旧四賀村境界線一周ハイク・第1行程調査山行〜前半
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- GPS
- 128:00
- 距離
- 50.1km
- 登り
- 4,165m
- 下り
- 4,167m
過去天気図(気象庁) | 2003年06月の天気図 |
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アクセス | |
コース状況/ 危険箇所等 |
境界線を歩くと言う目的なのでそれが登山道に重なっているところもあるが、登山とは無縁の山ではそれは期待できない。しかし多くの場合行政区の境界に当たるラインには境界標識が立てられていたり、私有地の場合は私有地同士,あるいは公有地との境界を見廻ると言う作業がなされ標識が立てられたりしている。また送電線がある場合は鉄塔を管理するための道が必ずつけられている。また山地では多くの場合、境界線はピークを通っているのでそれが目標になりわかりやすい面がある このように境界線を歩くこと自体はそれほど無茶なことではない。が、見廻りと言う作業は頻繁に行なわれるものではないので踏み跡があったとしても大抵の場合は薮になっていて歩きにくいのが実態である。従って境界線歩きは事実上薮漕ぎである。薮漕ぎではあるが、かつて一度でも人が踏み跡をつけたことのある場所の地面は、足の踏み入れようがないほど密生した薮とは異なるもので、歩いてみればそれは自ずと分かる。加えて鹿の踏み跡が大きな手(足)がかりになる。 境界線のルート探しは歩けるかどうかが分かればいいのであって道のよしあしは二の次であるが、他者を案内することを企図するのであればある程度手入れする必要はある。 以上,目標とするルートは道なき道であるが決して無理なルートではない。 |
写真
感想
はじめに
安曇野市の東側,旧明科町に位置する長峰山は標高933.3mの低山ながら山頂からの眺めが素晴らしく、北は白馬三山から唐松岳,五竜岳,鹿島槍ヶ岳,爺ヶ岳,蓮華岳,餓鬼岳,燕岳,大天井岳,常念岳と続いて蝶ヶ岳,大滝山,鍋冠山に至る後立山連峰のすべてを見渡すことの出来る屈指の展望台である。
http://user.cnet.ne.jp/m/mt-chou/panorama/panorama.html
かつて(昭和45年)作家の川端康成と井上靖,日本画家の東山魁夷の3文化人がここに会して安曇野の心打つ風景と文化を熱く語り、『残したい静けさ、美しさ』と絶賛したことは有名な話しである。
ひとしきりそのアルプスの展望と眼下の明科・穂高の街並みを堪能して目を東側の山なみに転じると・・。
2003年春,松本市に合併する前の旧四賀村に居を構えたばかりの私の目は当然のように自分の住む四賀村とその境界線を追う・・。そしてあることに気づく。
それは、四賀村を取り囲む周辺市町村との境界線の山々のほぼすべてを見渡すことが出来ると言うこと,その境界線は国道と県道を7ヶ所で横切るが、人家のある地域で他の市町村と接する所は2ヶ所しかなく、殆どすべてが山であること,しかも戸谷峰や入山,御鷹山等,1600mを越える有名,無名の山が6つもあると言うことである。
1つの村がこれほどの山を持つことは驚嘆に値することではないか・・。そこからそのすべての境界線を歩くことを思い立つ。
松本市との境界に位置する戸谷峰(1629m)にはすでに登っていた。戸谷峰から六人坊(1618m),三才山(1605m=みさやま)方面には縦走路がある。三才山から保福寺峠(1320m)までは林道,峠から二ッ石峰(1563m),入山(1626m通称けつだし山),御鷹山(1623m)を経てR143の会吉トンネル(990m)に至る長大な尾根には登山道がある。会吉トンネルからは大洞山(1315m),虚空蔵山(1139m)と登山道のある山が続く。何度か登ったことのある虚空蔵山から花河原峠を経て善光寺街道の立峠(1000m)を越えると明科町との境界,標高1000mから700mのの丘陵地帯になる。登山道は期待できないが境界線はほとんどピークを通っているので探せば道はあるだろう・・,と、大雑把な見通しを立てる。
当面にして一番の問題は長峰山からR143までの四賀村と豊科町との境界線とR143を横切って、善光寺街道の刈谷原峠,東山道の稲倉峠に至るラインの確定である。ここを歩いて踏み跡をつければ後はどうにかなると考え、当時の『あまってら少年団・冒険学校』の活動拠点であった矢の沢に最も近い地点を出発点として調査を開始した。
境界線ハイキング構想を実行に移すことを決断してから、先に刈谷原峠から稲倉峠とその次の無名の峠を経て戸谷峰に至る境界線の踏み跡と戸谷峰から三才山に至る稜線の道を調査し、自分の活動範囲に近い明科町との境界から刈谷原峠への調査はいつでも調べられるという気楽さから後回しにしていた。
6月7日の新聞で参加を呼びかけたその日から申し込みがあり、希望者はすぐに5〜6名に達したので慌てて矢の沢から刈谷原峠までの調査を始める。
第1行程の調査記録
2003年6月10日(火)
明科町のYさんが調査に同行して下さることになる。9:30に矢の沢から四賀村の執田光地区に続く道のちょうど境界線に当る沢の入口に車を停める。入口にはうっそうと草が生い茂っていたが、構わず長い柄の造林鎌で草を払いながら入ると、沢の水を引く黒いパイプに沿った踏み跡が見つかった。
道は取水口まででそこから先は両側が切りたった細い沢の中を歩く。沢をどこまでも詰めるのが本来だが早く尾根に出たかったので尾根に上がる取りつき点を探す。沢をはさむ両側の斜面には人の踏み後はない代わりに無数の鹿の足跡があった。鹿が何度も水を飲みに通ったためか、中にはしっかりした道のようになっているものがあって、そういうはっきりした踏み跡の一つをたよりに崖のような斜面をよじ登って南側の尾根に上がる。
斜面を登り切れば尾根に出られて南側の執田光の集落が確認できるという予想に反して、そこは尾根というよりなだらかな平面で、木立に視界を阻まれて展望が利かなかった。執田光の一番上のリンゴ農家の上の尾根に出るだろうという予測は外れ、思ったより北側の明科寄りにいるらしいことがわかる。交錯するいくつかの踏み跡を拾いながら登って行くと道はやがて一本にまとまり、ほどなくそれが地元の人達が烏帽子と呼んでいるピークに続く道であることに気づく。
かつて矢の沢と田沢が上川手という同じ行政区であった頃,矢の沢の人達が光城山を経て田沢へ通った道の一部である。その道は烏帽子のピークを巻いて子ノ神に近道するが、境界線はピークを通っている。矢の沢から1時間かかって10:30,烏帽子(910m)と言うピークに着く。
烏帽子から林道に出て入山点まで40分程歩いて戻り、Yさんと分かれて子ノ神に車をまわす。そこから逆に踏み跡を辿ることにする。この道ははっきりした踏み跡として残ってはいるが、近年歩く人がいないせいか薮が被っていて歩きにくいので造林鎌で薮を切り開きながら歩く。途中で迷って四賀側をぐるっとリングしてしまい1時間を無駄に費やしたりしながらようやく道を切り開く。2度ほど林道に出ざるを得ない所があり、そこで切り上げて次に向かう。
第1行程で不確定なルートが2ヶ所あり、それが最大の不安要素である。その1つが子ノ神から中谷地区へ至る林道の途中から四賀村の十二沢林道の西に向かってつけられた直線の部分である。はじめ、この直線部分の起点を読み違えていて天平林道上の光城山の南側あたりで豊科町高萩地区へつながる道と境界線を表す標識を探したが見つからず、一旦県道に出て大口沢から国道143号にまわり、中谷地区から高萩に入って境界線を探そうとした。この林道は大型ゴミの不法投棄を警戒して『進入禁止』となっていたが無視して進入する。道はやがて舗装も切れ、轍の間
の草をなぎ倒しながら進むという心細い状況になった。
自分が今どこを走っているか分からないまま走ること20分あまり,突然右手に家が現れT字路にぶつかる。何となく見覚えがある気がして左折すると50m程で舗装された林道に出た。何とそこは先ほど車を停めていた子ノ神の分岐点だった。つまり子ノ神から天平林道,県道,国道,林道中谷〜子ノ神線をぐるっとひと周りしたのだった。そこで初めて直線部分の起点となる林道を読み違えていたことに気づく。失敗に苦笑しつつ、起点の発見の可能性に安堵して後日の調査に託し、この日の調査を終える。
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