16.穂高岳(奥穂高岳) 「涸沢の中心で、愛をさけぶ」
- GPS
- 56:00
- 距離
- 35.6km
- 登り
- 1,878m
- 下り
- 1,859m
コースタイム
8月15日(二日目):涸沢−穂高岳山荘−奥穂高岳山頂−穂高岳山荘−涸沢(幕営)
8月16日(三日目):涸沢−本谷橋−横尾山荘ー徳沢園−明神館−上高地
天候 | 8月14日:曇り? 8月15日:雨のち曇り? 8月16日:曇り? |
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過去天気図(気象庁) | 2004年08月の天気図 |
アクセス | |
コース状況/ 危険箇所等 |
○奥穂高岳山頂アタックの早朝は雨が降っていたのですが、9時頃に雨があがり、山頂アタックを決意しました。曇りといっても、登っている途中で槍ヶ岳が見えたので、それだけ視界が良かったので、コンディションは良かったと思います。 ○立ち寄り湯はどこかのホテルの温泉ではないですが、浴場を利用しました。大抵のホテルの利用時間は限定されるので、営業している時間にうまく入浴出来るか鍵になるようです。 |
写真
感想
第16座 涸沢の中心で、愛をさけぶ
この年は仕事も忙しく山には行けなかった。というか計画を立てることすら億劫だった。
「これではいけない! 盆休みに一山登らなくては!」
こうして穂高岳登山が決まったのであった。穂高岳登頂は実を言えば1999年の盆休みに
以前、集団で登ったのだが、雨のために穂高岳山荘で足止めをくらって山頂の石を踏んではいなかった。その時のリベンジも今回の登山の目的としてあった。
8月14日の早朝に上高地に着いた。バスターミナルから河童橋まで歩いただけでも空気が明らかにおいしく思えた。横尾山荘までは散歩気分で気持ちよく歩けた。橋を渡ってからは道も登山道らしくなってきた。本谷橋を渡った後は急勾配の登り坂が続いた。以前は何ともなかったはずなのだが、今回は辛かった。それだけ歳をとった証拠だといわざるを得なかった。
ようやく涸沢ヒュッテにたどり着いた。ヒュッテから離れた場所にテント設営受付場があるので、そこで手続きを済ませ札をもらい、なるべく平らな場所にテントを設営するのである。テントをさっさと設営し、まだ夕方には間があったのでヒュッテのテラスで生ビールを飲むことにしよう。テラスで常念岳が紅く染まるのを眺めながら僕はビールを飲んだ。今のこの時が至福のひとときであった。
翌朝の15日、雨がテントのターフを叩くように降っていた。この雨で行くか停滞するかテントの中でじっと考えていた。すると9時になったあたりで、雨音がなくなり、テントから空を見たら、曇っているだけの天気だった。
「これなら行けそうだ!」
喜び勇んで穂高岳に向けて登り始めた。
涸沢から穂高岳山荘まではサイテングラートと呼ばれる登山道を登っていく、確かに急勾配できつい登りだった。下を見ると涸沢のテントのひとつひとつが米粒みたいに小さくなっていた。あっという間にここまで登ったんだなぁ〜と思った。穂高岳山頂に到着したのは昼前だった。ここでしばらく休憩を取った後、いよいよ未知の領域に入ることになる。
しばらく登って稜線越しに槍ヶ岳が見えた。曇っていたものの、雲は遠く、槍ヶ岳の向こうの山脈、常念や燕などであろうか? 遠くまで見ることができた。そして山頂に到着!
晴天ではなかったのが残念だが、霧がなく、展望はほぼ文句がなかった。朝に雨が降っていたことから考えると奇跡だと思った。晴れていれば文句がなかったのだが・・・・。 まぁ、山頂からの景色を充分に楽しんだ後、下山を始めた。本来なら穂高岳山荘から涸沢岳を通り北穂高岳の山頂も行きたかったが、時間もなかったので諦め、行きと同じくザイテングラートを降り、涸沢小屋を通って涸沢ヒュッテに戻った。
翌朝早く、テントを撤収し、行きと逆ルートをたどり上高地に戻った。上高地に入ると道が人で埋まるほどに多かった。人混みを掻き分け向かったのが某ホテルの風呂であった。
幸いなことに丁度入浴可能な時間であり、久々に風呂に入り極楽気分を味わった。それでも体重が1kg程度しか減らず「あんなに歩いたのに・・・・」とがっかりした。
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