鎌倉街道上道の起点となる高崎城址を出発
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2/22 6:29
鎌倉街道上道の起点となる高崎城址を出発
高崎城址から街中を南に向かうと愛宕神社の裏手に出る。和田城(後の高崎城)の鎮護神として創建
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2/22 6:43
高崎城址から街中を南に向かうと愛宕神社の裏手に出る。和田城(後の高崎城)の鎮護神として創建
馬頭観音と庚申塔(猿田彦大神)、如意輪観音などの石塔石仏。付近一帯の石塔・石仏を道路拡幅などの工事の折まとめたのだろうか?
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2/22 6:53
馬頭観音と庚申塔(猿田彦大神)、如意輪観音などの石塔石仏。付近一帯の石塔・石仏を道路拡幅などの工事の折まとめたのだろうか?
鎌倉街道記念碑。上に県道71号城南大橋、右に上信電鉄に囲まれた小公園。左の歩道は「鎌倉橋」と名づけられている
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2/22 7:02
鎌倉街道記念碑。上に県道71号城南大橋、右に上信電鉄に囲まれた小公園。左の歩道は「鎌倉橋」と名づけられている
鎌倉街道の開設碑文
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2/22 7:02
鎌倉街道の開設碑文
琴平神社。日の出の時刻に来れば階段から社殿の奥まで一直線に日が差すそうだ。狛犬の下に天狗が2体配置されている
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2/22 7:07
琴平神社。日の出の時刻に来れば階段から社殿の奥まで一直線に日が差すそうだ。狛犬の下に天狗が2体配置されている
表は琴平神社への隋身門、反対側は荘厳寺への仁王門になっている
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2/22 7:10
表は琴平神社への隋身門、反対側は荘厳寺への仁王門になっている
左に仁王、右に守護神。
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2/22 7:11
左に仁王、右に守護神。
飯玉山 荘厳寺
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2/22 7:15
飯玉山 荘厳寺
荘厳寺から500m程行くと「秩父巡礼道しるべ」という標柱と馬頭観音塔がある。馬頭観世音の台石には、「左婦ぢおか(藤岡) ちゝぶミち(秩父道) 右磔」と刻まれている
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2/22 7:18
荘厳寺から500m程行くと「秩父巡礼道しるべ」という標柱と馬頭観音塔がある。馬頭観世音の台石には、「左婦ぢおか(藤岡) ちゝぶミち(秩父道) 右磔」と刻まれている
「佐野の船橋歌碑」石碑は摩耗して読めないが解説板によると馬頭観音の線刻と舩木観音の4文字が刻まれている
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2/22 7:33
「佐野の船橋歌碑」石碑は摩耗して読めないが解説板によると馬頭観音の線刻と舩木観音の4文字が刻まれている
佐野の渡しにまつわる、悲恋物語の解説
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2/22 7:33
佐野の渡しにまつわる、悲恋物語の解説
「漆山古墳」このあたりには多くの古墳やユネスコの世界の記憶に登録された日本最古の石碑(上野3碑)などがある
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2/22 7:40
「漆山古墳」このあたりには多くの古墳やユネスコの世界の記憶に登録された日本最古の石碑(上野3碑)などがある
漆山古墳解説
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2/22 7:41
漆山古墳解説
古墳と上野三碑の配置図
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2/22 7:41
古墳と上野三碑の配置図
定家神社 鎌倉時代の歌人藤原定家が祭神。手前右には仁王堂
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2/22 7:50
定家神社 鎌倉時代の歌人藤原定家が祭神。手前右には仁王堂
中をのぞくと、阿形と吽形が左右逆に配置されているが由来のようなものは無い
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2/22 7:47
中をのぞくと、阿形と吽形が左右逆に配置されているが由来のようなものは無い
一本松橋から上流 浅間山が白く見える。川の右側に大きな石が見える。「川籠石」(こうご石)というそうで川を渡る場所や水嵩の目安にしたそうだ
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2/22 8:14
一本松橋から上流 浅間山が白く見える。川の右側に大きな石が見える。「川籠石」(こうご石)というそうで川を渡る場所や水嵩の目安にしたそうだ
一本松橋から赤城山
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2/22 8:16
一本松橋から赤城山
橋を渡り高崎商科大学の信号を左折すると薬師沢という小沢に出る。角に道祖神などある、祠は薬師堂か?ここを薬師沢に沿って登る
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2/22 8:22
橋を渡り高崎商科大学の信号を左折すると薬師沢という小沢に出る。角に道祖神などある、祠は薬師堂か?ここを薬師沢に沿って登る
それらしい道だがこの先上信電鉄線で行き止まり
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2/22 8:28
それらしい道だがこの先上信電鉄線で行き止まり
線路わきをよく見ると、右の白い標識のところに踏み石が両サイドにあり、渡った形跡があり先に歩道があるのでここを横断
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2/22 8:34
線路わきをよく見ると、右の白い標識のところに踏み石が両サイドにあり、渡った形跡があり先に歩道があるのでここを横断
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2/22 8:35
さらに竹藪の中の小道を突破 鼓動を歩いている雰囲気は満点だが先が心配
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2/22 8:41
さらに竹藪の中の小道を突破 鼓動を歩いている雰囲気は満点だが先が心配
山名八幡宮
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2/22 8:51
山名八幡宮
参道は上信電鉄を地下道を潜る
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2/22 8:53
参道は上信電鉄を地下道を潜る
山名八幡宮から上信電鉄線に沿って田圃の一本道を進んだ。右手丘の上あたりに上野三碑の山上碑がある
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2/22 8:59
山名八幡宮から上信電鉄線に沿って田圃の一本道を進んだ。右手丘の上あたりに上野三碑の山上碑がある
上信電鉄西山名駅
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2/22 9:08
上信電鉄西山名駅
今はひっそりとした駅だが、昭和5年に上信電鉄が鏑川に「山名水泳場」というのを開設し田中絹代らの映画俳優などが来て賑わったそうだ
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2/22 9:21
今はひっそりとした駅だが、昭和5年に上信電鉄が鏑川に「山名水泳場」というのを開設し田中絹代らの映画俳優などが来て賑わったそうだ
構内には上野三碑の案内板が設置されている
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2/22 9:09
構内には上野三碑の案内板が設置されている
西山名駅から突き当りを右折たところに石仏群。右の如意輪観音の台座には二十二夜と彫ってある
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2/22 9:27
西山名駅から突き当りを右折たところに石仏群。右の如意輪観音の台座には二十二夜と彫ってある
鏑川堤防 ここを右に行く。この先の旧道は工場が出来たため右に迂回したらしい
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2/22 9:36
鏑川堤防 ここを右に行く。この先の旧道は工場が出来たため右に迂回したらしい
鏑川に架かる松ノ木瀬橋
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2/22 9:55
鏑川に架かる松ノ木瀬橋
橋を渡り鏑川土手を嘗ての渡河地点まで戻り南下する。ここは鎌倉街道らしい雰囲気
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2/22 10:02
橋を渡り鏑川土手を嘗ての渡河地点まで戻り南下する。ここは鎌倉街道らしい雰囲気
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2/22 10:03
吉良上野介屋敷井跡井戸
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2/22 10:20
吉良上野介屋敷井跡井戸
吉良上野介がここで生まれ産湯をつかったという解説版
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2/22 10:20
吉良上野介がここで生まれ産湯をつかったという解説版
国道254号を渡った先に道標がある。「日野金井 鬼石秩父」と読める
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2/22 10:29
国道254号を渡った先に道標がある。「日野金井 鬼石秩父」と読める
近くに石塔が3基。右から道祖神・庚申塔と読めるが左のものは判別できなかったが、「六字名号塔」らしい
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2/22 10:33
近くに石塔が3基。右から道祖神・庚申塔と読めるが左のものは判別できなかったが、「六字名号塔」らしい
更に南下し上信越自動車道を潜ると南へまっすぐ伸びる農道。正面の三角山は武甲山?
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2/22 10:42
更に南下し上信越自動車道を潜ると南へまっすぐ伸びる農道。正面の三角山は武甲山?
振り返れば上信越自動車道越しに赤城山や上州武尊山が良く見える
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2/22 10:46
振り返れば上信越自動車道越しに赤城山や上州武尊山が良く見える
「千部供養塔」天明三年(1783)の浅間山大噴火の被災供養塔。「千部」というのは、供養のために千人の僧が同じお経を一部づつ読むことだそうだ
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2/22 10:51
「千部供養塔」天明三年(1783)の浅間山大噴火の被災供養塔。「千部」というのは、供養のために千人の僧が同じお経を一部づつ読むことだそうだ
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2/22 10:52
鮎川の渡河地点。引き返して上流の橋を渡る
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2/22 10:54
鮎川の渡河地点。引き返して上流の橋を渡る
鮎川を渡る橋 橋から下流
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2/22 11:07
鮎川を渡る橋 橋から下流
対岸から左岸側の渡河地点を見る。対岸左奥に千部供養塔がある
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2/22 11:13
対岸から左岸側の渡河地点を見る。対岸左奥に千部供養塔がある
凱旋馬頭尊の石碑。碑文は摩耗して読めないが明治31年3月とあるので日清戦争(明治27〜28年)で死んだ馬の供養塔だろうか?
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2/22 11:23
凱旋馬頭尊の石碑。碑文は摩耗して読めないが明治31年3月とあるので日清戦争(明治27〜28年)で死んだ馬の供養塔だろうか?
すぐ先の交差点に道標。「左○○富岡 右鬼石秩父」と読める
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2/22 11:26
すぐ先の交差点に道標。「左○○富岡 右鬼石秩父」と読める
庚申山手前にある白石神社
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2/22 11:46
庚申山手前にある白石神社
庚申山登り口付近にある二十二夜塔と道祖神2基
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2/22 12:04
庚申山登り口付近にある二十二夜塔と道祖神2基
ここが鎌倉坂と呼ばれている。この先竹藪で通れない
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2/22 12:08
ここが鎌倉坂と呼ばれている。この先竹藪で通れない
龍田寺
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2/22 12:12
龍田寺
龍田寺を迂回した道
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2/22 12:14
龍田寺を迂回した道
龍田寺から東南東へ約1km行くと美九里小学校に突き当たる。手前の墓地に石塔石仏が集められている
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2/22 12:27
龍田寺から東南東へ約1km行くと美九里小学校に突き当たる。手前の墓地に石塔石仏が集められている
付近の土地改良事業や道路改修などで邪魔になったものを集めたのだろうか
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2/22 12:27
付近の土地改良事業や道路改修などで邪魔になったものを集めたのだろうか
葵八幡。木曽義仲の愛妾・葵御前を祀ったと云われている
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2/22 12:35
葵八幡。木曽義仲の愛妾・葵御前を祀ったと云われている
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2/22 12:36
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2/22 12:37
すぐ近くの道標 上部が割れて落ちたのか元々2基か分からない。左の道標には「大字川除至」と刻まれている。もう1基の道標は 「向左○○ 右○○」で読めない
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2/22 12:40
すぐ近くの道標 上部が割れて落ちたのか元々2基か分からない。左の道標には「大字川除至」と刻まれている。もう1基の道標は 「向左○○ 右○○」で読めない
道祖神と馬頭観音2基
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2/22 12:41
道祖神と馬頭観音2基
神流川左岸(上州側)渡河地点 向かう側は武蔵野国
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2/22 12:43
神流川左岸(上州側)渡河地点 向かう側は武蔵野国
本日の鎌倉街道はここで終点とし帰りの藤岡駅へ向かう
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2/22 12:46
本日の鎌倉街道はここで終点とし帰りの藤岡駅へ向かう
土師神社(どし)鳥居
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2/22 13:08
土師神社(どし)鳥居
石塔石仏群 左から5・6番目の蓮華台座上に如意輪観音があったはず
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2/22 13:08
石塔石仏群 左から5・6番目の蓮華台座上に如意輪観音があったはず
土師神社の祭神は相撲の神様で、当時野外相撲がおこなわれた場所を「相撲辻」と呼び、土師神社の相撲辻(土師の辻)は大阪住吉神社と石川羽咋神社とともに、日本三辻のひとつとされてる
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2/22 13:11
土師神社の祭神は相撲の神様で、当時野外相撲がおこなわれた場所を「相撲辻」と呼び、土師神社の相撲辻(土師の辻)は大阪住吉神社と石川羽咋神社とともに、日本三辻のひとつとされてる
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2/22 13:11
本郷埴輪窯址
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2/22 13:20
本郷埴輪窯址
土師神社の祭神は埴輪を生み出したともいわれる野見宿禰(のみのすくね)。地域は埴輪を製造する土師部が居住していた地域「土師郷(はじごう)」であると推定されている
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2/22 13:21
土師神社の祭神は埴輪を生み出したともいわれる野見宿禰(のみのすくね)。地域は埴輪を製造する土師部が居住していた地域「土師郷(はじごう)」であると推定されている
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2/22 13:22
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2/22 13:22
終点 藤岡駅 ここまで26.8km 7:35
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2/22 13:56
終点 藤岡駅 ここまで26.8km 7:35
八高線で高崎駅に戻ると駅構内に上野三碑のレプリカがあった
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2/22 14:36
八高線で高崎駅に戻ると駅構内に上野三碑のレプリカがあった
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