17
前回は全く気付かなかった2基の石塔を見つけました。
「天之御中主尊」、先程もあった造化の神。
そして、またまた嬉しい発見!「意和羅天 大頭羅神王」のダブルネーム。
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1/22 12:20
そして、またまた嬉しい発見!「意和羅天 大頭羅神王」のダブルネーム。
そして、そこはあの不動三尊のすぐ裏手にありました。
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1/22 12:21
そして、そこはあの不動三尊のすぐ裏手にありました。
ということは、こちらも御嶽関連の不動尊だったのかな。
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1/22 12:22
ということは、こちらも御嶽関連の不動尊だったのかな。
件のお墓。主は「福澤幹三郎」氏。おそらく「富岡町 北甘楽精糸會社」に大きく貢献した方だったのでしょう。
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1/22 12:26
件のお墓。主は「福澤幹三郎」氏。おそらく「富岡町 北甘楽精糸會社」に大きく貢献した方だったのでしょう。
馬頭尊の脇に出て、ハイキング道に合流しました。路傍の御三家がいらっしゃいます。
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1/22 12:35
馬頭尊の脇に出て、ハイキング道に合流しました。路傍の御三家がいらっしゃいます。
馬頭尊
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1/22 12:35
馬頭尊
地蔵尊
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1/22 12:35
地蔵尊
庚申塔
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1/22 12:35
庚申塔
そして、前回は落ち葉で隠れて見つけられなかった普寛霊神碑も今回は何とか見つけられて、
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1/22 12:39
そして、前回は落ち葉で隠れて見つけられなかった普寛霊神碑も今回は何とか見つけられて、
無事再会することができました。
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1/22 12:40
無事再会することができました。
先程の不動三尊。刻像の他文字塔もあります。
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1/22 12:42
先程の不動三尊。刻像の他文字塔もあります。
ハイキング道は先程の御嶽塔に向かってまっしぐら、そしてそれを右に行きますが、左に行きます。それもyamadanukiさんに教えてもらったルートです。
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1/22 12:43
ハイキング道は先程の御嶽塔に向かってまっしぐら、そしてそれを右に行きますが、左に行きます。それもyamadanukiさんに教えてもらったルートです。
一度下ってから(途中に展望の岩場有)、登り返してピーク状の所。
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1/22 12:48
一度下ってから(途中に展望の岩場有)、登り返してピーク状の所。
そこを少し越えた所に、違和感あり有の存在感を放つお方が・・・
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1/22 12:49
そこを少し越えた所に、違和感あり有の存在感を放つお方が・・・
パッと見、宇宙人かと思った!でもそのお背中には「明和二丁酉歳十一月十五日(1765)」。江戸時代からのタイムトラベラーでした(笑)。
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1/22 12:50
パッと見、宇宙人かと思った!でもそのお背中には「明和二丁酉歳十一月十五日(1765)」。江戸時代からのタイムトラベラーでした(笑)。
随分立派で個性的な如意輪観音像です。
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1/22 12:51
随分立派で個性的な如意輪観音像です。
敷茄子には「奉造立女中念佛講三十七人」とあります。
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1/22 12:54
敷茄子には「奉造立女中念佛講三十七人」とあります。
何とも言えない表情。ユーモアのある石工さんだったのかな。如意輪さんを拝見していたら、他に石塔があるのに気づきました。
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1/22 12:55
何とも言えない表情。ユーモアのある石工さんだったのかな。如意輪さんを拝見していたら、他に石塔があるのに気づきました。
まずは青石の名号塔「<種子キリーク>南無阿弥陀佛」背面に紀年銘がありましたが、はっきり判読できず。寛政?寛延?
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1/22 12:56
まずは青石の名号塔「<種子キリーク>南無阿弥陀佛」背面に紀年銘がありましたが、はっきり判読できず。寛政?寛延?
そして倒れていた石塔は何と「三笠山刀利天」でした!
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1/22 13:01
そして倒れていた石塔は何と「三笠山刀利天」でした!
「御嶽座王大権現」のあるP0峰を「御嶽山」とすると、
ここが「三笠山」、そして不動三尊のあった峰が「八海山」と比定することができる?
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1/22 13:02
「御嶽座王大権現」のあるP0峰を「御嶽山」とすると、
ここが「三笠山」、そして不動三尊のあった峰が「八海山」と比定することができる?
尾根道を下ると、ここに出てきました。さらに、石段をおりて、
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1/22 13:08
尾根道を下ると、ここに出てきました。さらに、石段をおりて、
こちらに。中学校の通学路ですかね。入口脇に石造物。
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1/22 13:11
こちらに。中学校の通学路ですかね。入口脇に石造物。
ベンガラ跡の残る道祖(神)は「明和六己丑九・・」(1769)。
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1/22 13:11
ベンガラ跡の残る道祖(神)は「明和六己丑九・・」(1769)。
辨才尊は「享和二壬戌年猛春吉辰(1768)」
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1/22 13:14
辨才尊は「享和二壬戌年猛春吉辰(1768)」
首なし如意輪観音と衟祖(神)は道祖神ですね。
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1/22 13:14
首なし如意輪観音と衟祖(神)は道祖神ですね。
「天明元辛丑年十一月十・・(1781)/神成村」とありました。
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1/22 13:15
「天明元辛丑年十一月十・・(1781)/神成村」とありました。
ここから再び山の方向へ。
2
1/22 13:16
ここから再び山の方向へ。
尾根に乗るとすぐにブロック造りの覆屋。地蔵尊二体と釈迦如来?像(何れも木造)が安置されています。
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1/22 13:17
尾根に乗るとすぐにブロック造りの覆屋。地蔵尊二体と釈迦如来?像(何れも木造)が安置されています。
さらにその尾根を登って行くと
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1/22 13:19
さらにその尾根を登って行くと
梵天と石祠がありました。現役のようです。
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1/22 13:24
梵天と石祠がありました。現役のようです。
南面に直下する道(参道かな)もありました。
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1/22 13:25
南面に直下する道(参道かな)もありました。
「奉納阿夫利大明神 下神成氏子一同」いわゆる石尊社、雨乞いをするのでしょう。
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1/22 13:25
「奉納阿夫利大明神 下神成氏子一同」いわゆる石尊社、雨乞いをするのでしょう。
尾根道を登りつめると、第一峰の展望台に出ました。正面には稲含山。
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1/22 13:28
尾根道を登りつめると、第一峰の展望台に出ました。正面には稲含山。
お隣の第二峰神成山(御嶽山)
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1/22 13:29
お隣の第二峰神成山(御嶽山)
下山はこちらから。朝の道に戻りました。
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1/22 13:34
下山はこちらから。朝の道に戻りました。
そしてゴールです。「風不鳴枝」天下泰平の祈願。いつの世も願いは同じですね。御嶽の祭礼は行われているそうです。幟旗が立った所を見てみたい。
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1/22 13:50
そしてゴールです。「風不鳴枝」天下泰平の祈願。いつの世も願いは同じですね。御嶽の祭礼は行われているそうです。幟旗が立った所を見てみたい。
お昼はすぐ近くの『ニュー飯店』さん。本日は“カレーの日”ということでもちろんカツカレー(1150円)。まあいつも“カレーの日”みたいなものだけど(笑)。
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1/22 14:09
お昼はすぐ近くの『ニュー飯店』さん。本日は“カレーの日”ということでもちろんカツカレー(1150円)。まあいつも“カレーの日”みたいなものだけど(笑)。
丹生湖の土手も野焼きされていました。
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1/22 14:27
丹生湖の土手も野焼きされていました。
北はダニがいるんですね。まさに知らぬが仏ですね。
神成山、信仰に厚いお山だとは認識していましたが、是ほどまでは思いませんでした。御嶽とそれ以前の信仰、御嶽にも微妙に違いがあって本当に興味深いです。面白顔の仏様は尖がり頭の後ろ姿が「?」な感じで、視界に入った時には一瞬ギョッとしてしまいました(笑)。
神成山益々お気に入りのお山となりました。それでは。 godohan
神成山、すごいです。わくわく読ませていただきました。出てくるは、出てくるは、続々と発見があってすごいです。一度歩いて、上っ面だけでも神様沢山でしたが、とんでもない、なんと奥深いことか✨まだまだ色々出てきますね。トンガリ頭の如意輪観音さまにも、びっくりです。神成山、いいところですね。私も幟旗好きなので、幟旗がたったところが見てみたいです。
前日は石分補給できなかったので、この日は存分に補給しようと出かけましたが、期待以上の収穫に大興奮でした。御嶽の神々は勿論ですが、トンガリ頭の如意輪様も一見の価値ありです。如意輪様は「御嶽座王大権現」から南東尾根を少し下っておぼり返した峰にあり、特に危険場所はありません。機会があれば是非会いに行ってみてください。祭礼の方は畑仕事に方から聴いた情報ではっきりした日にちはわかりませんでしたが、4月中とのことのようでした。帰宅後、ネットで調べましたがよくわかりませんでした。やはり現地調査は重要ですね。それでは。 godohan
この登山記録は素晴らしいです
『長崎大神』とは木曽御嶽山の黒沢口8合目の
女人堂の上に祀られている『長崎稲荷大明神』です。
御嶽教信者のYamaotoko7より
お褒めいただきありがとうございました。
普寛行者の霊神碑があることは以前から認知していましたが、今回、覚明行者の霊神碑を見つけた時は、嬉しくて「うん、うん」と頷いてしまいました。また、「意和羅天 大頭羅神王」や立派な「三笠山」の石塔もあってビックリでした!しかし、何故か「武尊山」は見かけませんでした。
「長崎大神」承知いたしました。いつもご教示いただきありがとうございます。それでは。 godohan
遂に行きましたね。P0の如意輪観音像は見た時ビックリ! 私も宇宙人と思いました。作者はいったいどんなユーモアを持っていたか、、、想像してしまいます。如意輪観音像は神成山西端の道路沿いにも鎮座しています。
・P2-2を西に下ったようですが、東尾根を下れば3つ石碑があると思います。
・北東(坂井集落)の尾根の先にピークに石祠群
・神成山の北側(特に北西)はマダニが凄いです。
30年くらい前に初めて神成山へ行った時は横のルートは籔でした。恐らく昭和の時代は集落からピークまでの縦のルートしか無かったのではないかと思います。
最近に世に出た神成山はまさに信仰のるつぼ、まだまだいろいろ見つかりそうです。
お蔭様で「面白い物」にたくさん出会えましたが、まだまだあるんですね!神成山おそるべし。マダニはちょっと敬遠したいですが、また訪れたいと思います。まだまだ破風山やゴシュウ等も残っており本当に西上州はおもしろい!また色々教えてくださいませ。それでは。 godohan
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