記録ID: 6619151
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ハイキング
京都・北摂
歩いて辿る東山(京都)界隈
2024年04月05日(金) [日帰り]
![情報量の目安: B](https://yamareco.info/themes/bootstrap3/img/detail_level_B2.png)
体力度
1
日帰りが可能
- GPS
- 02:36
- 距離
- 8.1km
- 登り
- 134m
- 下り
- 134m
コースタイム
過去天気図(気象庁) | 2024年04月の天気図 |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
帰り:京阪(本線)祇園四条駅 |
コース状況/ 危険箇所等 |
東山界隈を途中まで辿る (続きは別途辿る予定) |
写真
泉涌寺
東山三十六峯の一嶺、月輪山の麓にたたずむ泉涌寺。皇室の菩提所として、また諸宗兼学の道場として、壮麗な堂宇が甍を連ね、幽閑脱俗の仙境、清浄無垢の法城となっている。
斉衡2年(855)左大臣藤原緒嗣が僧・神修のために山荘を与えて寺となし仙遊寺と称するようになり、建保6年(1218)に、当寺が開山と仰ぐ月輪大師・俊芿(がちりんだいし・しゅんじょう)が宇都宮信房からこの聖地の寄進を受け、宋の法式を取り入れた大伽藍の造営を志し、嘉禄2年(1226)に主要伽藍の完成をみた。その時、寺地の一角から清水が涌き出たことにより泉涌寺と改めた。この泉は今も枯れることなく涌き続けている。
東山三十六峯の一嶺、月輪山の麓にたたずむ泉涌寺。皇室の菩提所として、また諸宗兼学の道場として、壮麗な堂宇が甍を連ね、幽閑脱俗の仙境、清浄無垢の法城となっている。
斉衡2年(855)左大臣藤原緒嗣が僧・神修のために山荘を与えて寺となし仙遊寺と称するようになり、建保6年(1218)に、当寺が開山と仰ぐ月輪大師・俊芿(がちりんだいし・しゅんじょう)が宇都宮信房からこの聖地の寄進を受け、宋の法式を取り入れた大伽藍の造営を志し、嘉禄2年(1226)に主要伽藍の完成をみた。その時、寺地の一角から清水が涌き出たことにより泉涌寺と改めた。この泉は今も枯れることなく涌き続けている。
新熊野神社
熊野信仰が盛んであった平安後期の永曆元年(一一六〇)、後白河上皇が紀州(現在の和歌山 県) 熊野の神をこの地にあった仙洞御所法住寺殿の内に勧請して、当社を創建した。 上皇の命 を受けた平清盛は、熊野の土砂や枝木を用いて 社域や社殿を築き、那智の浜の青白の小石を敷いて霊地熊野を再現したとされる。
皇室の尊崇が厚く、社域は広壮、社殿は荘厳 を極めたが、応仁の乱で荒廃し、現本殿(市指定有形文化財)は寛文十三年(一六七三)に聖護院の道寛親王により再建されたものである。
境内の棒の木は、熊野から移植した後白河 上皇お手植えの神木といわれ、健康長寿、特に 腹を守護する神、また、安産の守り神として 信仰されている。
足利義満が初めて観阿弥・世阿弥父子の能を見た場所としても知られている。
熊野信仰が盛んであった平安後期の永曆元年(一一六〇)、後白河上皇が紀州(現在の和歌山 県) 熊野の神をこの地にあった仙洞御所法住寺殿の内に勧請して、当社を創建した。 上皇の命 を受けた平清盛は、熊野の土砂や枝木を用いて 社域や社殿を築き、那智の浜の青白の小石を敷いて霊地熊野を再現したとされる。
皇室の尊崇が厚く、社域は広壮、社殿は荘厳 を極めたが、応仁の乱で荒廃し、現本殿(市指定有形文化財)は寛文十三年(一六七三)に聖護院の道寛親王により再建されたものである。
境内の棒の木は、熊野から移植した後白河 上皇お手植えの神木といわれ、健康長寿、特に 腹を守護する神、また、安産の守り神として 信仰されている。
足利義満が初めて観阿弥・世阿弥父子の能を見た場所としても知られている。
後白河上皇お手植の「大樟」
今から約30年前、当社草創の砌、後白河上皇は紀州国 (和歌山県)の熊野から土砂、材木などをこの地に運び、熊野になぞらえて、その新宮、即ち新熊野神社を創建された。 その折、熊野より移植、国家鎮護と万民福祉とをご誓願、お手植されたのが、現在の大樟である。 又熊野の神々がご降臨になる「影向の大樟」といい、健康長寿、病魔退散特に上皇が常にお腹を煩っておられたところから「お腹の神様」と信仰され、人々から「大樟大権現」と尊崇されている。
朝夕排ガスの激しい場所にありながら、樹勢は益々旺盛で、日夜人々の営みを見守り続けている姿は、尊く畏き極みである。
(京都市の天然記念物)
今から約30年前、当社草創の砌、後白河上皇は紀州国 (和歌山県)の熊野から土砂、材木などをこの地に運び、熊野になぞらえて、その新宮、即ち新熊野神社を創建された。 その折、熊野より移植、国家鎮護と万民福祉とをご誓願、お手植されたのが、現在の大樟である。 又熊野の神々がご降臨になる「影向の大樟」といい、健康長寿、病魔退散特に上皇が常にお腹を煩っておられたところから「お腹の神様」と信仰され、人々から「大樟大権現」と尊崇されている。
朝夕排ガスの激しい場所にありながら、樹勢は益々旺盛で、日夜人々の営みを見守り続けている姿は、尊く畏き極みである。
(京都市の天然記念物)
智積院(ちしゃくいん)は真言宗智山派の総本山であり、京都市東山七条にある。
成田山新勝寺、川崎大師平間寺、眸山藥王院の大本山を始め、東京都の高幡山金剛寺、名古屋市の大須観音寶生院を別格本山として全国に3000余りの寺院教会を擁し、総本山智積院は全国約30万人にのぼる檀信徒の信仰のよりどころとして総菩提所、総祈願所と位置付けられている。
成田山新勝寺、川崎大師平間寺、眸山藥王院の大本山を始め、東京都の高幡山金剛寺、名古屋市の大須観音寶生院を別格本山として全国に3000余りの寺院教会を擁し、総本山智積院は全国約30万人にのぼる檀信徒の信仰のよりどころとして総菩提所、総祈願所と位置付けられている。
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