小涌谷駅から山歩きスタート。快晴。+6°。ちょっと肌寒い。写真はここまで乗ってきた箱根登山鉄道。
0
3/21 7:50
小涌谷駅から山歩きスタート。快晴。+6°。ちょっと肌寒い。写真はここまで乗ってきた箱根登山鉄道。
+3℃ 車道とハイキング道を通って「千条の滝」(ちすじのたき)に到着。水面から気嵐っぽい川霧(蒸気霧)が出ているけど、写真にはうまく写らない。
以下、説明看板の写し。
-----
この滝は、水が千の糸となって流れ落ちる様子から千条の滝(ちすじのたき)と呼ばれています。幅20m、高さ3m程の滝で、苔むした岩肌をよく観察すると、角の取れた大小様々な石ころが集まった岩塊を円礫岩(えんれきがん)といい、滝の水は、古い中央火口丘の鷹ノ巣山や新しい中央火口丘の丸山などの山の伏流水で、この円礫岩の上から流れ落ちています。この円礫岩は、土石流を起源とする堆積物です。大雨や山の斜面の崩壊により発生した土石流が渓流を流れ、その勢いある水の流れの中に取り込まれていた土砂が堆積したものです。
1
3/21 8:03
+3℃ 車道とハイキング道を通って「千条の滝」(ちすじのたき)に到着。水面から気嵐っぽい川霧(蒸気霧)が出ているけど、写真にはうまく写らない。
以下、説明看板の写し。
-----
この滝は、水が千の糸となって流れ落ちる様子から千条の滝(ちすじのたき)と呼ばれています。幅20m、高さ3m程の滝で、苔むした岩肌をよく観察すると、角の取れた大小様々な石ころが集まった岩塊を円礫岩(えんれきがん)といい、滝の水は、古い中央火口丘の鷹ノ巣山や新しい中央火口丘の丸山などの山の伏流水で、この円礫岩の上から流れ落ちています。この円礫岩は、土石流を起源とする堆積物です。大雨や山の斜面の崩壊により発生した土石流が渓流を流れ、その勢いある水の流れの中に取り込まれていた土砂が堆積したものです。
千条の滝そばにある地図看板。箱根駒ケ岳ケーブルカーが表記されている。調べたら、駒ケ岳ケーブルカーは2005年9月1日に廃止済み。
1
3/21 8:04
千条の滝そばにある地図看板。箱根駒ケ岳ケーブルカーが表記されている。調べたら、駒ケ岳ケーブルカーは2005年9月1日に廃止済み。
千条の滝から湯坂路コースへ向かう。ここからやっと山道らしくなる。
0
3/21 8:05
千条の滝から湯坂路コースへ向かう。ここからやっと山道らしくなる。
+2℃ 陽が出てきた。登りなのに寒さを感じていたので陽の光がありがたい。
0
3/21 8:24
+2℃ 陽が出てきた。登りなのに寒さを感じていたので陽の光がありがたい。
湯坂路コース(尾根道っぽい)に到着。鷹ノ巣山をピストンする。
0
3/21 8:31
湯坂路コース(尾根道っぽい)に到着。鷹ノ巣山をピストンする。
+2℃ 白髪葱のような霜柱の道を登る。
1
3/21 8:32
+2℃ 白髪葱のような霜柱の道を登る。
±0℃ 鷹ノ巣山(834m)に到着。ベンチ奥に見えるのは鷹巣城跡の看板。以下に写す。
----
鷹巣城は、秀吉の小田原攻めに備えて、後北条氏が建築した箱根山の諸城のひとつである。
天正18年(1590)秀吉の小田原攻めが始まり、同年3月下旬には、秀吉軍は箱根山に入ったと思われるが、この時、秀吉に従って参陣した家康も、しばらくこの城に滞在したという記録がある。しかし、その城跡については位置、規模など不明の点が多い。
0
3/21 8:43
±0℃ 鷹ノ巣山(834m)に到着。ベンチ奥に見えるのは鷹巣城跡の看板。以下に写す。
----
鷹巣城は、秀吉の小田原攻めに備えて、後北条氏が建築した箱根山の諸城のひとつである。
天正18年(1590)秀吉の小田原攻めが始まり、同年3月下旬には、秀吉軍は箱根山に入ったと思われるが、この時、秀吉に従って参陣した家康も、しばらくこの城に滞在したという記録がある。しかし、その城跡については位置、規模など不明の点が多い。
鷹ノ巣山の頂上より少し下から、小田原、国府津、大磯の海岸を望む。(4倍ズーム)今日は国府津まで歩いて赤線を繋ぎたい。
1
3/21 8:46
鷹ノ巣山の頂上より少し下から、小田原、国府津、大磯の海岸を望む。(4倍ズーム)今日は国府津まで歩いて赤線を繋ぎたい。
08:31の分岐に復帰。鷹ノ巣山往復は21分。
0
3/21 8:52
08:31の分岐に復帰。鷹ノ巣山往復は21分。
+7℃ 浅間山に到着。三等三角点【鷹之巣】801.52mがある。
1
3/21 9:01
+7℃ 浅間山に到着。三等三角点【鷹之巣】801.52mがある。
浅間山の山頂標。804mと記述がある。三等三角点の801.52mは2014年4月11日の測定登録なので、昔はもっと高かったのかと思い調べてみた。1981年版「東京付近の山」では浅間山は802mと記されている。(東京付近の山は、標高を小数点第1位を四捨五入して整数表現している。)浅間山が低くなったのではなく、この看板が間違えているのだろう。
1
3/21 9:01
浅間山の山頂標。804mと記述がある。三等三角点の801.52mは2014年4月11日の測定登録なので、昔はもっと高かったのかと思い調べてみた。1981年版「東京付近の山」では浅間山は802mと記されている。(東京付近の山は、標高を小数点第1位を四捨五入して整数表現している。)浅間山が低くなったのではなく、この看板が間違えているのだろう。
湯坂路は鎌倉時代の箱根街道。霜柱が溶け出しているけれど、しっかり踏まれていて歩き易い。
0
3/21 9:26
湯坂路は鎌倉時代の箱根街道。霜柱が溶け出しているけれど、しっかり踏まれていて歩き易い。
湯坂山、三等三角点【第二城山】546.75mにタッチ。
東京周辺の山350 130/350座目
東京周辺の山350(2010年) 284/716座目
山登り365日 111/286座目
1
3/21 9:43
湯坂山、三等三角点【第二城山】546.75mにタッチ。
東京周辺の山350 130/350座目
東京周辺の山350(2010年) 284/716座目
山登り365日 111/286座目
三等三角点【第二城山】は、湯坂路の進行方向左(北)へ箱根竹の笹藪を入ったところにある。三角点まで笹薮を歩くちょっとの間にスカシダワラを3個見つけた。楠蚕(クスサン)やシラガタロウ(クスサンの芋虫)をまだ見たことがない。こんなにゴロゴロとスカシダワラがあるのなら、時期を合わせて幼虫や成虫を見るためにまたここに来たい。
【参考】
白髪太郎(シラガタロウ)が見られる時期 5-7月(年1化)
楠蚕(クスサン)が見られる時期 9-10月
1
3/21 9:44
三等三角点【第二城山】は、湯坂路の進行方向左(北)へ箱根竹の笹藪を入ったところにある。三角点まで笹薮を歩くちょっとの間にスカシダワラを3個見つけた。楠蚕(クスサン)やシラガタロウ(クスサンの芋虫)をまだ見たことがない。こんなにゴロゴロとスカシダワラがあるのなら、時期を合わせて幼虫や成虫を見るためにまたここに来たい。
【参考】
白髪太郎(シラガタロウ)が見られる時期 5-7月(年1化)
楠蚕(クスサン)が見られる時期 9-10月
+8℃ 湯坂城址通過。以下、説明看板写し。
----
今から600年ほど前の室町時代の終わりに、このあたりを治めていた大森氏により、ここを通る湯坂道を抑えるために築城された山城である。戦国時代になり、大森氏に代わりこの地を支配した小田原北条氏は、防御の拠点として整備し、箱根山中のほかの山城と合わせて、西からの侵攻に備えた。
当時とは地形が変わり、その規模や施設など不明な点も多いが、整地された郭(くるわ)や、郭を仕切る土塁(どるい)や堀切(ほりきり)に当時の面影を見ることができる。
1
3/21 10:13
+8℃ 湯坂城址通過。以下、説明看板写し。
----
今から600年ほど前の室町時代の終わりに、このあたりを治めていた大森氏により、ここを通る湯坂道を抑えるために築城された山城である。戦国時代になり、大森氏に代わりこの地を支配した小田原北条氏は、防御の拠点として整備し、箱根山中のほかの山城と合わせて、西からの侵攻に備えた。
当時とは地形が変わり、その規模や施設など不明な点も多いが、整地された郭(くるわ)や、郭を仕切る土塁(どるい)や堀切(ほりきり)に当時の面影を見ることができる。
湯坂山下山完了。ここから国道1号線を歩く。国道1号線は平日なのに自動車が多い。
1
3/21 10:27
湯坂山下山完了。ここから国道1号線を歩く。国道1号線は平日なのに自動車が多い。
早川を旭橋で渡る。橋を渡ったあたりから外国人観光客がとても多い。
1
3/21 10:28
早川を旭橋で渡る。橋を渡ったあたりから外国人観光客がとても多い。
+14℃ 裏道を適宜使って混んでいる箱根湯本駅周辺を通り抜け、振り返って三枚橋をパチリ。自動車の渋滞と観光客の混雑が少し写った。
1
3/21 10:36
+14℃ 裏道を適宜使って混んでいる箱根湯本駅周辺を通り抜け、振り返って三枚橋をパチリ。自動車の渋滞と観光客の混雑が少し写った。
渋滞している国道1号線を進む。平日でも観光客や観光バスが多い。
0
3/21 10:41
渋滞している国道1号線を進む。平日でも観光客や観光バスが多い。
箱根戊辰戦争(1868.05.26)の山崎古戦場記念碑。ここの戦闘で遊撃隊の伊庭八郎は左手首を失う。その後、遊撃隊は箱根から鞍掛山を抜けて熱海へ出て榎本艦隊で館山港へ脱出する。
源頼朝が土井城と箱根神社を大観山経由で歩いているのもキツイルートだけど、遊撃隊の箱根関所から鞍掛山経由で熱海に逃げるルートもハードだ。いつかルートを辿ってみたい。
1
3/21 10:47
箱根戊辰戦争(1868.05.26)の山崎古戦場記念碑。ここの戦闘で遊撃隊の伊庭八郎は左手首を失う。その後、遊撃隊は箱根から鞍掛山を抜けて熱海へ出て榎本艦隊で館山港へ脱出する。
源頼朝が土井城と箱根神社を大観山経由で歩いているのもキツイルートだけど、遊撃隊の箱根関所から鞍掛山経由で熱海に逃げるルートもハードだ。いつかルートを辿ってみたい。
入生田の「神奈川県立 生命の星・地球博物館」に寄る。「国民の祝日等の翌日」は休館日とのことで入れなかった。残念。次は開館日を確認してから来ようと思う。ここから早川を渡り石垣山へ向かう。
0
3/21 10:58
入生田の「神奈川県立 生命の星・地球博物館」に寄る。「国民の祝日等の翌日」は休館日とのことで入れなかった。残念。次は開館日を確認してから来ようと思う。ここから早川を渡り石垣山へ向かう。
+9℃ 石垣山への道はずっと舗装路。
0
3/21 11:14
+9℃ 石垣山への道はずっと舗装路。
早川石丁場群関白沢支群に立ち寄る。40mほど道から離れて、舗装道路の下に入る。
1
3/21 11:47
早川石丁場群関白沢支群に立ち寄る。40mほど道から離れて、舗装道路の下に入る。
舗装道路の橋の下に石丁場が当時の姿で保存されている。
0
3/21 11:50
舗装道路の橋の下に石丁場が当時の姿で保存されている。
スダジイの古木
常緑広葉樹。小さなドングリは昔の人々にとって重要な食料だった。
2
3/21 12:09
スダジイの古木
常緑広葉樹。小さなドングリは昔の人々にとって重要な食料だった。
石垣山城に到着。穴太衆(あのうしゅう)の野面積みは、関東大震災まで崩れていなかったそうだ。
1
3/21 12:16
石垣山城に到着。穴太衆(あのうしゅう)の野面積みは、関東大震災まで崩れていなかったそうだ。
石垣山城 本丸から小田原城を望む。(赤丸が小田原城天守閣)
関東の連れ小便はここが発祥の地。秀吉と家康が小田原城を見ながら並んで用を足し、そのついでに関東移封を伝えたといわれている。
0
3/21 12:25
石垣山城 本丸から小田原城を望む。(赤丸が小田原城天守閣)
関東の連れ小便はここが発祥の地。秀吉と家康が小田原城を見ながら並んで用を足し、そのついでに関東移封を伝えたといわれている。
馬屋曲輪展望台からの眺め。国道1号線と入生田から山崎辺りが良く見える。
1
3/21 12:35
馬屋曲輪展望台からの眺め。国道1号線と入生田から山崎辺りが良く見える。
井戸曲輪(いどくるわ)
沢を石垣で塞いだそうで、マイマイズ井戸の構造になっている。ここの野面積みは崩れていない。
1
3/21 12:39
井戸曲輪(いどくるわ)
沢を石垣で塞いだそうで、マイマイズ井戸の構造になっている。ここの野面積みは崩れていない。
石垣山一夜城から早川へ降りる。道の脇にミカンとシャクナゲ。
0
3/21 13:00
石垣山一夜城から早川へ降りる。道の脇にミカンとシャクナゲ。
早川から小田原へ向かう。小田原城早川口遺構を建学する。
0
3/21 13:22
早川から小田原へ向かう。小田原城早川口遺構を建学する。
早川口遺構。土塁の跡。
1
3/21 13:24
早川口遺構。土塁の跡。
+15℃ 小田原の町を通り抜けて酒匂川をを渡る。振り返ると箱根と石垣山。
0
3/21 14:06
+15℃ 小田原の町を通り抜けて酒匂川をを渡る。振り返ると箱根と石垣山。
酒匂川から丹沢の山。
1
3/21 14:06
酒匂川から丹沢の山。
酒匂川から相模湾方向。
0
3/21 14:06
酒匂川から相模湾方向。
国府津駅に到着。山歩き終了。
0
3/21 15:06
国府津駅に到着。山歩き終了。
おまけ(1)不知火300円、ハルカ100円。国府津駅近くの八百屋さんで購入。青島ミカンは300円で大量すぎたので購入見合わせ。
1
3/21 17:04
おまけ(1)不知火300円、ハルカ100円。国府津駅近くの八百屋さんで購入。青島ミカンは300円で大量すぎたので購入見合わせ。
おまけ(2)石垣山城の続日本百名城スタンプ
1
3/22 6:24
おまけ(2)石垣山城の続日本百名城スタンプ
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する