北東北遠征の3日目(9/9)。弘前のホテルで目を覚ましたら予報通り雨。岩木山の観光登山は展望が目的になるので雨では面白くない(花が目的の麓からの登山なら行ってたかも)。代わりにどうするか。前夜は夜更かしして調べて、黒石駅へ。
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9/9 11:27
北東北遠征の3日目(9/9)。弘前のホテルで目を覚ましたら予報通り雨。岩木山の観光登山は展望が目的になるので雨では面白くない(花が目的の麓からの登山なら行ってたかも)。代わりにどうするか。前夜は夜更かしして調べて、黒石駅へ。
バスで中野神社へ。もともとの計画では、この日の宿が近いので夕方寄るつもりだったが、昼に到着。ここは小嵐山と呼ばれ、紅葉期には多くの人が訪れるらしい。確かに、ここの紅葉はすごそうだった。
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9/9 13:07
バスで中野神社へ。もともとの計画では、この日の宿が近いので夕方寄るつもりだったが、昼に到着。ここは小嵐山と呼ばれ、紅葉期には多くの人が訪れるらしい。確かに、ここの紅葉はすごそうだった。
ここは、案内板の左側にある通り、明治初期の世界旅行家のイザベラ・バートが訪れ絶賛しているのだ。
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9/9 13:08
ここは、案内板の左側にある通り、明治初期の世界旅行家のイザベラ・バートが訪れ絶賛しているのだ。
バートは東京から日光、新潟、会津若松、秋田、大舘を経てここ黒石に来た(1878年)。著書『日本奥地紀行』は、文明開化前の日本の農村の民俗・文化の描写に力点がおかれ、自然描写はそうはない。
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9/9 13:08
バートは東京から日光、新潟、会津若松、秋田、大舘を経てここ黒石に来た(1878年)。著書『日本奥地紀行』は、文明開化前の日本の農村の民俗・文化の描写に力点がおかれ、自然描写はそうはない。
しかし、「上中野は非常に美しく、長旅をしても見に来る価値は十分ある筈です。ここではなにもかもにうっとりとさせられました」。しばらくバートに案内を任せよう。
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9/9 13:21
しかし、「上中野は非常に美しく、長旅をしても見に来る価値は十分ある筈です。ここではなにもかもにうっとりとさせられました」。しばらくバートに案内を任せよう。
「秋には無数にある星型の葉をした楓が緋色や深紅に紅葉し、」
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9/9 13:31
「秋には無数にある星型の葉をした楓が緋色や深紅に紅葉し、」
「背景の鬱蒼とした杉林では、白い見事な滝が雪の吹き溜まりのように輝いて、黒い滝壺に流れ落ちています。これほど心地よいものを私は見たことがありません。」
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9/9 13:25
「背景の鬱蒼とした杉林では、白い見事な滝が雪の吹き溜まりのように輝いて、黒い滝壺に流れ落ちています。これほど心地よいものを私は見たことがありません。」
「かわいい橋と、」(写真の橋は昭和53年竣工とあった。かつては小さかったのか)
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9/9 13:14
「かわいい橋と、」(写真の橋は昭和53年竣工とあった。かつては小さかったのか)
「二つの見事な鳥居、数本の立派な石楼があって、」
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9/9 13:31
「二つの見事な鳥居、数本の立派な石楼があって、」
「そのあと急傾斜のみごとな石段が山腹の鬱蒼とした杉林を通って、」
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9/9 13:29
「そのあと急傾斜のみごとな石段が山腹の鬱蒼とした杉林を通って、」
「小さな神社に至ります」。(実際は、そう距離はない。かつては、この先に奥宮があったのかもしれない)
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9/9 13:34
「小さな神社に至ります」。(実際は、そう距離はない。かつては、この先に奥宮があったのかもしれない)
「近くに神木があり、愛と復讐の象徴が打ち付けられていました」。(愛と復讐の象徴とは、藁人形のことのようだ。)
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9/9 13:34
「近くに神木があり、愛と復讐の象徴が打ち付けられていました」。(愛と復讐の象徴とは、藁人形のことのようだ。)
その神木は杉。樹齢500年という。
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9/9 13:34
その神木は杉。樹齢500年という。
バードのいうように、たしかにここは、現在も美しい。こういった、杉の神木が何本もそびえ、、
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9/9 13:20
バードのいうように、たしかにここは、現在も美しい。こういった、杉の神木が何本もそびえ、、
これは樹齢200年という。
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9/9 13:21
これは樹齢200年という。
狛犬ならぬ狛鶏も可愛い。中野神社は不動明王を祀る神社で、不動明王は酉年生まれの人の守護神だからだという。
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9/9 13:31
狛犬ならぬ狛鶏も可愛い。中野神社は不動明王を祀る神社で、不動明王は酉年生まれの人の守護神だからだという。
そして、もみじだ。弘前藩第9代藩主津軽軽寧が1802年、京都より百余種のカエデの苗木を取り寄せて移植したという。写真はその時のカエデだという。
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9/9 13:25
そして、もみじだ。弘前藩第9代藩主津軽軽寧が1802年、京都より百余種のカエデの苗木を取り寄せて移植したという。写真はその時のカエデだという。
イロハモミジですね。まだ元気です。
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9/9 13:25
イロハモミジですね。まだ元気です。
樹齢は200年を超えるはずだ。ここでは樹齢100年を超えるモミジが130本確認されているらしい。
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9/9 13:26
樹齢は200年を超えるはずだ。ここでは樹齢100年を超えるモミジが130本確認されているらしい。
もう色づいているものもあった。
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9/9 13:26
もう色づいているものもあった。
これは、オオモミジっぽい。
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9/9 13:27
これは、オオモミジっぽい。
中野もみじ山は、中野神社の境内に植えられたもみじだけでなく、山そのものの自然林にもカエデ類が多いようなのだ。パンフの写真を見ると山全体が赤く色づいている。その名も地形図には紅葉山とある。
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9/9 13:35
中野もみじ山は、中野神社の境内に植えられたもみじだけでなく、山そのものの自然林にもカエデ類が多いようなのだ。パンフの写真を見ると山全体が赤く色づいている。その名も地形図には紅葉山とある。
紅葉山には散策路が付けられている。確かに、カエデ類が多そうだ。
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9/9 13:36
紅葉山には散策路が付けられている。確かに、カエデ類が多そうだ。
中腹には、杉の大木もある。これは、樹齢700年だという。ということは、社叢林として植えられたのか、自生のスギなのか。
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9/9 13:40
中腹には、杉の大木もある。これは、樹齢700年だという。ということは、社叢林として植えられたのか、自生のスギなのか。
散策路はずっと奥まで続く。
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9/9 13:41
散策路はずっと奥まで続く。
林床にはキンミズヒキが多い。(他の花はみかけなかった)
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9/9 13:45
林床にはキンミズヒキが多い。(他の花はみかけなかった)
かなり登るぞ。
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9/9 13:51
かなり登るぞ。
展望所というが、展望はない。
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9/9 13:57
展望所というが、展望はない。
段々と暑くなり汗びっしょり。午後から晴れて来て、気温もぐんぐん上がっているようだ。だいぶ登った。このあたりがビークのようだ。
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9/9 13:58
段々と暑くなり汗びっしょり。午後から晴れて来て、気温もぐんぐん上がっているようだ。だいぶ登った。このあたりがビークのようだ。
腰を下ろして地図を見ると、散策路は、紅葉山の山頂に通じていない。でもすぐ近くだ。藪漕ぎして行ってみるか。
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9/9 14:00
腰を下ろして地図を見ると、散策路は、紅葉山の山頂に通じていない。でもすぐ近くだ。藪漕ぎして行ってみるか。
それほど傾斜もなく、藪も大したことはない。
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9/9 14:12
それほど傾斜もなく、藪も大したことはない。
おっ、何か見えてきた。奥宮か。しかし、正体不明。まわりは杉の人工林っぽいので、作業用かもしれない。
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9/9 14:15
おっ、何か見えてきた。奥宮か。しかし、正体不明。まわりは杉の人工林っぽいので、作業用かもしれない。
山頂が近いはずで、三角点を探すが、見つからない。
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9/9 14:17
山頂が近いはずで、三角点を探すが、見つからない。
このありが山頂かな。これは三角点ではなく、境界標のようだが。
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9/9 14:18
このありが山頂かな。これは三角点ではなく、境界標のようだが。
ヒノキも植林したのだろうか。。。。
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9/9 14:19
ヒノキも植林したのだろうか。。。。
いや、これは、アスナロ。ここは青森だから、多く自生するヒバ(ヒノキアスナロ)だろう。
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9/9 14:19
いや、これは、アスナロ。ここは青森だから、多く自生するヒバ(ヒノキアスナロ)だろう。
イタヤカエデだ。これは自生だろう。
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9/9 14:22
イタヤカエデだ。これは自生だろう。
少し離れたところに三角点を見つけた。山頂かどうかはわからない。
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9/9 14:25
少し離れたところに三角点を見つけた。山頂かどうかはわからない。
戻りは、方角がわからなくなって、うろうろしてしまう。GPS頼り。
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9/9 14:31
戻りは、方角がわからなくなって、うろうろしてしまう。GPS頼り。
やっと元に戻ってきた。
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9/9 14:33
やっと元に戻ってきた。
散策路を降りて行くが、だんだん怪しくなる。
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9/9 14:46
散策路を降りて行くが、だんだん怪しくなる。
まず、地面には無数のトチノキの実が落ちていて、ゴロゴロと滑りそうだったし、、、
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9/9 14:44
まず、地面には無数のトチノキの実が落ちていて、ゴロゴロと滑りそうだったし、、、
路が藪に覆われて、木橋もよく見えないし、、、
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9/9 14:50
路が藪に覆われて、木橋もよく見えないし、、、
この橋も崩れそう。
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9/9 14:54
この橋も崩れそう。
でも、沢は美しいし、紅葉したら絶景なんだろうと思う。
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9/9 14:55
でも、沢は美しいし、紅葉したら絶景なんだろうと思う。
観楓台?
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9/9 14:58
観楓台?
広場のモミジを楽しむものらしい。
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9/9 15:11
広場のモミジを楽しむものらしい。
ツリガネニンジン。
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9/9 15:12
ツリガネニンジン。
中野もみじ山=紅葉山の全景。紅葉期は真っ赤に染まるという。バードは黒石からここ中野に人力車で遠出した時のことを、「景色は極めて美しく、陽光と彩に申し分なく恵まれ、コバルトとインディゴ、緑がかった青、青みがかった緑のすばらしい色調が見られて、思いがけない谷の裂け目に白い泡しぶきがちらりとのぞきます。単純素朴で故郷のようなとても心地の良いところです」。
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9/9 15:27
中野もみじ山=紅葉山の全景。紅葉期は真っ赤に染まるという。バードは黒石からここ中野に人力車で遠出した時のことを、「景色は極めて美しく、陽光と彩に申し分なく恵まれ、コバルトとインディゴ、緑がかった青、青みがかった緑のすばらしい色調が見られて、思いがけない谷の裂け目に白い泡しぶきがちらりとのぞきます。単純素朴で故郷のようなとても心地の良いところです」。
さて、宿に向かおう。俗に黒川温泉郷といわれるが、いくつかの温泉が散在している。これは、落合温泉の共同浴場で宿が数件ある。その隣には板留温泉がある。
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9/9 16:24
さて、宿に向かおう。俗に黒川温泉郷といわれるが、いくつかの温泉が散在している。これは、落合温泉の共同浴場で宿が数件ある。その隣には板留温泉がある。
落合温泉の近くの津軽伝承工芸館は、工芸店(実演)の集合体だが撤退した店が多く、閑散としていたので、、、
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9/9 15:49
落合温泉の近くの津軽伝承工芸館は、工芸店(実演)の集合体だが撤退した店が多く、閑散としていたので、、、
その隣の津軽こけし館で、涼むことにした。暑くて仕方ないので。しかし、これが意外な収穫。ものすごい数の伝統的こけし+現代こけし展示なのだ。各地にこけし館があるが、全国の一大拠点かもしれない。
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9/9 15:44
その隣の津軽こけし館で、涼むことにした。暑くて仕方ないので。しかし、これが意外な収穫。ものすごい数の伝統的こけし+現代こけし展示なのだ。各地にこけし館があるが、全国の一大拠点かもしれない。
これは黒石駅のものだが、典型的な津軽系こけし(温湯系)。ねぷた絵がよく描かれている。こけしの11産地の多くは温泉だ。肘折、鳴子、蔵王、作並、遠刈田、土湯には行っているが、今回、新たに温湯温泉に来たことになる。
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9/10 9:25
これは黒石駅のものだが、典型的な津軽系こけし(温湯系)。ねぷた絵がよく描かれている。こけしの11産地の多くは温泉だ。肘折、鳴子、蔵王、作並、遠刈田、土湯には行っているが、今回、新たに温湯温泉に来たことになる。
(黒石温泉郷の)温湯温泉の共同湯。ここへはイザベラ・バードも来ている。再びバードに案内してもらおう。
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9/9 16:44
(黒石温泉郷の)温湯温泉の共同湯。ここへはイザベラ・バードも来ている。再びバードに案内してもらおう。
「茶屋と宿屋は長方形の窪地を囲むように立っており、窪地の底地に浴場が四つある」。今でも、共同湯を囲むように、店と宿が立ち並んでいる。
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9/10 8:16
「茶屋と宿屋は長方形の窪地を囲むように立っており、窪地の底地に浴場が四つある」。今でも、共同湯を囲むように、店と宿が立ち並んでいる。
青森では、湯治用の宿のことを「客舎」と呼んでいる。「客舎」は自炊で内湯はなく、皆共同湯に入る。(これは廃業してしまったようだ)
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9/10 8:18
青森では、湯治用の宿のことを「客舎」と呼んでいる。「客舎」は自炊で内湯はなく、皆共同湯に入る。(これは廃業してしまったようだ)
この「客舎」は、今でもやっている。建物は大正時代のものらしい。いまはこの宿にも内湯はあるらしい。
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9/10 8:12
この「客舎」は、今でもやっている。建物は大正時代のものらしい。いまはこの宿にも内湯はあるらしい。
昔ながらの鄙びた温泉地なのだ。左奥に見えるのが共同湯。
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9/10 8:17
昔ながらの鄙びた温泉地なのだ。左奥に見えるのが共同湯。
温湯温泉では唯一と言って良い新しめ建物の「山賊館」にお世話になった。部屋からは共同湯が見える。地元の方らしき人々が大勢入っていくのが見えた。
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9/9 17:25
温湯温泉では唯一と言って良い新しめ建物の「山賊館」にお世話になった。部屋からは共同湯が見える。地元の方らしき人々が大勢入っていくのが見えた。
部屋は、最近の旅館として遜色がなく、ひととおり揃っていて、快適である。
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9/9 16:54
部屋は、最近の旅館として遜色がなく、ひととおり揃っていて、快適である。
もちろん内湯があって、もちろんかけ流し。硝酸系の好みの泉質だ。
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9/9 17:03
もちろん内湯があって、もちろんかけ流し。硝酸系の好みの泉質だ。
注ぎ口は、ねぷた絵。温湯系こけしと同じですね。宿名の「山賊」は、ここから来ているのだろう。
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9/10 5:57
注ぎ口は、ねぷた絵。温湯系こけしと同じですね。宿名の「山賊」は、ここから来ているのだろう。
さすが、温湯温泉と思ったのは、広い洗い場。ここで体を洗うのではない。ここで、まったりして、何度も湯に入るのだ。
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9/9 17:03
さすが、温湯温泉と思ったのは、広い洗い場。ここで体を洗うのではない。ここで、まったりして、何度も湯に入るのだ。
現代的な宿だが、洗濯機や、、、
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9/9 17:20
現代的な宿だが、洗濯機や、、、
炊事場もあって、長期滞在にも便利そうだ。
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9/9 20:50
炊事場もあって、長期滞在にも便利そうだ。
驚いたのが食事だ。温泉宿の和食は量ばかりが多くて苦手なのだが、これは海鮮料理と言って良くひとつひとつに一工夫ある。ちなみに宿代は2食込みで1万円を切る。どうやら人気宿だった。土曜によくぞ空いていたものだ。
2023年09月15日 12:43撮影
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9/15 12:43
驚いたのが食事だ。温泉宿の和食は量ばかりが多くて苦手なのだが、これは海鮮料理と言って良くひとつひとつに一工夫ある。ちなみに宿代は2食込みで1万円を切る。どうやら人気宿だった。土曜によくぞ空いていたものだ。
ということで、満足して翌朝(4日目)、黒石駅へのバスに乗る。旅行客は他に一人だけ。あとは黒石中学の生徒ばかりだった。通学バスということだ。<地図のコースはここまで。以下は電車・バスで移動したのでおまけで写真のみ>
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9/10 8:41
ということで、満足して翌朝(4日目)、黒石駅へのバスに乗る。旅行客は他に一人だけ。あとは黒石中学の生徒ばかりだった。通学バスということだ。<地図のコースはここまで。以下は電車・バスで移動したのでおまけで写真のみ>
<おまけ1■バードと共に黒石歩き> 3日目の昼間のこみせ通りは、ちょうど「こみせ祭まつり」で、賑わっていた。
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9/9 11:43
<おまけ1■バードと共に黒石歩き> 3日目の昼間のこみせ通りは、ちょうど「こみせ祭まつり」で、賑わっていた。
津軽三味線の実演をしていたのはいいとしても、縁日みたいで人が多すぎて落ち着かない。
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9/9 11:45
津軽三味線の実演をしていたのはいいとしても、縁日みたいで人が多すぎて落ち着かない。
そこで、翌朝、再び訪れた。まだねぷたを準備中だった。バードは、黒石が気に入ったらしく、二泊している。「ここは気持ちのいいところ」。そして当時のねぷたを目撃している。「これほど完璧にお伽噺のシーンのようなものは見たことがありません」。バードの描写は七夕祭りにほかならず、秋田の竿灯まつりにも似ている。秋田の竿灯まつりと青森・弘前・黒石のねぷた・ねぷたは、この頃は同じだったのだろう。(詳細は感想に)
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9/10 9:03
そこで、翌朝、再び訪れた。まだねぷたを準備中だった。バードは、黒石が気に入ったらしく、二泊している。「ここは気持ちのいいところ」。そして当時のねぷたを目撃している。「これほど完璧にお伽噺のシーンのようなものは見たことがありません」。バードの描写は七夕祭りにほかならず、秋田の竿灯まつりにも似ている。秋田の竿灯まつりと青森・弘前・黒石のねぷた・ねぷたは、この頃は同じだったのだろう。(詳細は感想に)
こみせ通りは、重要伝統的建造物群保存地区として保存されている。これは高橋家住宅。屋号は「米屋」。米穀を扱う商家で1763年築。
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9/10 9:04
こみせ通りは、重要伝統的建造物群保存地区として保存されている。これは高橋家住宅。屋号は「米屋」。米穀を扱う商家で1763年築。
これが庇(こみせ)。弘前藩の黒石津軽家時代のもの。アーケードみたいなもんだな。
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9/10 9:05
これが庇(こみせ)。弘前藩の黒石津軽家時代のもの。アーケードみたいなもんだな。
消防団の建物。これは大正時代の洋風建築。
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9/10 9:02
消防団の建物。これは大正時代の洋風建築。
こもせ通りの裏には、こみせを模した建物があり商店も入っていた。伝統をうまく使っているなあ。
2
9/10 9:13
こもせ通りの裏には、こみせを模した建物があり商店も入っていた。伝統をうまく使っているなあ。
黒石城址。説明看板がないのは何故だろうか。バードが訪れた頃は「昔は小さな城がありましたが、いまは崩れており、城壁は街の人々の楽しい散策場所」だったという。もはや城壁も見当たらない。
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9/9 11:57
黒石城址。説明看板がないのは何故だろうか。バードが訪れた頃は「昔は小さな城がありましたが、いまは崩れており、城壁は街の人々の楽しい散策場所」だったという。もはや城壁も見当たらない。
ふと目についた「蝉は夏を知らない」。この酷暑だしな、と思って撮影したが、よく考えると意味不明。調べてみると、蝉は成虫になって地中から出る。夏以外のことは知らず比較できないので、夏のことは知らないの意味。『論註』とは浄土真宗の高僧の著。この円覚寺は黒石藩の成立とともに開基されたというから古い。バードは、「仏教寺院をいくつか訪ねてみましたが、どれもみすぼらしく」と書いている。
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9/10 9:20
ふと目についた「蝉は夏を知らない」。この酷暑だしな、と思って撮影したが、よく考えると意味不明。調べてみると、蝉は成虫になって地中から出る。夏以外のことは知らず比較できないので、夏のことは知らないの意味。『論註』とは浄土真宗の高僧の著。この円覚寺は黒石藩の成立とともに開基されたというから古い。バードは、「仏教寺院をいくつか訪ねてみましたが、どれもみすぼらしく」と書いている。
<おまけ2■縄文と弥生>。初日(9/7)、新青森から特急つがるで、鷹ノ巣(北秋田市)に向かった。翌日の森吉山のための前泊がここである。
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9/7 12:45
<おまけ2■縄文と弥生>。初日(9/7)、新青森から特急つがるで、鷹ノ巣(北秋田市)に向かった。翌日の森吉山のための前泊がここである。
午後の時間を利用して、世界遺産の縄文遺跡・伊勢堂岱遺跡に行く。鷹ノ巣で秋田内陸縦貫鉄道秋田内陸線に乗り換える。
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9/7 14:25
午後の時間を利用して、世界遺産の縄文遺跡・伊勢堂岱遺跡に行く。鷹ノ巣で秋田内陸縦貫鉄道秋田内陸線に乗り換える。
縄文小ヶ田駅で降りる。ここから、伊勢堂岱遺跡までは徒歩10分。
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9/7 14:46
縄文小ヶ田駅で降りる。ここから、伊勢堂岱遺跡までは徒歩10分。
途中、田園の中に、ハスが植えられていた。
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9/7 14:52
途中、田園の中に、ハスが植えられていた。
解説板は見当たらなかったが、農家が植えた大賀ハスなんだと地元の新聞にあった。大賀ハスとは東京の縄文遺跡で見つかったハスの実。全国各地に植えられている。伊勢堂岱遺跡の応援なんだな。
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9/7 14:59
解説板は見当たらなかったが、農家が植えた大賀ハスなんだと地元の新聞にあった。大賀ハスとは東京の縄文遺跡で見つかったハスの実。全国各地に植えられている。伊勢堂岱遺跡の応援なんだな。
あぜ道にはゲンノショウコが咲いていた。
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9/7 15:01
あぜ道にはゲンノショウコが咲いていた。
立派なガイド施設。伊勢堂岱遺跡は縄文時代後期前葉、4000年前頃のものとされる。
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9/7 15:05
立派なガイド施設。伊勢堂岱遺跡は縄文時代後期前葉、4000年前頃のものとされる。
この板状土偶などの発掘物が展示されていたが、この遺跡のメインは、ストーンサークルなのだ。
3
9/7 15:14
この板状土偶などの発掘物が展示されていたが、この遺跡のメインは、ストーンサークルなのだ。
かなり広い遺跡には、4つのストーンサークル(環状列石)が見つかったのだ。平成8年と最近のこと。
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9/7 15:20
かなり広い遺跡には、4つのストーンサークル(環状列石)が見つかったのだ。平成8年と最近のこと。
森を抜けて、ストーンサークルに向かう。ストーンサークルから離れた場所にも遺構が見つかっているようだ。(正体はまだ明らかになっていない)。
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9/7 15:22
森を抜けて、ストーンサークルに向かう。ストーンサークルから離れた場所にも遺構が見つかっているようだ。(正体はまだ明らかになっていない)。
この地は、食料となるサケ・マスが遡上し、捕獲できる河川近くにあり、後背地には落葉広葉樹の森が広がっていたという。森のこのミズナラや、、、
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9/7 15:30
この地は、食料となるサケ・マスが遡上し、捕獲できる河川近くにあり、後背地には落葉広葉樹の森が広がっていたという。森のこのミズナラや、、、
クリは、縄文時代にも生えていたわけだ。
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9/7 15:34
クリは、縄文時代にも生えていたわけだ。
実の先に雄花がまだ残っていた。
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9/7 15:36
実の先に雄花がまだ残っていた。
しかし、このキリは、日本には自生せず、中国から移植されたものなので、縄文時代にはなかっただろう。
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9/7 15:54
しかし、このキリは、日本には自生せず、中国から移植されたものなので、縄文時代にはなかっただろう。
そしてこれは、オオハンゴンソウだ。北米原産で明治時代に移入された。青森でも各地で駆除しているという。
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9/7 15:25
そしてこれは、オオハンゴンソウだ。北米原産で明治時代に移入された。青森でも各地で駆除しているという。
ストーンサークルが見えてきた。遠くに白神山地を望める。縄文人はわざわざ見晴らしのよい場所を選んだという。
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9/7 15:33
ストーンサークルが見えてきた。遠くに白神山地を望める。縄文人はわざわざ見晴らしのよい場所を選んだという。
逆側から。盛土の跡もみられ、一大土木工事を縄文人は行ったという。
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9/7 15:51
逆側から。盛土の跡もみられ、一大土木工事を縄文人は行ったという。
石は、さまざまな色のものがある。20種類の石が見つかったという。
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9/7 15:42
石は、さまざまな色のものがある。20種類の石が見つかったという。
これは建物跡。用途は、祭祀用とか住居用とかまだ、確定されていないようだ。ストーンサーク下部には死者を埋葬した土坑墓がみられ、共同墓地であるとともに、祭祀・儀礼の空間でもあったことは確かなようだ。
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9/7 15:38
これは建物跡。用途は、祭祀用とか住居用とかまだ、確定されていないようだ。ストーンサーク下部には死者を埋葬した土坑墓がみられ、共同墓地であるとともに、祭祀・儀礼の空間でもあったことは確かなようだ。
縄文小ヶ田駅に戻ってきた。ホームからは、田んぼアート。全国ではやっているようだ。左が、遺跡のキャラいせどうくんで、右が秋田犬だというが、うーん、よくわからない。(この時は田んぼアートの意味もわからなかった)。
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9/7 16:08
縄文小ヶ田駅に戻ってきた。ホームからは、田んぼアート。全国ではやっているようだ。左が、遺跡のキャラいせどうくんで、右が秋田犬だというが、うーん、よくわからない。(この時は田んぼアートの意味もわからなかった)。
今日の宿泊地の鷹ノ巣に戻る。秋田内陸線の車内は秋田犬の写真ギャラリーだ。
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9/7 16:27
今日の宿泊地の鷹ノ巣に戻る。秋田内陸線の車内は秋田犬の写真ギャラリーだ。
鷹ノ巣駅の前の石碑。あれれ、これって先週登った浅間山の詩ではないか。作曲者の後藤さんが、鷹巣出身だという。意外な関係。白秋の詩はこう続くのだ。「からまつの林を出でて、浅間嶺にけぶり立つ見つ」。翌日、登った森吉山にはカラマツ林があった。
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9/7 16:31
鷹ノ巣駅の前の石碑。あれれ、これって先週登った浅間山の詩ではないか。作曲者の後藤さんが、鷹巣出身だという。意外な関係。白秋の詩はこう続くのだ。「からまつの林を出でて、浅間嶺にけぶり立つ見つ」。翌日、登った森吉山にはカラマツ林があった。
翌2日目(9/8)の朝。鷹ノ巣の宿の部屋から見えた岩木山。この時は、明日ここも登るぞと、森吉山に向かったのだった。(→森吉山の記録は<前編>)
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9/8 5:48
翌2日目(9/8)の朝。鷹ノ巣の宿の部屋から見えた岩木山。この時は、明日ここも登るぞと、森吉山に向かったのだった。(→森吉山の記録は<前編>)
森吉山の翌日、3日目(9/9)の朝は雨。岩木山は諦めて、代わりに本家田んぼアートを見に行くことにした。
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9/9 8:26
森吉山の翌日、3日目(9/9)の朝は雨。岩木山は諦めて、代わりに本家田んぼアートを見に行くことにした。
田んぼアート駅。田んぼアートのために設置された。2013年のこと。周りは田んぼだらけ。
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9/9 9:05
田んぼアート駅。田んぼアートのために設置された。2013年のこと。周りは田んぼだらけ。
駅の前に、第2田んぼアート展望台がある。田んぼアートを見るためだけの施設。かなり人が来ていた。
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9/9 9:34
駅の前に、第2田んぼアート展望台がある。田んぼアートを見るためだけの施設。かなり人が来ていた。
本家はさすがに、よくできている。
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9/9 9:12
本家はさすがに、よくできている。
こちらは、石のアート。棟方志功ですね。
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9/9 9:12
こちらは、石のアート。棟方志功ですね。
地上から見たもの。様々な品種の稲を使って色を変えているという。
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9/9 9:29
地上から見たもの。様々な品種の稲を使って色を変えているという。
連絡バスで、第1田んぼアートに行く。
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9/9 10:10
連絡バスで、第1田んぼアートに行く。
第1田んぼアートに着いた。城みたいな立派な建物。
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9/9 9:52
第1田んぼアートに着いた。城みたいな立派な建物。
城は、文化会館とあるが、ここが村役場みたいだ。
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9/9 9:59
城は、文化会館とあるが、ここが村役場みたいだ。
屋上が、田んぼアート展望台になっている。
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9/9 9:54
屋上が、田んぼアート展望台になっている。
ふーん、なるほど。棟方志功とフェルメールの有名作か。
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9/9 9:55
ふーん、なるほど。棟方志功とフェルメールの有名作か。
過去の田んぼアートの写真も展示してあって、このオリジナルの「縄文から弥生」なんかはよいと思ったが、もう一つ腑に落ちなかった。
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9/9 9:23
過去の田んぼアートの写真も展示してあって、このオリジナルの「縄文から弥生」なんかはよいと思ったが、もう一つ腑に落ちなかった。
田舎館村の村役場=第1田んぼアートの隣の公共施設は立派だし、物産展も開かれていた。1993年に始まった田んぼアートは、今なお人が集まり村おこしに成功したといえよう。しかし、、、
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9/9 10:00
田舎館村の村役場=第1田んぼアートの隣の公共施設は立派だし、物産展も開かれていた。1993年に始まった田んぼアートは、今なお人が集まり村おこしに成功したといえよう。しかし、、、
そんなもやもやした気持ちは、田んぼアート駅に戻ってきて、埋蔵文化財センターを訪れて解消した。
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9/9 10:16
そんなもやもやした気持ちは、田んぼアート駅に戻ってきて、埋蔵文化財センターを訪れて解消した。
田舎館村の田んぼ(ここのすぐ近く)で、垂柳遺跡が発掘された。炭化米が見つかり発掘者は弥生時代のものと主張したが、学会からは寒冷な地域で稲作が行われたはずがなく、交易によってもたらされたものと否定された。しかし、その後、水田が発掘されたのだ。北方稲作文化の歴史が塗り替えられた。
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9/9 10:24
田舎館村の田んぼ(ここのすぐ近く)で、垂柳遺跡が発掘された。炭化米が見つかり発掘者は弥生時代のものと主張したが、学会からは寒冷な地域で稲作が行われたはずがなく、交易によってもたらされたものと否定された。しかし、その後、水田が発掘されたのだ。北方稲作文化の歴史が塗り替えられた。
これが、発掘された水田跡。弥生人の足跡も残っている。田んぼアートは、この弥生人に敬意を表して、田んぼにこだわった芸術を生み出そうとしたもの。この足跡は弥生人のアートだ、つまり田んぼアートの原点なのだ、と説明があった。
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9/9 10:24
これが、発掘された水田跡。弥生人の足跡も残っている。田んぼアートは、この弥生人に敬意を表して、田んぼにこだわった芸術を生み出そうとしたもの。この足跡は弥生人のアートだ、つまり田んぼアートの原点なのだ、と説明があった。
この博物館は、手作り感がいっぱいで、土器も手にすることが出来る。さすが、弥生式土器、軽いのである。
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9/9 10:27
この博物館は、手作り感がいっぱいで、土器も手にすることが出来る。さすが、弥生式土器、軽いのである。
これは、レプリカだが、水田跡の上を歩くこともできる。
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9/9 10:34
これは、レプリカだが、水田跡の上を歩くこともできる。
これは、土偶だという。東北では弥生時代にも土偶があったわけだ、
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9/9 10:47
これは、土偶だという。東北では弥生時代にも土偶があったわけだ、
田んぼアート駅から見た垂柳遺跡(建物のあたり)。東北は縄文の先進地と思っていたが、稲作もこんなに早くから(2100年前)行われていたとは。田んぼアートとは稲作をこの地にもたらした祖先の弥生人への誇りがもたらしたものだったのだ。
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9/9 11:11
田んぼアート駅から見た垂柳遺跡(建物のあたり)。東北は縄文の先進地と思っていたが、稲作もこんなに早くから(2100年前)行われていたとは。田んぼアートとは稲作をこの地にもたらした祖先の弥生人への誇りがもたらしたものだったのだ。
読み応えありました。
「イザベラ・バードの日本紀行」に併せての、中野もみじ山の紹介には是非とも行ってみたいと思いました。
ありがとうございました。
中野もみじ山というか、紅葉山という低山は、山としてはごく普通の里山で面白みはないと思います。元々は杉の人工林だったと思います。でも、黒石藩によるカエデの植林が、200年以上たった今でも、おそらくより整備されて残されているのが貴重だと思います。150年近く前にイザベラ・バードが見た日本のほとんどの姿が失われた現在、いまだ残されているのは、奇跡に近いのかもしれません。
中野もみじ山は、当日は神社を含めて出会ったのは一人だけ、と閑散としていましたが、紅葉期には多くの人が訪れると言います。さぞかし素晴らしいのだと思います。
イザベラ・バードだけでなく、松尾芭蕉だとか、菅江真澄だとかを読むと、山や自然だけは意外に昔の姿を留めているようで、折に触れて、訪ねたいと思っています。今後もよろしくお願いします。
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