エルブルース 山頂からスキー滑走
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- GPS
- 80:00
- 距離
- 24.2km
- 登り
- 2,842m
- 下り
- 2,839m
コースタイム
- 山行
- 1:20
- 休憩
- 0:30
- 合計
- 1:50
- 山行
- 4:50
- 休憩
- 0:10
- 合計
- 5:00
- 山行
- 10:10
- 休憩
- 0:30
- 合計
- 10:40
ロープウェイ2本、リフト 徒歩で バレルス(バレー)小屋へ
天候 | 晴れ・薄曇り・雪・雹も |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
タクシー
ケーブルカー(ロープウェイ/リフト) 飛行機
ロープウェイなどでバレー小屋へ |
コース状況/ 危険箇所等 |
雪面 クレバス(パスツーコフ岩〜サドル間) |
その他周辺情報 | テレスコルは登山基地 |
写真
感想
2002年(平成14年)7月28日(日)~30日(火)
エルブルース 山頂からスキー滑走
1999年モンブランを登頂し、その時言われたことはヨーロッパ最高峰のエルブルースへの登頂も可能、難しくないとのことだった。
十分春から夏にかけ針ノ木・白馬そして乗鞍岳などで雪道、山滑走のトレーニングをしてきた。
登山基地のあるテレスコルまでの道のりはロシア特有のハプニング続きで一時はどうなることかと不安ばかりだったが、女性ガイドのエレーナさんとの出合からは安心して行動することができた。
ハプニングとは、まず飛行場で荷物が出て来るまで1時間以上待たされる。ゲートに出ると待っているはずのガイドが来ていない。自力で何とかホテルに着くが、カウンターでチェックインしようとしても1時間以上無視され、待たされる。ホテルを出て町を歩いていると警察官だかに腕をつかまれ分からない言葉で何か言われる。ホテルでは毎夜電話のベルが鳴り響く。荷物を預けようとするとホテルの裏だといわれ重い荷物を引きずり何百mも歩く。タクシーの乱暴な運転にヒヤヒヤ、目の前では接触事故が起きる。国内線ロービーで乗る予定の飛行機搭乗口が分からずカウンターで待つがなかなか相手をしてくれず、出発ギリギリでようやく向こうだと指さされ走り間に合う。
モスクワでは全くガイド無しの行動になり、何とか乗り切ってきたのはバウチャーという計画書を見せ身振り手振りで勇気を出して動いたことだ。
国内線でモスクワから3時間弱カフカスのミン・ボディ飛行場へ。
そこで迎えてくれたのがエリーナさんだ。
英語が分かり私のブロウックンイングリッシュを何とか理解しようと努めてくれた。
ロシアに来て初めて安心感が走った。
飛行場の外に出ると暑い。エレーナも大変暑いと言っていた。
テレスコルは涼しいという。
結婚式の7台の飾った車、門構えの大きな家、スイカ畑、ライ麦、ひまわり畑が続く、羊、牛の群れなど車窓から楽しめた。そして岩山が次から次へと現われる。
タクシーに乗り170km、3時間かけてエルブルース登山基地テレスコルのホテルに着いた。
静かで落ち着いた感じのホテルだ。熊が出没するのでフェンスで囲まれていた。滞在中は、可愛い黒っぽいリスや羊・牛が見られただけだった。
食事はスープと硬いパン、野菜が中心だ。
完食。ロシアの食事だけで体調は今のところ良好。水はミネラルウォーターということで部屋の水が美味しい。
お湯もしっかり出てモスクワのクレムリンビューの豪華ホテルよりも居心地が良い。
夕食時にエリーナと明日からの予定を何とか打ち合わせる。
明日から山に入る。持ち物、行動予定そして山の様子など話してくれた。
28日(日)
ホテルに迎えの車が来る。乗ったのはエリーナそしてダーニャというウクライナの女性、最初は私と同じエルブルースを目指しているのかと思っていた。
そうではなく私たちの食事係、若く見えたが実は4ヶ月の娘さんがいるとのことだった。
10時間かけて列車で来たという。事情はよく分からないが山に入ると顔なじみの人たちがいるようだった。多分エリーナに雇われているのだろう。
ダーニャは英語が全く分からず「ロシア語の手差し本」で交流を図った。
エリーナ、ダーニャと一緒にロープウェイ乗り場に着く。
ところがロープウェイが故障ということでしばらく待たされた。
このロープウェイ、その後無事動き出すが故障もあったが危険が一杯。
まず定員はあって無いようなもので詰め込まれた。
乗務員の男は酒に酔っているようで時々空中でドアを開けつばを吐く。
ケーブルを見ると日本のリフトよりも細いワイヤーが支えているではないか。乗降口も不安定で間が大きく空き、段差まである。
外の景色よりもロープウェイ自体に見とれてしまった。
それでも途中からエルブルースの山容が見え、その美しい姿に感動した。
ロープウェイを2本、そして最後リフトで小屋近くまで昇った。
エリーナは自分のザックと食料の入ったザックの二つだ。
どのぐらい重いのか持たせてもらったがバカ重い。
信じられないエリーナの力。
少し歩き標高3800mのバレー小屋(バレルス小屋)に到着。
すでに富士山よりも高い所に来ているのだ。
ここからエルブルースへのアタックが始まるのだ。
筒型の入れ物が横に6個並べられた小屋。
6番目の一番手前に入った。思っていた以上に快適で1人1ベッドというのが良い。同居人はこの時点では分からなかった。
午後早速高度順応のためと4157m、11番小屋の様子を見に行く。
11番小屋は当初の予定では3日目に泊まりエルブルースを目指すことになっていた。
11番小屋の中を見てくるようにと言われ中に入ってみた。
日本の山小屋に似ていて、ワンフロアーに皆横になっている。
暗くそしてざわついた感じで、落ち着くことができそうにない感じだった。
エリーナ曰く、バレー小屋の方が快適で過ごしやすい、エルブルース登頂にも問題ないとのことだった。
バレー小屋に泊まり続け登ることに決まった。
バレー小屋より20分ほど上部に登り高度順応をする。
ここからエルブルースでのスキー初滑りをする。
広い、どこまでも滑って行けそう。
この滑りだけでも来て良かった。夏でも本格的にスキーができる。スキーを持ってきている人も数名いたがスキーがあれば下りは天国。
11番小屋から下は重い雪だがショートスキーだったのが良かったか。
思うようにシュプールを描きバレー小屋まで滑る。
エルブルースへの山小屋は様々な点からまだ発展途上にある。
トイレ一つとっても垂れ流しの不衛生なもので、小屋の周りも乱雑で快適とは言えない状態だった。
その中で眠りにつくのだが、高度障害が出ているようで頭痛、横になるのがつらく、夜中の1時になると出発準備の音で一晩中うとうととする程度で眠りにつけなかった。
29日(月)
パスツーコフ岩へ8時に出発。
今日も高度順応のため4700m地点まで登る。
11番小屋からパスツーコフ岩は見えているのだが急斜面できつい登りだ。
火山エルブルースは露出する岩は火成岩でできている。
4700m地点の目印として火山岩のパスツーコフ岩がある。
この地点から上部は白の世界へとなる。
バレー小屋からパスツーコフ岩までが歩きでほぼ4時間かかった。
山頂目指すには11番小屋から往復10~11時間かかるとのことだった。
計画では11番小屋に泊まり山頂へとなっていた。
私がスキーで下山するということで快適なバレー小屋からとなったか。
お金次第でバレー小屋からパスツーコフ岩までスノーカートで運んでくれるというサービスがあるとのことだった。
200米国ドルかかるとのこと。魅力あるが高過ぎだ。
かなりの方が利用はしているとのことだった。
我々は全く考えていなかったのだが3日目にラッキーなことが起こった。
さて今日はパスツーコフ岩から滑ることになった。
誰も踏み込んでいない雪面へ。
スキーが思うように操作でき飛ぶように下る。
登るのに大変そうな方、下りの方を横目に大雪面を蹴散らし走る。
この醍醐味を味わうとスキーのありがたさ、機動力に明日の山頂からの滑りを期待するしかなくなる。
山小屋に連泊する。
ダーニャは感じの良い女性で食事を一生懸命に作っていたのは分かった。
ところが私にはその味が口に合わないのだ。初日は何とか食べたが、二日目になると全く胃が受け付けない。食事が通らなくなってしまった。
ダーニャも悲しそうな目をしていた。
ロシアの味に申し訳ないが辟易してダーニャには悪かったのだが、日本から持参した白がゆと牛肉のそぼろにをダーニャに暖めてもらい食した。
慣れ親しんだ味噌や醤油の味を欲してしまう。
美味しく一気に食べる。これで力が出て、気力も湧き出てきた。
夕食事の打ち合わせで登頂予定より一日早く、明日このバレー小屋から出発することとなった。
そしてスノーカートの予約が11番小屋からパスツーコフ岩に入り、11番小屋までは無料でエレーナと私を運んでくれるというありがたい話が出てきた。これはガイドの力、人脈なのかな。
もちろん11番小屋まで乗せてもらえば1時間ほど得をし、本来の出発場所になる。ラッキーだ。
30日(火)
夜中の1時30分、エレーナが起こしに来る。
1時に朝食、味噌汁も作って食べる。頭痛もなくなり調子が良い。
2時30分暗闇の中、無料のスノーカートにエリーナと乗り出発。
あっという間に11番小屋へ。
11番小屋を3時頃に歩き始める。途中朝日が昇り、西峰に光が差し輝く。
エルブルースの影がカフカスの山並みに映る。
5000m級の名もなき山々がオレンジ色に染まる光景が飛込んでくる。
パスツーコフ岩からは大変きついトラバースになった。
ひたすら同じ方向に急で、斜めに登るのは苦しい。
周りの景色になかなか目が向かず真っ白な雪を見つめ登る。
ようやくコルに登り上がるが、ここからがさらに急登となった。
登りながらこの斜面こそ最高のゲレンデになりそうだと見当を付けた。
雪質はパウダー。クランポン(アイゼン)がほとんど効かない。
緩やかな登りに入るが、まだ山頂には届かない。
山頂が見えてきたが頭痛が出てきた。
けだるい症状も出始め、気力のみ。内心登り切ることができるか心配もよぎっていた。
さいご一歩一歩ゆっくりと進み登頂。
5642mヨーロッパ最高峰に今いる。
写真を撮りまくり、山頂した喜びで高度障害もどこかに吹き飛んでいた。
エレーナに感謝し、どう撮影したか忘れたのだが思い出のツーショット。
長居はできないとスキーの準備をする。
山頂5642mから滑走スタート。
こんなのは初めてだと興奮しながら真っ新なパウダーに突っ込んだ。
感触は最高だ。気持ちよさを越えている。
スキーを持参したのは大正解だと確信していた。
コルへの大斜面手前で一休み、真っ新なパウダーが目に飛込んでくる。
気合いを入れて飛込む。自分のスキー操作を発揮させるときだ。
フワンフワンと雪に乗り落下する快感。最高の滑りができたと自己満足。
振り返えるとシュプールが一本きれいに見えた。エルブルースに印したスキーの跡、今回のエルブルース登頂&スキー滑走は思っていた以上の成果を上げられた。
コルに無事着き、トラバース斜面を方向だけ間違えないように進む。
登って来たつらさはどこへやら吹き飛んでいた。
ただ間違えて下りすぎるとクレバスが待ち構えているので要注意だ。
パスツーコフ岩上部からは目の前に広がる大雪面を滑る。
考えてみると1時間ほど前は喘ぎながら山頂へたどり着けるかどうかも不安な状態だった。
それがエルブルースの大雪原をひた走ると、きつさ苦しさがどこかへ消え去っていた。
後はバレー小屋まで滑り慣れた斜面を滑る。
山頂から2時間ほどで無事小屋へと戻ることができた。
登りに8時間以上かかったが、あっという間のスキーでの下山だった。
下りは歩きでも早いようで、ガイドのエリーナは1時間もかからないうちに小屋へと戻ってきた。
ヨーロッパ最高峰を登らせてもらった感謝。
5642m山頂から3800mバレー小屋までの1800m程の高度差、自然の広いゲレンデを滑りきった満足感。
「5642mからのスキー滑走」
こんなにもなだらかで広い、そして変化のあるゲレンデはあるだろうか。
雲の下に雪をいただいた山並みの絶景が広がり、人生の最高の思い出となった。
31日(水)
エルブルースとの別れの日。
予定ならば今日登っているところだ。
1日早く登らせてもらっている安堵もある。
もう一日この場でエルブルースに抱かれていたい思いもあった。
登頂を成功したもの同士、親指を立てて、
「アトゥリーチナ」とやる。
最高の笑顔、満足そうな微笑み、そして人への尊敬のまなざしが飛び交う。
小屋では、小野伸二が有名だというオランダ人、韓国サムスンの山岳部、息子がエプソンで働くというアメリカ人、ドイツ人、オーストラリア人、そしてロシアの人々とわずかではあるが交流できた。
ただ不穏というか日本では体験できないような状況もあった。
私の小屋には何故かロシア兵の方が数名いた。
そして近辺で砲撃の訓練をしているとのことだった。
実際ドカンドカンと山に響く音を耳にした。
様々な貴重な体験をしたエルブルースだった。
下山後、テレスコル周辺でのハイキング
8月1日(木)
エリーナ、エリーナの息子さんディーダも参加して3人でハイキングへ。
グルジア(現ジョージア)と国境を接しているというアドデゥース渓谷、グリーン・ホテルとも呼ばれる登山基地へ往復5時間ほどの行程だった。
峠には何カ所かロシア兵による検問所がありパスポートチェックなど行われていた。
花が豊富、白い水しぶきを上げる激流が走る。雄大な自然の中を歩む、長野の自然とはまた違う色、匂い、空気、そして光を感じた。
3000m級の岩稜が目の前に峻立する景観地だった。
2日(金)
エルブルース・オリジナルルートを辿る。
1829年初めて東峰に、1868年には西峰へと初登頂、ロープウェイが設けられるまでのルートとのこと。
植村直己氏もこのオリジナルルートで登頂していると聞いた。
テレスコープ基地があり、エルブルースが展望できる景勝地。
基地に繋がる林道を歩くと、途中にガールズ・ヘアと呼ばれる滝が正に長髪の女性の後ろ姿のごとく流れ落ちていた。
3日(土)
チェゲットへ ドングスドーム展望
エルブルースを例えば女性的な山とするとドングスドームは男性的な筋肉もりもり状態の山だ。
エルブルースはこの地でも特出してはいるが、ドングスドームの偉容さは何か強く心に残るものがある。
そのドングスドームを間近に見られるチェゲット山3040mへのハイキングを予定している。
ところが黒海方面からの湿った風がエルブルースに当たり天候が変化した。テレスコルに入りエルブルースを登頂し、麓での2日間のハイキングでも天候に恵まれていたが、最終日のハイキングは曇りから雨へとなってしまった。
今までがラッキーだったとのことだ。一度天候が変わると数日間か変わらないそうだ。晴れが続けば数日間晴れ、天候が悪化すれば数日間は悪いままとのことだ。エルブルース登頂日は快晴が続く期間に当たっていたことになる。
出発時は曇りでチェゲットへ向けてロシアではスキーリゾートとして知られているというスキー場内を登り始めた。
すると登り始めて間もなくポツポツと雨が降り出してきた。
エリーナがこの状況の中「行くか?」と聞いてくる。行きたいがガスも出てきて目的のドングスドームはまず見られないだろうとのことで断念した。
ゲレンデを下って行くとリフトが動いている。実は歩かずともスキーリフトがチェゲットへと運んでくれるのだ。小降りになりリフトで再チャレンジと相談する。リフト代40P(約130円)で早速上部へと向かった。
ぐんぐん高度は上がる。リフトからはゲレンデに咲く花々に感動。
花園と言って良いだろう、色鮮やかに様々な花が咲き競っていた。
一面同種の花で紅色の絨毯、少し行くと別の黄色い花の絨毯、そして雲が舞い降りたような白い花々の広がりと目を奪われていた。
かなり長いリフトだったが飽きることもなく乗車していた。
リフト降り場から対面するはずだったドングスドームはやはり雲の中でその全体を見られなかった。
営業中のレストランに入ることにした。
ロシア兵が大勢いて驚くが、ここもグルジアとの国境近くということで滞在、休憩中のようだった。
我々は雨で冷えた身体を温めるために赤ワインホットのレモン入をエリーナが注文してくれた。香り高く、美味しい、そして身体が温まった。
目的のドングスドームには対面できなかったが、チェゲットの花々に癒やされた。
雨であってもその豊かな自然の中に身を置けたエルブルース最後のハイキングも楽しく、感謝しかない。
その後
2023年(令和5年)に当時2002年の記録を思い起こし書いている。
現在ロシアのウクライナ侵攻により、ロシア人のエリーナそして友達のウクライナ人のダーニャはどうしているのだろうか。
またグルジア国境付近を散策した時、ロシア兵による検問、訓練だという大砲の音などが響いていた。ロシアのグルジアへの侵攻が私のエルブルース山行以降にあった。
2008年とうとうロシアはグルジア(ジョージア)と戦争。
直後、ジョージアとロシアは直ちに外交関係を断絶するということになっている。ただ現在両国の経済的、民間交流は盛んのようでウクライナの状況とは違うようではある。
強烈な印象が残っているロシア、今になると楽しい思い出ばかりだ。
エルブルースを登り、山頂から滑走、無事下山できた喜び。
3日間のエルブルース山麓でのハイキングはガイド・エリーナさんのサービスで楽しませていただいた。
なお、ハイキングコースは地図を見てもはっきり分からないので記載できなかった。どれも5時間近く歩ている。
ふるちゃん
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