四国の照葉樹林巡り4日間ぁ横浪半島編★青龍寺奥の院の奇跡?!
- GPS
- 03:01
- 距離
- 8.4km
- 登り
- 371m
- 下り
- 365m
コースタイム
- 山行
- 2:43
- 休憩
- 0:14
- 合計
- 2:57
天候 | 曇り時々雨 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2023年12月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
始発の新幹線で西明石へ。西明石8:45-8:53舞子・高速舞子9:10-(JR四国バス・阿波エクスプレス神戸号)-10:33徳島11:30-(JR牟岐線)-13:02日和佐 ■大岩-恵比寿洞-第23番札所薬王寺(長距離自然歩道「四国のみち」白砂と海亀のみちコース) 日和佐17:05-(JR牟岐線)-17:51阿波海南 泊)生本旅館 2日目(12/9) 海部〜宍喰編 ■明現神社-愛吾山-那佐展望所-鈴ヶ峰 -竹ヶ島-海の駅東洋町(「四国のみち」洋々と広がる松原のみちコース、水床探求のみちコース、甲浦ポンカンのみちコースをつなぐ) 海の駅東洋町17:19-(阿佐海岸鉄道DMV・バス)-17:24道の駅宍喰温泉 泊)HOTEL RIVIERA ししくい 天然温泉あり 3日目(12/10) 早朝 浄福寺裏山(海陽町津波避難所)に登って宍喰駅へ 宍喰駅8:23-(阿佐海岸鉄道DMV・列車/バス)-8:35海の駅東洋町 室戸岬編 海の駅東洋町9:33-10:17 ジオパークセンター10:19-10:26大師前BS(高知東部バス) ■室戸岬-御厨人窟-第24番札所最御崎寺 室戸岬BS14:59-15:59奈半里(なはり)16:03-(くろしお鉄道)-17:25高知 泊)高知駅のビジネスホテル -------今回はここかから---- 4日目(12/11) げO家湘臺 県庁前BS6:50-7:34宮前スカイライン入口BS(とさでん交通バス宇佐線) ■旧遍路道-第36番札所青龍寺と奥の院(不動明王) 宮前スカイライン入口BS10:57-11:29朝倉駅-11:56高知駅 高知駅12:13-(南風14号)-14:41岡山駅 さくら554号とひかり658号を乗り継いで帰宅 ★四国みぎした55フリーきっぷ利用(3日間 徳島駅-高知駅間フリー 5800円) |
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感想
四国の照葉樹林巡り4日間★室戸岬編★異形のシオギク×ノジギクを憂う
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-6269058.html
の続きです。
<なせ横浪半島だったか>
長々と書いてきてしまったが、最終日の4日目である。この日は横浪半島に向かった。高知駅からバスで南下して1時間。土佐湾に沿って細長く伸びている半島である。
「 日和佐編」に詳しく書いたが、今回の四国の照葉樹林巡りのきっかけが横浪半島だった。『山渓ハンディ図鑑3 樹に咲く花 離弁花1』に「照葉樹林との出会い」というコラムがあり、横浪半島の照葉樹林の素晴らしさが述べられていて、見てみたいと思ったのだ。
しかし横浪半島のどこの森かの記載はない。調べても横浪半島の森の情報は、全く得られなかった。地図を見ると細長い横浪半島を縦断する背骨のような尾根が続き、そこを横浪黒潮ライン(県道47号)が通じているが、他に散策路や登山道は見つからなかった。一面は森林(シイカシ二次林)に覆われているようなので、横浪黒潮ラインを行けば外側から森は観察できそうだが、車道歩きは出来れば避けたい。車道から森に入れるかもわからない。
こりゃ難しいかなと思っていたら、半島の先端に第36番札所 独鈷山 伊舎那院 青龍寺があるのに気づいた。この半島、根元から先端まではかなり距離があるが、先端は橋(宇佐大橋)で土佐湾の海岸とつながっていた。そこにはバス停もあった。
青龍寺を調べてみると、本堂は小さな丘の上にあるが、奥の院は別のもう少し高い独鈷山という山の山頂にあり、そこへの道は「四国のみち」のコースとなっていた。往復1時間程度の手軽なハイキングコースに見えた。これなら照葉樹林の中を歩けるだろう。
こうして、今回の旅で3箇所目の四国八十八ヶ所の礼所に行くことになった。照葉樹林巡りとは、低山巡りであり、四国で古くからの照葉樹林が残されているのはほぼ社叢林だけのようなので、寺社が多くなるのは、必然ともいえる。
<青龍寺奥の院の奇跡?!>
そこで、お遍路のつもりはないものの四国八十八ヶ所のことを下調べした。修験道など山岳宗教にも詳しい宗教民俗学の五来重さんに『四国遍路の寺』という著作がある。これは自身が実際に四国八十八ヶ所を巡った報告ともなっているが、各寺の奥の院こそが空海が修行した場であるという主張の下、ふつうお遍路では行かない奥の院を巡っているのが特色である。すべての寺に奥の院があるわけではないが、あれば大抵は今は打ち捨てられていたり、険しい岩場のビークにあって、今は、崩壊の危険があり立ち入り禁止になっているものも多い。大峰山脈の行場みたいなものすらあるようだ。確かに、だからこそ修行になるのだろう。五来さんはガイドつきながら、それら行場までも登っていて登山記録としてもエキサイティングな著作だ。
青龍寺も奥の院のある寺として、紹介されていた。かつて青龍寺は独鈷山の山頂にあって札所もそこにあった。巡礼者もそこを回っていた。近世初期になり、お参りするのに不便なので、下に移した。これが今の本堂である。かつての本堂は奥の院となって、今や行く人もいないが、本尊の不動明王像はいまだ元の場所にある、と読み取った(1997年の著作)。これを読むと不動明王像に行ってみたくなる。
注)同書を改めて注意深く読むと、奥の院が打ち捨てられているとは明言していない。正確に引用しておく。(同書下巻P238以下)
「不動の石像は現在も残っています」
「『四国辺路日記』(江戸初期の僧・澄禅による、現存最古とも言える遍路記録)には、…奥の院不動堂のある山が独鈷山で、頂上の堂は野火で焼けたので、石像石祠となったと記しています」
「もとの修業の場所は奥の院という名前で残ります。だんだんに奥の院が忘れられて、さながら昔からあった大師堂にお参りするようなかたちになってまいります。そういう変化が近世初期に起こりました」(四国八十八箇所の寺には、本堂のほかに空海を祀る大師堂が必ずあり、遍路の際には本堂と共に大師堂にも参拝することがならわしとなっている。青龍寺にも本堂の隣にある。しかし五来さんは、大師堂は、後で弘法大師信仰になってから造られたもので、必ずしもそこが空海の修業の場ではないとする)
問題は、ルートだった。徳島県の長距離自然歩道「四国の道」の詳細は、いろいろとネットで紹介されていて、今回の旅の1日目〜3日目は安心して臨むことができた。しかし、高知県のは見つからなかった。高知県の四国の道は断片的なせいかもしれない。そこで、らくルートのみんなの足跡に頼ることとした。(旅後に調べたらいろいろ見つかった。探し方が悪かったようだ。キーワードを知らなかった)
四国の道は、半島の先端に宇佐大橋で渡ってから青龍寺の門までは、横浪黒潮ライン(県道47号)を行くようだった。1時間かかる車道である。車道はできる限り避けたいので、みんなの足跡を探すと山越えの歩道があった。これが遍路道のようだった。この道の情報もみつからなかったが、標高差も大したことがないし、若干不安だったが決定。(A)
その先は、県道は奥の院の近くを通るが、四国の道は県道ではなく奥の院まで山を真っすぐ登る。これは古くからの参道のようだった。これは四国の道だから問題ないと思っていた。(B)
参道を登って横浪黒潮ラインと交差したあとは、全く見当がつかなかった。奥の院の不動明王像の位置もはっきりしなかった。ただ独鈷山の山頂近くらしかったので、行ってみて探せばなんとかなると考えた。険しそうだが距離は大したことがない。(C)
難易度予想は、難しい(不安度の大きい)順にC>A>Bだった。ところが、結果は全く逆だったのだ。
Aの遍路道は、手書きの標識に「旧へんろ道」とあり、ぎょっとしたが、なだらかな広い道で容易だった。倒木があるなどやや歩かれていない感じだが、登山道としては申し分ない。手書きの道標や説明版がほほえましく、地元の方が整備されたんだろう。
Bの奥の院直下の県道までの四国の道は、意外に荒れていた。古い道標は多かったが、岩ゴロや倒木も多く、途中、ルートを見失ってしまった。帰りの下りは、すいすい歩けたので、間違った道を行ってしまったのだろう。しかしほとんど歩かれていない様子で、見捨てれられているという感がした。
Cの県道から奥の院への道は、驚きだった。Bの道が荒れていたので、さらに大変だろうと覚悟したが、歩きやすい参道になっていた。それも綺麗に掃き清められていた。不動明王像と思しき仏像はお堂に鎮座していて、その周辺は土足禁止だった。信者と思しき方が何組もの方々が、次々にいらして、参拝されたり、掃除をされたりしていた。
彼/彼女たちは、これまで四国八十八ヶ所の礼所で見かけた方とは服装が違っていた。お遍路さんの白装束とも、遠路から参拝に来られるような服装とも違い、作業着やジャージといった普段着なのだ。とても熱心にお祈りしていた。この方たちによって守られていたのではないか。
不動明王像の前の鳥居には「信者一同」「平成17年(2005年)」ともあった。ごく最近のことだ。勝手な想像だが、青龍寺の奥の院ということではなく、不動明王に対する地元の方々の信仰により、このように、厚く祀られるようになったのではないだろうか。そうだとしたら、思いがけない復活である。よく探さなかったが、五来重さんの書いていた青龍寺の本尊の不動明王像は別にあるのだろうか。
<4日間のまとめ>
四国の照葉樹林巡りが当初のテーマだったので、まずそのまとめをしておこう。
先に触れた『山渓ハンディ図鑑3 樹に咲く花』の「照葉樹林との出会い」というコラムでは、「シイやタブ、カシをはじめ、トキワガキ、コバンモチ、イヌガシ、クロバイ、カギカズラ、ミサオノキ、カンザブロウノキ、ヤマビワ、ツゲモチ、バリバリノキ、ルリミノキなど」と列記されていた。
トキワガキ以下は名前も聞いたことのない樹だった。他にも四国の照葉樹林には多くの常緑樹があるようで、これらをリストアップして旅に臨んだ。
結果は、4日間通して、ほとんどこれらの樹を見つけることができなかった。上に挙げた樹では、わずかにコバンモチが樹名標があったのでわかったのと(海部〜宍喰篇)、この日のヤマビワ、そしてミサオノキらしき樹()を見つけただけだった。しかしいずれもはっきりとは分からなかった。恐らくなかったわけではなく、同じような葉をしている常緑樹が関東とは比べ物にならないほどたくさんあるので、同定できなかったということだろう。
意外だったのは、むしろ野草の花が、今回のノジギクをはじめ、シオギクやアゼトウナなどこの地域特有の花も含めて沢山咲いていたことで、これは楽しかった。(特に室戸岬編)
しかし、最も印象に残っているのは、この日4目目の青龍寺奥の院の奇跡?!なのである。勝手な思い込みかもしれないが、打ち捨てられていると思っていた不動明王像が、信仰の力、それは恐らく民衆信仰と言ってよい、その力で復活しているように感じられた。
不動明王は、中世以降民衆信仰の一翼を担ってきたというが、もともとは密教のもの。さらにさかのぼるとインドの山岳系俗神やヒンドゥー教のシヴァ神に起源があるという。仏教は奥が深い。お陰でインド古代史の本を読み始めたのだった。
<引用文献>
五来重『四国遍路の寺』上下(1996年,2009年 角川ソフィア文庫)
『山渓ハンディ図鑑3 樹に咲く花 離弁花1』(2000年 山と渓谷社)P272
以下このシリーズを列記しておきます。
四国の照葉樹林巡り4日間 日和佐編★花いっぱいに驚く
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-6258391.html
四国の照葉樹林巡り4日間◆海部〜宍喰編★ヤッコソウの森とは
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-6295261.html
四国の照葉樹林巡り4日間★室戸岬編★異形のシオギク×ノジギクを憂う
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-6269058.html
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