記録ID: 6032195
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ハイキング
氷ノ山
扇ノ山[天空のブナ回廊〜左馬殿道]
2023年10月08日(日) [日帰り]
体力度
3
日帰りが可能
- GPS
- 05:17
- 距離
- 14.2km
- 登り
- 641m
- 下り
- 656m
コースタイム
天候 | 曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2023年10月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
中国自然歩道区間は良好です。 左馬殿道は枝道、作業道が入り乱れていて案内はこまめにありますが紛らわしいテープも多くチェックはこまめにした方がいいです。 |
写真
撮影機器:
装備
個人装備 |
長袖シャツ
ズボン
靴下
グローブ
防寒着
雨具
靴
ザック
行動食
飲料
レジャーシート
地図(地形図)
ヘッドランプ
予備電池
GPS
ファーストエイドキット
携帯
時計
タオル
ストック
カメラ
|
---|
感想
鳥取遠征2日目は扇ノ山、八頭の旅館から上山高原は思ったより遠かった…
車を走らせながら鳥取に来たんだなぁと実感したのは満面の笑みの石破さんのポスターが至る所に貼ってあること…
夢に出そう(笑)
上山高原の避難小屋に着くと泊まった方が数名いらっしゃいました。
帰りに小屋の中を覗いてみましたがすごくきれいでトイレ、洗面台のあるハイグレードな有料でもいいような小屋でした。
前日に山に入って一泊も子の小屋なら悪くない選択です。
天気はあいにくの曇天、雨に降られるよりはマシなのでガマンガマン。
小ヅッコ、大ヅッコを歩く往路は美しいブナの森ですごく優しい道です。しかし豪雪地帯なのでまっすぐに伸びたブナは少なくどこかが曲がっいて自然の厳しさも教えてくれる森でした。
さほど起伏もなくあっという間に山頂に到着です。
山頂の避難小屋がまたきれいでオシャレな作りです。
トイレが無いのがちょっと残念なくらい。
下山は畑ケ平登山口へ下りますがこの道も中国登山道なので歩きやすい道です。
少し舗装路を歩いて左馬殿道へつなぎます。この道がバラエティに富んだなかなか歩きがいのあるもので急斜面を下だったり渡渉もたくさん、作業道が入り組んでいて多少の道迷いもしながらドキドキワクワクの古道でした。
帰りに立ち寄ったシワガラの滝は道中が予想以上に遠くタフな道でしたが立ち寄って正解、火山地帯ならではの複雑な地形の滝は見たことがありません、スゴい滝です。
ぜひ一度お越しください。
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コメント
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皆様の記録でシワガラの滝に憧れていますよー😳
凄そう😄
生きているうちに行きたいな。
伯耆大山周辺なら日帰りできましたが
氷ノ山、扇ノ山はお泊りですよね・・・
スキーの時も氷ノ山、ハチ北はお泊りでした。
山深いところ、もりみん(ヤマネ)もいるそうですね。
こんばんは、書き込みありがとうございます。
シワガラの滝ですが「ちょっくら行ってみるか」くらいの軽い気持ちでしたが
結構な距離とアップダウンで何度引き返そうと思ったか・・・
でも近づいて水の落ちる音がどんどん大きくなるのに全く姿を見せてくれない滝、只者じゃない感がすごかったです。
滝も実際に只者じゃなかったですよ。
不安定な飛び石が置かれてて岩壁に手を置きながら滝の正面に回るのですが水量が多い時は石も沈みそうなので長靴があった方がいいです。
ぜひ一度!
そうなんです、登山口の古い説明板にヤマネがいるって書いてあったので会いたいなぁと思いましたが昼はなかなか出てきてくれないんでしょうね。
会いたかったです。
氷ノ山、扇ノ山遠征おつかれさまです。
どちらも広島から遠いのが悔やまれる名峰ですよね。下手したら由布岳の方が早く着けるし😅
必死で登ってる時の挨拶地獄は普段人の少ないとこばかり歩いてると余計に堪えます。
白木山や弥山、大山トレーニングは他の登山者対策にも使えそうです😎
左馬殿道、やはりあそこで間違われましたか😁
あの渡渉で間違えたおかげでルーファイに時間をかけて安全に歩き通すことができたと思ってます。
私が通った時にはあんな怖い看板無かったのですが。ニュースにならないだけで事故多いんでしょうね。
こんばんは、書き込みありがとうございます。
遠いですよね、なんとか複数をこなしたいのですが山同士もそんなにくっついてるわけじゃないですし・・・
もっと時間が欲しいと思うこの頃です。
いつも思うのですがこの距離をくまもんで移動してるもみじさんのバイタリティには感心します。
車の移動に比べ相当に体力を使うはずで下道なので時間もかかる、そこから登山ですからすごいの一言です。
田中陽希さん並みの超人です(笑)
50人が3組は参りました、降参です。
これ以上はもうないと思います。
左馬殿道、実はもみじさんのルートを印刷して持って行ったんですが全く活かしてない(笑)
同じとこに盲腸支線を作ってしまいました(笑)
GPSを持たずに歩くと道迷いしてしまうルートだと思いました。
氷ノ山・扇ノ山の遠征お疲れさまでした。
いまさんだとサクサクと軽快な感じ。その体力が欲しい!
シワガラの滝に私も行きたかったけど車道も滝往復も1人じゃあムリなので断念。😢
いいなぁ〜、代わりに可能な滝へ。
そういえば、マッコウから扇ノ山が見えましたよ、たぶん。
こんにちは、書込みありがとうございます。
同じ県にいたのなら一番高い氷ノ山から手を振ったのに残念です…
シワガラの滝へは八頭から向かいましたがナビが凄いショートカットコースを選んでくれたのでなかなかのスリリングな道でしたが鳥取からだとそうでもないと思いますよ。上山高原への道も二車線ではないですが行楽用道路なので悪くはないですよ。
吉和と匹見間の酷道に比べたら楽ちんな道でした。
滝への往復も登山と思えば普通です。ドライブついでにはお勧めできませんけど…
それより川に下りてから瀑音はすれども滝は見えずの神秘さはなんとも言えんですよ。
扇ノ山って「小ズッコ」「大ズッコ」が通り道過ぎて「❓」な空間でしたが、純ブナ林を気持ち良く歩けた印象があります(*'ω'*)
惹かれたのが#54の墓石。。imaさんの考察に感化されつつ..(考)
「へんろ?悢 寛政二伐年 西雲?妙彊?信女掞 九月十八日 椋 長五(の)良母」
私の考察🤔・・・「悢」=悲しむ。がっかりする。 「寛政」=1789〜1801(寛政の改革:1787〜1793)
「信女」=「大姉」には至らずとも(若き?)篤志家 「掞」=木の名。実はリンゴに似て赤く、食用とされる。
☆勝手に描いたストーリー⭐⇒ 『木地師:長五の母「椋」は寛政2(1790)年の「とある」日、遍路路で倒れ、若くしてお亡くなりになる🙏 その亡骸を「掞」の辺に葬る』
2023年−1790年=(推察)233年前の「刻字」が、読める程度に残ってるのは、「椋」も慕われる「母」だったと想像します🙏
「シワガラの滝」を洞窟奥から撮影されたのですね👍
書き込みありがとうございます。
さすがよしPさん、墓石の文字をそこまで読むとは・・・
1790年というと江戸ももう少しで200年といったあたり、杉田玄白や伊能忠敬が生きた時代みたいです。
「椋」の文字ですが木地師の多くは「小椋」だったそうです。
近江の国に木地氏を管理する団体のようなものが二つあったらしく
全国を回り籍を入れると苗字がもらえたらしく「小椋」とか「大蔵」がほとんどだとか。
錦町の歴史の本にそんなことが書かれていました。
森林資源の枯渇を避けるために移動しながら生活していたので特殊な個人、身分の保証方法だったのでしょう。
四国からやってくる木地師も多かったそうでつまり木地師たちの中には平家の落人もいたのではないかと考察していました。
なので小椋佳さんもルーツは木地師かもしれませんね。
シワガラの滝はもみじさんのレコから長靴を履いていこうと思ってたのに忘れまして・・・
行くと誰が投げ入れたのか頭が少し出る程度の飛び石が置かれていまして岩壁で支えながらだと奥まで行ける状態でした。水量も少ない時期だったのかもしれません。
山Pさんはシワガラの滝、蛙滝の滝もいっしょに歩いたんですよね?
感心するやらあきれるやらです。
「椋」は木地師を指すのですか〜🤔 『木地師は惟喬親王の家来、太政大臣小椋秀実の子孫を称し、諸国の山に入り山の7合目より上の木材を自由に伐採できる権利を保証するとされる「朱雀天皇の綸旨」の写しを所持し、山中を移動して生活する集団だった』Wikiネタより..😅
そうなると、MY仮説も変わってきます(笑)
☆勝手に描いたストーリー:PART2⭐(笑) ⇒ 『木地師:長五の良母「西雲?妙彊?信女」は寛政2年の「とある」日、扇ノ山にて山仕事中に若くしてお亡くなりになる🙏 その亡骸を「掞」の辺に葬る』
そういえば、広見山に繋がる「半四郎山」も(戸河内横川)木地師親子の遭難由来と聞きました。。特権を頂いても過酷な日常だったような気がします・・・。
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