2月の旧東海道ウサトレでゴールした鴨宮駅から繋いでスタートです。
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4/14 8:05
2月の旧東海道ウサトレでゴールした鴨宮駅から繋いでスタートです。
駅北口の焼き立てパン屋「Good Morning」さんで朝ごパンをいただきました。
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4/14 8:07
駅北口の焼き立てパン屋「Good Morning」さんで朝ごパンをいただきました。
駅の南北連絡きの開け放たれた窓から、箱根の山々と富士山が綺麗に見えました。
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4/14 8:52
駅の南北連絡きの開け放たれた窓から、箱根の山々と富士山が綺麗に見えました。
駅南口から、まずは鴨宮南口通りで旧東海道(この辺りでは国道1号)に向かいます。
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4/14 8:54
駅南口から、まずは鴨宮南口通りで旧東海道(この辺りでは国道1号)に向かいます。
突き当たった富士見小学校の裏手にある南鴨宮富士見公園の桜の下で一休み。
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4/14 9:08
突き当たった富士見小学校の裏手にある南鴨宮富士見公園の桜の下で一休み。
富士見公園脇から酒匂川へ注ぐ用水路の桜並木が絶賛桜吹雪中。
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4/14 9:15
富士見公園脇から酒匂川へ注ぐ用水路の桜並木が絶賛桜吹雪中。
人の姿も少なく、落ち着いた、これはこれでとても良い花見ができます。
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4/14 9:23
人の姿も少なく、落ち着いた、これはこれでとても良い花見ができます。
桜吹雪の舞い落ちる川面から、白鷺さんが1羽、飛び立ちました〜♪
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4/14 9:23
桜吹雪の舞い落ちる川面から、白鷺さんが1羽、飛び立ちました〜♪
用水路の桜並木もこの先の国道1号でおしまい。最後にすごい桜の絨毯が広がりました。
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4/14 9:27
用水路の桜並木もこの先の国道1号でおしまい。最後にすごい桜の絨毯が広がりました。
酒匂川を渡る酒匂橋東側の国道1号に出ました。ここは新旧東海道合流です。
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4/14 9:29
酒匂川を渡る酒匂橋東側の国道1号に出ました。ここは新旧東海道合流です。
橋の手前を右折して少し土手を歩くと「酒匂川の渡しの碑」。ここには古くは渡し舟があったそうですが、延宝二年(1669年)に廃止され、渡渉(かちわたり)制となったとか。輦台担ぐ姿が小田渡市内のマンホールにも描かれています。
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4/14 9:31
橋の手前を右折して少し土手を歩くと「酒匂川の渡しの碑」。ここには古くは渡し舟があったそうですが、延宝二年(1669年)に廃止され、渡渉(かちわたり)制となったとか。輦台担ぐ姿が小田渡市内のマンホールにも描かれています。
今は渡渉も渡し舟もないので、酒匂橋まで戻って渡ります。
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4/14 9:35
今は渡渉も渡し舟もないので、酒匂橋まで戻って渡ります。
橋の上からは見通しバツグン。富士山も中腹あたりから上の雪帽子が幻想的に浮かんで見えていました。
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4/14 9:35
橋の上からは見通しバツグン。富士山も中腹あたりから上の雪帽子が幻想的に浮かんで見えていました。
橋の上からは箱根から丹沢のかけての山並みがズラリと見渡せて、なかなかの迫力です。思い出のお山も、これから登りたいお山も一見で見渡せます。
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4/14 9:40
橋の上からは箱根から丹沢のかけての山並みがズラリと見渡せて、なかなかの迫力です。思い出のお山も、これから登りたいお山も一見で見渡せます。
橋を渡り切って、国道1号から小さな小径へ入ると、旧東海道が土手まで続きます。土手には様々は春花がいっぱい。
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4/14 9:50
橋を渡り切って、国道1号から小さな小径へ入ると、旧東海道が土手まで続きます。土手には様々は春花がいっぱい。
さきほど見た「渡しの碑」のあたりを、ちょうど対岸から見ています。ここをかつては渡しの肩車や輦台で人々が行き来していたのですね。
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4/14 9:53
さきほど見た「渡しの碑」のあたりを、ちょうど対岸から見ています。ここをかつては渡しの肩車や輦台で人々が行き来していたのですね。
終わりの桜の下で、ちょっと歴史に思いをはせるウサさんです。
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4/14 9:55
終わりの桜の下で、ちょっと歴史に思いをはせるウサさんです。
私の帰着点と思われる土手の一角から旧東海道。少し歩くと「網一色八幡神社」。
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4/14 10:00
私の帰着点と思われる土手の一角から旧東海道。少し歩くと「網一色八幡神社」。
旧東海道で国道1号を横切り、山王網一色地区へ。
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4/14 10:15
旧東海道で国道1号を横切り、山王網一色地区へ。
文化三年(1806年)の「東海道文間延繪圖」がありました。先ほどの渡し場から八幡神社を経て網一色村、そして山王原村へ、旧道は二度直角に曲げた「枡形」を形成しているようです。
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4/14 10:15
文化三年(1806年)の「東海道文間延繪圖」がありました。先ほどの渡し場から八幡神社を経て網一色村、そして山王原村へ、旧道は二度直角に曲げた「枡形」を形成しているようです。
「東海道文間延繪圖」に描かれていたので、新田義貞公の首塚にお詣り。碑はすんなり見つかったのですが、辿り着く道を探すのにちょっと苦労しました。
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4/14 10:27
「東海道文間延繪圖」に描かれていたので、新田義貞公の首塚にお詣り。碑はすんなり見つかったのですが、辿り着く道を探すのにちょっと苦労しました。
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4/14 10:29
この先しばらくは史跡もないので、気温も上がってきたことですし、この辺りでちょっと海が見たい〜♪
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4/14 10:34
この先しばらくは史跡もないので、気温も上がってきたことですし、この辺りでちょっと海が見たい〜♪
西湘バイパスをくぐり抜けると山王海岸。海だーーー♪左手に鎌倉までつながる相模湾、左手に伊豆半島と箱根山地。開放感満点です。
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4/14 10:35
西湘バイパスをくぐり抜けると山王海岸。海だーーー♪左手に鎌倉までつながる相模湾、左手に伊豆半島と箱根山地。開放感満点です。
海なりと潮風にあたって気分すっきり。頑丈な津波防禦扉を抜けて、東海道(この辺りは新東海道/国道1号)へ戻ります。
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4/14 10:44
海なりと潮風にあたって気分すっきり。頑丈な津波防禦扉を抜けて、東海道(この辺りは新東海道/国道1号)へ戻ります。
10分ほど歩くと山王川。こちらでも、ちょうど白鷺さんが飛び立ちました。いい偶然ですね♪
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4/14 10:54
10分ほど歩くと山王川。こちらでも、ちょうど白鷺さんが飛び立ちました。いい偶然ですね♪
先ほどの「東海道文間延繪圖」にも描かれていた山王神社にお詣りしていきます。祭神には先週に静岡でもお詣りした少彦名命も名を連ねているので、ウサさんも念入りにお詣りです。
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4/14 10:56
先ほどの「東海道文間延繪圖」にも描かれていた山王神社にお詣りしていきます。祭神には先週に静岡でもお詣りした少彦名命も名を連ねているので、ウサさんも念入りにお詣りです。
東海道第9宿・小田原宿の江戸方見附です。さあ、小田原宿に入りました。
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4/14 11:04
東海道第9宿・小田原宿の江戸方見附です。さあ、小田原宿に入りました。
4車線の国道の反対側には、お江戸日本橋から20番目の一里塚「小田原山王原一里塚」です。20番目ということは、およそ80kmですね。
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4/14 11:06
4車線の国道の反対側には、お江戸日本橋から20番目の一里塚「小田原山王原一里塚」です。20番目ということは、およそ80kmですね。
北條稲荷神社。江戸方見附からこの辺りが、総距離9kmにおよぶ小田原城総構の東側土塁のあったところ。ここからはもう小田原城下です。
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4/14 11:10
北條稲荷神社。江戸方見附からこの辺りが、総距離9kmにおよぶ小田原城総構の東側土塁のあったところ。ここからはもう小田原城下です。
北條稲荷神社の蛙石(かわずいし)。ちゃんとカエルに見えます!小田原に異変アリとの時には必ず鳴き声を発するといわれ、北条時代の小田原城落城の際には夜な夜な鳴いたとか。
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4/14 11:10
北條稲荷神社の蛙石(かわずいし)。ちゃんとカエルに見えます!小田原に異変アリとの時には必ず鳴き声を発するといわれ、北条時代の小田原城落城の際には夜な夜な鳴いたとか。
すこぶる狂暴そう、もとえワイルドな感じの狛狐さんですね〜朱色の結界で囲っておかないと暴れそうです。
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4/14 11:12
すこぶる狂暴そう、もとえワイルドな感じの狛狐さんですね〜朱色の結界で囲っておかないと暴れそうです。
旧東海道に出て、旧鍋町の角、新東海道に面した一角に旧小田原城移築城門がありました。
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4/14 11:25
旧東海道に出て、旧鍋町の角、新東海道に面した一角に旧小田原城移築城門がありました。
旧東海道に戻って、旧町名保存碑「鍋町」から「万町(よろっちょう)」の間にも、鈎方に曲がった「枡形」が形成されていました。(東海道文間延繪圖上の赤矢印は拙筆)
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4/14 11:28
旧東海道に戻って、旧町名保存碑「鍋町」から「万町(よろっちょう)」の間にも、鈎方に曲がった「枡形」が形成されていました。(東海道文間延繪圖上の赤矢印は拙筆)
旧道沿いの民家の軒先に挟まれてちょっと窮屈そうな「下の問屋場跡」標識。問屋場は当時の大手旅行代理店兼運送会社みたいなものだったようです。
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4/14 11:36
旧道沿いの民家の軒先に挟まれてちょっと窮屈そうな「下の問屋場跡」標識。問屋場は当時の大手旅行代理店兼運送会社みたいなものだったようです。
旧東海道筋には、旧町名保存碑がマメに立っています。こちらは「高梨町」と「宮前町」。高梨町は、後北条時代の家臣である高梨氏の屋敷があったことが由来らしい。
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4/14 11:37
旧東海道筋には、旧町名保存碑がマメに立っています。こちらは「高梨町」と「宮前町」。高梨町は、後北条時代の家臣である高梨氏の屋敷があったことが由来らしい。
小田原宿には4軒の本陣。その筆頭「清水金左衛門本陣」跡。清水金左衛門家は宿場町全体の牛耳ってた?いやいや掌握を行っていたそうな。
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4/14 11:40
小田原宿には4軒の本陣。その筆頭「清水金左衛門本陣」跡。清水金左衛門家は宿場町全体の牛耳ってた?いやいや掌握を行っていたそうな。
観光案内所の「なりわい交流館」で一休み。昭和七年に建設された旧網問屋を再整備したという主屋は味わい深い。小田原宿の案内パンフやマンホールカードを頂きました。
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4/14 11:45
観光案内所の「なりわい交流館」で一休み。昭和七年に建設された旧網問屋を再整備したという主屋は味わい深い。小田原宿の案内パンフやマンホールカードを頂きました。
交流館の隣りには日本遺産「箱根八里」の真新しい案内板。箱根八里もすでに、ウサさんの旧東海道ウサトレ計画に入っています。
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4/14 11:56
交流館の隣りには日本遺産「箱根八里」の真新しい案内板。箱根八里もすでに、ウサさんの旧東海道ウサトレ計画に入っています。
旧東海道沿いに歩くと、西には二子山、駒ヶ岳、神山の箱根山地がグッと迫ってきます。
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4/14 11:57
旧東海道沿いに歩くと、西には二子山、駒ヶ岳、神山の箱根山地がグッと迫ってきます。
こちらも4件あった本日の1つ「片岡本陣」跡。ご当主さんは明治時代になった後も小田原の要職を歴任したそうな。
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4/14 11:59
こちらも4件あった本日の1つ「片岡本陣」跡。ご当主さんは明治時代になった後も小田原の要職を歴任したそうな。
かなりレトロな「瀬戸自轉車店」さん。偶然通りかかったバイクのオジサンとの組み合わせがミョ〜に気に入ってしまった♪
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4/14 11:59
かなりレトロな「瀬戸自轉車店」さん。偶然通りかかったバイクのオジサンとの組み合わせがミョ〜に気に入ってしまった♪
中宿町の「上の問屋場跡」標識。高梨町の問屋場からおよそ450mほどなので、昔のはかり方ならおよそ4町。ちょうど真ん中あたりが「なりわい交流館」ですね。
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4/14 12:03
中宿町の「上の問屋場跡」標識。高梨町の問屋場からおよそ450mほどなので、昔のはかり方ならおよそ4町。ちょうど真ん中あたりが「なりわい交流館」ですね。
お城?。いえいえ、室町時代に生まれた和菓子「ういろう」発祥の店といわれる老舗「ういろう」さんです。元来「ういろう」とは外郎(ういろう)家が作る薬のことで、後に接客用に考案された米粉の蒸し菓子を“「菓子のういろう」と呼ぶようになったんだって、知らなかった〜
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4/14 12:05
お城?。いえいえ、室町時代に生まれた和菓子「ういろう」発祥の店といわれる老舗「ういろう」さんです。元来「ういろう」とは外郎(ういろう)家が作る薬のことで、後に接客用に考案された米粉の蒸し菓子を“「菓子のういろう」と呼ぶようになったんだって、知らなかった〜
少し旧東海道から外れますけど、西海子小路の桜を通り抜けます。
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4/14 12:11
少し旧東海道から外れますけど、西海子小路の桜を通り抜けます。
桜も終盤のせいか人通りは少ないですね。でも、その分ゆっくりのんびり堪能できます。
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4/14 12:13
桜も終盤のせいか人通りは少ないですね。でも、その分ゆっくりのんびり堪能できます。
お昼時になってお腹も空いてきたので、御厩小路から早川港(小田原漁港)に向かいます。
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4/14 12:18
お昼時になってお腹も空いてきたので、御厩小路から早川港(小田原漁港)に向かいます。
隣接する魚市場の魚介を使った刺身や揚げ物など、海鮮料理を提供する簡素な食堂「魚市場食堂」はここの2階。
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4/14 12:29
隣接する魚市場の魚介を使った刺身や揚げ物など、海鮮料理を提供する簡素な食堂「魚市場食堂」はここの2階。
清水漁港「河岸の市」に負けない海鮮丼ですね〜いや、店の雰囲気はこっちの方が市場感満点で玄人好みかな。ウサクマ大満足です〜
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4/14 13:02
清水漁港「河岸の市」に負けない海鮮丼ですね〜いや、店の雰囲気はこっちの方が市場感満点で玄人好みかな。ウサクマ大満足です〜
早川沿いを少し歩くと新早川橋。
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4/14 13:40
早川沿いを少し歩くと新早川橋。
趣きのあるトンネルが2つ連なっています。手前が東海道本線、奥が箱根登山鉄道をくぐって、新旧合流の東海道へ復帰します。
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4/14 13:47
趣きのあるトンネルが2つ連なっています。手前が東海道本線、奥が箱根登山鉄道をくぐって、新旧合流の東海道へ復帰します。
板橋見附交差点。小田原宿の板橋(上方)口に辿り着きました。1回のウサトレで、1つの宿に江戸方と上方の両方から「入る」というのも、初めてですね。
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4/14 13:51
板橋見附交差点。小田原宿の板橋(上方)口に辿り着きました。1回のウサトレで、1つの宿に江戸方と上方の両方から「入る」というのも、初めてですね。
北条五代と同じくらい三浦氏に興味を持つウサクマは城下山角町と板橋村の鎮守、桜咲く居神神社をお詣りしていきます。
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4/14 13:54
北条五代と同じくらい三浦氏に興味を持つウサクマは城下山角町と板橋村の鎮守、桜咲く居神神社をお詣りしていきます。
もとは水神様だったそうです、永正十三年(1516年)北条早雲に攻められて自害した三浦一族最後の当主・三浦義意の首が当地に飛来し、やがて守護神に転じたとか。敵将を自らの領地に祀ったとは、さすが北条早雲、器がデカい!
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4/14 13:57
もとは水神様だったそうです、永正十三年(1516年)北条早雲に攻められて自害した三浦一族最後の当主・三浦義意の首が当地に飛来し、やがて守護神に転じたとか。敵将を自らの領地に祀ったとは、さすが北条早雲、器がデカい!
とても趣き深い筆感の御朱印を2枚頂くことができました。二代・氏綱が三代・氏康に残した遺訓『北条綱置文』にある「勝って甲の緒を締めよ」の石碑の前でパシャリ。ー人ー
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4/14 14:03
とても趣き深い筆感の御朱印を2枚頂くことができました。二代・氏綱が三代・氏康に残した遺訓『北条綱置文』にある「勝って甲の緒を締めよ」の石碑の前でパシャリ。ー人ー
居神神社の東海道を挟んだ向かい側には、近世初頭の小田原藩主・大久保家の菩提寺である寳聚山大久寺です。
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4/14 14:07
居神神社の東海道を挟んだ向かい側には、近世初頭の小田原藩主・大久保家の菩提寺である寳聚山大久寺です。
境内では散り始めの大きな桜と歴史感たっぷりの石塔(宝篋印塔)が迎えてくれました。
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4/14 14:09
境内では散り始めの大きな桜と歴史感たっぷりの石塔(宝篋印塔)が迎えてくれました。
境内奥には小田原市指定史跡の「大久保一族の墓所」。中央の大きな墓石が大久保忠世のもの。大河ドラマ「どうする家康」では小手伸也さんが演じましたね。ウサクマは小手さんのファンなのです(仮面ライダー好きな我が家では「ラブリー」と呼ばれてます)
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4/14 14:13
境内奥には小田原市指定史跡の「大久保一族の墓所」。中央の大きな墓石が大久保忠世のもの。大河ドラマ「どうする家康」では小手伸也さんが演じましたね。ウサクマは小手さんのファンなのです(仮面ライダー好きな我が家では「ラブリー」と呼ばれてます)
こちらの寺務所でも、とても素晴らしい御朱印を2枚頂くことができました。この「南無妙法蓮華経」の書体、一目で日蓮宗と分かるようになったウサクマです。
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4/14 14:25
こちらの寺務所でも、とても素晴らしい御朱印を2枚頂くことができました。この「南無妙法蓮華経」の書体、一目で日蓮宗と分かるようになったウサクマです。
2020年2月の小田原城総構外郭ウサトレでも上った小峯御鐘ノ台大堀切に向う坂。一般道ですが、相変わらず、かなりの勾配です。
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4/14 14:42
2020年2月の小田原城総構外郭ウサトレでも上った小峯御鐘ノ台大堀切に向う坂。一般道ですが、相変わらず、かなりの勾配です。
道の西側は早川に向かってガッツリ切れ落ちて、これもかなり強固な防禦になりそう。
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4/14 14:49
道の西側は早川に向かってガッツリ切れ落ちて、これもかなり強固な防禦になりそう。
今回ウサトレ目玉の一つ「三の丸外郭新堀土塁」に到着しました〜
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4/14 14:50
今回ウサトレ目玉の一つ「三の丸外郭新堀土塁」に到着しました〜
公開は午後3時まで。2020年ウサトレでは時間を過ぎてて閉門されていました。今回はギリギリですが、ようやく見られます。
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4/14 14:51
公開は午後3時まで。2020年ウサトレでは時間を過ぎてて閉門されていました。今回はギリギリですが、ようやく見られます。
青々とした芝生に覆われた、こんもりとした丘に上がって見ると〜
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4/14 14:51
青々とした芝生に覆われた、こんもりとした丘に上がって見ると〜
おお〜かなり大規模な土塁が連なってますね。展望も素晴らしい。右手手前にはっ豊臣秀吉が陣を敷いた石垣山(一夜城跡:2020年6月ウサトレ)も一望できます。
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4/14 14:52
おお〜かなり大規模な土塁が連なってますね。展望も素晴らしい。右手手前にはっ豊臣秀吉が陣を敷いた石垣山(一夜城跡:2020年6月ウサトレ)も一望できます。
入口にあった案内板によれば、ここは天正十五年(1587年)には存在していたことが知られる土塁で、「三の丸新堀」は小田原北条氏の時代の堀の名称として、唯一確認出来るものだそうです。総構が完成するまでは、ここが小田原外郭線でした。
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4/14 14:56
入口にあった案内板によれば、ここは天正十五年(1587年)には存在していたことが知られる土塁で、「三の丸新堀」は小田原北条氏の時代の堀の名称として、唯一確認出来るものだそうです。総構が完成するまでは、ここが小田原外郭線でした。
ひろびろ〜人いない〜遺構の中ですが、気分リフレッシュ出来て気持ちいいですね。
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4/14 15:00
ひろびろ〜人いない〜遺構の中ですが、気分リフレッシュ出来て気持ちいいですね。
午後3時ちょっと過ぎ、閉門される前に退出して、桜散りゆく中を次のお目当て、八幡山城古郭へ向かいます。
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4/14 15:05
午後3時ちょっと過ぎ、閉門される前に退出して、桜散りゆく中を次のお目当て、八幡山城古郭へ向かいます。
あ、小田原城が見えてきました〜写真の枠外ですが、左手には昭和二十四年(1949年)開設のレトロな小田原競輪場が目を引きました。あの橋本聖子さんも一時、練習地としていたとか。
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4/14 15:12
あ、小田原城が見えてきました〜写真の枠外ですが、左手には昭和二十四年(1949年)開設のレトロな小田原競輪場が目を引きました。あの橋本聖子さんも一時、練習地としていたとか。
小田原城北側の箱根登山鉄道と東海道本線の線路沿いに歩き、特に何の目印も標識もないこの小径を登ると・・・
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4/14 15:18
小田原城北側の箱根登山鉄道と東海道本線の線路沿いに歩き、特に何の目印も標識もないこの小径を登ると・・・
八幡山城古郭東曲輪です。八幡山城は小田原城の元になった山城。15世紀末に北条早雲が支配下とした頃の小田原城の中心地の1つだそうです。
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4/14 15:19
八幡山城古郭東曲輪です。八幡山城は小田原城の元になった山城。15世紀末に北条早雲が支配下とした頃の小田原城の中心地の1つだそうです。
総構ウサトレでぜひ見たかったポイント。今は広場になっていて、ツツジ越しの小田原城址天守閣の眺めが良い感じです。
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4/14 15:21
総構ウサトレでぜひ見たかったポイント。今は広場になっていて、ツツジ越しの小田原城址天守閣の眺めが良い感じです。
この広場には、全然人がいません。なんて贅沢〜という優越感に満ちた面持ちで、天守閣最上階展望回廊の観光客さんを眺めるウサさんです。
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4/14 15:23
この広場には、全然人がいません。なんて贅沢〜という優越感に満ちた面持ちで、天守閣最上階展望回廊の観光客さんを眺めるウサさんです。
広場には石性のベンチがいくつか。ウサクマ独占状態でしたので、今朝買い込んだパンをゆっくりいただきます。
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4/14 15:28
広場には石性のベンチがいくつか。ウサクマ独占状態でしたので、今朝買い込んだパンをゆっくりいただきます。
入った口と違うところに降りてみると、丁寧な案内板が設置されていました。なるほど、こっちが正式な入口なのね。(ウサクマは何処といわず、何故か裏口から入ることが多い)
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4/14 15:49
入った口と違うところに降りてみると、丁寧な案内板が設置されていました。なるほど、こっちが正式な入口なのね。(ウサクマは何処といわず、何故か裏口から入ることが多い)
最後にはやっぱり小田原城。今回は「御用米曲輪」のある北入口から入城(やっぱり裏口感tが強い〜)
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4/14 15:59
最後にはやっぱり小田原城。今回は「御用米曲輪」のある北入口から入城(やっぱり裏口感tが強い〜)
小田原城は2020年2月のウサトレでたっぷり拝見したのですが、御城印を頂きそこなっていたので、今回はしっかりゲットしました。
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4/14 16:40
小田原城は2020年2月のウサトレでたっぷり拝見したのですが、御城印を頂きそこなっていたので、今回はしっかりゲットしました。
本丸広場にはキッチンカーで出店していたイタリアンジェラート「小田原牧場アイス工房」さんを発見♪ 季節限定「さくら」を頂きましたぁ♪
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4/14 16:48
本丸広場にはキッチンカーで出店していたイタリアンジェラート「小田原牧場アイス工房」さんを発見♪ 季節限定「さくら」を頂きましたぁ♪
落陽の小田原城にお挨拶。次は「忍者」になりに来ますからね〜
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4/14 17:04
落陽の小田原城にお挨拶。次は「忍者」になりに来ますからね〜
常盤木門とNINJA間の間にある朱塗りの橋の欄干で一休みのウサさん。背後の桜もまだまだ元気で、今回のウェアとシンクロしましたね。
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4/14 17:12
常盤木門とNINJA間の間にある朱塗りの橋の欄干で一休みのウサさん。背後の桜もまだまだ元気で、今回のウェアとシンクロしましたね。
銅門(あかがねもん)と隅櫓の間の桜も、最後の力を振り絞ってくれてる感じです。
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4/14 17:27
銅門(あかがねもん)と隅櫓の間の桜も、最後の力を振り絞ってくれてる感じです。
学橋でお堀を渡り城外へ。薄暮の迫るお堀の水面に桜が映って、とても綺麗でした。
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4/14 17:31
学橋でお堀を渡り城外へ。薄暮の迫るお堀の水面に桜が映って、とても綺麗でした。
本日最後の「拾い物」は、栄町一丁目交差点にあった「ガンダム・マンホール」。小田原市がガンダム生みの親・富野由悠季氏の出身地、という理由から2か所にあるらしい。よし、次の機会には小田原漁港で「シャア専用ズゴック・マンホール」みるぞ!
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4/14 17:44
本日最後の「拾い物」は、栄町一丁目交差点にあった「ガンダム・マンホール」。小田原市がガンダム生みの親・富野由悠季氏の出身地、という理由から2か所にあるらしい。よし、次の機会には小田原漁港で「シャア専用ズゴック・マンホール」みるぞ!
さて、久しぶりの「小田原お堀端 万葉の湯」さんに到着です。今日は時間も早いし、1時間半近く、露天風呂とスチームサウナでゆっくり体を延ばしました。
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4/14 17:49
さて、久しぶりの「小田原お堀端 万葉の湯」さんに到着です。今日は時間も早いし、1時間半近く、露天風呂とスチームサウナでゆっくり体を延ばしました。
お昼に早川港で海鮮丼食べたけど、小田原なら湯上りの打ち上げもやっぱり美味しいお魚〜迫力満点の穴子天丼とお刺身でカンパ〜イ♪
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4/14 21:17
お昼に早川港で海鮮丼食べたけど、小田原なら湯上りの打ち上げもやっぱり美味しいお魚〜迫力満点の穴子天丼とお刺身でカンパ〜イ♪
巨大な小田原提灯に見送られて、今回の小田原宿ウサトレも大団円で~す♪
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4/14 22:42
巨大な小田原提灯に見送られて、今回の小田原宿ウサトレも大団円で~す♪
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